第 49 話座敷でも庭でもない一枚の板敷きに、人がいちばん心をほどいて腰かけた日のこと
〜上がりも下りもせず、ただ端に腰かけただけの隣人が、なぜいちばん長く話していったのか〜
縁側というのは、家の内と外のあいだに、申しわけのように張り出した、細長い板敷きのことだ。
座敷ではない。庭でもない。そのどちらでもない、半端な場所だ。靴を脱いで上がりこむほどあらたまってもいないし、かといって往来のように吹きさらしでもない。日のあたるところへ、ただ一枚、板を渡しただけの場所さ。
ところがボクは、人がいちばん心をほどくのは、この半端な場所なのだと、長いこと見てきた。座敷へ通されると、人は背筋を伸ばして言葉をえらぶ。往来で立ち話をすれば、すぐに足が先を急ぐ。けれど縁側へ腰かけると、人はなぜか、上がりもせず帰りもせず、いつまでもそこで日に温まりながら、とりとめのない話をしていく。
内と外の境にできた、このあいまいな一枚の板。そこがいつのまにか、人と人とをやわらかくつなぐ場になっていった——ボクが見てきたのは、その移り変わりさ。
◇ ◇ ◇
応永二十一年(一四一四年)の春のことだ。おれは京の南、桂川にほど近い村の、与三郎じいさまの家で暮らしていた。
じいさまは大工あがりで、年をとって槌が握れなくなってからは、家の修繕やら近所の手間仕事やらを、こまごまと引き受けて暮らしていた。おれはその家に厄介になりながら、板を削るやら釘を打つやらの真似ごとを仕込まれていた。身寄りのないおれを、じいさまは孫のようにあつかってくれたのさ。
その家には、南の庭へ向かって、細長い板敷きが張り出していた。じいさまが自分で渡したものだという。軒が深く伸びて、その下に板を一枚、地から少し浮かせて据えてある。雨はかからず、日はよくあたる。あらたまった座敷とはふすま一枚で隔てられ、すぐ先には小さな庭がひらけていた。
おれは初め、その板の使いどころがわからなかった。座敷で寝起きすればよいし、用があれば庭へ下りればよい。なんのために、こんな中途半端な板を張ったのか。雨の日には濡れもしように、ひと冬には冷えもしように。手間をかけて板を張るほどの値打ちが、おれにはどうにも見えなかった。
「なあ、じいさま。この板は、なんの役に立つのだ」
ある朝、おれがそう尋ねると、じいさまは縁の端に腰かけて、足をぶらぶらさせながら笑った。
「役になど立たぬさ。立たぬところが、よいのだ」
わけのわからぬ返事だった。おれは肩をすくめて、また板を削りにかかった。
ただ、じいさまは、その板をことのほか大事にしていた。朝になると、自分でぞうきんを絞って、端から端まで丁寧に拭く。節くれだった手で板の目をなでて、ささくれがあれば小刀でそっと削った。座敷の床より、よほど心をかけているように見えた。おれが手伝おうとすると、これはおのれでやると言って、ゆずらなかった。なぜそこまで、と問うても、じいさまはただ笑うばかりだった。
◇ ◇ ◇
その意味が、だんだんとわかってきたのは、春が深まるころだ。
縁側には、ひっきりなしに人が来た。といっても、用があって来るのではない。畑帰りの百姓が、鍬を担いだまま、ひょいと端に腰かけて、ひと息いれていく。じいさまと二言三言かわして、また腰を上げて帰っていく。家へ上がるわけでもなく、わざわざ訪ねてきたわけでもない。ただ、通りすがりに腰をおろしていくのだ。
隣の女房は、漬物を分けに来て、そのまま縁に座りこんだ。じいさまと孫の噂やら、寺の鐘がこのごろ早いやら、どうでもよい話を半刻もしていく。座敷へ上がってくれと言っても、女房は手をふって、ここでよい、ここがよい、と縁を撫でた。
日が高くなると、近所の年寄りが二人三人、申し合わせたように集まってきた。縁に並んで腰かけ、背を丸めて日に温まりながら、昔のいくさの話やら、誰それが床についたやらを、ぽつりぽつりと語る。猫がそのあいだを縫って、板の上で腹を見せて眠っていた。
雨の日とて、人は来た。軒が深いから、板の上までは雨が届かない。濡れた往来を眺めながら、軒の下のひとところだけが乾いていて、そこへ皆が肩を寄せた。子どもらは雨やどりに駆けこんで、板の端で独楽をまわした。物売りが荷を下ろして、ひと休みしていくこともあった。家の者に断りもいらず、ただ軒下の板へ腰をおろせばよい。そういう、ゆるい決まりが、いつのまにかそこにはあった。
おれは、不思議だった。座敷へ通せば、もっとゆっくりできように。なぜ皆、わざわざこんな板の端に、尻が痛かろうに腰かけたがるのか。じいさまに言わせれば、上がってくれと請われると、人はかえって気づまりになるのだという。請われぬからこそ、気楽に腰かけられる。その理屈が、おれにはまだ、よく呑みこめなかった。
ある夕、畑帰りの源太という男が、いつものように縁へ腰かけていた。日が西へかたむいて、板はまだ昼の温みを残していた。源太は遠くの山を眺めながら、ぽつりと言った。
「ここはな、よいのだ。家の中まで上がると、なんだか、よその家の奥まで踏みこむようで、気がひける。かといって、立ったまま話すのは、せわしない。この縁ってやつは、どっちでもねえ。上がってもいねえし、帰ってもいねえ。だから、心置きなく、長居ができる」
