第 54 話文化臭いだけの欠片を練り合わせると、人を恋しがらせる匂いに化けた——香りが人の名札だった頃のこと
〜手柄を家に取られても、その年寄りの女房は、なぜ少しも口惜しがらなかったのか〜
香りで人を思い出す、ということが、今でもたまにある。すれ違いざまの誰かの残り香に、ずっと昔に会ったきりの人の顔が、ふいに立ちあがる。匂いというのは、見たものや聞いたことよりも、ずっと奥のほうに引っかかって残るものらしい。
今の暮らしなら、いい香りは小瓶に詰まって売られている。ひと吹きすれば、誰でも同じ香りをまとえる。けれど、まだそういうものが無かった頃——香りは、いちいち手で練ってこしらえるものだった。
香木の欠片や、海の貝、遠い国から渡ってきた草の根。それぞれは鼻を突くばかりの材を、こまかく搗いて、蜜で練り合わせ、ひとつの匂いに仕立てる。練り香、薫物と呼ばれていたらしい。それを火取りの炭にのせて、衣や、几帳のかげや、髪に焚きしめる。
おもしろいのは、その調合が、家ごとの秘め事だったということだ。どの香木をどれだけ、どの草の根をひとつまみ——その匙加減は母から娘へ口うつしに伝えられ、よそには漏らさない。だから香りを嗅げば、どこの誰、というのが、なんとなく知れたのだという。
匂いが、その人の名札がわりだった頃の話さ。
◇ ◇ ◇
寛弘元年(一〇〇四年)の冬、京は三条の、さる中納言家でのことだった。その家の薫物をひとり預かっていたのは、右近と呼ばれる年寄りの女房だ。背は曲がり、目はしょぼついていたが、鼻だけは若い娘より利くと、家じゅうの者がそう言った。
われはその家の下働きで、もっぱら炭を割り、火を熾し、重い臼を運ぶ役だった。右近の手元に材を運んでは、そのかたわらで、香の練りあがるのをいつまでも眺めていた。
右近の前には、いつも小さな壺がいくつも並んでいた。蓋を取ると、どれも、それひとつでは香とも思えぬ匂いがする。黒く脂じみた香木の欠片、磯くさい貝の蓋のようなもの、薬めいた草の根、鼻の奥を突く粉。「これがな、ひとつでは、ただ臭いだけのものよ」と右近は笑った。「それを、いくつ、どれだけ、と合わせていくと、ある日ふっと、人を恋しがらせるような匂いに化ける。ふしぎなものさ」
その香木は、遠い南の海を越えて、舟で運ばれてきたものだという。右近の壺ひとつぶんの欠片を買うのに、田の幾枚ぶんもの値がついたと聞いて、われは目を丸くした。磯くさい貝の蓋も、薬くさい根も、みな、どこか知らぬ遠い国から渡ってきた品ばかりだった。手のひらに乗るほどの壺のなかに、見たこともない海と国とが詰まっているのだと思うと、搗く杵にもおのずと力がこもった。
右近はときどき、われに壺の匂いを嗅がせては、当ててみよ、と言った。はじめのうちは、どれもこれも、ただ強くて、よく似た臭いにしか思えなかった。けれど毎日かいでいるうちに、磯くさいのと、薬くさいのと、甘ったるいのとが、だんだん別々のものとして鼻に立ちはじめる。「それでよい」と右近は言った。「香を読むのは、舌より鼻がよほど正直でな。鼻の利く者は、人の心持ちまで嗅ぎ分けるようになるのよ」
まず香木をちいさく刻んで、臼でこまかに搗く。これがわれの役だった。搗いていると脂が滲んで、杵に黒くまといつく。そこへ右近が、貝のものや草の根の粉を、それぞれ匙の先でほんのひとつまみずつ加えていく。その匙加減は、口で教えてはくれなかった。「これは右近の手が覚えていることでな。教わるものではない、盗むものよ」——そう言って、横で見ていることだけは許した。
粉が合わさると、最後に蜜を落として、練る。冷えた蜜は固く、右近の節くれだった指は、それをこねるのにずいぶん難儀した。やがて、ねっとりと黒い、餅のような塊になる。それを小さく丸めて、丸薬のような粒にそろえる。
右近の手の甲には、長い年月、香木の脂が染みこんでいた。幾度洗っても落ちぬのだと、こぼしながら笑う。その染みついた指が蜜を練り、玉をまるめ、土を撫でる。香を仕込む手というのは、こうしてだんだん、香そのものに似てくるものらしかった。右近の通ったあとには、いつもほのかに、あの深い匂いが残った。
驚いたのは、そのあとだった。せっかく丸めた香の玉を、右近は壺に詰めて、庭の隅の、水のしたたる土のなかに埋めてしまうのだ。
「焚くのは、すぐではないのですか」と訊くと、右近は土を撫でながら言った。「練りたては、まだ角が立っておる。土の冷たさと湿りにしばらく寝かせてやると、尖ったところが取れて、丸う、深うなる。気の長い話よ」
炊いた飯を干すのとは逆さまに、湿った土に埋めて待つ——香というのは、つくづく、待つものらしかった。
埋めてからは、ただ待つよりほかにない。雨の日も雪の日も、土のなかで香はひそかに育っていく。われは時おり、その埋めたあたりの土に、こっそり鼻を寄せてみた。むろん、土の匂いしかしない。けれど右近は「焦るでない。よい香は人を急かさぬ」と笑うばかりだった。待つあいだの、その何も起こらぬ静けさまでが、どうやら香のうちなのだった。
