第 53 話道具京の門前町に現れた、よそ者又八の畳める灯り
〜庄助じいさんは、なぜよそ者の細工を「まやかし」と笑ったのか〜
はじめて読む方へ——語り部「ボク」がなぜ千年を渡り歩いているのかは、プロローグにあります。
てのひらに載るほどの、円い板が二枚。合わせ目からのぞく、蛇腹に畳まれた紙。持ち上げると乾いた音がして、蝋と炭のにおいがかすかに立つ。指先でそっと押せば、骨組みがしなって、ふわりと弾みを返す。
祭りの晩、社の参道や軒先に、この提灯が連なって揺れているのを、いまも見かける。ボクの指は、板をつまんで両手を引き離せば、迷わず上下へ開く。骨がしゅるりと鳴って、紙の袋がまるくふくらむ。——このかたちに、はじめて出会った冬のことを、思い出す。
商いで夜道を行くとき、ボクはいまも懐にひとつ提げている。よそ者がこの町に持ち込んだ品だと聞いたのは、ずっとあとになってからだった。
◇ ◇ ◇
文安五年(一四四八年)の冬、京の東、とある寺の門前町に、又八という男が流れ着いた。生まれは大和とも堺とも言われたが、たしかなことは誰も知らない。背負った笈には、畳んだ紙の束と竹ひごの束、それに小刀が一本入っているきりだった。門を通るとき、木戸番が中身をあらためたが、武具の類は無く、すぐに通された。
寺の門前に葭簀の店を構えたその日から、又八の噂は町じゅうに広まった。寺男は「怪しい細工者だ」と眉をひそめ、隣の飴屋の女房は「変わった品を売る男が来た」と面白がった。同じものを見ても、疑う者と面白がる者とに、はっきり分かれた。
寺の座主でさえ、はじめは眉をひそめた一人だった。夜の勤行に持たせようとした若い僧が、慣れぬ手つきで骨を折ってしまい、しばらくは「あれは修行の邪魔だ」と言われていたほどだ。それでも又八は、文句ひとつ言わず黙って直しては、また渡した。
おれは、その頃、近江と京のあいだを行き来して紅を商っていた。日の暮れてから宿を出ることも多く、懐に入る灯りがあればと、かねて思っていた。この年は諸国で作柄が悪く、夜道に物盗りが出るとも聞いていて、暗くなる時分には、ふところの巾着を、つい握りしめていた。
はじめ、おれは門前町の指物師・庄助を訪ねた。店先には、木の枠に紙を張った行灯がいくつも並んでいた。「これなら誂えられる」と庄助は言った。だが、おれが欲しいのは、歩きながら提げられる灯りだった。座敷に据えるためのもので、外へ持ち出せば、風で紙が破れるか、油がこぼれるかのどちらかだという。値を聞けば、ひとつで二百文。それでいて、家の外へは一歩も出せない代物だった。

「近ごろ流れてきた者が、そういう器用な細工をするとか」と水を向けると、庄助は道具を置いて、首を振った。「まやかしだろう。紙が骨ごと幾度も折り畳まれて、破れぬわけがない」。近くにいた別の客も、庄助の言に、うんうんと頷いていた。取り合ってはくれなかった。
又八の店の前まで来ると、まわりには、遠巻きに見物する者が幾人かいて、口々に「あれは張りぼてだ」「すぐに骨が折れる」と言い合っていた。竹を割る音、糊の刷毛を運ぶ音が、葭簀の奥からかすかに漏れてくる。おれが声をかけると、又八は無言で、ふところから円い板を取り出し、すっと引き上げてみせた。骨が開き、紙の袋がふくらむ。灯りは入っていないのに、それだけで、おれの目は釘付けになった。見物人たちは、あいかわらず疑わしげな顔をしていたが、おれには、それがまやかしには見えなかった。
「一つ、いかほどか」おれが尋ねると、又八は指を三本立てて「三百文」と答えた。座敷の灯りより一・五倍ほど高いが、懐に入って風にも消えぬというなら、安いものだと思った。値切ろうとも思ったが、見物人たちの冷ややかな視線のなかで商いを続ける又八を見て、その気は失せた。「仕上げまで、五日はいただきます」又八はそう言った。おれは商う紅を思い出し、この染めで火袋を仕立ててはどうかと持ちかけると、又八はしばし思案して、うなずいた。「色が濃すぎれば、灯りが漏れませぬ。淡い一枚だけ、譲っていただこう」とだけ言い添えて。
