寺の奥でひっそり固められていた白い塊が、里の夕餉の膳へ下りてきた日のこと50
室町のころ・近江の寺とその門前読了 約8

寺の奥でひっそり固められていた白い塊が、里の夕餉の膳へ下りてきた日のこと

肉も魚も断った僧の膳に、なぜ、あの白い塊だけは欠かさず載っていたのか

 豆腐というのは、つくづく不思議な食い物だ。

 もとは硬い豆だったものが、磨り潰され、煮られ、漉され、にがりを打たれて、いつのまにか掌に載るほどの白い塊になっている。歯を当てればほろりと崩れ、舌に載せれば淡くて、これといった味もない。けれど、その味のなさが、かえって何にでも寄り添う。汁に入れれば汁の味を吸い、焼けば香ばしくなり、冷やせば豆のほのかな甘みだけが残る。

 今でこそ、豆腐は一丁いくらの、どこの店先にもある当たり前の菜だ。けれど、この白い塊が、はじめからそこらの里にあったわけではない。

 ボクが見てきたかぎりでは、豆腐はもともと、寺の奥にひっそりとあったものだった。肉も魚も断った僧たちが、それでも力をつけねばならぬというので、豆をこねて拵えていた、いわば「精進の食」だ。それが寺の塀を越え、門前へ下り、やがて里の夕餉の膳にまで載るようになる——その移り変わりを、ボクはひとつの寺の門前で、たしかに見ていた。

◇ ◇ ◇

 応永十二年(一四〇五年)の冬のことだ。おれは近江の、とある禅寺の門前に住んで、寺へ薪や青物を納める小商いをしていた。

 その寺は、けっして大きくはなかった。けれど僧たちの暮らしぶりは、それはきちんとしたものでね。肉も魚も口にせず、葷といって、葱や韮のたぐいの匂いの強いものすら避ける。そんな膳で、よくもまあ力が出るものだと、おれはいつも不思議に思っていた。

 その膳に、いつも欠かさず載っているものがあった。掌ほどの、白い塊さ。

 はじめておれがそれを目にしたのは、薪を納めに庫裏の裏へまわったときだった。寺の台所を預かる老僧が、大きな石臼に向かって、ひと晩水に浸した豆を、ごりごりと根気よく磨り潰していた。白い乳のような汁が、臼の縁からとろりと垂れていく。

 「坊さま、それはいったい、なんでございます」

 おれが問うと、老僧は手を止めずに答えた。

 「豆よ。豆を、こうして磨って、煮て、漉して、固める。仏の道では獣の肉は食えぬ。なれど人の体は、なにかしら精のつくものを欲する。これはな、豆から拵えた、いわば貧者の肉じゃ」

 おれは、その白い汁がゆっくり塊になっていくさまを、めずらしいものでも見るように、脇からずっと眺めていた。

 磨った豆の汁を釜で煮て、布で漉す。残った滓と、漉した乳のような汁とに分ける。その汁へ、老僧が小さな器から、にがり、と呼ぶ苦い水をひとたらし打った。すると——驚いたね。さらさらだった白い汁が、みるみる雲のようにふわりと寄りはじめ、やがてゆるい塊になっていく。それを布を敷いた箱に流し、上から軽く石を載せて、しばし水を切る。

 箱から取り出されたそれは、四角く、白く、つやつやと濡れて、まるで雪を切り出したようだった。

 「触れてみよ」

 言われて指で押すと、ふるりと揺れて、跡が残る。こんな柔らかいものが、あの硬い豆から生まれるとは。おれはただ、口をあけて見入っていた。

 その晩、老僧は切れ端をひとつ、おれの掌へ載せてくれた。冷えた井戸水で締めただけの、味つけもしていないものだ。口に入れると、淡くて、ほとんど味がない。けれど噛むほどに、豆の奥にひそんだほのかな甘みが、じわりと滲んでくる。獣の肉のような脂っこさはどこにもないのに、不思議と腹の底に、ほっとするような満ち足りた心地が残った。

