場末の珈琲屋、隅の卓の男と煮出しの小鍋の湯気第 51 話食
食大正のころ・東京の場末の喫茶読了 約7分

場末の珈琲屋、隅の卓の男と煮出しの小鍋の湯気

〜ひとりで通う男は、なぜいつも薄暗い隅の卓を選んだのか〜

はじめて読む方へ——語り部「ボク」がなぜ千年を渡り歩いているのかは、プロローグにあります。

 なぜ人は、蕎麦一杯より高い苦い水に、わざわざ銭を払ったのだろう。

 味のことではない。味の話なら舌のほうがよほど正直で、黒くて苦い汁に眉をひそめた者のほうが多かったはずだ。ボクがふしぎに思うのは、その一杯を前にして、人があんなに長く座っていたことのほうだ。飲み干してしまえば済むものを、なぜ誰も、急いで立たなかったのか。

 思い出すのは、雨宿りに立ちよった大正の場末の店の、ほんの一夕の景色だ。

◇ ◇ ◇

 大正十年(一九二一年)の春、東京の場末ばすえを歩いているうちに、雨に降られた。

 荷を負ったまま軒から軒へ走り、細い路地の奥で、「珈琲」とだけ書いた行灯の出ている店に飛びこんだ。荷の風呂敷を濡らしたくなかったのだ。路地の両側は、質屋と、洗い張りの店と、たたんだ雨戸ばかりで、その中でその店の行灯だけが、湿った土を細く照らしていた。戸をあけたとたん、煎った豆の匂いが顔にかかった。濡れた肩から力がぬけて、思わず口もとがゆるんだ。

 間口の狭い店で、卓は四つ。板張りの床に、椅子の脚がこすった跡が丸くのこっている。奥の土間に炭火の焜炉が据えてあり、その前に、房吉ふさきちと呼ばれる五十がらみの主が立っていた。豆は横浜から取り寄せているのだと、あとで主と老人の話に聞こえた。女給は置かない。珈琲だけを出す店だ、とも。房吉はもと横浜の船の賄い方で、鍋のやり方はそこで身につけたのだと、これは老人が主に話しているのを聞いた。

 窓ぎわの卓には、白髪の老人が座っていた。嘉平かへいさん、と主は呼んだ。羽織の袖口はすり切れているが、背筋はまっすぐだ。その向かいの壁ぎわには、画帖を抱えた若い男が、ひとりで碗を前にしていた。老人の目は客の顔でなく、焜炉の上の小さな銅の鍋へ向いていた。

 わたしは戸口に近い卓へ荷を下ろして、珈琲をひとつ頼んだ。主はうなずいて、手回しの臼うすをごりごりとまわし、挽いた粉を鍋の湯へざらりと落とした。

 そのとき、わたしの目は、鍋のまわりを探していた。湯をそそぐ布の袋も、下に受ける器も、どこにも見あたらない。

 主は木べらで一度だけ粉をかきまぜた。鍋のふちがふつふつと泡立つと、すぐ火から外して板の上に置く。それきり何もしない。鍋を見おろして、ただ待っている。

 待つあいだ、店には音が少なかった。炭がぱちと爆ぜ、雨だれが軒の樋を打つ。鍋から立つ香ばしい匂いは、湿った空気の底へ沈んで、店の隅々までゆきわたった。急ぐ者はここにはいないのだと、その匂いだけで分かった。老人は、まぶたを半分おろして、鍋の泡が静まるのを聞いているようだった。

挿絵:待つあいだ、店には音が少なかった

 碗を持った主が鍋へ寄ると、老人が、卓の木目をこつ、と指で一度だけ叩いた。主は手を止め、また少し待った。それから柄杓で、上のほうだけをそろりとすくって碗に注いだ。

 運ばれてきた碗の底には、黒い粉が薄く沈んでいた。老人は自分の碗をわずかに傾けて、底の粉を残したまま、上の澄んだところだけをすすっている。わたしもそれに倣った。舌の先に苦さが立って、しばらく引かなかった。砂糖の壺が卓のまんなかに置かれていた。壺の口には、湿気を吸って固まった白い塊がのぞいている。老人は匙の先でその塊をくずし、山盛り三匙、黙って碗へ落とした。わたしがつい黒いまま口をつけていると、老人は横目でこちらの碗を見て、口の端をわずかにあげた。老人の碗の縁にも、溶け残った砂糖のざらつきが白く光っていた。この店では、苦さに砂糖を溶かして飲む客のほうが、ずっと多いのだ。

 「上野の黒門町にな、まだ三十そこそこの時分、通った店がある」

 老人が、誰にともなく言った。

 「一杯、一銭五厘。蕎麦が八厘の時分だ。それでも、待たされたものさ」

 主は黙って笑い、空いた鍋を水にくぐらせた。老人は、碗の縁を親指でなぞりながら、ひとりごとのように続けた。

 「二階建ての西洋館でな。階下の玉突きの音が、二階の卓まで昇ってきた。牛乳を入れると、二銭だ。蕎麦を一杯がまんして、その銭で苦い水を飲むのか、と笑われたが、笑った連中も、あとから何人かは通ってきた」

