第 54 話文化五つの塚と、名を残さなかった女房の掌
〜練ったばかりの香を、なぜ土に埋めて幾月も待たせたのか〜
はじめて読む方へ——語り部「ボク」がなぜ千年を渡り歩いているのかは、プロローグにあります。
なぜ、香りだけで、遠い日のどこかの道すがらを、ふいに思い出せるのだろう。見も知らぬ人とすれ違ったとき、ふっと吹いた残り香に、ずっと昔に通ったきりの、どこかの家の裏木戸や、ある冬の朝の冷え込みまでが、不意に立ちあがることがある。ボクは、そのことを、ときどき考える。
今なら、いい香りは小瓶に詰めて売られている。ひと吹きで、誰でも同じ香りをまとえる。だが、その手前に、こしらえて、埋けて、幾月も待つ手間があった時代を、ボクは覗いたことがある。遠い国から届く香料を運んで諸方の屋敷をまわる、旅の商いをしていたころだ。商いの相手も、行く先の屋敷も、多くはもう名前さえ思い出せない。それでも、あの日、京のさる屋敷の裏手で嗅いだ匂いだけは、妙にはっきりと残っている。
◇ ◇ ◇
寛弘五年(一〇〇八年)の冬、京は三条の、さる中納言家でのことだった。その家の薫物をひとり預かっているのは、右近と呼ばれる年寄りの女房だと、取り次ぎの下女が教えてくれた。
その朝は殊のほか冷え込み、三条大路には牛車の轍に薄氷が張っていた。荷を背負って歩くうち、指の先がかじかんでくる。行く先々で、麻の匂い、藁の匂い、炭の匂いと、いろんな匂いを覚えてきたつもりだったが、ようやくたどり着いた裏門をくぐったとたん、そのどれとも違う匂いが鼻先をかすめた。表の賑わいとは裏腹に、ひっそりとした裏庭だった。生垣ごしにちらと見えた御簾の色目の重なりだけでも、家の格のほどが知れた。
この日は、香木や貝の蓋、遠い国の草の根の入った荷を届けに来ただけだった。荷は、いつもの品だ。香木の欠片を詰めた麻袋がふたつ、貝の蓋を砕いたような白い粉の壺がひとつ、それに、異国の草の根を干した束がひとつ。値の掛け合いは、取り次ぎの下女がひとりでこなした。奥から誰か出てくることもない。荷を渡し、代わりの絹を量ってもらうだけの、素っ気ない商いだった。
支払いを待つあいだ、われは裏門のわきに控えていた。吐く息は白く、生垣の霜も溶けぬままだった。寒さに肩をすくめながら、幾度も足踏みをした。ときおり屋根の上で烏が鳴き、それに驚いたものか、庭先の雀がいっせいに飛び立つ。そんな長閑さと、塀のむこうの浮き立った気配とが、妙にちぐはぐだった。
生垣の隙間から、台所裏の片隅がのぞけた。土を丸く盛った塚のようなものが、五つ並んでいる。ひとつは土の色が黒々と真新しく、鍬の跡もまだ生々しい。ひとつは、盛られた土がふぞろいに緩んで、周りより低く沈んでいた——今朝がた、掘り返されたばかりのように見えた。残る三つは、幾月もそのままなのか、霜を含んでしんと硬く締まり、表面がなだらかに均されている。同じ日に埋めたはずもないだろうに、五つとも土の色合いが違って見えるのが、ふしぎだった。何を埋めたものかは、誰にも聞かなんだ。ただ黙って、塚の並びを目で数えた。

香木ひとつぶんの値は、田の幾枚ぶんにも当たると、われは商いを通じて知っていた。われ自身、この香木を求めて、幾度も筑紫まで下ったことがある。潮の匂いの染みついた蔵で、山と積まれた木の欠片を選り分けるのも、ひと仕事だった。貝の蓋も草の根も、みな、どこか知らぬ遠い国から渡ってきた品ばかりだ。手のひらに乗るほどの荷のなかに、見たこともない海と国とが詰まっているのだと思うと、背負ってきた縄にもおのずと力がこもったものだった。
塚のそばには、黒く脂じみた石の臼が転がっていた。縁のところどころが、指の形にくぼんでいる。ひとりやふたりの手では、とてもこうはならないだろう。臼のかたわらには、貝の蓋の欠片や、干からびた草の根の切れ端が、掃き寄せられたまま散らばっていた。丸めそこねたらしい小さな塊もひとつ、そのなかに投げ捨てられている。目をやると、角の立った、ただ脂くさいだけの粒だった。よく見れば、そうした塊はひとつだけではなく、脂の照るまだ新しいものの脇に、幾月か前のものらしい、乾いて白く粉を吹いた欠片も転がっている。指も触れていないのに、それだけで鼻の奥がつんとした。
臼のまわりの土には、蜜でも垂らしたものか、ところどころ黒く艶めいた染みが散っていた。搗き砕いた香木や貝の蓋の粉を、この蜜でひとつに練り上げるのだと、以前どこかで聞いた覚えがある。杓や箆を使わず、掌でじかに捏ねるものだとも聞いた。だとすれば、右近の指のさきまであれほど黒く染み込んでいるのも、うなずけた。粉のまま砕くだけの仕事と違い、練り上げる仕事は、道具ではなく指の腹に覚えさせるほかないのだろう。