 「どうじゃ」

 「……ふしぎな食いものでございます。味があるような、ないような」

 老僧は声を立てて笑った。

 「味がないのが、よいのよ。味がないからこそ、汁にも合う、菜にも合う、いつ食うても飽きがこぬ。仏に仕える身は、舌の楽しみに溺れてはならぬ。なれど力は要る。この淡さが、ちょうどよいのじゃ」

◇ ◇ ◇

 それから、おれはたびたび庫裏の裏へ通っては、老僧の手元を盗み見るようになった。

 豆をどれだけ水に浸すか。火加減はどうか。にがりはどの頃合いで、どれだけ打つのか。打ちすぎれば塊は硬く締まり、足りねば固まらずに崩れる。その見極めが、なにより難しいのだと老僧は言った。

 「なぜ、固まるのです」

 おれが問うと、老僧は笑って、こう答えただけだった。

 「さあな。にがりが、豆の精を呼び寄せるのであろうよ。わしらはただ、こう拵えればこうなる、と先の坊さまから教わったとおりに、手を動かしておるだけじゃ」

 ——なぜ固まるのか。そのわけを、当時の誰も、ことばでは言えなかった。ただ、こうすればこうなる、という手の覚えだけが、寺から寺へ、坊さまから坊さまへと、口伝てに渡ってきたのだろうとボクは思う。理屈は知らずとも、手は知っていた。それで、じゅうぶんだったのさ。

 ある年の暮れ、おれは思いきって、老僧に頼みこんだ。

 「坊さま。その拵えよう、おれにも仕込んではもらえませんか。寺の外でも、これを拵えてみとうございます」

 老僧は、しばらく黙っていた。それから、ぽつりと言った。

 「これはもともと、仏に仕える身が、精進の道をまっとうするための食じゃ。なれど——うまいものを、寺の塀の内に隠しておくのも、いささか欲が深かろうな。里の者が滋養をつけるなら、それも功徳というものか」

 そうして老僧は、おれに豆の磨りようから、にがりの打ちようまでを、ひとつひとつ手を取って仕込んでくれた。

 仕込みは、思っていたよりずっと骨が折れた。まず前の晩から豆を水に浸す。寒い時分はたっぷりと、暑い時分は短めにと、季節で加減が変わる。膨れた豆を石臼で磨るのは、これがまた腕が痺れるほどの仕事でね。急いで荒く磨れば塊にならず、丁寧にやれば半刻も臼にかかりきりになる。磨った汁を釜にかけ、焦がさぬよう、吹きこぼさぬよう、絶えずかきまわす。煮えたものを布で漉すときには、熱い汁が指にかかって、何度も飛びあがった。

 いちばんの難所は、やはりにがりだった。

 「早すぎても、遅すぎてもいかん。湯気の立ちようと、汁の面の色を見て、ここぞという頃合いに打つ。打ったあとは、けっして急いてかきまわすな。そっと、待つのじゃ」

 おれは何度も失敗した。固まらずに崩れ、あるいは苦くなり、あるいは硬くなりすぎた。にがりを打つ手が早すぎて、ぼそぼその滓になったこともある。けれど幾度もやり直すうちに、汁の面が、ふっと色を変えるその一瞬が、だんだん目で読めるようになってきた。理屈ではない。手と目が、頃合いを覚えていったのさ。やがて、あの雪のような塊が、おれの手からも生まれるようになった。はじめて崩れずに固まった一片を箱から取り出したときは、おれは思わず声をあげた。

◇ ◇ ◇

 おれは門前の自分の小屋で、豆腐を拵えはじめた。

 はじめのうちは、近所の者が珍しがって覗きに来るばかりだった。寺の坊さまの食う、得体の知れぬ白いもの——そう思われていたのさ。けれど、ひとり、またひとりと、おそるおそる口にしてみる者が出てくる。