その冬、家じゅうがにわかに慌ただしくなった。聞けば、この家の姫君が近く裳着をなさるという。そのお披露目に客人を招いて、薫物合わせ——めいめいの調じた香を持ち寄り、その優劣を競う遊び——が催されることになったのだ。
その頃、香をよく調じられるかどうかは、女のたしなみのひとつだったらしい。歌をよみ、琴をひくのと同じように、よい匂いを仕立てられることが、その人の奥ゆかしさの証しとされた。だから合わせの日は、ただの遊びではない。家と家とが、めいめいの匂いを通して、その品と教養をそっと競い合う場でもあったのだ。
右近の埋めた香は、そのための切り札だった。土から掘り出された壺の蓋を、右近がそっと開ける。ふわりと立った匂いに、そばにいた女房たちが、思わず袖で口をおおって、ほう、と息を漏らした。練りたてのときの、あの尖った匂いはどこにもない。甘く、深く、どこか懐かしい——いちど嗅いだら、その人ごと覚えてしまいそうな匂いだった。
合わせの日、客人たちはそれぞれ自慢の香を持ち寄った。判じ役の老いた殿が火取りの炭に粒をのせ、目を閉じて、ひとつひとつ、ゆっくりと嗅いでいく。梅の花のような匂い、蓮の葉に雨の落ちたような匂い、落ち葉を踏むような匂い——同じ「いい香り」でも、こうも顔が違うものかと、われは部屋の隅で舌を巻いた。
右近は几帳のかげで、ひとつ嗅ぐごとに、小さくうなずいたり、首をかしげたりしていた。「あの香は、ずいぶん急いで練ったな。蜜が勝ちすぎておる」「あちらは、よい香木を惜しまず使うておるが、合わせの妙が足りぬ」——焚かれた香のひとつひとつから、右近には、それを調じた人の気ぶりまで透けて見えるようだった。匂いというのは、まことに、その人の手のうちを正直にさらしてしまうものらしい。
右近の香が焚かれると、座が、しんと静まった。判じ役の殿は長いこと目を閉じたまま、何も言わなかった。やがて、ぽつりと、「……これは古いものだ。今どきの若い香にはない、奥がある」とつぶやいた。それは、この家の香がいちばんに選ばれた、ということだった。
女房たちは沸いた。けれど、その褒め言葉のなかに、右近の名は、ついぞ一度も出てこなかった。誉れはすべて、家のもの、姫君のものだった。右近は几帳のかげで、ただ静かに、土の匂いの残る手を着物の裾でぬぐっていた。
その夜、片付けを手伝いながら、われは思いきって訊いてみた。手柄を取られて、口惜しくはないのか、と。右近は、きょとんとして、それから笑った。
「口惜しい? なにを言う。あの香を嗅いだ客人は、これから先、どこぞで似た匂いに行きあうたび、今日のこの座を思い出すのよ。姫君のことも、この家のことも、な。香は、嗅いだ人の奥に住みついて、ずうっと覚えられておる。——名は残らずとも、匂いは残る。それで、もう十分すぎるほどよ」
そう言って、右近はまた、新しい香木の欠片を臼に放り込んだ。割れた欠片からは、やはり、ただ脂くさい匂いしか立たなかった。けれどその臭い欠片が、右近の手のなかで、いつかまた人を恋しがらせる匂いに化けるのだと、われはもう知っていた。
◇ ◇ ◇
右近のこしらえたような薫物の作りかたは、それからも母から娘へと、長いこと口うつしに受け継がれていったらしい。六つの決まった香があって、季節やその日の心持ちで焚き分けた、という話も伝わる。匂いを競うあの遊びも、後の世のさる物語のなかに、雅やかな一場として書き留められていると聞く。
いつしか香は、小瓶に詰まって、誰でも同じものをまとえるようになった。ひと吹きで、もう尖りも角もない、出来あがった香りがまとえる。土に埋めて、寝かせて、丸うなるのを待つ人は、もういない。
それでも、と思う。すれ違いざまの香に、ずっと昔の誰かの顔がふいに立ちあがる、あの不思議——あれは、右近の言った「香は嗅いだ人の奥に住みつく」の、なれの果てなのかもしれない。
名は忘れても、匂いは覚えている。土の匂いの残る手で、几帳のかげの香をぬぐっていた、あの年寄りの女房の横顔を、ボクは、今でもときどき思い出す。
参考文献・もっと詳しく
- 『源氏の薫り』ISBN 978-4-02-259549-2
- 『薫集類抄の研究 附・薫物資料集成』ISBN 978-4-8382-3238-3
- 『香道の歴史事典』ISBN 978-4-7601-2300-1
- 『香料——日本のにおい』ISBN 978-4-588-20271-1
※ 薫物(たきもの)は、沈香・白檀などの香木に丁子・甲香(貝の蓋)・甘松・麝香などの香料を加えて搗き砕き、蜜で練り合わせた平安期の練り香とされる。火取りの炭にのせて衣・室内・髪に焚きしめ、調合は各家の秘伝で母から娘へ口伝されたと伝わる。練った玉を壺に入れ湿った土中に埋めて熟成させたという(埋み香)。季節に応じて焚き分ける「六種の薫物」(梅花・荷葉・侍従・菊花・落葉・黒方)の名や、香を持ち寄り優劣を競う「薫物合わせ」は、『源氏物語』梅枝巻などに描かれることで知られるが、本話の人物・会話・中納言家は創作。寛弘元年は一〇〇四年(寛弘は一〇〇四〜一〇一二年)で、元号と西暦の対応は史実に整合する。
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