塀のむこうからは、ときおり、ふわりと甘い匂いが流れてくる。焚きしめでもしているのか、女房たちの含み笑いのような声も、風に乗って切れ切れに届いた。台所のほうでは、湯気の立つ桶を運ぶ女房の姿もあり、屋敷じゅうが、どこか浮き立っているのが感じられた。声の中身までは届かなかった。表の牛車の音や、出入りする使いの者の足音まで、いつもより忙しなかった。

香を商う仲間うちでは、調合の仕方は家ごとの秘め事で、母から娘へ、三代にもわたって口移しに伝えられるものだと聞く。めいめいの香を持ち寄って優劣を競う薫物合わせという集まりが、裳着を控えた娘御のある屋敷で催されることもあるらしく、今日がその日だった。
捨てられた塊と、塀ごしに流れてきたあの甘い匂いとは、とても同じ材からできたとは思えなかった。埋めたばかりの香は、この塊のように角が立ち、脂くさいだけのはずだ。土のなかで幾月か眠るうちに、あの甘い匂いへと変わっていくのだろう。今朝がた掘り返されたらしい、あの沈んだ塚のことを、ふと思った。
そこへ、腰の曲がった年寄りの女房がひとり、桶を提げて庭先に出てきた。土のついた手を着物の裾でぬぐいながら、沈んだ塚のあたりを、しばらく眺めている。指のさきまで黒く染みついているのが、離れたところからでも見て取れた。髪はほとんど白く、動きは緩慢だったが、塚のそばにしゃがみこむと、土のにおいでも確かめるように、しばらく動かなかった。襟もとから覗く肌にまで、染みついた匂いの色が移っているのではないかと、われはつい目を凝らした。掌をそっと土に押し当て、乾き具合でも計るように、しばらくそのままでいる。それから、空になった窪みの縁を、指先でひとなでした。あれが右近だろう、とわれは当たりをつけた。声をかける間柄でもない。ただの行商が、口をきけるような相手ではなかった。
やがて、屋敷の奥がひときわ静まり、それからどっと沸いた。何かが決まったらしい。女房たちの華やいだ声が、ひとしきり続き、誰かの弾んだ足音が渡り廊下を行き来した。だが、その沸き立つ声のなかに、右近の名を呼ぶものは、ひとつも聞こえなかった。右近自身も、庭先から動かぬまま、そちらへ目もくれなかった。
取り次ぎの下女が、ようやく代わりの絹を手に戻ってきた。「お待たせしました」とだけ言うと、もう屋敷のなかへ戻っていった。
絹を受け取り、荷を空にした縄を丸めながら、われはもう一度、庭の塚を数えた。ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、いつつ。あの沈んだ窪みに、今日の香が眠っていたのだろう。今朝掘り出したひとつぶんで、この家が今日の座に出す香は足りるのだろうか、と余計なことも思った。掘り出された跡だけを残して、右近はまた次の塚を、じっと待つのだろうか。それとも、あの真新しい鍬の跡の塚が、幾月ののちに次の窪みへと変わるのか。門を出て振り返ると、裏庭の梅の古木に、まだ蕾も固い枝が伸びているのが見えた。あの木の下にも、いつか塚がひとつ増えるのだろうか。そんなことを思いながら、われは次の屋敷への道を急いだ。
◇ ◇ ◇
あの日、ボクが見たのは、土に埋められた五つの塚と、黒く染まった指先だけだった。誰が誉れを受けたのかも、右近がそれをどう思ったのかも、とうとう分からずじまいだ。
ただ、あの捨てられた塊の角の立った匂いと、塀ごしに流れてきたあの甘い匂いとの隔たりだけは、いまでも鼻の奥に残っている。母から娘へ、三代にもわたって渡ってきたという口伝えの調合と、土の下で幾月も待たされる塚と。そのふたつを束ねる指が、いま右近のそれだった。
いい香りが小瓶ひとつで買える今も、あの土の下で幾月も待たされていた塚を思うと、ふと立ち止まりたくなる。
右近の、あの黒く染みついた掌の跡。
参考文献・もっと詳しく
※ 薫物(たきもの)は、沈香・白檀などの香木に丁子・甲香(貝の蓋)・甘松・麝香などの香料を加えて搗き砕き、蜜で練り合わせた平安期の練り香とされる。練った玉を壺に納めて湿った土中に埋け、幾月か経ったころに掘り出して香りの練れ具合を確かめてから、火取りの炭にのせて衣・室内・髪に焚きしめたという(埋み香)。調合は各家の秘伝で母から娘へ口伝されたと伝わる。季節に応じて焚き分ける「六種の薫物」(梅花・荷葉・侍従・菊花・落葉・黒方)の名や、香を持ち寄り優劣を競う「薫物合わせ」は、『源氏物語』梅枝巻などに描かれることで知られるが、本話の人物・会話・中納言家は創作。寛弘五年は一〇〇八年(寛弘は一〇〇四〜一〇一二年)。
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