第 05 話食壺の底で、豆はゆっくり塩に溶けた——味噌でも醤油でもなかったころの、どろりとした塩辛さのこと
〜壺の蓋を開けるたび、なぜあの女は、できあがりまでの日数を指で数えていたのか〜
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うまいかまずいか。それは結局のところ、塩がどう効いているかという話なのだと思う。
今の暮らしなら、味のもとは棚にいくらでも並んでいる。瓶の口をかたむければ澄んだ茶色がとろりと落ちる。ひと垂らしで膳ぜんたいが引き締まる。匙ですくえば、なめらかな赤い味噌がすっと汁に溶けていく。そういう「味をつけるもの」を、誰も不思議とは思わない。買ってくればいい。できあがったものが、いつでもそこにある。
けれど、その澄んだ茶色もなめらかな赤も、初めからこの世にあったわけではない。ずっと昔、味のもとはもっと無骨でどろりとしていた。豆や麦を塩にまみれさせて、壺の底で幾月も寝かせる。やがて崩れて形を失って、塩辛いどろどろになる。それを醤と呼んでいたらしい。味噌の祖、醤油の祖が、まだ名も分かれずどろりとひとつだった頃の話だ。
ボクが見てきたのは、その塩辛い泥のような一壺が、人の指で日数を数えられながら、ゆっくりと味へ熟れていく、そういう暮らしのことだ。
◇ ◇ ◇
天暦三年(九四九年)の春のことだった。われは平安京の左京、東の市にほど近いあたりに、しばらく仮の宿を借りて住んでいた。朝ごとに市のほうから、魚を売る声や、土器を打ち鳴らす音が流れてきた。風にはまだ冷たさが残っていた。それでも日の当たる軒先には、もう草の匂いが立ちはじめていた。
その醤を商っていたのは、市の隅に小さな店を構える、さわという年かさの女だった。痩せて、背の丸い、口数の少ない人だった。それでいて、客が壺を持ってくると指を一本立てて匂いを嗅ぎ、味の良し悪しをぴたりと言い当てた。われが宿の主に頼まれて、汁の味つけにする醤を買いに行ったのが、はじまりだった。
店の奥には、背の高い壺がいくつも並んでいた。どれも黒ずんで、肩のあたりに塩の白い粉を吹いていた。さわが一つの蓋を取った。むっと立ちのぼる匂いに、われは思わず鼻を背けた。塩辛く、すこし饐えたような匂いだった。それでいて、奥のほうにどこか香ばしいものが潜んでいた。覗きこむと、底のほうに、豆とも麦ともつかぬ崩れたものが沈んでいた。塩の水にまみれて、どろりと濁っていた。表にはうっすらと白い膜のようなものが張っていた。これが味のもとかと、正直なところ、はじめは少し怯んだ。
「汚いものでも見るような顔をなさる」と、さわは口の端で笑った。皺の寄った目もとが、やわらかくほどけた。「これがね、まだ豆だったころは、もっときれいなものでしたよ」
さわは手近の壺を指して話してくれた。醤というのは、煮た豆と、炒った麦と、それに塩を、ただ壺に仕込んで寝かせておくだけのものだという。仕込んだばかりのときは、豆も麦も粒のかたちをしている。塩辛いだけの、ただの塩漬けにすぎない。それが日を追うにつれてゆっくりと崩れていく。粒が形を失い、とろけて泥のようになる。そのころになると、塩辛さの底に、なんともいえぬ深い味がいつのまにか宿っているのだという。
われは指で底をひとすくいさせてもらった。冷たく、ねっとりと指に絡んだ。鼻に近づけると、あの饐えた匂いの奥から、ふいに香ばしさが立った。豆を煮るときの、あの湯気の匂いにどこか似ていた。
「なぜ、崩れると味が出るのだ」とわれが尋ねた。さわは首をかしげた。
「さあねえ。豆が、塩のなかで疲れて、ほどけていくんでしょうよ。そうなるまで、ただ待つだけ。手出しはいらない。待つのが、いちばんの仕事でしてね」
◇ ◇ ◇
その日から、われは時おり、さわの店をのぞくようになった。市の用を済ませた帰りに、ふと足が向くのだった。
一度、新しく仕込むところを見せてもらった。前の晩から水に浸した豆を、さわは大きな土鍋でことことと煮ていた。指でつまんでみて、たやすく潰れるまで、火加減を細かく見ていた。麦は別の鍋で、こんがりと色がつくまで炒った。香ばしい匂いが、狭い店いっぱいに立ちこめた。煮えた豆と炒った麦を、さわはひとつの鉢に移し、よく冷ましてから手でほぐした。そこへ塩を、すこしずつ計りながら振り入れていく。「ここで塩をけちると腐る。多すぎると、いつまでも角が取れない」。さわはそう言いながら、両の手で何度も何度も、念入りに揉みあわせた。豆と麦と塩が、ねっとりと一つに馴染んでいく。
馴染んだものを、さわは空の壺に、すこしずつ押しこんでいった。掌の付け根で、底へ底へと、ていねいに圧して空気を抜く。仕込んだばかりの壺を覗くと、豆も麦もまだ粒のかたちをしていた。塩は白く、ところどころに粒立って残っていた。「あとは、ただ寝かせるだけ」。さわは蓋をのせ、傍らに新しい木の札を置いた。そうして、今日からまた、ひとつ日数を数えはじめるのだった。
さわは壺の蓋を開けるたびに、傍らに置いた木の札を指でとんとんと叩いて数えた。札には墨で細かな筋が刻んであった。仕込んだ日から幾日たったか、いつごろ食べごろになるか。それを、指の節を折りながら数えているのだった。その手つきはいつも同じだった。札を撫で、節を折り、口のなかで小さく日数をつぶやく。長年くりかえしてきた者の、淀みのない手つきだった。