五日のち、又八は円く畳んだ火袋を、おれの手に渡した。開いてみよ、と言われるより先に、おれの指は、板をつまんで迷わず引き上げていた。骨がしゅるりと鳴って、紅の紙がふわりとふくらむ。又八は軽くうなずいただけで、多くは語らなかった。おれは礼を言って、懐へしまった。受け取った提灯は、思いのほか軽かった。竹と紙でできた袋に、蝋燭が一本きり。それだけの軽い荷を、ふところに仕舞うと、ほのかな重みだけが伝わった。
火袋を、日の差すほうへかざしてみた。継ぎ目に段差はなく、紙の厚みも一枚一枚そろっている。骨の合わせ目も、指でなぞっても引っかかりがない。近江との行き来で幾つも道具を見てきたが、これほど手のかかった仕事は、そう多くは無かった。

◇ ◇ ◇
その晩、おれは近江への道を急いでいた。日が落ちてから、山あいにかかる。以前なら、宿場まで引き返していただろう。だが、ふところから又八の灯りを取り出し、ひらいて火を入れると、紅の紙ごしに、ぽうっとやわらかな明かりが灯った。風が吹いても、紙が火を守って、消えはしない。足もとの、ほんのわずかな丸い範囲だけが照らされる。それでも、その丸さえあれば、次の一歩が踏めた。一歩進めば、また次の地面が照らされる。
峠の茶屋跡で、向こうから提灯も持たずに歩いてくる行商とすれ違った。男は、おれの手もとの明かりに目を留め、しばし足を止めて振り返った。「その灯り、どこで求めた」と問われたが、山道の途中では、詳しくは話せなかった。「門前町の、よそ者の店で」とだけ答えて、また歩き出した。すれ違いざま、男の足もとが、松の根に幾度もつまずいているのが、灯りごしに見えた。
松明のように煙も熱も無く、座敷の灯りのように据え置きでもない。ただ懐の重さひとつで、足もとがついてくる。峠をひとつ越え、川筋の道へ出るころには、東の空がすこし白みはじめていた。
門前町へ戻ると、庄助が表に出ていた。おれの懐で灯りが揺れるのを見て、しばし黙っていたが、やがて又八の店のほうへ、大股で歩いていった。それから幾日か、庄助の店先で、慣れない手つきで骨を折り畳もうとしては、幾度も紙を破く音が聞こえてきた。糸の張りが強すぎれば骨が割れ、緩ければ形が崩れる。庄助ほどの指物師でも、初手ではうまくいかぬものらしかった。
それからひと月ふた月と、おれはこの灯りを提げて、幾度も夜道を行き来した。雨の晩も、雪のちらつく晩もあったが、紙は破れず、骨も緩まなかった。又八の仕事の確かさを、そのたびごとに、肌で覚えていった。
やがて、庄助の店先にも、円く畳める灯りが並ぶようになった。値も、又八のものより少し安く付けていた。「まやかしだろう」と言い捨てていた口を、それきり誰も咎めなかった。又八がどこまで手ほどきをしたのか、おれは知らない。
隣の飴屋も、夜遅くまで表を開けるようになった。軒先に提灯をひとつ提げておけば、暗くなってから通りかかる客も、迷わず暖簾をくぐってくる。寺の若い僧も、いつのまにか、折り畳む手つきに迷いがなくなっていた。知っているのは、あの冬、懐に入れて歩いた一つの重さと、火の温もりだけだ。
◇ ◇ ◇
又八がこの町にどれほど留まったか、ボクは知らない。ある日、葭簀の店はもう畳まれていて、姿を見なくなった。流れ者とは、そういうものだった。
けれど、あの折り畳みの仕掛けだけは、庄助の手に移り、以後も門前町の店先に並びつづけた。祭りの晩、いまも連なって揺れる、あの円い灯りのかたちだ。
いまも、あのかたちを見るたび、ボクの指は、迷わず上下へ開く。だが、又八の指が、糸の張りをどれだけ絞っていたか。庄助が幾晩もかけて、その加減を覚え直したことは、どこにも書き留められていない。ボクの掌にだけ、いまだ覚えがある——冬の夜道、ふところに押し当てた、あの火袋のじんわりとした温もりだ。
参考文献・もっと詳しく
※ 提灯は、竹ひごの骨へ紙を貼り、内に灯火を入れる携行用の灯火具で、骨を折り重ねて畳める形のものは室町時代ごろにあらわれ、戦国から近世にかけて広く用いられるようになったと伝わる。持ち運べる灯りの普及は、日没後の往来や夜間の参詣・訪問など、人々の夜の暮らしを大きく変えたとされる。文安五年は一四四八年(文安は一四四四〜一四四九年)。本文の人物・会話・情景は創作。
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