第 101 話食唐菓子は、頼んだ数より、いつも三つ多く仕上がった
〜三つの唐菓子は、誰の手に渡ったか〜
はじめて読む方へ——語り部「ボク」がなぜ千年を渡り歩いているのかは、プロローグにあります。
了仙という老僧が仕上げてよこす唐菓子は、里ではいつも、頼んだ数より三つ多いと言われていた。
一度の法会に積む唐菓子は、たいてい八十から百。米にして一斗二斗の値になる。多い三つの理由を、了仙が明かしたことはないという。それでも、その評判だけは、里じゅうに伝わっていた。
◇ ◇ ◇
長和三年(一〇一四年)の春、われはその評判をこの目で試すことになった。
京の東のはずれの里で、われはある女の家に世話になっていた。所帯といっても、女と、長く病みついていた一人息子の二人ぐらしで、われは薪割りや水汲みを手伝うかわりに、隅に寝床をもらっていた。子の枕元に薬湯を運ぶのも、いつしかわれの役目になっていた。
冬の間、子はほとんど床から起きられず、女は幾度も、もう長くはないかもしれぬと呟いていた。その子が、ようやく床を上げた。せめて仏に礼をと思い立ったのは、われだった。田を持たぬ小さな所帯で、子が寝込んでいた間の借りもまだ返せていない。仏への礼などとても、と女は初め渋ったが、われが幾度も勧めると、ようやくうなずいた。女ひとりでは寺の作法にも唐菓子の値にも心もとなかろうと、自ら了仙のもとを訪ねることにした。
寺は、思ったより古びていた。門の柱は雨に洗われて灰色に沈み、屋根の一部は苔で覆われている。それでも境内の掃き清められた砂利だけは、いつ見ても白く整っていた。境内を掃くのも、了仙みずからの日課のひとつだと、以前に聞いたことがある。里の者たちは、その几帳面さを、口には出さずとも一目置いていた。
了仙のもとを訪ねると、老僧は前掛けで手を拭きながら、われの用件を聞いた。仏前に供えたものは、法要がすむまで人の手に触れさせぬ決まりだと、了仙はそのとき、ひとこと言い添えた。
「幾つ、要り用でしょう」とわれが問うと、了仙は指を折って数え、「十で足りよう。それだけあれば、母子と、近しい者にも渡る」と言った。値は、米にして五升。渡す日は、法会の朝と決まった。われはうなずき、女が乏しい蓄えから工面した米を、了仙のもとへ届けた。
寺を辞して里へ戻る道々、われは値と日取りを、指を折ってもういちど数え直した。米五升、三日後の朝。取り違えれば、詫びでは済まぬ。それだけの用事のはずだった。

◇ ◇ ◇
三日後の朝、われは菓子を受け取りに、ふたたび寺を訪れた。前夜のうちに支度は済ませてあると聞いていたが、それでも早めに家を出た。寺の門をくぐると、揚げたての匂いが、庫裏のほうから風に乗って流れてきた。香ばしく、どこかなつかしい匂いだった。
了仙は板間に木箱を置き、蓋を持ちあげてみせた。金色の菓子が行儀よく並び、まだかすかに湯気が立っていた。数えると、十三。頼んだ数より、三つ多い。
「多うございます」と言うと、了仙は数珠を指先で繰りながら、「多く数えておる。案じられるな」とだけ答えた。それ以上は、何も言わなかった。木箱のなかの十三のうち、十は形もそろって金色に揚がっていたが、残る三つは、端の欠けたものや、形の崩れたものばかりだった。
なぜ三つ余分に仕上げるのか。なぜ、その三つだけ形が悪いのか。われは問い返さなかった。長く寺に出入りする者たちのあいだでは、了仙のその癖は、今さら誰も口にしないほど、当たり前のことになっているようだった。里の子どもたちの間でさえ、その噂は幾度も聞かされていた。
三日後に迫った法会の支度は、これでひとまず整った。あとは、この木箱を里の家まで持ち帰るだけだ。われは代金の残りを了仙に払い、木箱を持ちあげて重さを量ってみた。十三の菓子は、思ったよりずしりと手にきた。中身が崩れていないか、蓋の隙間から覗いて確かめてから、風呂敷に包んで背に負った。まだ、ほのかに温かかった。
◇ ◇ ◇
法会の日、われは女と、病み上がりの子に付き添って、寺へ出向いた。子はまだ顔色が悪く、母の袖をつかんで、境内をおどおどと見まわしていた。あたたかな風に、境内の桜がもう散りかけ、白い花びらが、子の汚れた足もとにも幾片か落ちた。
