東の市の隅、壺の底で指が日数を数えていた第 100 話食
食平安のころ・平安京(左京)読了 約6分

東の市の隅、壺の底で指が日数を数えていた

〜なぜ、あの女は壺の蓋を開けるたび、指を折っていたのか〜

はじめて読む方へ——語り部「ボク」がなぜ千年を渡り歩いているのかは、プロローグにあります。

 台所の隅に、醤油の瓶が立っている。何の変哲もない、茶色い瓶だ。

 この瓶を見るたび、ふと思い出す女がいる。なぜ、あの女は壺の蓋を開けるたび、指で日数を数えていたのか。

 その理由を、ボクはとうとう尋ねずじまいだった。商いのついでに立ち寄った市で、一度すれ違っただけの相手だったから。

 けれど、あの日の匂いだけは、今も鼻の奥にかすかに残っている。塩辛く、すこし饐すえたような、それでいてどこか懐かしいような匂いだった。

◇ ◇ ◇

 長保ちょうほう四年(一〇〇二年)の春のことだった。われは商用のついでに都へのぼり、平安京へいあんきょうの左京さきょう、東の市を通りかかった。朝の市はにぎやかだった。魚を売る声、土器を打ち鳴らす音、反物を広げる音があちこちから聞こえてくる。風にはまだ冬の名残りがあったが、日の当たる軒先には、もう草の匂いが立ちはじめていた。

 並ぶ品も、心なしか春めいていた。若菜を積んだ籠、芽吹いたばかりの山菜、青々とした干し若布。冬のあいだ乏しかった色が、少しずつ店先に戻ってきていた。

 人波をかき分けながら進むと、青物を並べる店、干魚を吊るす店、器物を積み上げた店が、ひとつまたひとつと後ろへ流れていった。目当てもなく歩いていたわれの足を、ふと止めたのは匂いだった。

 商用そのものは昼前に片づいていた。あとは宿へ戻るだけの、ただの帰り道だった。

 道の両側には、筵を敷いて青菜を並べる女や、炭俵を積んだ荷車、鶏を目籠に入れて商う男などが、隙間なく並んでいた。値切る声、笑う声、子どもの泣き声が入り混じって、朝の市はいつも耳が忙しい。

 市の隅まで来たところで、独特の匂いが鼻先をかすめた。塩辛く、すこし饐えたような、それでいて奥のほうに香ばしさの潜む匂いだった。匂いのもとをたどると、小さな店先に、背の高い壺つぼがいくつも並んでいた。どれも黒ずんで、肩のあたりに白い粉を吹いている。壺の口にはそれぞれ、細い木の札が結びつけてあった。札には刻み目が並んでいる。浅い刻みが数本のものもあれば、指の幅ほどびっしりと詰まったものもあった。

 店先の隅には、割れた壺の欠片がひとつ、無造作に転がっていた。欠片の断面を覗くと、中身がところどころ黒く焦げたようになっている。塩を惜しんだものか、蓋の合わせが甘かったものか。うまくいかなかった一壺の成れの果てだけが、そこに片づけられずに残っていた。壺の並びの端から端まで見比べると、日数の浅い深いだけでなく、うまくいったものとそうでないものとの境も、なんとなく見えてくるようだった。

挿絵:店先の隅には、割れた壺の欠片がひとつ、無造作に転がっていた

 誰も、その欠片を片づけようとはしていなかった。まるで、うまくいかなかったものも、うまくいったものと同じだけ、そこに在ってよいというふうだった。

 木の札のなかには、真新しい白木のものもあれば、幾年も陽に灼けて飴色になったものもあった。同じ店の壺でも、仕込んだ年によって、札の古びかたがまるで違っている。長く使い込まれた一枚は、刻み目の上にまた刻み目が重なって、もう数え切れぬほどだった。

 店先には、われより先に来た客がいた。年かさの女が一人、その客の持ってきた壺に何かをすくって渡している。痩せて、背の丸い、口数の少ない人だった。手近の壺の蓋をひとつ取って指を立て、匂いを嗅ぐと、黙ってうなずき、隣の壺へ手を伸ばした。木のしゃもじで中身をすくい、客の持参した小壺へ、こぼさぬよう丁寧に移し入れる。値のやり取りも短い。客が去ると、女はまた蓋を閉じ、木の札を指先でとんとんと叩いた。刻み目をひとつずつなぞるように、口の中で小さく何かをつぶやいている。それが日数を数える所作なのだと、われはしばらく眺めていてようやく気づいた。

