第 102 話食白い山の前で、指がさきに動いた、竈の子のこと
〜竈の脇で、なぜその子の指だけが、迷わずに動いたのか〜
はじめて読む方へ——語り部「ボク」がなぜ千年を渡り歩いているのかは、プロローグにあります。
土の甑は、両腕でようやく抱えられるほどの丸みを持っていた。底には無数の穴があき、長年の煤で黒ずんだ肌の内側には、白い粒の焦げついた跡が幾重にも層をなしている。持ちあげると、素焼きの重みの奥に、かすかに甘い匂いが染みついているのが分かった。
この甑が受け持つのは、年に幾度かしかない、晴れの日の飯だったという。粟や稗のまじった常の飯とはちがう、釜で炊くのではなく湯気で蒸しあげた、白く固い一膳——崩れぬぶん高坏に高く盛れる、めでたさの証。
この甑を、われがはじめてひとりであずかった年があった。
◇ ◇ ◇
寛弘二年(一〇〇五年)の秋のことだった。平安京の左京、さる受領の館の御台所。庭の柿の実が色づきはじめ、夕方には虫の声が板間まで届いていた。奥ではすでに祝いの支度が進み、女房たちの声がにぎやかに行き交っている。
その日、館では祝いごとがあった。何の祝いだったかは、もう忘れた。ともかく、ふだんは膳にのぼらぬ白い飯を、たんと蒸すことになっていた。他の膳の支度も同時に進み、土間は人の出入りで終始慌ただしかった。長く台所をとりしきってきた老女のはつは、この夏、めっきり足腰を悪くしていた。竈の前まで歩くだけで、息が上がる。それでも今日ばかりは、と、朝からずっと土間に座り込んでいた。
「今年は、われにやらせてくれ」と、われは言った。はつは黙ってうなずくと、木の杓とぬらした布を、そのままわれの手に押しつけた。多くを語らなかった。もう、竈のそばに長く立っていられぬのだと、その皺の寄った顔が語っていた。竈のまわりには、ほかにも幾人かの下働きがいたが、みな遠巻きに見ているだけだった。なかには、はつの後を継ぐと目されていた年かさの女房もいて、何も言わぬまま、その視線だけがずっとわれの手もとから離れなかった。
前の晩から水に浸しておいた白米は、桶のなかでほんのり色を変え、粒のひとつぶひとつぶがふくらんでいた。ざるに引きあげ、水を切る。ひんやりと重い米粒が、指のあいだをすべっていった。湿らせた粗布に手早く包み、布の上から掌で軽くならし、指先で山の真ん中にくぼみをつける。こうしておくと湯気が芯まで抜け、蒸けむらができぬのだと、はつから聞いてはいた。だが、聞くのと、じっさいに手を動かすのとでは、勝手がまるでちがった。包みの厚みも、くぼみの深さも、頭で分かっていたはずのことが、指先ではまるで分からない。甑と釜の合わせ目に布を巻きつける段になっても、力の加減がつかめず、何度も巻き直した。布の合わせ目から漏れた湯気が、まぶたのあたりまで熱くあぶった。

竈の脇に、薪運びの子がいた。やせた十ばかりの童で、冬も夏も、その隅から動かぬ子だった。だれに教わったふうでもないのに、火の勢いが強すぎるたび灰をひとつまみくべて殺し、湯気の白さが薄れるたびわきの小釜からそろりと差し湯を足した。手つきに迷いがない。薪をくべる合間には、灰を指先でならして小さな筋をつけ、それを目安にしているふうでもあった。長年、はつの手もとを間近で見つづけてきただけの子が、口では何も言わぬまま、いちばん先に手を動かしていた。教えてくれと乞われたことなど、一度もないふうだった。
われは、その指の動きを横目で盗み見た。灰をくべる間合い、差し湯の量、竈の焚き口をのぞきこむ角度。教えを乞う暇はなかった。まねるしかなかった。一度、差し湯を早まって注ぎすぎ、竈の火が大きく揺らいだことがあった。子が、はっと顔をあげ、こちらを見た。それだけで、しまった、と分かった。それからは、子の肩がわずかにゆれる直前で、手を止めるようにした。そのうち、竈の熱にも少しずつ慣れてきた。子の肩を追う目から、迷いが薄れていくのが自分でも分かった。腕は、いつのまにか熱にあぶられて赤くなり、額に浮いた汗が、幾度も竈の火に照らされて光った。
◇ ◇ ◇
