野で身軽に動くための一枚が、御殿のくつろぎ着になるまで——「狩衣」と呼ばれた普段着のこと09
平安のころ・平安京読了 約8

野で身軽に動くための一枚が、御殿のくつろぎ着になるまで——「狩衣」と呼ばれた普段着のこと

窮屈な袍を脱いだ若君は、なぜ袖の閉じていない一枚を、あれほど身軽そうにまとったのか

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kariginu

 着るものというのは、要するに、その人がどう動きたいかを、布のかたちにしたものだ。

 今の暮らしなら、家に帰れば誰もが、肩のこらない一枚に着替える。襟をゆるめ、袖をまくり、締めつけるものを外して、ようやく息をつく。よそ行きの装いと、家でくつろぐ装いと。その二つを使い分けるのを、誰も不思議とも思わない。

 けれど、装いがそのまま身分の証しであった頃、人はくつろぐことすら、たやすくは許されなかった。位を示す衣は重く、糊はこわばり、袖は床を払うほどに長い。立つにも坐るにも作法が要り、布のほうが人を動かしていた。そういう衣を、朝から晩まで身にまとうのが、よい家に生まれた者の務めだった。

 そんな窮屈の只中で、ひとつの軽い衣が、野のほうから御殿へとのぼってきた。もとは狩りに出るときの、ただ動きやすいだけの略装だ。やがてそれが、貴き人々の「くつろぎの装い」になっていく。ボクが見てきたのは、その一枚が、野から殿上へとのぼっていく、そういう道のことだ。

◇ ◇ ◇

 天暦九年(九五五年)の秋のことだった。われは平安京のとある邸に通って、衣の繕いや仕立ての手伝いをして口を糊していた。

 針を持つ手には、いやでも布の素性がわかる。表向きの場で着る袍は、糊できつく張ってあって、指のはらにこつこつと当たる。縫い目をほどけば、こわばった綾がぱりりと音を立てた。重い衣だった。一枚に幾人もの手がかかり、織りも染めも惜しみなく尽くされている。けれど、それを着る人の身は、その厚みのなかにいつも閉じこめられていた。

 その邸の若君は、まだ元服してまもない年で、何より身を動かすのが好きな人だった。鞠を蹴り、弓を引き、馬を駆けたがる。ところが、よい家の子であればあるほど、装いは重く定められている。表向きの場で着る袍は、肩が張り、裾が長く、袖の口がふさがって、腕を高く上げることさえままならない。鞠ひとつ蹴ろうにも、布が足にまといついて、若君はいつも苦い顔をしていた。坐れば裾を踏み、立てば袖をもてあます。よい衣であるほど、若い身には牢のようであったらしい。

 その若君が、あるとき供の者に着せてもらっていたのが、見なれない一枚だった。

 仕立てがまるで違う。両の脇が縫いふさがれておらず、身ごろと袖とが、肩のところでしか留まっていない。だから腕を上げれば、脇から風が通って、布が背についてこない。袖の口もすぼめずに、紐でゆるくくくるだけだ。襟もとも張らず、裾も短い。袍にくらべれば、まるで野良着のように、そっけなく軽い。

 われは思わず近寄って、その布に手をふれた。糊はほとんど効いておらず、指のあいだをするりと逃げる。やわらかな絹だった。手のひらに乗せると重さがないようで、息で吹けば動きそうなほど薄い。袍を縫うときの、あの腕に残るこわばりとは、まるで別の手ざわりだった。日にかざすと、薄い地のむこうに、若君の腕の影がほのかに透けた。色は枯れかけた草を思わせる、ひかえめな香染め。野に出ても土にまぎれ、獣に覚られぬための地味な色だと、若君は得意げに教えてくれた。実用から来た色がそのまま、目にやさしい上品さになっている。それも、この衣のおもしろいところだった。

 「これはな、狩りに出るときの衣だ」と、若君は嬉しそうに言った。

 もとは野で、馬上から弓を引くために工夫された略装だという。鳥を狩り、獣を追う。そういう荒々しい動きに、長い袖や張った肩は邪魔でしかない。だから脇を開け、袖をくくり、裾を短くした。すべては、身軽に動くため、ただそのためだけの仕立てだった。

 われは、その縫い目を間近に見て、なるほどと膝を打った。脇を縫わぬことで、腕の動きをまるごと布から解き放っている。袖をくくる紐ひとつで、たくしあげも、おろすのも自在になる。袖口に通した括り緒を引けば、布は手首にぴたりと寄り、ゆるめれば、また広い袖にもどる。動きに合わせて、人のほうが布をあやつれるのだ。窮屈をなくすための工夫が、隅々まで行きわたった一枚だった。飾りではない。働く者の知恵が、そのまま貴き人の衣のかたちになっていた。

 若君は、その一枚をまとうと、別人のように身軽になった。庭へ駆け下りて、鞠をひとつ、高々と蹴り上げる。袍を着ていたときには上がらなかった腕が、脇の開いた布のなかで、伸びやかに振りぬかれる。

 「これだ。これでなくては、息ができぬ」

 若君は笑って、何度も鞠を追った。脇から秋の風が通って、薄い布がふわりと背に膨らむ。括り緒でしぼった袖が、腕を振るたびに小さく鳴って、若君の動きにぴたりとついていく。窮屈から解き放たれた人の、いかにものびのびとした姿だった。

