消えるはずの声を盤に刻み、もう会えぬ人の歌を家で甦らせた日のこと45
大正のころ・東京の町なか読了 約6

消えるはずの声を盤に刻み、もう会えぬ人の歌を家で甦らせた日のこと

娘を亡くした父は、まわる黒い盤から流れだした幼い歌声に、なぜ膝を折ったのか

 声というものは、口から出たそばから、消えていくものだ。

 言ったはしから空気にほどけて、もう二度と、まったく同じ調子では戻ってこない。だからこそ人は、大事な言葉を胸に刻もうとする。亡くなった者の声などは、なおさらだ。葬式の帰りに、あの人はどんなふうに笑ったろう、どんな声で名を呼んでくれたろうと、必死で思い出そうとして、けれど日が経つほどに、その響きはぼやけて遠ざかっていく。消えていくのが声というものの定めだった。

 ところが、その定めをくつがえす機械が、海の向こうから渡ってきた。声や音を針で黒い盤にそっくり刻みつけ、また針を落とせば、いつでも何度でも、そっくり同じに鳴らしてみせる。ラッパの口から、いちど消えたはずの声が生きていたときの調子のまま流れだす。

 ボクが見てきたのは、その黒い盤が、人の「もう聞けないはずの声」を留めはじめた、そのころのことだ。

◇ ◇ ◇

 大正八年(一九一九年)の暮れのことだ。わたしは東京の町なかで、蓄音機を商っていた。

 舶来の品で、まだ値の張る機械だったが、少しずつ、町の家々に入りはじめていた。木の箱の上に円い台が載り、横手の把手をきりきりと巻くと、台がなめらかにまわりだす。そこへ黒い盤を据え、鉄の針をそっと縁に落とす。すると箱の朝顔のようなラッパから、楽の音や、はやり唄や、義太夫の語りが、ふいに湧きだしてくる。はじめて聴いた客は、たいてい腰を抜かさんばかりに驚いた。

 なかには、家に唄や語りを持ち込めるのがうれしくて、夜ごと盤をかけ替えては聴き入る家もあった。それまで音曲を聴くといえば、寄席に行くか、誰かが生で弾いてくれるのを待つしかなかった。それが、針ひとつで、いつでも好きな音を呼びだせる。蓄音機は、家のなかに、ちいさな寄席をひとつ据えるようなものだった。

 わたしの店では、機械や盤を売るだけではない。望む客には、その声を盤に刻んでやる、吹き込みの仕事も引き受けていた。当時はまだ珍しい趣向で、面白半分に、自分の声や子の唄を盤に入れにくる者が、ぽつぽつとあったのさ。

 その男が店に現れたのは、北風の強い、寒い昼下がりだった。

 仕立物の職人らしい痩せた身なりの男で、ふところから、布に幾重にもくるんだ黒い盤をこわごわと取りだした。盤の縁は、もう何度もさわったとみえて、白っぽくすり減っている。

 「これを……鳴らしてみたいんです。家の機械が、こわれちまって」

 聞けば、二年ほど前のことだという。男は、ほんの座興のつもりで、四つになる娘を連れて、よその店で声を吹き込んでもらった。娘がいつも口ずさんでいた、たわいないわらべ唄を一節、盤に入れたのだそうだ。子のおもちゃのような、ささやかな記念のつもりだった。

 その娘が、ひと月ほど前に、はやり病であっけなく逝った。

 四つの子だ。あとに残ったのは、わずかな衣と、この声の刻まれた一枚の盤きりだった。男は、それを聴きたい一心で蓄音機の前に座ろうとして、ちょうどその機械が壊れていることに気づいた。直す銭もない。それで、盤を抱えて、町じゅうの蓄音機屋を訊いて回り、ようやくわたしの店へ流れついたのだという。

 わたしは、黙って盤を受け取った。手のひらに、ずしりと冷たい。

◇ ◇ ◇

 台に盤を据え、把手を巻いた。

 針を落とすまえ、男は、両の膝に手をついて、背を丸めていた。これから何が起こるか分かっていて、それでも、こわばっていた。聴きたいのに、聴くのがおそろしい。そういう顔だった。

