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明治のころ読了 約5

はじめての肉、七十年めの一切れ

なぜその老人は、地獄を覚悟して鍋をつついたのか

 ボクは、この国の人々が、千年からのあいだ、四つ足の獣の肉を、ほとんど口にしないのを見てきた。

 仏の教えだの、穢れだのと言ってね。牛や馬を食うのは罰当たりだ、地獄に堕ちる——そういうことに、なっていた。むろん、まったく食わなかったわけじゃない。山では「薬食い」と言い訳して、こっそり猪や鹿をつつく者もいた。けれど、表向きは、ずうっと、「獣の肉は、いけないもの」。それが、あたりまえだった。なにせ、千年だ。爺さまの爺さまの、そのまた爺さまの代から、ずっと、そうだったんだ。

 ところが、明治の御世になったとたん——皆、鍋を囲んで、牛の肉を、食いはじめた。

 「文明開化」だ、なんだと言ってね。お上までが、肉を食え、牛の乳を飲め、それが世界に追いつく道だ、と勧める。学のあるお人が「肉を食わぬ者は開化のわからぬ田舎者だ」なんて書いて回る。挙句、宮中の、いちばん高貴なお方が牛肉を召し上がったらしい、という話まで、町じゅうに広まった。

 千年の「いけないこと」が、ほんの数年で、ひっくり返ったんだ。

 あのときの、人々のざわめきを——おっかなびっくり、それでいて目を輝かせていた、あの顔つきを、ボクは、今でも、よく覚えている。

◇ ◇ ◇

 その晩、わたしは、開けたばかりの牛鍋屋の、隅の席にいた。

 ——文明開化のころ、しばらく町で小商いをしていたわたしは、自分を「わたし」と呼んでいた。

 店は、味噌仕立ての甘い匂いと、嗅いだこともない脂の匂いとで、むんむんしていた。煮えたつ鍋を囲んで、職人ふうの男どもが、額に汗をかいて箸を動かしている。誰もが、初めて口にする味に、半分は怖がり、半分は夢中になっていた。

 わたしの隣の席に、若い男が、ずいぶん年老いた父親らしき人を、連れてきていた。

 「親父、せっかく江戸——いや、東京まで出てきたんだ。一口だけでも、食ってみてくれよ」

 老人は、骨ばった手で箸を握ったまま、煮える鍋を、にらみつけていた。その手が、かすかに、震えている。

 「……よせ。わしは、もう、七十だ」と、老人は、絞り出すように言った。「七十年、一度も、けものの肉なんぞ、口にしたことはない。今さら、こんなものを食うて……地獄に堕ちたら、どうする。仏さまに、顔向けできん」

 「地獄なんざ、あるもんか」と息子は笑った。「お天子さまだって、召し上がったって話だぜ。お天子さまが地獄に堕ちるかい」

 老人は、答えなかった。ただ、鍋から立ちのぼる湯気を、こわごわ、見つめていた。

 わたしには、この爺さまの怖さが、痛いほど、わかった。

 今の人には、笑い話に聞こえるかもしれん。たかが、牛の肉じゃないか、と。だが、この爺さまにとっては、たかが、じゃないんだ。生まれてから七十年、いや、その親も、そのまた親も、「これだけは、してはいけない」と信じて、守りとおしてきた。その一線を、今、自分の箸で、踏み越えようとしている。——うまいか、まずいか、の話じゃない。長いあいだ世界をかたちづくってきた決まりごとが、ぐらりと傾く、その音を、この爺さまは、ひとりで聞いているのだ。

 息子が、見かねて、肉をひと切れ、小皿に取ってやった。味噌の絡んだ、湯気の立つ一切れだ。

 店じゅうが、なんとなく、その老人を、見ていた気がする。みな、すこし前まで、同じ怖さを抱えて、同じ一線を、またいできた者たちだ。だから、黙って、見守っていた。

 老人は、長いこと、その小皿を、にらんでいた。

 それから、意を決したように、ほんの小さな一切れを、箸でつまみ、目をつぶって、おそるおそる、口へ、運んだ。

 ——次の瞬間。

 こわばっていた、老人の顔が、ふっと、ほどけた。眉間に、深く刻まれていたしわが、ゆるんだ。閉じていた目が、ゆっくりと、見開かれる。

 「…………うまい」

 しわがれた、けれど、はっきりとした声だった。

 「……なんだ、これは。こんな……こんな、うまいものが、この世に、あったのか」

 目には、うっすらと、涙さえ、浮かんでいた。七十年、かたく信じて守ってきた「いけないこと」を、たった今、自分の舌で、破ってしまった——その、おそろしさと、後ろめたさと。そして、それを、ぜんぶ押し流してしまうほどの、うまさへの、驚き。そのすべてが、その、たったひと言に、詰まっていた。

 息子は、くしゃっと、顔をゆがめて笑った。それから、何も言わずに、親父の猪口に、酒を注いだ。

 「……もう一切れ、食うか、親父」

 老人は、こくり、とうなずいて、こんどは、自分の箸で、鍋から、肉をつまんだ。さっきより、ずっと、ためらいのない手つきだった。

 わたしも、なんだか、こちらまで嬉しくなってきて、こっそり、自分の鍋から、いちばん良さそうな一切れを、その爺さまの小皿に、足してやった。爺さまは気づかず、ふた切れめを、しみじみと、噛みしめていた。

◇ ◇ ◇

 今では、牛の肉なんて、なんでもない。

 すき焼きは、祝いの日の、ごちそうだ。子どもが「今日はお肉だ」と、はしゃぐ。あの、千年の禁忌を、地獄を覚悟してまたいだ一線を、もう、誰ひとり、覚えちゃいない。たった二代か三代で、人は「あたりまえ」を、すっかり、入れ替えてしまう。

 長く生きていると、その早さに、ときどき、目が回る。あれほど重かった「いけない」が、湯気ひとつ分の、甘い匂いに、溶けて消えていくんだから。

 ……それに、白状すると、あの牛鍋屋の、味噌と脂の匂いの中にいたとき、わたしは、妙に、落ち着かなかった。懐かしいような、こわいような。長い長い遠回りの果てに、自分のもといた世界に、すこしずつ、近づいてきている——そんな心もちが、このあたりから、しはじめていた。

 ボクは、あの爺さまの名も、その後を、知らない。

 ただ、七十年めに、はじめての肉を口にして、しわくちゃの顔で「うまい」と泣いた、あの人のことだけは——百年以上たった今でも、すき焼きの鍋がくつくつ煮える音を聞くたびに、ふと、思い出すんだ。

参考文献・もっと詳しく

天武天皇の肉食禁止の詔(675年)は対象動物・期間を限ったもので、以後も「薬食い」等の形で獣肉は食された。「千年の禁忌」は675年の詔〜明治の解禁(約1200年)にわたる忌避の建前を指す表現。明治天皇の牛肉試食(明治5年=1872年)は文明開化の象徴として広く報じられたが、具体的な日付には諸説がある。

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