 ひとしきり鞠を追って、汗ばんだ若君が縁に腰をおろす。その坐りようまでが、袍のときとはまるで違った。袍ならば、裾をさばき、膝を整え、布のかたちが崩れぬよう坐らねばならない。それがこの一枚なら、膝をくずして、片肘をつき、思いのままに身をあずけられる。布が人を縛るのではなく、人の好きにさせてくれる。坐る姿ひとつに、こうも息のつきやすさが違うものかと、われは縫い物の手を止めて見入っていた。装いが軽いというのは、ただ腕が上がるという話ではない。心まで、いくらか軽くなるものらしかった。

◇ ◇ ◇

 はじめのうち、それは野で着るだけの、内輪の衣であった。

 狩りの場、馬を駆る朝、人目のない庭。表向きの場へは、けっして着ていけぬものとされていた。あくまで略装、いわば気のおけぬ普段着であって、改まった席では、やはり重い袍に着替えねばならない。若君も、客のある日には渋い顔で、肩の張った装いに身を押し込んでいた。供の者に幾重も引きあわされ、帯を締められて、ようやく座につく。その肩のあたりに、われはいつも、見えない重しを見るような心地がした。

 ところが、人というのは、いちど身軽さを覚えると、もう後へはもどれぬものらしい。

 その軽さに馴れた者たちが、しだいに、邸のうちのくつろぎの折にも、その一枚を選ぶようになった。客のない日、気のおけぬ仲間と語らう宵、書見の合間。窮屈な装いを解いて、脇の開いた軽い衣に着替える。すると不思議と、肩からも、ことばからも、こわばりがほどけていく。声まで、ひと回りやわらかくなるように聞こえた。

 頼まれて仕立て直すたびに、われは少しずつ手を変えていった。布をだんだん上等にし、染めを深くし、文様をひそやかに織り込む。秋には枯野を思わせる薄い香染め、冬には濃いめの縹を、と、季節に合わせて色目をえらんだ。表と裏の重なりが透けて、また別の色に見えるよう、裏地にも気を配る。野良の略装が、少しずつ、貴き人にふさわしい品をまといはじめたのだ。それでいて、脇を縫わぬという肝心の仕立てだけは、けっして変えなかった。品を足しても、身軽さだけは手放さない。そこにこの衣の値打ちがあると、誰もが承知していた。

 あるとき、年かさの女房が、その移ろいを見て、こうつぶやいた。

 「あんなに野卑なものと厭われていた衣が、いまや殿方のいちばん気に入りの一枚とは。世も変わるものよ」

 厭われていたのではない、とわれは思った。ただ、身軽さの心地よさを、人がようやく堂々と認めるようになっただけだ。動きやすさのために野で工夫された一枚が、動かずにくつろぐための一枚としても、ちょうどよかった。締めつけないということ、息をつけるということ。それを「だらしない」と退ける代わりに、「心地よい」と迎え入れる。そういう心の向きが、人のあいだに育ってきたのだろう。

 幾年か経つうちに、その衣には「狩衣」という名が定まって、もはや狩りのためだけのものではなくなっていた。野で身軽に動くための略装は、御殿で身軽にくつろぐための普段着へと、静かに格を上げていったのだ。若君は壮年になっても、客を送り出したあとは、きまってあの一枚に着替えた。脇の開いた布から風を入れ、ふう、と肩を落とす。括り緒をゆるめて、袖を広くもどす。その仕草が、われはなぜだか好きだった。窮屈を脱いで、人がひとりの人にもどる、その短い間が、そこにあった。

◇ ◇ ◇

 狩衣は、それからも長いこと、貴き人々のくつろぎの装いでありつづけた。

 表の重い装いと、内の軽い装いと。改まる衣と、息をつく衣と。その二つを人が使い分けるようになった、ひとつの始まりが、あの脇の開いた一枚にあったのだと、ボクは思っている。野で身軽に動くために工夫されたものが、御殿で身軽にくつろぐために選ばれていく。動きやすさが、いつしか、心地よさの別の名になっていった。

 今では、家に帰れば誰もが、肩のこらない一枚に着替える。あまりに当たり前で、誰も、それをくつろぎの工夫だなどとは思わない。

 それでも、と思う。窮屈な装いを解いて、締めつけないものに腕を通し、ふう、と肩を落とす——あの短い、息をつく間は、脇の開いた一枚に風を入れて鞠を追った、あの若君の朝から、たしかにまだ続いている。

 重い袍を脱いで、軽い一枚に身を移したときの、あの伸びやかな顔を、ボクはまだ覚えている。あなたも今日、よそ行きを脱いで楽な一枚に着替えるとき、その肩の軽さを、すこしだけ味わってみてほしい。締めつけないというのは、それだけで、ひとつのささやかな贅沢なのだから。ボクは、そういうものが、好きなんだ。

参考文献・もっと詳しく

狩衣(かりぎぬ)は、もと野外での狩猟や鷹狩のための略装で、両脇を縫い合わせず、袖口を袖括りの紐でくくるなど、動きやすさを旨に仕立てられた衣とされる。平安中期以降、その身軽さが好まれ、貴族の私的な場でのくつろぎ着・普段着として広く用いられるようになったと伝わる。当初は略装ゆえ晴れの場には用いなかったが、しだいに生地や文様が整えられて格を上げ、後世には公家の常用の装いの一つとなったという。天暦九年は九五五年(天暦は九四七〜九五七年)で、元号と西暦の対応は史実に整合する。本話の人物・会話・情景は創作。

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