 わたしは、針の先を、盤の縁にそっと置いた。

 はじめは、ざあ、ざあ、と砂を撒くような音ばかりがした。古い盤の、地の鳴る音だ。男の肩が、わずかにこわばる。やがて、その砂音のなかから、ふいに、ちいさな声が立ちあがった。

 ——とおりゃんせ、とおりゃんせ。

 幼い、舌足らずの歌声だった。節も、ところどころ間違えている。途中で、けらけらと笑う息づかいまで、そっくり刻まれていた。たった四つの子の、なんの飾りもない、ただ機嫌よく口ずさんだだけの一節が、ラッパの口から、生きていたときのまま、ふわりと部屋にあふれだした。

 男が、声をあげた。

 あ、と、それだけだった。それから、膝をついたまま、ずるずると床に崩れ落ちた。痩せた背が、波のように揺れている。ラッパに顔を寄せ、にじり寄り、その朝顔のなかへ、まるごと入っていきたいとでもいうように、両手で箱の縁を握りしめた。

 「とき……」

 娘の名であろう。男は、まわりつづける黒い盤に向かって、何度も、その名を呼んだ。盤は答えない。ただ、刻まれたとおりの歌を、けらけら笑いながら、もう一度くりかえす。男は、その笑い声に、声をあげて泣いた。

 ひと月のあいだ、いくら思い出そうとしても、あの子の声は、日に日に遠ざかるばかりだったろう。どんな調子で笑ったか、どんなふうに名を呼んだか。指のあいだから水がこぼれるように、声はほどけて消えていく。それが、この一枚の盤のなかにだけ、消えずに、留まっていた。

 歌が、途切れた。針が、盤の終いまで来たのだ。また、ざあ、ざあ、と砂の音にもどる。

 「……もう一度」

 男は、顔をあげて言った。涙でぐしゃぐしゃの顔で、それでも、すがるように。わたしは、針を縁へもどした。とおりゃんせ、とおりゃんせ。幼い声が、また甦る。男は、こんどは泣かずに、口を半分あけて、その一節を、食い入るように聴いていた。消えた子の声を、もういちど、しかとこの耳に刻みつけようとするように。

 わたしは、把手を巻く手を止めなかった。何度でも、巻いてやった。消えるはずの声を、何度でも、この人の前に甦らせるために。

◇ ◇ ◇

 蓄音機が家々に入って、人の暮らしに、音楽というものが棲みつくようになった。

 好きな唄を、好きなときにかけられる。遠い土地の音曲も、亡くなった名人の語りも、針ひとつで呼びだせる。家のなかに、音と、それにまつわる思い出とが、いくつも積もっていった。あの盤は祝言のとき皆で聴いた、この盤は逝った祖父が好んだ——黒い盤の一枚一枚に、家の暮らしが貼りついていく。蓄音機は、ただ音を鳴らす機械ではなく、家に記憶を留める器になっていった。

 今では、声を留めるのに、針も盤もいらない。手のひらの小さな板に、いくらでも声がしまえて、亡くなった人の笑い声も、遠い人の歌も、指の先ひとつで、すぐに甦る。消えるはずのものを留めるのが、あまりにたやすくなって、もう誰も、声が消えていくものだったことを思い出さない。

 それでも、とボクは思う。

 もう会えない人の声を、ふと聴くことがあったら、その響きを、一度だけ、消えるはずだったものだと思ってみてほしい。口から出たそばからほどけて、二度と戻らぬはずだった声。それが、黒い盤のなかに留まっていた。痩せた父が床に崩れ落ち、まわる盤に向かって、何度も子の名を呼んだ、あの寒い昼下がりがあった。

 声は、消えていくものだ。だからこそ、留まった声は、消えなかったぶんだけ、いとおしい。ボクは、そういうものが、好きなんだ。

参考文献・もっと詳しく

蓄音機とレコードは、明治末から大正にかけて少しずつ一般の家庭へ広まりはじめたとされる。手回しの動力で円盤を回し、溝に刻まれた音を針でなぞって朝顔形のラッパから再生する仕組みで、当初は高価な舶来品だったと伝わる。家庭に音楽や録音された声を持ち込む文化は、この時期に芽生えていったとされる。大正八年は一九一九年で、元号と西暦の対応は史実に整合する。※本文の人物・会話・情景は創作。

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