第 47 話文化苦い黒の一杯を前に、見知らぬ者どうしが半刻を分けあった日のこと
〜ひとりになりたくて店へ通う男は、なぜいつも薄暗い隅の卓を選んだのか〜
珈琲というのは、はじめ誰の舌にも歓迎されない飲み物だ。
黒くて苦くて、薬湯のような匂いがする。口に含めば思わず顔をしかめ、なぜこんなものをと思う。甘い汁や香ばしい茶に慣れた舌には、まるで叱られているような味だ。それでも人は、二杯三杯とかさねるうちに、いつのまにかその苦さを恋しがるようになる。妙なものさ。
その黒い一杯が海を渡ってきて、町の隅に小さな居場所を連れてきた。卓と椅子をならべ、湯気の立つ椀を出すだけの一間だ。けれど人はそこへ来て、ただ座る。誰に急かされるでもなく、苦い一杯を前にして、半刻でも一刻でも、自分の時間というものを過ごしていく。
ボクが見てきたのは、その苦い黒の一杯が、人に「居場所」というものを教えていく、そのはじまりのことだ。一杯の苦さが、なぜ人を引きとめるのか。その奥には、いつも誰かの、ひとときの心持ちが沈んでいた。
◇ ◇ ◇
大正十年(一九二一年)の春のことだ。わたしは東京の場末に、小さな喫茶の店をひらいていた。
間口の狭い、卓が五つばかりの店だ。亡くなった連れ合いが舶来好きで、横浜あたりから豆を仕入れてきては、奥でしきりに煎っていた。その人が逝ってしまったあと、わたしは見よう見まねで、この店を続けていた。
珈琲を淹れるのは、はたで見ているよりずっと手のかかる仕事だ。
まず、黒く煎った豆を、手回しの臼でごりごりと挽く。すると店じゅうに、あの香ばしい、すこし焦げたような匂いが立ちこめる。その粉をネルという起毛の布の袋へ落とし、上から湯をそそぐ。いっぺんに注いではいけない。蒸らすように少しずつ、糸のほどに細く落としていく。粉がふっくら膨らんで泡が立ち、布の底から黒い雫がぽたりぽたりと垂れてくる。その一滴が落ちきるのを、客はじっと待つ。せかしてはいけないというのが、連れ合いの口ぐせだった。珈琲は待つ飲み物だ、とね。
その店に、毎日かよってくる男がいた。
名は知らない。歳のころは三十なかば、いつも同じ着古した背広で、判で押したように夕方になると現れた。そしてきまって、いちばん奥の壁ぎわの、薄暗い隅の卓へ腰をおろす。ほかの卓が空いていても、けっして座らない。窓ぎわの明るい席も入口に近い席も、見向きもしない。あの隅でなければいけないらしかった。
注文もいつもひとつだ。「珈琲を、ひとつ」。それきり何も言わない。わたしが黒い一杯を運んでいくと、男は小さくうなずいて、椀を両手で包む。すぐには飲まない。立ちのぼる湯気をしばらくぼんやり眺め、それからひとくち、すするように口をつけて、また卓へ戻す。一杯の珈琲を、男はひどく長くかけて飲んだ。
ある雨の夕、客はその男ひとりきりだった。
わたしはつい、たずねてみた。毎日のように来てくれるが、なぜいつも、その隅の席なのか、と。
男は椀の湯気を見つめたまま、ぽつりと言った。
「ここだけは、誰も、わたしに用がない」
聞けば男は、ある会社の帳場で、朝から晩まで算盤をはじいているのだという。家へ帰れば年老いた親と、幼い子と、病がちの妻がいる。どこにいても、誰かが自分を呼ぶ。あれをしてくれ、これはどうなった、と。役に立つことを、絶えず求められる。
「この一杯のあいだだけは」と男は言った。「わたしは、誰の役にも立たなくていい。ただ苦いものを、苦いと思っていればいい」
わたしは、その言葉を長く覚えている。
甘いものなら、ひと息に飲み干してしまう。けれど苦い珈琲はそうはいかない。ひとくちごとに舌が立ちどまる。苦さがいやでも人を、その一杯の前に、いまここに、引きとめておく。男はその苦さにしがみつくようにして座っていたのだ。役に立つことから降りて、ただ一人になれる、わずかな半刻に。
わたしは、その隅へ運ぶ一杯だけは、いつもより念を入れて淹れるようになった。豆をていねいに挽き、湯をひときわ細く落とす。男が長く長く飲むのを知っていたから、ぬるくなっても淋しくない、こくのある一杯にしてやりたかった。淹れ手にしてやれることなど、それくらいのものだ。この苦さが、せめてあの人の半刻を、やわらかく包んでくれればいい。そう念じながら、布の底の雫を見つめていた。
