第 64 話文化ひとりの歌が、座にいならぶ皆で継ぐ言葉の遊びになっていった日のこと
〜前の句をせっかく受けておきながら、なぜ人は、わざと話を転じて付けたのか〜
歌というのは、いまではたいてい一人で詠むものだ。
胸のうちにわいた思いを、自分ひとりで言葉にして、自分ひとりの名で世へ出す。うまくいけば褒められ、しくじれば一人で恥をかく。誰かと半分ずつ作るなどということは、まず考えない。歌も句も、はじめから終いまで、その人ひとりの持ち物さ。
ところが昔は、ちがった。五七五の長句を一人が詠み、それを受けて七七の短句を別の者が付ける。さらにその七七を受けて、また別の者が次の五七五を付けていく。一座に大勢が車座にすわって、たがいの句を読み、機知と情趣で応じ合い、一つの長い巻物を、みなで継いで作りあげる。連歌、と人は呼んだらしい。
ボクが見てきたのは、その移り変わりだ。歌が「ひとりのもの」から「みなで継ぐもの」へひらかれていった、その座のあたたかさのことさ。
◇ ◇ ◇
応永二十三年(一四一六年)の春のことだ。おれは京の、とある寺の連歌の座へ、初めて末席として加えてもらった。
まだ十六、七の小僧あがりで、歌の作法もろくに知らぬおれを、なぜ呼んでくれたのか。手習いの師が、座をとりしきる宗匠の道阿どのと旧知で、「若い目に一度、座というものを見せてやってくれ」と口をきいてくれたのだ。
寺の一間に、もう人が集まっていた。これがおれには、たまげるほど不揃いな顔ぶれだった。上座には腰に刀をたばさんだ武家の侍がいる。その隣には墨染めの衣の僧がふたり。下手には町で米を商うという恰幅のよい者、それに連歌の達者と評判の、白髪の道阿どのが、ゆったりとすわっていた。
ふだんなら、口をきくことさえはばかられる身分の者たちが、ここでは膝をつき合わせ、わけへだてなく並んでいる。連歌の座では、身分の上下をしばし脇へ置くものだと、あとで聞いた。句のよしあしの前では、侍も僧も町の者も、ただ「付ける一人」にすぎぬのだという。座のまんなかには、文台と硯がしつらえられ、句を書きとめる役の者が、筆をかまえて控えていた。
おれは末席で、ただ膝をそろえているだけで、もう汗だくだった。場ちがいなところへ紛れこんだ心地がして、隅の柱にへばりつくように小さくなっていた。それでも、香の匂いのただよう一間に大人たちが車座にすわるさまには、得もいわれぬ張りつめた気配があって、おれは生唾をのみこんだ。
やがて道阿どのが、目をつむって、ひとつ咳ばらいをした。座がしんと静まる。
まず宗匠が、巻のはじめの一句を詠んだ。発句、というそうだ。
散る花を 惜しむ間もなく 暮るる空
春の暮れ、散る桜を惜しむ暇さえなく、日が落ちていく。それだけの句が、座の者みなの胸へ、すうと染みていくのがわかった。すると上座の侍が、間をおかず、それを受けて七七を付けた。
軒端をたたく 春の雨かな
ああ、と思った。散る花から、軒先をたたく春の雨へ。前の句のさみしさを、雨の音でそっと受けとめている。巧みなものだ。
◇ ◇ ◇
句は、そうやって次々に継がれていった。
春の雨を受けて、僧のひとりが、雨やどりする旅の宿へと景色を移した。
草の戸に ひと夜を借りる 旅ごころ
その宿を受けて、こんどは町の者が、灯のもとで眠れずにいる旅人の胸のうちへと転じる。
ふるさとの 夢にも遠き 枕かな
前の句を踏み台にして、次の者が、それまでとは違う景色や心へ、ひょいと話をずらしていく。雨が宿になり、宿が旅の枕になり、枕がはるかな故郷の夢になる。一つところに留まらず、句から句へ、景色がゆるやかに移ろっていくさまは、見ていてふしぎと飽きなかった。前の人の言葉尻を、次の人がきれいに拾っては、別の方へ転がしていくのだ。
おれは、ここがどうにも腑に落ちなかった。前の人がせっかく詠んだ景色を、なぜ後の者は、わざわざ別の方へずらしてしまうのか。前の句に寄りそって、同じ春の雨を、もっと細かく詠みつづければよいではないか。そう思っていた。
そうこうするうち、とうとう、おれの番がまわってきた。
前の句は、僧が付けた一句だった。
ともす火の ほそりて消えぬ 夜半の闇
灯がだんだん細って、消えそうで消えぬ。その夜ふけの闇——おれは頭に汗をかきながら、必死で七七をひねり出した。
灯さえ消えて くらき夜の道
言い終えたとたん、座が、しんとなった。
誰も褒めない。道阿どのが、しずかに目をあけて、おれを見た。
「惜しいな」と、宗匠は言った。「お前の句は、前の句に寄りそいすぎておる。火が消えそうだ、という景色へ、灯が消えて道が暗い、と付けた。これでは、ただ同じことをもう一度なぞっただけだ。座が、先へ進まぬ」
顔から火が出るかと思った。おれは、よい句を付けようと気負うあまり、前の句にぴたりとしがみついて、そこから一歩も動けずにいたのだ。
道阿どのは、ふっと笑って、続けた。
「連歌はな、付けることより、転じることが肝心だ。前の句を、たしかに受ける。受けたうえで、そこからすっと心を離して、別の景色をひらいてみせる。受けて、転じる。その呼吸さ。前の句にぴたりと貼りついては、座の風がよどんでしまう」
受けて、転じる。おれは、その言葉を胸のなかでくり返した。