 老人は碗の縁から親指を離し、しばらく卓の木目を見つめていた。

 「長くは続かなんだ。銭がかかりすぎたのだろう。だが、あそこで座った一杯の長さは、いまでもこの尻が覚えておる」

 そう言って、老人はまた口をつぐみ、碗の湯気を見た。

 しばらくして戸が鳴り、背広の男がひとり入ってきた。歳のころは三十なかば。肩の縫い目が白っぽくなった着古しで、脇に革の鞄を抱え、靴の踵は片減りしている。鞄の口からは、帳面の角がのぞいていた。男は、椅子の背にその鞄をかけると、しばらく手をはなさなかった。誰にも会釈せず、いちばん奥の暗い隅の卓へまっすぐ歩いて腰をおろした。注文の声は、ついに聞こえなかった。主はうなずきもせず、焜炉のほうへ向き直った。

 男の指が、卓の上で動いていた。小さな珠をはじくように、人差し指と親指が、板のうえを右へ左へ走る。碗が置かれると、その指はぴたりと止まって、碗を両手で包んだ。

 主が、鍋を見たまま、わたしにだけ届くほどの声で言った。

 「あの卓は、あの方のもんでね。ほかの客が座りかけたら、荷物を置いてふさいどきます」

 それから、鍋の湯気のほうへ目をやったまま、付け足した。

 「もう、いくつ冬を越えたか。毎晩、同じ時分に見えます。碗は、こっちで何も聞かずに出す。それだけの店なもんで」

 壁ぎわの若い男は、画帖を抱えたまま、その隅のほうを見ては目を伏せていた。近づいてよいものか、量りかねているように見えた。若者の碗は、とうに冷めきっているのに、手つかずのまま卓に置かれていた。主がそれを下げようとして、手をひっこめた。下げてはいけない、と思ったらしい。

挿絵:壁ぎわの若い男は、画帖を抱えたまま、その隅のほうを見ては目を伏せていた

 窓の外を、傘をさした人影が、店の灯を横切って行き過ぎる。そのたびに、老人の碗の湯気が、かすかにゆれた。

 隅の男は小半時、碗をほとんど動かさなかった。湯気が細くなり、やがて消える。それでも口へ運ぶ手は、ゆっくりだった。ひとくち飲んで、間をおく。またひとくち。飲みおえて立ちあがるころには、卓の上の指は、もう動いていなかった。男は勘定を置くと、隅の卓へ向かって、ほんのわずか頭をさげた。誰に向けたものか、わたしには分からなかった。椅子はほとんど音を立てずに、もとの位置へ戻された。

 男の背が戸口に消えると、壁ぎわの若者が、ようやく冷めた碗を取りあげた。ひと息にあおって、顔をしかめ、口のまわりを袖でぬぐう。主が、こらえきれずに喉の奥で笑った。若者は耳まで赤くして、画帖をひらき、鉛筆のさきで、いま出ていった男のいた隅の卓を、そっと紙に写しはじめた。卓の脚の、踵のように片減りした跡まで、細い線で拾っていく。老人はそれを見て、何も言わなかった。

 雨はいつのまにか上がっていた。わたしは碗の底の粉を残して勘定を置き、荷を負いなおして戸をあけた。窓ぎわの老人が、顔だけこちらへ向けた。

 「また通りがかったら、鍋の見える席は、わたしがふさいでおくよ」

 それがこの人の冗談なのか本気なのかは、分からなかった。わたしは笑って頭をさげた。老人の指が、また木目をこつ、と叩いた音が、背中で聞こえた。戸を閉めるとき、主が炭を一つ足す、かすかな音もした。

◇ ◇ ◇

 あの晩、鍋の脇に濾す物を探したボクの目は、空を切った。布や紙をくぐった澄んだ一杯が卓へ来るものと、体が思いこんでいたのだ。粉を挽く匂いだけは、時代がちがっても同じように懐かしかった。濡れた着物に染みてくる煎り豆の香に、ボクはしばらく、戸口に突っ立ったままだった。

 老人の言った上野の店が、日本で最初の喫茶店と伝わる可否茶館だ。明治二十一年(一八八八年)の開業で、食事一回ぶんより高い嗜好品だったことが、長く続かなかった一因だとも伝わる。抽出の器具がまだ乏しかったころは、粉を煮て上澄みを飲む店もあったと聞く。湯を布に通す手へ移っていったのがいつごろなのか、ボクにははっきりしない。房吉のように船で覚えた手もあれば、老人のように上野で覚えた舌もあって、大正のころの珈琲は、まだ店ごとに手順がばらばらだったのだろう。ただ、あの晩の店では、粉の沈むのを待つ時間が、まだ一杯の仕事のうちにあった。

 「喫茶店」という呼び名が広まるのは、大正十一年(一九二二年)ごろからと聞く。あの大正十年の場末では、珈琲を出す店は、たいがい「カフェー」と呼ばれていた。女給が客の相手をする華やかな店もその名で呼ばれたから、女給を置かず珈琲だけを出す房吉の店は、看板にない但し書きを一つ背負っていたことになる。

 翌年の春、雨宿りに同じ戸をくぐると、隅の卓には、画帖の若者がひとりで座っていた。椅子の桟に足裏をのせ、立てた膝に画帖をもたせて、鉛筆を走らせている。

参考文献・もっと詳しく

※ 珈琲は江戸期に長崎の出島を通じて伝わり、明治二十一年(一八八八年)に上野で可否茶館が開かれたと伝わる。「喫茶店」の呼び名が一般化するのは大正十一年(一九二二年)ごろからとされ、それまでは珈琲を出す店は「カフェー」などと呼ばれた。大正十年は一九二一年(大正は一九一二〜一九二六年)。※本文の人物・会話・情景は創作。

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