第 49 話文化俵の置き場にされかけた、桂川ほとりの一枚板の縁側
〜通りすがりの百姓や物売りが、なぜあの板から離れなかったのか〜
はじめて読む方へ——語り部「ボク」がなぜ千年を渡り歩いているのかは、プロローグにあります。
卯平は、あの板を「無駄板」と呼んでいた。
家の南に張り出した、細長い一枚の板敷き。座敷でもなく庭でもなく、ただ軒下に一枚、渡しただけの場所だ。飯を食うでもなく、客を通すでもない。木を削って寝かせているだけの代物だと、卯平は事あるごとにこぼした。
ボクはそのころ、村から村へ渡り歩いて、縁側を張ったり直したりする仕事をしていた。この手の板を、幾つもの村で見てきてはいる。だが、卯平の家でだけ、あの板がこれほど疎まれているわけは、しばらく呑みこめずにいた。
◇ ◇ ◇
応永二十一年(一四一四年)の春、おれは京の南、桂川にほど近い村で、板張りの仕事を請け負っていた。卯平という百姓の家の縁側が傷んでいるというので、通りがかりに声をかけられたのだ。
行ってみると、板はあちこち反り、節のまわりから黒く傷んでいた。雨のたびに水が溜まり、踏むとぶよぶよと沈む箇所もある。卯平は縁の隅に立ち、腕を組んで言った。
「直すも直さぬも、おぬしの好きにしていい。おれはいっそ、この板をはずして、俵でも積む場にしたいくらいだ。座敷でもない、庭でもない、なんとも中途半端な場所だからな」
値打ちの分からぬ男だ、とおれは思った。だが、口には出さず、ただ木を選び、寸法をとり、削りにかかった。
朝は日の出とともに起き、水で顔を洗ってから道具を検める。鑿の刃こぼれを直し、砥石で研ぎ、墨壺の糸を張り直す。村の者が起き出すころには、もう鉋屑の匂いが漂っていた。飯は、卯平の嫁が握り飯を運んできてくれる日もあれば、近くの茶屋で買う日もあった。
まずは古い板をはがし、下の根太を検める。湿りを吸って腐りかけていた箇所を切り替え、近くの木挽小屋から新しい松の板を運び入れた。木目を見て、節の少ないほうを表に。木は乾いていても、その日その日で微妙に反る。板一枚ごとに向きを見極めながら、寸法を刻んでいった。釘の太さひとつにも、卯平は「そんなに太くてよいのか」「継ぎ目はそれで持つのか」と、いちいち口を出してきたが、おれはそのたびに手を止めず、これでよい、とだけ返した。

板の張り方には、村ごとに癖がある。この村では、軒の出が浅いぶん、板をわずかに傾けて水を切る作りが好まれていた。おれは初め、いつもの村と同じ勾配で板を渡し、案の定、次の雨の日に水が一箇所へ溜まった。卯平にじろりと睨まれ、やり直しになった。板を三枚はがし、勾配を測り直し、もう一度打ちつける。土地が変われば、木の据え方も変わる。それを、身をもって思い知らされた仕事だった。
卯平の嫁は、夫とは反対に、あの板を大事にしていた。おれが削っていると、麦湯を運んできては、暑かろう、少し休め、と縁の端に腰をおろさせた。「うちの人は、あの通り、ものの値打ちを銭でしか計れぬたちでな。だが、隣近所が寄ってくれるのは、あの板のおかげよ」。そう言って、嫁は少し笑った。
板を張り替えているあいだにも、人は来た。
畑帰りの甚八が、鍬を担いだまま、ひょいと端に腰をおろす。おれが板を削っているのを横目に、村の作柄やら、隣村の寄合やらを、ひとしきり話していく。用があるわけではない。ただ、そこに腰をおろせる場所があるから、寄っていくのだ。
隣のおかみは、漬物を届けにきて、そのまま縁に座りこんだ。卯平の嫁と、どうでもよい話を半刻もしていく。年寄りたちも、日が高くなると連れ立ってやってきて、板の上で背を丸め、昔のいくさの話をぽつりぽつりとこぼした。旅の薬売りが荷を下ろして、ひと息いれていくこともあった。誰に断るでもなく、ただ腰をおろせばよい。そういう、ゆるい決まりが、いつのまにかそこにはあった。
