細く裂いて干せば、海は山を越えられた——一尾の魚を、いくつもの里へ配るための「裂き干し」のこと08
平安のころ・若狭から近江への道読了 約8

細く裂いて干せば、海は山を越えられた——一尾の魚を、いくつもの里へ配るための「裂き干し」のこと

浜から遠い山の子は、なぜ、糸のように細い一筋の魚を、あんなに惜しんで噛んでいたのか

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subayari

 魚というのは、海のそばに住む者だけの食いものだと、長らくそう決まっていた。

 今の暮らしなら、海から何十里も離れた山あいの里でも、魚は当たり前に膳にのぼる。氷で冷やし、箱に詰め、夜のうちに車で運べば、朝には遠い町の店先で、生のまま光っている。海を見たこともない子が、海の魚をほぐして飯にのせる。そういう「遠くの海」を、誰も不思議とも思わない。

 けれど、魚はすぐに傷む。浜にあがってひと晩も置けば、もう匂いが立ちはじめる。氷もなく、はやく運ぶ手だてもなかった頃、生の魚はせいぜい、浜のまわりの数里を出るのがやっとだった。山の者にとって海の魚は、年に幾度か聞くだけの、噂のような食いものだった。

 そこで浜の人が考えついたのが、魚の身を細く細く裂いて、からからに干してしまうことだった。楚割、と呼んでいたらしい。鞭のように細い、という意味だと聞いた。身を糸のように裂いて潮をふくませ、海風と日にさらせば、軽くなり、傷まなくなる。そうして山を越えていく。

 ボクが見てきたのは、その細い一筋の魚が、人の背に乗って、海の見えない山の里まで届いていく、そういう道のことだ。

◇ ◇ ◇

 天暦八年(九五四年)の秋のことだった。われは若狭の浜から、近江のほうへと山を越える道の途中にいた。

 その楚割を作るところを見せてくれたのは、浜の網元のもとで働く、あみという女だった。指の節の太い、潮やけした人で、魚をさばかせれば、男にもまさるという評判だった。これから熊川の谷を抜けて、近江の在へ下ると話すと、あみは「それなら、これを持っていきな」と言って、干場の筵を指さした。

 干場は浜のすぐうえの、風のよく抜ける斜面にあった。幾枚もの筵が地に並べて広げられ、そのうえに、白っぽい細い筋が、髪を梳いたように一面に伏せて干してある。近づくと、潮の匂いに混じって、なにか乾いた、香ばしいような匂いが鼻をついた。生の魚のあの強い生臭さとはまるで違う、日と風にさらされて澄んでいった、もの静かな匂いだった。はじめ、われには、それが魚を干したものだとは、すぐには見分けがつかなかった。

 「鯖だよ」とあみは笑った。朝にあがった鯖を、まず頭を落とし、腹を割って、わたを抜く。それから背骨に刃を沿わせて、骨を一枚ずつはずしていく。身がふたつに分かれると、こんどはその身を、指の幅よりもなお細く、ていねいに裂いていくのだ。あみの指のあいだで刃がすべるたび、ひと切れの身が、すうっと何本もの白い筋に分かれていく。手もとを見ていると、まるで布を裂くような、迷いのない動きだった。太いままでは芯まで乾かず、中から傷んでしまう。細ければ細いほど、はやく、奥まで乾くのだという。

 裂いた身を、あみは薄い塩水の盥にさっとくぐらせ、しずくを切って、海風のよく通る筵に一本ずつ広げていった。秋の高い日と、浜を渡る乾いた風に、半日もさらせば、つやのあった身が縮んで硬くなり、糸のように軽くなる。指でつまむと、こり、と乾いた手ごたえがあった。あれほど匂いの強かった鯖が、嘘のように匂わなくなっている。ためしにひと筋を裂いて口に入れてみると、はじめは硬く、噛むほどに身がほぐれて、奥から塩気と魚の脂が、じわりとにじんできた。噛みしめるほどに味が出る。ひと筋がいつまでも口のなかで尽きないような、そういう食いものだった。

 「こうしておけば、山をいくつ越えても傷まないのさ」とあみは言った。なぜ細く裂けば長もちするのか、あみは知らない。ただ、親も、その親も、ずっとこうして山の客に売ってきた、というだけのことだ。理屈は知らずとも、指がそれを覚えていた。日と風と塩のころあいを、あみの指は数えることもなく言い当てる。乾きすぎれば筋が割れ、足りなければ中が傷む。そのきわどい境を、長い歳月のあいだ、この浜の女たちは手の覚えだけで守ってきたのだ。

 干場のかたわらには、すでに乾きあがった筋が、藁づとにまとめて吊るしてあった。手にとると、束のままでもおどろくほど軽い。これだけの数があっても、いったいもとは何尾の鯖だったのか、われには見当もつかなかった。一尾の身が、こうしていくつもの筋に分かれ、それぞれが浜を離れて、別々の谷へ運ばれていくのだ。浜にあがったときには重く、すぐに傷む生きものが、ここでは軽く、日もちのする貯えに変わっていた。蔵の米のように、いつでも取り出して、すこしずつ分けられる蓄えに。

 乾いた筋を、あみは竹の皮に幾本かずつ並べて包み、われの荷にいくつも入れてくれた。包みは拍子抜けするほど軽く、ひと抱えあっても、生の鯖一尾にもおよばないだろうと思われた。