半時ほど過ぎたころ、甑の縁から漏れる湯気の色が、ふっと変わった。白く硬かった湯気が、やわらかくほどけるように広がっていく。教わったわけでもないのに、われの手は迷わず、布を解くほうへ動いていた。さっき盗み見た子の指の間合いが、いつのまにか、われ自身の指に移っていた。湯気の匂いが、しだいに台所いっぱいに満ちていく。粟のまじった常の飯では、けっして立たぬ、甘く清らかな香りだった。
布をひらくと、ふわりと強い湯気が顔を打ち、なかから、つやつやと光る白い飯が現れた。一粒ひとつぶが、こわく立っている。指でつまんでも、べたりとつぶれず、ほろりとほどける。崩れぬ飯だからこそ、高坏に盛れば、白い山がてっぺんへ向かってきれいに尖っていく。息をつめ、こぼさぬよう、少しずつ手のひらで押さえながら盛りあげた。高坏の脚に指がふれるたび、飯の重みがわずかに揺れて、崩れはしまいかと肝が冷えた。

これが、正月の強飯や、祝いの赤飯の、遠い祖先だろうか。そう思うと、掌に伝わる甑の熱が、急に親しいものに感じられた。竈の子は、白い山を見あげたまま、まだこちらをちらちらと盗み見ていた。
高坏に飯を移そうとしたとき、はつの後を継ぐと目されていたはずの、あの女房が、布の解き方を誤って、湯気を余計に逃がしてしまった。あわてて手を止め、途方に暮れている。はつが顔をしかめるより先に、われの手が、女房の手から布を取り、結び目をすばやく締め直していた。教わったのは、ついさっきのことだ。指は、もう迷わなかった。土間の隅から、はつが、ほんのわずかに顎を引くのが見えた。
◇ ◇ ◇
膳がすべて運ばれ、祝いの宴が奥で始まったころ、甑の底に、わずかな飯が残っていた。布にこびりついた、高坏には盛れぬ、はしたの飯だ。奥からは、笛の音と、女房たちの笑い声が、遠く土間まで流れてきていた。われは、それを椀にこそげ落とすと、竈の子を手招きした。
「ほれ。今日いちばん働いたのは、お前だ」
子は目をまるくして、両手で椀を受け取った。冷えかけた椀のぬくもりを、しばらく胸もとで確かめている。それから、白い飯のひとつまみを、こわごわと口に入れ——それきり、動かなくなった。
「うまいか」
子は、こくりとうなずいた。「……正月にも、こんな白いのは、食うたことがねえ」
聞けば、その子は、飢えた年に里を出され、この館へ薪運びにあがったのだという。母は、別れぎわに、いつか白い飯を腹いっぱい食わせてやる、と言ったきりだったらしい。それきり、母の顔も、遠くなった。この館へ来てから、腹いっぱいになったことなど、一度もなかったという。子は椀の底の最後の一粒を指でぬぐい、名残り惜しそうに口へ運んだ。薪の燃え殻がまだほのかに熱を持つ土間で、しばらくのあいだ、二人とも黙っていた。
はつは、それを横目に、何も言わず、甑を洗いはじめた。水をかぶった甑の肌が、竈の残り火に赤く照り返っていた。冷めた甑の底からは、まだ白い匂いがかすかに立っていた。
われも、はしたの飯をひとつまみ、もらった。こわく、ほろりとほどけて、奥から白い米の甘みがにじむ。粟まじりの常の飯とは、口の中に残るものが、まるで違った。噛むほどに、甘みだけが舌の上に長く残った。竈の熱の残る土間に、湯気の匂いだけが、いつまでも漂っていた。
◇ ◇ ◇
その晩、竈の火が落とされたあとも、子は板間の隅で丸くなって、椀を抱いたまま眠っていた。煤けた掌には、もう冷めたはずの椀のぬくもりが、まだ残っているように見えた。
ボクの掌にも、はじめて甑をひとりであずかった日の、こわい飯粒の感触が、いつまでも張りついて離れなかった。
参考文献・もっと詳しく
※ 強飯(こわいい)は、甑(こしき)で蒸しあげた固い米飯とされ、釜で炊いたやわらかい飯(姫飯〔ひめいい〕)と対をなしたと伝わる。古代から中世にかけて、白い米の飯はハレ(晴れ)の日のもので、日常は粟や稗をまじえた飯が常だったという。固く崩れぬ強飯は高く盛ることができ、晴れの膳にふさわしいものとされた。後世、炊飯がひろまるにつれ強飯は儀礼的な食となり、赤飯などにその名残りをとどめるとも言われる。寛弘二年は一〇〇五年(寛弘は一〇〇四〜一〇一二年)。本文の人物・会話・情景は創作。
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