仏に供えた甘みが、子の口へ落ちてくるまで——油で揚げた渡来の菓子が、人の祝いごとになった話06
平安のころ・京(左京・東の寺)読了 約8

仏に供えた甘みが、子の口へ落ちてくるまで——油で揚げた渡来の菓子が、人の祝いごとになった話

仏前に積まれた金色の菓子は、どうして、汚れた手の子どもの口に下りてきたのか

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karagashi

 菓子というのは、はじめから人のためにあったわけではない。

 今の暮らしなら、甘いものは棚にいくらでも並んでいる。袋を破れば、色とりどりの飴や焼き菓子が、いつでも口に入る。誰かのために祈って供えてから食べる、などという手間を踏む者はいない。甘いものは、ただ甘いものとして、すぐそこにある。

 けれど、はるか昔。砂糖もまだ稀で、甘みといえば干した柿か、わずかな蜜くらいだった頃。米の粉を練って油で揚げた、見たこともない菓子が、海の向こうから渡ってきた。唐菓子、と人は呼んだ。からくだもの、とも言ったらしい。木の実でも草の実でもないのに「菓子」と書くのは、もとは果物の代わりに供えるものだったから、と聞く。

 その金色に揚がった甘い菓子は、はじめのうち、人の口には入らなかった。あれは仏に供えるものだ、ありがたいものだ、と。

 ボクが見てきたのは、その尊い甘みが、仏の前からゆっくりと下りてきて、やがて名もない子どもの口へ落ちていく、そういう道のことだ。

◇ ◇ ◇

 天暦六年(九五二年)の春のことだった。われは京の東のはずれ、とある寺の庫裏で、雑用の手伝いをして寝起きしていた。

 その寺では、年に幾度かの法会のたびに、唐菓子をこしらえた。仏前に高く積みあげて供えるためだ。こしらえるのは、了仙という年老いた僧で、若い頃に大きな寺で作り方を仕込まれたのだという。前の晩から、了仙はそのための支度をはじめる。われは言いつけられるまま薪を運び、竈の火を熾し、大きな鍋に油を満たして温める役だった。

 夜が明けきらぬうちから、了仙は粉を練る。米の粉と麦の粉を、木の鉢のなかで合わせ、湯を少しずつ落としては、てのひらの付け根で押すように練っていく。甘葛の煮詰めた汁をほんのわずか垂らすと、鉢のなかに、ほのかに甘い湯気が立った。練りあがった生地は、耳たぶよりやや硬いほど。了仙はそれを指でちぎり、皺だらけの手のなかでくるくると転がして、結び目のような形や、花びらのような形にこしらえていく。梅の枝に似せたもの、藤の花に似せたもの。供える仏や季節によって、形が決まっているのだという。

 「これは梅枝。これは餲餬。みな名がある」と了仙はつぶやいた。名を聞いても、われにはどれも、ねじれた粉のかたまりにしか見えなかった。それでも老僧の指は、節くれだっているのに、おどろくほど細やかに動いた。生地のはしを撚り、ひと結びして、爪の先で花びらの筋を入れる。長いあいだ同じことを繰り返してきた手だけが覚えている、そういう動きに見えた。形のひとつができあがるたび、了仙はそれを盆の上にそっと並べ、湿った布をかけて乾かぬようにした。並んだ白い生地は、まだ揚がる前の、ほの白い花のようにも見えた。これがあの金色に変わるのかと、われはじっと見入っていた。

 形がそろうと、煮立った油の中へ、そっと落とす。

 じゅう、と音が立つ。白かった粉のかたまりが、油の中でこまかな泡に包まれ、ゆらゆらと身をよじりながら、みるみる色を変えていく。淡い飴色から、やがて深い金色へ。あたりに、香ばしくて甘い匂いが満ちた。腹の底をくすぐるような、どこかなつかしい匂いだった。油のはぜる音と、その匂いが庫裏にこもると、われは手を止めて、ただ鍋のなかを覗きこんでしまう。きつね色に染まった結び目が、油の上でくるりと裏返るたび、思わず、ごくりと唾をのんだ。

 了仙は、われのその喉の音を聞きとがめて、こちらをじろりと見た。

 「これは仏のものだ。人が先に食うてはならぬ」

 揚げあがった金色の菓子は、油を切られ、ひとつひとつ高坏に積まれて、仏前へと運ばれていく。きらきらと油を光らせ、甘い匂いを立てながら、それは手の届かぬ高みに積みあげられた。子どもの背丈では、見あげるばかりだ。坏の縁から匂いだけが下りてきて、鼻先をかすめるたびに、われの腹は、切なく鳴った。

 仏のものだ、人が食うてはならぬ。その言いつけは、育ち盛りのわれの腹には、いささか酷だった。供える前の生地の切れはしすら、了仙は床に落とさぬよう、ていねいに拾って鉢へ戻す。ひと粒も無駄にはせぬ、という顔だった。

◇ ◇ ◇

 その法会の日、寺の門前に、ひとりの幼い子が母に連れられてやってきた。

 みすぼらしい身なりで、母は痩せて、子の手は土で汚れていた。聞けば、近くの里の者で、長く病んでいた子が、ようやく床を上げたのだという。その快復を仏に礼を言いに、なけなしの米を喜捨して参ったのだと。子はまだ顔色も悪く、母の袖を握って、おどおどと境内を見まわしていた。あたたかな風に、境内の桜がもう散りかけていて、白い花びらが、子の汚れた足もとにも幾片か落ちた。