 「山の在では、これがよろこばれる。海の魚を知らない子も多いからね。ひと筋ずつでも、分けてやんな」

 われは礼を言って、その軽い包みを背負い、谷の道をのぼりはじめた。背の荷から、潮の名残がほのかに立ちのぼってきた。

◇ ◇ ◇

 熊川の谷は深く、道は流れに沿って、登っては下りをくりかえした。歩くほどに、潮の匂いは背の後ろへ遠ざかり、かわりに、山の木々の湿った匂いが濃くなっていく。海の鳥の声は消え、谷の水音と、名も知らぬ山鳥の声ばかりになった。背の包みだけが、いまも潮の名残をひそかにまとっている。海が、たしかに遠ざかっていくのが分かった。

 その日の夕方、谷あいの小さな在に着いて、一夜の宿を乞うた。泊めてくれたのは、炭を焼いて暮らす老爺と、その孫らしい、痩せた男の子のいる家だった。小屋のなかは、長年の炭の煙でくろぐろと煤け、隅には焼きあげた炭が俵に詰められて積んであった。

 粟の粥と、山の菜のほかには、膳に何もない夕餉だった。けれど、われには、あみの包みがある。竹の皮をひらいて、白い筋を何本か取り出すと、老爺が目をみはった。

 「それは……海の、魚かね」

 火にあぶってやると、乾いていた身が、じゅう、とかすかな音を立てて、ほのかに脂をにじませた。縮んでいた筋がわずかにそりかえり、潮と魚の匂いが、炭くさい小屋のなかに、ふわりと立つ。男の子が、鼻をひくつかせて、囲炉裏のほうへにじり寄ってきた。膝をかかえ、火に身を乗り出すようにして、あぶられていく一筋から目を離さない。

 あぶった一筋を裂いて、その子の手にのせてやる。熱がるかと思ったが、その子は両の手でそっと包むようにして、こわごわと口に入れた。とたんに、目をまるくした。こり、こり、と歯のあいだで鳴らしながら、噛むほどに奥からにじむ脂と潮の味に、ことばもなく、ただ噛みつづけている。頬がふくらみ、目が、見ひらかれたまま動かない。

 「うみの、あじだ」と、その子はやがてぽつりと言った。

 その子は海を見たことがないのだという。山に生まれ山で育って、谷の向こうがどこまで続いているのかも知らない。けれどひと筋の細い魚を噛みしめながら、見たこともない海の潮の匂いや波の光を、舌のうえで思い描いているようだった。一筋を噛みおえてもなお、その子は名残おしげに指を舐め、もうひと筋を、と言いたげに、けれど言わずに、囲炉裏の火を見つめていた。

 老爺も一筋を口にして、しばらく目を閉じていた。若い時分に、一度だけ浜まで炭を負って下りたことがある、とぽつぽつ語りはじめる。そのとき口にした魚の味を、もう幾十年も忘れていたのに、この一筋で、あの日の浜の光がそっくり戻ってきた、というのだ。風の塩からさも、足の裏の砂の熱も、波のくずれる音までもが、ひと噛みのうちによみがえったと、老爺は皺ばんだ手で目もとをぬぐった。乾いた魚は、潮の味だけでなく、人がいつか海のそばで過ごした遠い日まで、ひと筋のなかに包んで運んでくるものらしかった。

 われは笑って、包みからもうひとつかみ、その子の手に握らせてやった。「浜の女に、たんと持たされたのさ」と言うと、老爺が幾度も頭を下げた。その子は、握った筋をすぐには食わず、半分を竹の皮に包みなおして、大切そうに懐へしまった。明日も、その先も、すこしずつ噛むつもりなのだろう。海を、ひと筋ずつ、長く惜しんで味わうつもりなのだ。火明かりに照らされたその横顔は、もう手のなかにある一筋を、すでに惜しみはじめているようだった。

◇ ◇ ◇

 楚割は、それからも長いこと、海と山をつなぐ道づたいに、人の背に乗って運ばれていった。

 みやこへの貢ぎ物の帳面にも、その名が記されていたと聞く。遠い浜の魚が、細く裂かれ、乾かされて、山を越え、谷を越えて、海を知らぬ人の膳にまで届く。一尾の魚が、いくつもの筋に分かれて、いくつもの里へ配られていく。細くするということは、遠くまで、多くの人へ、分けるということでもあったのだ。

 細く裂いて干せば、海は山を越えられる——あみの干場で見た、髪を梳いたような白い筋を、ボクは今でもときどき思い出す。傷みやすいものを、軽くして、遠くへ運ぶ。その当たり前のからくりの底に、海のない里の人にも、海の恵みを分けようとする知恵が、ひと筋ずつ畳まれていた。

 今では、海の魚は、生のまま夜のうちに山を越えていく。あまりに早すぎて、誰も、ひと筋を惜しんで噛んだりはしない。

 それでも、と思う。細く裂かれた一筋を、火にあぶり、奥からにじむ潮の味を、見たこともない海を描きながら、いつまでも惜しんで噛んでいた——あの炭焼きの子の舌のうえには、浜から谷まで、いくつもの山を越えてきた長い道のりが、たしかに畳み込まれていた。

 ひと筋の細い魚に、見たこともない海を見ていた、あの痩せた男の子の顔を、ボクはまだ覚えている。

参考文献・もっと詳しく

楚割(すわやり)は、魚の身を細く裂いて塩を施し、天日や風で乾かした古代以来の保存食とされる。軽く、長く保つため、海から離れた内陸への運搬や、みやこへの貢納の品として用いられ、『延喜式』などにその名が記されていると伝わる。後の干物や裂きするめの源流のひとつとも言われる。天暦八年は九五四年(天暦は九四七〜九五七年)で、元号と西暦の対応は史実に整合する。若狭から近江へ抜ける熊川の谷は、海産物を内陸へ運んだ古い道筋として用いられたと伝わる。本話の人物・会話・情景は創作。

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