女は、風呂敷に包んだ木箱を大事そうに抱え、幾度も紐の結び目を確かめていた。境内に着くと、まず本堂へその木箱を運び入れ、了仙に差し出す。中身をあらためる了仙の手つきを、われは遠く縁側から見ているだけだった。境内には、われたちの他にも、供物を携えた者が幾人か、順を待って並んでいた。いずれも、似たような慎ましい構えの木箱や竹籠を抱えていた。子は、久しぶりの外出に、境内の隅々まで珍しそうに目をやっていた。

堂のなかに読経の声がこもり、香の煙がゆっくりと流れた。子は途中で疲れたのか、母の膝に頭をあずけて、まどろみかけている。長い患いのあいだ、寝てばかりいた身には、人いきれも香の匂いも、こたえるのだろう。母はその背を、ときおり静かに撫でていた。十の唐菓子は、高坏に積まれて仏前に据えられ、法要のあいだじゅう、誰もそれに触れなかった。
読経がやむと、了仙が高坏を下げてきた。仏に供えたものを、こんどは人がいただく。これを「お下がり」というのだと、われはこのとき知った。十はそのまま、女への土産として渡された。だが了仙は、それとは別に、木箱の底に残していた三つを取り出した。
ひとつは、子の汚れた小さな手のひらに。ひとつは、母のやつれた手に。もうひとつは、そこに立っていただけの、われの手に。三つとも、形の崩れた、坏には積まれなかったものだった。
子は、それが食べ物だと、すぐにはわからぬようだった。金色に光る固いものを、しばらく不思議そうに見つめ、手のなかで裏返してみたりしている。土で汚れた指先が、菓子の表を撫でるたび、油の光がゆらゆらと揺れた。母にうながされて、おそるおそる、その端をかじった。
こり、と乾いた音がした。子の表情が、ぱっとほどけた。頬を膨らませ、まだ呑みこまぬうちに次をかじろうとして、母にたしなめられる。指についた油まで、惜しそうに舐めた。長い患いのあいだ、湯ばかりすすってきたであろうその口に、油で揚げた甘い菓子は、いくらか眩しすぎたのかもしれない。
「うまいか」と母が小さく問うと、子はこくこくと幾度もうなずいた。声にならぬその必死なうなずきに、母は、手のなかの菓子には口をつけぬまま、袖で目もとを押さえた。長く病みつづけた子の、これほど嬉しそうな顔を見たのは、母にとっても久しぶりのことだったのだろう。周りに並んでいた者たちも、その様子に、思わず目を細めていた。
われも、手渡されたひとつを口に運んだ。揚げたての香ばしさの奥に、ほんのりと甘葛の甘みが残っていた。豪勢なものではない。だが、この用事にかかずらってきた指先の疲れが、その一口でふっとほどけた。
女は、空になった風呂敷を丁寧にたたみ、幾度も頭をさげた。子は、母に手を引かれて歩きながら、まだ口の中に残る甘みを惜しむように、舌で頬の内側をなぞっていた。
われも、了仙に礼を言ってから、二人とともに寺を出て、里への帰り道をたどった。
◇ ◇ ◇
了仙のその癖が、その後も続いたのかどうかは知らない。だが、頼んだ数に、三つ。あの年、里で見た数だけは、今も変わらない。
その三つが、あの日どこへ渡ったかも、はっきり覚えている。子の手のひらに、ひとつ。母の手に、ひとつ。われの手に、ひとつ。今も唐菓子を掌に乗せるたび、あの重みが指先に蘇る。
参考文献・もっと詳しく
※ 唐菓子(からくだもの・とうがし)は、米や麦の粉を練り、油で揚げてつくった渡来の菓子とされる。奈良〜平安期に大陸から伝わり、梅枝(ばいし)・餲餬(かっこ)など八種唐菓子と呼ばれる名と形があったと伝わる。当初は寺社の供物や宮中の儀式に用いられ、仏前に供えた後に下げて分け与える「お下がり」を通じて、しだいに人々の口へ広まったと言われ、後の和菓子の源流のひとつとされる。甘葛(あまづら)は砂糖の稀だった当時に用いられた甘味料と伝わる。本話の人物・会話・情景は創作。長和三年は一〇一四年(長和は一〇一二〜一〇一七年)。
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