 その指の動きは、ひどく静かだった。急いた様子も、面倒がる様子もない。ただ、決まった手順を、決まっただけ繰り返しているふうだった。

 われの番になった。「醤ひしおをひと壺」と言うと、女は並んだ壺を順に見比べ、いちばん刻みの多い一つの前で足を止めた。蓋を取ると、豆とも麦ともつかぬ崩れたものが、塩の水にまみれてどろりと沈んでいた。表にはうっすらと白い膜が張っている。隣の、まだ刻みの浅い壺も覗かせてもらうと、そちらは粒のかたちがまだ残っていた。さらにその隣、刻みが数本しかない壺は、豆と麦の粒がくっきりと分かれたまま、塩の白さも生々しかった。同じ仕込みでも、日数だけでこうも姿が変わるものかと、われは思った。

 女は匙さじで少しすくい、われの掌てのひらにのせてくれた。舌にのせると、まず塩辛さが立つ。それから、しばらく経ってから、豆のあまみとも麦の香ばしさともつかぬ深い味が、奥からじわりと滲み出た。粒の残る若いほうも一口味見をさせてもらったが、そちらはただ塩がとがるばかりで、この重みはまだ無かった。刻みが数本しかないいちばん若い壺のものは、ほとんど塩の味しかしなかった。同じ壺から出たとは思えぬほど、三つの味は離れていた。

挿絵:女は匙で少しすくい、われの掌にのせてくれた

 舌に残る後味も、三つそれぞれに違っていた。若い壺は塩気がすぐに引いたが、熟れた壺は喉の奥にしばらく残った。

 匙を扱う指の先には、幾重にも皮の厚くなった跡があった。塩に灼けたものか、壺の縁を幾度もなぞった跡か。その手だけが、いつからこの店に立っているのかを、静かに語っていた。

 その舌の重みに、われは思わず、瓶に貼るはずの名を口にしかけて、やめた。ここに、その名はまだない。ここでこれは、ただ醤ひしおと呼ばれていた。

 「刻みの多いほうを選ばれるとは、お目が高い」と、女がぽつりと言った。それだけだった。理由は語らない。壺の縁を指でなぞって刻みの数を示しただけで、あとは黙って包みを整えた。

 手早く藁で壺の口を覆い、縄で十文字に結わえる。その手つきにも迷いがなかった。

 われは代を払い、包みを受け取った。手渡された木の札には、深く刻まれた筋が幾つも並んでいた。数えるための道具というより、待った日数そのものが、そこに刻み込まれているように見えた。浅い刻みの壺の列にも、いずれ同じだけの筋が刻まれる日が来るのだろう。並んだ壺の刻みの深さの違いは、そのまま、まだ来ていない日数の長さでもあった。片づけられずに残っていた、あの割れた欠片のことも、ふと思い出された。日数をかけたところで、すべてが同じように熟れるとは限らないのだろう。

 女は最後にもう一度、壺の並びを一瞥すると、次の客のほうへ向き直った。もう、われのほうを見てはいなかった。指の背で、次の壺の蓋を、またとんとんと叩きはじめていた。

 少し先には、同じように壺を並べた店がもう一軒あった。そちらの主も、客の壺に何かをすくいながら、片手で木の札を探っていた。この一角では、どの店も同じ形の壺を並べ、同じしぐさで日数を数えているらしかった。

 われは代を払った礼を言い、包みを懐に収めて、市の雑踏へ戻った。振り返ると、店先の壺の列は、朝と同じように黙って並んでいた。刻みの数だけが、それぞれに違っていた。

 包みは思ったより重く、腕の内側にじんわりと冷たさが伝わった。歩き出すと、背中に、あの匂いがまだ追いかけてくるようだった。

◇ ◇ ◇

 あの後、あの店がいつまで続いたのか、女がどうなったのか、ボクは知らない。市の雑踏に紛れて、それきりだった。

 先だって、駅前の小さな惣菜屋の前を通りかかった。戸口から、醤油の焦げる匂いがふわりと流れてきた。塩辛く、すこし焦げた、あの店の匂いに似ていた。

 足を止めて、ボクはしばらく、その匂いの中に立っていた。

参考文献・もっと詳しく

※ 醤(ひしお)は、大豆や麦などの穀物を塩とともに仕込み、長く寝かせて発酵・熟成させた古代の調味料とされる。中国から伝わり、奈良・平安期にはすでに用いられ、味噌や醤油はこの醤から分かれていったと伝わる。崩れた固形をすくえば味噌に、にじみ出た液をしぼれば醤油の祖になったともいう。律令の官制に醤を扱う役所があったと伝わるほど、当時から食を支える要であった。長保四年は一〇〇二年(長保は九九九〜一〇〇四年)。本話の人物・会話・情景は創作。

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