おれは、はっとした。じいさまの言った「立たぬところが、よい」とは、これだったのか。
内でもなく外でもない、その半端さこそが、人の肩の力を抜くのだ。客になれば気をつかう。通りすがりなら足を急ぐ。けれど縁側に腰かけた者は、客でも他人でもない、その中ほどの、ゆるやかな顔になる。だから誰もが、ここでいちばん長く、いちばん飾らずに、話していくのだった。
それからのおれは、縁側を見る目が変わった。じいさまが朝ごとに板を拭くのも、ささくれを削るのも、合点がいった。あれは、人が腰かける場を、整えていたのだ。尻に刺さるささくれ一つで、隣人の長居が一度きりで終わるかもしれない。じいさまは、板を磨くことで、人が立ち寄りやすい場を、毎朝こしらえ直していたのさ。
源太は、その日も日が落ちるまで腰かけていた。やがて立ち上がり、尻をはたいて、また明日な、と片手をあげて帰っていった。あらたまった挨拶もない。客が暇を告げるときの、あの堅苦しさがない。来るも帰るも、風のようだった。そういう軽さが、この板の上にはあった。おれは、その後ろ姿を見送りながら、この一枚の板が、村の者にとって、どれほど気の置けない場であるかを、ようやく肌で知った。
◇ ◇ ◇
その夏の終わり、じいさまが床についた。
もう縁の端まで歩くのもやっとで、おれが背を支えて、ようやく日向まで連れ出した。じいさまは縁に腰かけ、いつものように足を垂らして、庭をぼんやり眺めた。
すると、どこからともなく、いつもの顔ぶれが集まってきた。源太も、隣の女房も、年寄りたちも。皆、座敷へは上がらず、縁の端に腰かけ、じいさまと並んで日に温まった。誰も、見舞いだの大ごとだのとは言わなかった。ただ、いつものように、どうでもよい話をした。じいさまも、薄く笑って、相づちを打っていた。
女房は漬物を持ってきて、皆でつまんだ。源太は畑の作柄をぼやき、年寄りは寺の鐘がやはり早いと笑った。子どもらは庭で独楽をまわし、その音が縁まで届いた。いつもの昼と、なに一つ変わらなかった。変わったことといえば、じいさまが、もう自分では板へ上がれぬということだけだった。それでも、皆が腰かけてくれるおかげで、じいさまの最期の日々は、寝床の中ではなく、日のあたる板の上にあった。
あれが、よかったのだと、いまでも思う。座敷へ寝かせて、かしこまって見舞われるより、じいさまは縁の端で、近所の者と肩を並べ、昼の温みを尻に感じながら逝きたかったのだろう。あの一枚の板は、最期まで、人と人とのあいだを、やわらかくつないでいた。
じいさまが渡したあの縁側で、おれは、内と外のあいだに半端な場所を一つ持つことの、ありがたさを覚えた。そこは、誰のものでもなく、誰にでもひらかれていた。
◇ ◇ ◇
家の内と外の境に、こうした板敷きの場をしつらえるならわしは、世が移るにつれて、あちこちの家に根づいていったと伝わる。座敷でも庭でもない、その半端な一枚が、客をもてなす場にもなり、近所をつなぐ場にもなり、日向ぼっこの場にもなった。ボクは、その移り変わりを、いくつもの家の軒下で見てきた。
縁側に腰かけた者は、不思議と、心をほどく。上がってしまえば改まり、立ってしまえば急く。けれど、その中ほどに腰をおろすと、人は客でも通行人でもなくなって、ただの隣人の顔になる。だから、いちばん飾らぬ話が、そこで交わされた。あの半端さは、欠けているのではなく、むしろ、いちばん人にやさしい寸法だったのさ。
今でも、古い家には縁側が残っている。けれど、そこへ腰かけて半刻も油を売っていく隣人は、もう、そうは多くない。家は閉じられ、内と外はきっぱり分かれて、あいだのゆるやかな場は、だんだんと痩せていった。
それでも、とボクは思う。
どこかの家の軒下に、日のあたる細長い板敷きを見かけたら、そこへ、ちょっと腰かけてみてほしい。上がるでもなく、帰るでもなく、ただ尻をおろして、日に温まってみる。きっと、肩の力が抜ける。背を丸めて足を垂らした年寄りがいた。鍬を担いだまま腰かけた男がいた。そこで逝った、ひとりのじいさまがいた。
縁側は、ただ軒の下に張り出しているだけだ。日が暮れれば、ひんやりと冷えていくばかりさ。それでも、その一枚の板には、上がりも下りもせず、ただ並んで腰かけた者たちの、ゆるやかであたたかい時間が、いまも染みている。ボクは、そういうものが、好きなんだ。
参考文献・もっと詳しく
- 『日本住宅史の研究』ISBN 978-4-00-001650-6
- 『図説 日本住宅の歴史』ISBN 978-4-7615-2009-0
- 『日本建築の空間』ISBN 978-4-306-05037-2
- 『寝殿造の空間と儀式』ISBN 978-4-8055-0485-7
※ 家の内と外の境に板敷きを張り出した「縁」は、寝殿造の庇・簀子の流れをくみ、住まいの形が変わるなかで、座敷でも庭でもない中間の場として各地の家に広まっていったとされる。内外をゆるやかにつなぐこの空間が、接客・休息・近隣の交流の場として用いられたと伝わる。応永二十一年は一四一四年(応永は一三九四〜一四二八年)で、元号と西暦の対応は史実に整合する。※本文の人物・会話・情景は創作。
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