◇ ◇ ◇
その隅の男のほかにも、店にはいろいろな人が来た。
画を描くという若い者は、一杯の珈琲で夕方から店じまいまで粘り、画帖になにやら描きつけていた。書生らしい二人連れは、世の中をどうするこうすると、声を高くして言い争っていた。むずかしい横文字の本を、辞書を引き引き読んでいる娘もいた。
みな、たった一杯の珈琲を前に、それぞれの時間を過ごしていた。茶店のようにさっと飲んで出ていくのではない。ここでは、座っていることそのものが許されていた。苦い一杯が、その長居の口実になっていたのさ。
いつのころからか、隅の男と、画を描く若者とが、ぽつぽつと言葉を交わすようになった。
はじめは、灰皿を貸す貸さないの、それだけのことだった。それが絵のこと世間のことと、少しずつ伸びていく。男は相変わらず、いちばん奥の隅にいた。けれどその卓の向かいに、若者が椀を持って腰かける日がふえていった。
ある夕、向かいの若者が、描きあげたばかりの一枚を、男のほうへすべらせて見せた。男はしばらくそれを眺め、ふだん聞いたことのないやわらかな声で、いいものだね、とだけ言った。それから二人して、また黙って、それぞれの椀をすすった。何を語るでもない。ただ同じ苦さを、同じ薄あかりの隅で分けている。それで足りる、という顔をしていた。
誰の役にも立たなくていいと言っていた男が、いつしか誰かと苦い一杯を分けあうようになっていた。一人になれる場所が、見知らぬ者とそっと出会える場所にもなっていたのだ。妙なものさ。一杯の苦さは、人を一人にもするし、人と人を、静かに結びもする。
◇ ◇ ◇
黒い一杯と、それを飲ませる小さな一間は、それから町じゅうにふえていった。
どこの町かどへも、湯気の立つ椀の匂いがながれ、人は仕事の合間に、待ち合わせに、あるいはただ一人になりたくて、その扉を押すようになった。苦い一杯を前にして、語らい、考え、黙りこむ。喫茶という居場所は、都市の暮らしのなかに、そういう「ひとときの自分の時間」を、しっかりと根づかせていった。
今では、珈琲はどこででも飲める。釦をひとつ押せば、機械が苦い湯を、たちまち椀に満たしてくれる。歩きながら、働きながら、人は黒い一杯を流しこんでいく。布の底から雫が落ちきるのを待った、あの待つ時間は、もうどこにもない。
それでも、とボクは思う。
苦い珈琲を一杯淹れることがあったら、すぐに飲んでしまわずに、しばらくその湯気を眺めてみてほしい。役に立つことから降りて、ただ苦いものを苦いと思っていた、あの男のように。一人になりたくて隅の席へ通ううち、いつしか誰かと一杯を分けあっていた、あの半刻のように。
珈琲は、苦い。だから人はその一杯の前で、ふと立ちどまる。立ちどまったその場所が、いつしか、誰かの居場所になる。ボクは、そういうものが、好きなんだ。
参考文献・もっと詳しく
- 『コーヒーが廻り世界史が廻る——近代市民社会の黒い血液』ISBN 978-4-12-101095-7
- 『喫茶店の時代——あのときこんな店があった』ISBN 978-4-480-43645-0
- 『日本最初の喫茶店「可否茶館」の歴史』ISBN 978-4-434-11792-3
- 『日本カフェ興亡記』ISBN 978-4-532-16697-7
※ 珈琲は江戸期に長崎の出島を通じて伝わり、明治以降に喫茶店が現れ、大正期には東京や大阪などの都市で喫茶店やカフェーが広まったと伝わる。豆を煎って挽き、ネル(起毛の布)などで濾して淹れる方法で供され、一杯の珈琲とともに長く座って語らい過ごす習わしが、都市の新しい居場所として根づいていったとされる。大正十年は一九二一年(大正は一九一二〜一九二六年)で、元号と西暦の対応は史実に整合する。※本文の人物・会話・情景は創作。
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