第 65 話食牛鍋屋の隅の席で、七十の爺さまが箸を握った
〜地獄を覚悟した男の小皿に、親方は何を仕掛けたのか〜
はじめて読む方へ——語り部「ボク」がなぜ千年を渡り歩いているのかは、プロローグにあります。
七十年、四つ足の肉を一切れも口にせずに生きてきた爺さまがいた。明治五年(一八七二年)の冬、東京の牛鍋屋の隅で、ボクはその爺さまのはじめの一口を見た。
天武天皇の詔から千二百年ほど、牛や馬を食うのは罰当たりだと、言われてきた。むろん山では「薬食い」と言い訳をして、猪や鹿をこっそりつつく者もいた。けれど表向きは、獣の肉はいけないものだった。
それが明治になって数年で、文明開化の名のもとに、お上までが肉を食えと勧めはじめた。宮中で牛肉が供されたという話も、町じゅうに広まった。
あの冬の東京には、まだガス灯が無い。夜道は提灯と行灯の明かりばかりで、牛鍋屋の戸口の障子だけが、湯気を吸って白く曇っていた。
味噌の甘い匂いを吸うと、ボクの胸には、懐かしさが先に立った。
◇ ◇ ◇
その店で、わたしは十日ほど前から下働きをしていた。牛鍋屋は開けたばかりで、親方は肉屋あがりの無口な男だった。江戸のころは、ももんじ屋で猪や鹿をさばいていたと、親方について来た下男から聞いた。牛の肉を扱うのは、この店を開けてからだという。鍋は親方の流儀で、味噌に酒を割り、長葱を先に敷く。この店は味噌だった。わたしの持ち場は、炭を継ぐことと、小皿を運ぶことだ。炭は火が立たぬように、灰の下から赤だけ覗かせて継ぐ。
肉は朝のうちに、竹の皮に包まれて裏口へ届く。親方は包みを解くと、まず手のひらで肉の冷たさを確かめ、それから俎板へ載せた。親方は庖丁を二本研ぐ。一本は肉を切る刃で、もう一本は脂を落とす刃だ。わたしは水を汲んで、そばに立っていた。
店は味噌仕立ての甘い匂いと、脂の匂いでむんむんしていた。土間には板を渡した長い腰掛けが並び、七輪にのせた鍋が、客の膝の前でぐつぐつ鳴っている。鍋の汁が減れば、わたしが茶碗の水を足して回った。煮えたつ鍋を囲んで、職人ふうの男どもが、額に汗をかいて箸を動かしている。髷を落としたばかりの散切り頭も、ちらほら混じっている。みな、夢中の顔だった。その匂いに、わたしの手が一拍だけ止まった。親方の咳払いで、炭ばさみをまた動かした。
表の行灯には、「牛」の一字が大きく書いてあった。暖簾の前で、老人の足が止まった。若い男が背を押すようにして、ずいぶん年老いた父親を、壁ぎわの隅の腰掛けへ、膝をかばうように座らせた。息子はこの冬から、東京の材木問屋に奉公しているという。老人は白髪を短く刈り、日に焼けた首を縮めて、継ぎの当たった野良着の襟を、何度も指で直していた。

「親父、せっかく江戸——いや、東京まで出てきたんだ。村から三日も歩いてさ。一口だけでも、食ってみてくれよ。おれは奉公の仲間と何度か食ったが、腹を壊した奴なんざ、ひとりもいねえ」
隣の腰掛けでは、酒の回った男が「牛鍋を食わぬ奴は開化が進まぬ」と笑い、仲間が膝を打った。誰も、その言葉の中身を考えてはいなかった。その向こうでは、書生ふうの若い男が、煮えきらぬ肉を口へ放りこみ、熱さに舌を出して水を欲しがっていた。下男が茶碗を運ぶと、周りがどっと笑う。笑いのなかに、怖さは見えなかった。
老人は、骨ばった手で箸を握ったまま、鍋をにらんでいた。その手が、かすかに震えている。握った箸の先が、鍋のふちに触れて小さく鳴った。
「……よせ。わしは、もう、七十だ」と、老人は絞り出すように言った。「七十年、けものの肉なんぞ、口にしたことはない。今さらこんなものを食うて、地獄に堕ちたらどうする。仏壇の親父やお袋に、どの面を下げて会う。仏さまにも顔向けできん」
「在所の和尚さまは、四つ足を食うた者は、法事に呼ばぬと言うた」
「その和尚は、食ったことがあるのかい」
「ない」
「ないのに、言ってるんじゃねえか。地獄なんざ、あるもんか」と息子は笑った。「お上だって、召し上がったって話だぜ。お上が地獄に堕ちるかい」
老人は答えなかった。立ちのぼる湯気を、こわごわ見つめている。
「村の衆には、黙っておれよ」