考えてみれば、ふだんの暮らしでも、人の話にぴたりと貼りついてばかりでは、話は先へ進まぬ。「そうだ、そうだ」とうなずくだけでは、いつまでも同じところを回るだけだ。相手の言葉をいったん受けとめて、そこから半歩、別の方へ転がしてやる。そうやって話というものは、思いがけぬ先へ運ばれていく。連歌の座は、それを言葉の遊びにまで磨きあげたものなのだと、おれは末席で、ぼんやり思いはじめていた。
◇ ◇ ◇
道阿どのは、おれにもう一度だけ機会をくれた。
「同じ前の句で、付けなおしてみよ。火が消えそうな闇——そこから、思いきって心を遠くへ飛ばしてみるのだ」
おれは目をつむった。細る灯。夜半の闇。……その闇を、誰かが見ている。旅の空の下で、ひとり眠れずにいる者がいる。その者の目に、闇の向こうから、なにが見えるだろう。
遠く鳴く鹿 山の端しらむ
長い夜の闇が、いつか明けかかる。山の稜線がうっすら白んで、どこか遠くで鹿が鳴いている。消えそうな火の闇から、夜明けの山へ——おれは、思いきって景色を遠くへ飛ばした。
座が、ふっとほどけた。
「おお」と、米商いの者が声をもらす。武家の侍が、うむ、とうなずく。道阿どのが、にっこりした。
「それでよい。前の闇を受けながら、夜明けへ転じた。座が、先へ進んだろう。これが付け合いの妙というものさ」
おれは、全身の力がぬけた。けれど、なんともいえずあたたかいものが、胸にこみあげてきた。
そのあとも、句は継がれていった。おれの夜明けの鹿を受けて、僧が朝の野の露へ転じる。
露けさに 袖をしぼりて 立つあした
その露を受けて、こんどは侍が、旅立つ馬の足音へと転じた。
駒の音とほく 霞む里みち
しぼった袖のしめりが、いつのまにか、霞む里みちを遠ざかる馬の音へと移っている。だれの句でもあって、だれひとりの句でもない。皆の息が、ひとつの長い流れになって、巻物の上をうねっていく。おれは末席で、その流れに、自分の付けたひと息が、たしかに混じっているのを感じた。さっきまで他人だった者たちと、句のうえで、いつのまにか心がつながっている。こんな心地は、生まれてはじめてだった。
勝ち負けは、なかった。誰の句がいちばんか、などとは、誰も言わない。ただ、座の呼吸を合わせて、一巻をしまいまで巻きあげる。それが、なによりの喜びなのだった。
日が暮れかかるころ、巻が満ちて、おしまいの句が付けられた。道阿どのが、巻物をするすると巻きおさめながら、しみじみと言った。
「よい座であった。身分も歳もちがう者が、句のひとつを継ぐあいだだけは、ひとつの心になる。これが連歌の、いちばんの妙味さ」
末席で膝をそろえていたおれは、その日のことを、たぶん一生忘れぬだろうと思った。
◇ ◇ ◇
歌が、ひとりで詠んで、ひとりの名で背負うものから、座にいならぶ皆で継ぐ言葉の遊びへとひらかれていったのは、世が乱れ、また人が寄り合うことを求めた、このころのことだと伝わる。ボクは、その座のいくつかを、隅のほうから眺めてきた。
連歌の座には、ふしぎな力があった。前の句を、まず、たしかに受ける。受けたうえで、そこから心を転じて、別の景色をそっとひらいてみせる。受けて、転じて、また受ける。その呼吸さえ合えば、刀をさした侍も、墨染めの僧も、米を量る町の者も、句の上では同じ一人になれた。身分の壁を、言葉がひととき溶かしてしまうのだ。
今でも、人は歌を詠む。けれど、たいていは一人で詠み、一人の名で世へ出す。誰かの句を受けて、自分の句で転じ、また次へ手渡す——そういう座の呼吸を知る者は、もう、そう多くない。
それでも、とボクは思う。
誰かが言ったひと言を、頭から否んでしまわずに、いったん受けとめる。受けとめたうえで、そこから半歩、話を転じて、新しい景色をひらいてみせる。それは、連歌の座でなくとも、人と人とが言葉をかわすかぎり、いつでもできることだ。受けて、転じる。その呼吸は、たぶん今も、どこかの誰かと誰かのあいだで、しずかに続いている。
巻物は、とうに巻きおさめられた。座にいた者たちの名も、もうわからない。それでも、夕暮れの寺の一間で、身分も歳もちがう者たちが、ひとつの句を継ぐあいだだけ、ひとつの心になっていた——あの座のあたたかさだけは、ボクのなかに、まだ残っている。ボクは、そういうものが、好きなんだ。
参考文献・もっと詳しく
- 『連歌の世界』ISBN 978-4-642-06621-1
- 『宗祇』ISBN 978-4-642-05211-5
- 『連歌集』ISBN 978-4-10-620333-6
- 『戦国の権力と寄合の文芸』ISBN 978-4-87088-279-9
※ 連歌は、五七五の長句と七七の短句を複数の人が交互に付け合い、一座で一巻を巻きあげていく中世の座の文芸とされる。前の句を受けつつ、そこから景趣や心を転じて付ける「付け合い」を妙味とし、勝敗を競うより座の呼吸を合わせることに重きが置かれたと伝わる。武家・僧侶・町衆など身分を異にする者が同座できる場でもあったらしい。室町期に隆盛し、宗匠を中心とする連歌の座が各地で営まれたという。応永二十三年は一四一六年(応永は一三九四〜一四二八年)で、元号と西暦の対応は史実に整合する。※本文の人物・会話・情景は創作。
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