 汁に入れてやれば、淡い塊が汁を吸って、ほろりと舌で崩れる。塩を当てて焼いてやれば、ふっくらと香ばしい。歯の弱った年寄りが、これなら噛める、とありがたがった。乳の出ぬ女が、これを食って力をつけた。肉も魚も買えぬ里の者にとって、豆ひと握りから拵えるこの塊は、またとない滋養だったのだろう。

 「寺の食いもんが、里へ下りてきたな」

 誰かが、そう言って笑った。おれは、その言葉が妙にうれしかった。塀の内にあった白い塊が、こうして里の夕餉の膳へ、ひとつずつ載っていく。その橋渡しを、ほかでもないおれの手がしているのだと思うとね。

 評判は、じわじわと近隣の里へも広がっていった。市の立つ日に荷を背負って出れば、白い塊はその日のうちにさばけてしまう。やがて、おれの拵えようを覚えたいという者が、隣の里からも訪ねてくるようになった。おれは、かつて老僧がおれにしてくれたように、豆の浸しようから、にがりの頃合いまでを、惜しまず手を取って教えた。

 「これはな、もとは寺の坊さまの食いものだ。なれど、うまいものを抱えこんでも仕方がない。覚えて、おまえの里でも拵えてやれ」

 そう言いながら、おれはふと、あの庫裏の裏で同じことを言った老僧の声を思い出していた。塀の内に隠しておくのは欲が深い、と。手から手へ、里から里へ。にがりの打ちようひとつが、こうして人を渡っていく。おれが渡したものを、また誰かが、見も知らぬ別の里へと渡していくのだろう。そう思うと、たかが豆の塊が、ひどく大きなものに思えてきてね。

◇ ◇ ◇

 寺の精進の食でしかなかった白い塊が、門前へ下り、里の日々の菜になっていったのは、世がいくたびも乱れ、また治まりをくりかえした、このころのことだ。ボクは、その移り変わりを、ひとつの門前で見てきた。

 はじめは僧だけのものだった。肉を断つ代わりの、貧者の肉。それが里へ渡るうちに、もう精進だの功徳だのとは関わりなく、ただ「うまくて、安くて、滋養のある菜」になっていった。豆を磨り、煮て、漉して、にがりを打つ。あの根気のいる手仕事が、寺から門前へ、門前から里へと、人の手を伝って広がっていったのさ。

 今では、豆腐は一丁いくらの、どこの店先にもある当たり前の菜だ。にがりを打てばなぜ固まるのか、その理屈も、今ならちゃんと説かれている。けれど、それを「もとは寺の精進の食だった」と思って箸をつける者は、もう、そうは多くない。

 それでも、とボクは思う。

 冷ややっこの一片を箸でつまむとき、あの白い塊の向こうに、石臼をごりごりとまわしていた老僧の背中や、何度も失敗しては固め直していた門前の男の手を、ほんの少しだけ思い出してくれたら、それでいい。淡くて、味もなくて、ほろりと崩れる。けれど、その味のなさのなかに、塀を越えて里へ下りてきた、長い長い道のりが染み込んでいる。

 豆腐は、ただ皿の上で、つやつやと白く揺れているだけだ。それでも、その一片には、硬い豆を根気よく磨り、淡い塊へと変えていった者たちの、いくつもの手が映っている。ボクは、そういうものが、好きなんだ。

参考文献・もっと詳しく

豆腐は大陸から伝来した豆の加工食で、当初は寺院の精進料理として僧の間で用いられ、やがて門前町を経て庶民の日常の食へと広がっていったとされる。大豆を磨り潰して煮て漉し、にがり(塩化マグネシウムを含む苦汁)で凝固させて成形するもので、肉食を避ける僧侶にとって貴重な蛋白源であったと伝わる。寺院の食から里の常菜へと普及していくのは中世から近世にかけてとされる。応永十二年は一四〇五年(応永は一三九四〜一四二八年)で、元号と西暦の対応は史実に整合する。※本文の人物・会話・情景は創作。

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