「言いやしねえよ」
息子が下男に「牛鍋を一つ」と声をかけ、厨房から皿が出た。肉は、ほかの客と同じ、厚めに切ってあった。その皿を、親方が下男の手から取った。老人の手元を、ちらと見て、庖丁を取り直した。
厨房へ引き返した親方は、やがて自分で皿を運んできた。盆の上には、厚めの肉の代わりに、薄く削いだ肉が五切れだけ並んでいた。脂の端は、庖丁で落としてある。
前の晩、わたしは客の鍋に肉を山と盛り、灰色に煮てしまった。客は箸の先でつついて、「革を噛んでいるようだ」と半分を残した。親方は何も言わず、鍋ごと下げた。その鍋の肉と、いま皿に並んだ肉とは、同じ牛とは思えなかった。

その夜、わたしは親方の手ばかり目で追っていた。肉を切る前に、庖丁を湯にくぐらせる。落とした脂の端を、俎板の隅に小さく積んでおく。見ていて分かったのは、それだけだった。火の通り際を見きわめる親方の目だけは、追いきれなかった。
親方は、味噌が溶けきるのを待って、五切れをさっと沈めた。火が強すぎるのか、炭ばさみで炭を一つ、鍋の下から抜いた。それから、わたしに長箸を握らせた。
わたしは、親方が顎で示した頃合いに、赤みの引く手前を探して、一切れを引き上げた。小皿に載せて、老人の前に置く。味噌の絡んだ、湯気の立つ一切れだった。老人は顔を上げて、わたしを見た。
「これを、あんたは毎晩、運ぶのか」
「へえ」
「……そうか」
それきり老人は黙り、鍋の湯気に、また目を落とした。
老人は、長いことその皿をにらんでいた。それから、目をつぶって、小さな一切れをつまみ、口へ運んだ。
こわばっていた老人の顔が、ふっとほどけた。眉間の深いしわがゆるむ。閉じていた目が、ゆっくり見開かれた。
「…………うまい」
しわがれた、けれどはっきりした声だった。
「なんだ、これは。こんなうまいものが、この世にあったのか」
目に、うっすらと涙が浮かんでいた。
息子も、自分の箸で肉をつまみ、「今夜はやけに柔けえな」と首をかしげていた。それから、くしゃっと顔をゆがめて笑い、何も言わずに親父の猪口へ酒を注いだ。
「……もう一切れ、食うか、親父」
老人はこくりとうなずいた。
「おっかあにも、食わせてやりたかったなあ」と、ぽつりと言った。息子は、うなずくだけで、何も返さなかった。
老人は、こんどは自分の箸で、鍋から肉をつまんだ。汁をひと口すすり、葱を噛んで、老人は目を細めた。さっきより、ずっとためらいのない手つきだった。
店の客たちは、いつのまにか箸を止めていた。みな、同じ鍋の湯気を浴びた者たちだった。誰も何も言わず、また鍋へ向き直った。
それを見て、親方は厨房へ戻り、次の皿を切った。ほかの客に出すのと同じ厚さの皿だった。
その皿を運んだのも、わたしだった。老人は厚い肉を一枚、箸でつまんでしげしげと眺め、それから黙って口へ入れた。ゆっくり噛む顎に、もう力みはなかった。
薄い肉は、老人が三切れ食べ、残りの二切れを息子が平らげた。厚い皿にも、老人は箸をつけた。酒は、猪口に半分だけ減っていた。食べ終えてからも、箸を置かずに、しばらく空の小皿を見ていた。やがて息子に腕をとられて立ち上がり、戸口の手前で一度だけ、鍋のほうを振り返った。表へ出ると、提灯がひとつ、暗い道を揺れていった。仏さまに詫びたのか、鍋に礼を言ったのか、わたしには分からなかった。
その夜の店じまいに、わたしは鍋を洗った。親方は落とした脂の端を、小さな壺に集めていた。明日の朝、鍋の肌に塗るのだという。
◇ ◇ ◇
ボクが店を離れるまでに、あの爺さまは二度、ひとりで暖簾をくぐった。二度目の晩、手拭いを掛けたうなじが、鍋の湯気でうっすら赤かった。
参考文献・もっと詳しく
※ 天武天皇の肉食禁止の詔(675年)は対象動物・期間を限ったもので、以後も「薬食い」等の形で獣肉は食された。「千二百年ほど」は675年の詔〜明治の解禁にわたる忌避の建前を指す表現。明治天皇の牛肉試食(明治5年=1872年)は文明開化の象徴として広く報じられたが、具体的な日付には諸説がある。
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