 法会が始まると、堂のなかに読経の声がこもり、香の煙がゆっくりと流れた。子は途中で疲れたのか、母の膝に頭をあずけて、まどろみかけている。長い患いから起きたばかりの身には、人いきれも香の匂いも、こたえるのだろう。母はその背を、ときおり静かに撫でていた。

 読経の声がやんだ。

 仏前から、供えた菓子を下げる刻限になった。これを「お下がり」というのだと、われはこのとき知った。仏に供えたものを、こんどは人がいただく。仏の食べ残しを分けてもらう、という心持ちらしい。了仙が高坏を下げてくると、金色の菓子は、まだほのかに甘い匂いを残していた。揚げたての盛りはすぎても、その香りは、堂を出るわれの鼻にも、はっきりと届いた。

 了仙は、その菓子を寺の者に配りはじめた。ひとつ、またひとつと手のひらに載せられ、受けた者は押しいただいて口へ運ぶ。そうして、了仙は門前のあの子の前に立つと、いちばん形のよい梅枝をひとつ、汚れた小さな手のひらに、そっと載せてやった。

 「仏さまの、お下がりだ。よう、治った」

 子は、それが食べ物だと、すぐにはわからぬようだった。金色に光る固いものを、しばらく不思議そうに見つめ、手のなかで裏返してみたりしている。母にうながされて、おそるおそる、その端をかじった。

 こり、と乾いた音がした。それから、子の表情が、ぱっとほどけた。

 甘い、と思ったのだろう。揚げた香ばしさと、甘葛のわずかな甘みが、痩せた子の舌の上で、ゆっくりとほどけていく。子は目をまるくして、それから、夢中で残りをほおばった。頬を膨らませ、まだ呑みこまぬうちに次をかじろうとして、母にたしなめられる。指についた油まで、惜しそうに舐めた。長い患いのあいだ、湯ばかりすすってきたであろうその口に、油で揚げた甘い菓子は、すこしばかり眩しすぎたのかもしれない。

 「うまいか」と母が小さく問うと、子はこくこくと幾度もうなずいた。口がふさがって、声にならぬらしい。その必死なうなずきが、見ているこちらの胸にも、じんと染みた。ものを食べて、これほど嬉しそうにする顔を、われは久しく見ていなかった。

 母は、その様子を見て、袖で口元を押さえた。仏に礼を言いにきて、わが子の笑った顔を、思いがけず持ち帰ることになったのだ。痩せた肩が、小さく上下していた。

 われは、かたわらで薪を抱えたまま、それを見ていた。仏のものだ、人が食うてはならぬ——あれほど厳しく言われた甘みが、こうして汚れた手の子の口へ、すんなりと下りていく。叱られはしないかと了仙を見あげると、老僧は、われの心を読んだように言った。

 「仏は、子の喜ぶ顔がいちばんの供養と、知っておられる。だから、お下がりというものがある」

 そう言って、了仙は、われの手のひらにも、ひとつ載せてくれた。形のくずれた、揚げそこないのひとつだった。坏には積まれず、配るにも端に置かれていた、そのひとつだ。

 かじると、それは、ずっと嗅いできた匂いそのものの味がした。香ばしくて、奥のほうに、ほんのりと甘い。豪勢なものではない。けれど、何日も腹の底でくすぶっていたあの匂いが、ようやく舌の上でほどけて、われは、なぜだか泣きたいような心持ちになった。歯の下で乾いた音が鳴るたび、揚げたての朝の、油のはぜる音がよみがえる。崩れた形のぶん、油をよけいに吸っていたのか、いつまでも口のなかに香ばしさが残った。

◇ ◇ ◇

 唐菓子は、それからも長いこと、仏と人のあいだを行き来した。

 寺の供物として積まれ、お下がりとして人の口へ下り、やがて宮中の宴にも、祝いの膳にものぼるようになった。形を変え、名を変えながら、油で揚げた甘い菓子は、後の世の様々な菓子へとつながっていったと聞く。今の世にも、油で揚げた、ねじれた形の甘いものが、駄菓子の棚の隅に、当たり前の顔で並んでいる。

 仏のもの、と高い坏に積まれていた甘みが、いつのまにか、土で汚れた子の手のひらにまで届くようになった。その長い道のりを、ボクはときどき思い出す。

 今では、甘いものは、誰の口にも、いつでも下りてくる。供えてから食べる者も、お下がりを待つ者も、もういない。

 それでも、と思う。あの寺の門前で、痩せた子が、金色の菓子をはじめてかじったときの、あのぱっとほどけた顔——尊いものが、ようやく自分の口に下りてきた、あの驚きと喜びは、甘いものを口にする一瞬の中に、今でもどこか畳み込まれている気がする。

 仏に供えた甘みが、子どもの口へ、ほろりと落ちてくる。たったそれだけのことを、薪を抱えたまま見つめていた春の昼を、ボクはまだ覚えている。ボクは、そういうものが、好きなんだ。

参考文献・もっと詳しく

唐菓子(からくだもの・とうがし)は、米や麦の粉を練り、油で揚げてつくった渡来の菓子とされる。奈良〜平安期に大陸から伝わり、梅枝(ばいし)・餲餬(かっこ)など八種唐菓子と呼ばれる名と形があったと伝わる。当初は寺社の供物や宮中の儀式に用いられ、仏前に供えた後に下げて分け与える「お下がり」を通じて、しだいに人々の口へ広まったと言われ、後の和菓子の源流のひとつとされる。甘葛(あまづら)は砂糖の稀だった当時に用いられた甘味料と伝わる。本話の人物・会話・情景は創作。天暦六年は九五二年(天暦は九四七〜九五七年)で、元号と西暦の対応は史実に整合する。

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