ある日は、諸国をめぐる行脚僧が、日射しを避けて板の端に腰をおろした。経を唱えるでもなく、ただ足を休め、遠くの山を眺めていた。卯平は、坊主にまで無駄飯を食わせる気か、とぼやいたが、追い払いはしなかった。
梅雨に入ると、直したばかりの板の効き目がなおのことわかった。軒が深いぶん、板の上までは雨が届かない。濡れた道を行き交う者たちが、ひとところだけ乾いたそこへ、次々と肩を寄せた。荷を担いだ商人も、寺への使いの小僧も、傘を持たぬ通りすがりも、ひとときの雨宿りに腰をおろしていった。子どもらも、その乾いた板へ逃げこんできた。近所の童が三、四人、雨の中を走ってきては、板の端で独楽をまわし、笑い声をあげる。おれが仕事の手を止めずにいると、卯平の嫁が、そのつど濡れた足を拭いてやった。板は、大人だけでなく子どもらの居場所にもなっていた。

「板一枚あるだけで、よう人が来るもんだ」
甚八がそう言ったとき、おれは、内心でうなずいた。よその村でも、同じだった。板一枚が、人を引き寄せる場所になる。どこへ行っても、これだけは変わらないのだ、と。あの板の性根は、案外こういう所から来ているのかもしれない、とも思った。
卯平だけが、そのあいだも仏頂面だった。人が寄るたびに、仕事の邪魔だとこぼし、板の手入れに手間をかけるおれを、物好きだと言った。木の値も、日数分の手間賃も、俵ひとつぶんの余分にしかならぬと、銭を数えるような目でおれを見た。
「この板に、そこまで力を入れて、何になる」
おれは黙って、鉋をかけつづけた。返す言葉は持たなかったが、手を止めるつもりもなかった。木の肌が薄紙ほど剥がれ、白い削り屑が足もとに積もっていく。その積もり方だけが、おれの仕事の返事だった。
夏の日ざしが強くなるにつれ、板の上に汗の粒が幾つも落ちた。手のひらは肉刺が潰れては固まるのを繰り返し、木の香りが染みついて、しばらく取れなかった。
板が仕上がったのは、ひと月ほどたった、夏の初めだった。反りは直り、水も切れるようになった。おれが最後の一削りを終えて腰を伸ばしたとき、ちょうど甚八が通りかかり、いつものように端に腰をおろした。
「おう、新しくなったな」
卯平は、縁側の隅から、それを黙って見ていた。何も言わなかったが、俵を積む話は、それきり出さなくなった。数日後には、卯平自身が縁に腰をおろし、日向で居眠りをしている姿を見かけた。手間賃を渡すときも「思ったより高くついた」とぼやいたが、懐から出す手つきに、渋りはなかった。
仕事を終えたおれは、翌朝には村を発った。道具を荷にまとめ、削り屑を掃き集めて焼き、最後にもう一度、板の目を指でなぞってから背を向けた。卯平が礼を言ったのか、言わなかったのか、よくは覚えていない。ただ、荷をまとめて村を出る道すがら、この先いくつの村で、同じ板を張ることになるのだろうと、ふと足が止まった。理由のない不安が、胸の底を一瞬だけ掠めたが、おれはすぐに歩き出した。
◇ ◇ ◇
甚八は、その後も畑帰りにあの板へ腰をおろしていたそうだが、歳を重ねてからは、腰をおろす前に、まず鼻先へ立つ木と陽のにおいだけを深く一つ吸い込むようになった、と風の噂にボクは聞いた。
参考文献・もっと詳しく
※ 家の内と外の境に板敷きを張り出した「縁」は、もとは寝殿造の庇・簀子の流れをくむとされ、住まいの形が変わるなかで、座敷でも庭でもない中間の場として、貴族の住まいから庶民の家々へも広まっていったと伝わる(本話の百姓家の縁側は、その広まりを踏まえた創作上の接続)。内外をゆるやかにつなぐこの空間が、接客・休息・近隣の交流の場として用いられたとされる。応永二十一年は一四一四年(応永は一三九四〜一四二八年)。※本文の人物・会話・情景は創作。
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