「これは、まだ若い。仕込んでひと月。塩がきついばかりで、味が立っていない」。さわは別の壺の蓋を取った。途端に、その皺だらけの顔がふっとほどけた。「こっちは、いい頃合いだ。三月寝かせて、ようやく角が取れた」
われは匙を借りた。若い壺と、熟れた壺と、両方をなめさせてもらった。なるほど、若いほうは、ただ塩がとがって舌を刺すばかりだった。喉の奥が、きゅっと縮むようだった。ところが熟れたほうは違った。おなじ塩辛さでも、奥になんともいえぬうまみが沈んでいた。豆のあまみとも、麦の香ばしさともつかぬ、深い味だった。舌にのせたあと、しばらく経ってからじわりと広がってくる。同じ材料が、ただ時を経ただけでこうも変わるものか。われは舌のうえで、思わず唸った。
「待つあいだに、味は勝手に育つのさ」と、さわは事もなげに言った。柄杓で壺の中をゆっくりかき混ぜながら続けた。「人にできるのは、塩を間違えないことと、腐らせないことだけ。あとは、壺のなかの暗がりで、豆が勝手にやってくれる。わたしらは、ただ、できあがりを指で数えて、待つ」
さわはひとり身だった。聞けば、若いころに連れ合いを早くに亡くしたという。それからずっと、この醤づくりで暮らしを立ててきた。子もなく、店を継ぐ者もなかった。それでも、毎年おなじように豆を煮て、麦を炒り、塩を計り、壺に仕込んだ。そうして指で日数を数えてきたのだった。手の甲には、塩に灼けた跡が白く幾筋も残っていた。
「待っているあいだは、ひとりでも、さびしくないものですよ」と、さわは壺の蓋をなでながら言った。声には湿ったところがなかった。「壺のなかで、豆が、すこしずつ味になっていく。それを思うと、明日がすこし楽しみになる。今日より明日、明日より明後日。きっと、よくなっていく。そう思って、毎朝、蓋を開けるんです」
その言いかたが、われの胸に長く残った。できあがったものを買ってくるのではない。できあがるまでの長い待ち時間を、指で数えながら生きる。味が熟れていくのを待つことが、そのまま明日を待つことになっている。さわにとって、醤の壺は、味のもとであると同時に、日々を数える暦のようなものでもあったのだろう。
春が過ぎ、市に出る菜が変わるころ、われが京を発つことになった。その日、さわはいちばんよく熟れた壺から、小さな瓶ひとつぶんを汲んでくれた。布で口をていねいに拭い、われの手に持たせた。
「旅の先で、味のないものを食うこともありましょう。そのとき、これをひと垂らしなさい。塩辛いだけの泥に見えても、舌にのせれば、わたしが三月、指で数えて待った味が、ちゃんと立つはずですから」
われは礼を言って、その瓶を受け取った。ずしりと手に重かった。どろりとした、塩辛い泥のような味のもとだった。けれどその一瓶には、さわが毎朝、蓋を開けては数えた日数のぶんだけ、誰にも見えぬ手間と、待つ心とが畳み込まれていた。
◇ ◇ ◇
醤は、それからも長いこと、人の膳の底を支えてきた。
やがて、その塩辛い泥はすこしずつ枝分かれしていく。崩れた身のほうをすくって練れば、味噌に近づいた。底にたまった澄んだ汁をしぼれば、醤油の祖になった。どろりとひとつだった味のもとが、長い年月をかけて、なめらかな赤と、澄んだ茶色とに分かれていった、と伝わる。今、瓶からとろりと落ちるあの茶色も、もとをたどれば、さわの壺の底に沈んでいた、あの塩辛い泥にたどりつくのだろう。
今では、味のもとは買ってくるものになった。できあがったものが、いつでも棚に並んでいる。瓶をかたむければ、待つこともなく、ひと垂らしで味が決まる。誰も、味が熟れるのを、指で数えて待ったりはしない。
それでも、と思う。瓶の底の澄んだ茶色も、もとは壺の暗がりで、豆がゆっくりほどけて塩に溶けていった、その長い待ち時間のはてにある味なのだ。早すぎて見えなくなっただけで、あの「待つ」という手間は、今の一垂らしの底にもたしかにまだ畳み込まれている。
今日より明日、きっとよくなっていく——そう思って毎朝、壺の蓋を開けていた、あのさわの、指を折って日数を数える手つきを、ボクはまだ覚えている。塩辛い泥のような一壺を、明日を待つよすがにして生きた、ひとりの女のことを。ボクは、そういうものが、好きなんだ。
参考文献・もっと詳しく
- 『日本の食文化史——旧石器時代から現代まで』ISBN 978-4-00-061088-9
- 『日本の食と酒』ISBN 978-4-06-292216-6
- 『奈良朝食生活の研究』ISBN 978-4-642-02039-8
- 『日本の味 醤油の歴史』ISBN 978-4-642-05587-1
※ 醤(ひしお)は、大豆や麦などの穀物を塩とともに仕込み、長く寝かせて発酵・熟成させた古代の調味料とされる。中国から伝わり、奈良・平安期にはすでに用いられ、味噌や醤油はこの醤から分かれていったと伝わる。崩れた固形をすくえば味噌に、にじみ出た液をしぼれば醤油の祖になったともいう。律令の官制に醤を扱う役所があったと伝わるほど、当時から食を支える要であった。天暦三年は九四九年(天暦は九四七〜九五七年)で、元号と西暦の対応は史実に整合する。本話の人物・会話・情景は創作。
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