第 92 話下着だったはずの小さな袖が、表へ躍り出て人の装いになっていった日のこと
〜筒のように細い袖の地味な衣を、あの娘はなぜ、人前に堂々と着てみせたのか〜
着物というのは、いまでこそ日本の晴れ着の顔だ。
帯を締め、襟を合わせ、袖をゆったりと垂らす。あの一枚を、人は折り目正しい正装として大事に着る。けれど、その着物の祖をたどっていくと、行きつく先は意外なところさ。もとは人に見せるものではなかった。きらびやかな装束の、いちばん下に隠れて着る、ただの下着だったのだ。
袖口の小さい、筒のように細い袖の衣。それを昔の人は小袖と呼んだ。重ね着の華やかな衣の奥で、肌に直に触れる目立たぬ一枚。それが、いつのころからか奥の暗がりを抜け出して、人前へ躍り出てくる。
ボクが見てきたのは、その下着が表着になっていく、衣のひっくり返りだ。隠れて着るものが、見せて着るものへ変わっていく、そのあたりのことさ。
◇ ◇ ◇
応永十六年(一四〇九年)の春のことだ。おれは京の、室町に近い町で、衣を仕立てる家に下働きで雇われていた。
その家には、お縫という針の達者な娘がいた。主の姪とかで、朝から晩まで板の間にすわって、ひたすら衣を縫っている。おれの役目は、染め上がった反物を取りに走り、裁ち落としの布くずを片づけ、湯を沸かしてお縫の手を温めること。針一本持たせてはもらえなかったが、横で縫い目を見ているのは、なぜか飽きなかった。
あのころ、お縫が縫っていたのは、たいてい小袖だった。
小袖というのは、見てくれの地味な衣でね。袖口がきゅっと細く、筒のようにすぼまっている。身分の高い御方が着る装束は、袖がひらひらと大きく広がって、何枚も色を重ねて華やかだ。あれにくらべれば、小袖など、ずんぐりとして垢抜けない。おれは正直、こんな地味な衣のどこがよいのかと、首をかしげていた。
あるとき、おれはお縫に尋ねたのさ。
「お縫さん。こんな筒みたいな袖の衣、どなたが着なさるんだ。御所の御方が着る、あの裾の長い綺麗なのを縫ったほうが、よほど見栄えがするだろうに」
お縫は針を止めず、ふっと笑った。
「お前さんは、あの重ね着を、いっぺん着てごらん。あれはな、立つのも座るのも、人の手を借りねばならぬ衣さ。袖が長すぎて水も汲めぬ。裾が重すぎて駆けることもできぬ。あれは、働かずに暮らせる御方の衣だ」
そう言って、縫いかけの小袖を、ぱっと広げてみせた。
「この小袖はな。袖がすぼまっているから、煮炊きをしても袖口が鍋に落ちぬ。裾も足にまとわりつかぬ。これ一枚で、立ち働ける。下に隠して着るには、もったいない衣さ」
おれは、はっとした。なるほど、地味なのには地味なわけがある。あれは、人の目を喜ばせるための衣ではなく、人の体を動かすための衣だったのだ。
お縫は、針の先で襟もとをならしながら、こうも言った。
「昔はな、この小袖を、御方々は何枚も重ねた装束のいちばん奥に着ていたそうな。人の目に触れぬ一枚だから、色も柄もいらぬ。ただ肌ざわりがよくて、汗を吸えばそれでよい。下働きの者は、いつもこれ一枚で立ち働いておった。重ね着などしておったら、薪も割れぬからの」
言われてみれば、たしかにそうだった。おれが日ごろ着ているのも、袖のすぼまった粗末な衣だ。名前など気にもとめずにいたが、あれも小袖のはしくれだったのだろう。働く者は、もとから身軽な一枚を着ていた。ただ、それを「下着」とは誰も呼ばなかった。表も奥もない、それ一枚きりの衣だったからだ。
御方々が幾重にも衣を重ねていたのは、重ねられるだけの暮らしのゆとりがあったからにすぎぬ。下に隠れていた小袖のほうが、よほど多くの者の、日々の体に寄り添っていた。おれは、そのことに、このとき初めて気がついた。
◇ ◇ ◇
その春、お縫のところへ、武家の奥方から註文が来た。
近ごろ羽振りのよい侍の家で、奥方の小袖を一枚、上等な絹で仕立ててほしいという。下に着る下着なら、麻でもよさそうなものを、わざわざ上等の絹で誂えるという。おれは妙に思った。
お縫は、その反物に向かって、ずいぶん念を入れて針を運んだ。襟もとに、淡い色で小さな模様まで縫いつけている。下着にしては、念が入りすぎている。おれが訝しんでいると、お縫は手を止めずに言った。
「この小袖はな。奥に隠して着るのではないらしい。表に、これ一枚で着なさるそうだ」
おれは耳を疑った。下着を、表に。人前に。
「そんな、はしたない。下着を表に着るなど」
お縫は、おかしそうに肩を揺らした。
「お前さんも古いことを言う。近ごろは、ああいう御家がふえてきたのさ。重ね着の華やかな装束は、銭も手間もかかる。それに、いざ駆けるとき、いざ働くときには、動けやしない。世の移り変わりのなかで、身軽に、これ一枚で立ち働ける小袖のほうが、よほど暮らしに合うておる。だから、御方々も、それを表に着はじめたのさ」
仕立て上がった小袖は、奥方のもとへ運ばれた。おれは、こっそり覗かせてもらった。
奥方は、その絹の小袖を、これ一枚で、すっきりと着こなしていた。重ね着のいかめしさはどこにもない。袖はすぼまり、身ごろは体に沿って、軽やかだ。それでいて、襟もとの小さな模様が、ほんのり品を添えている。隠れて着る下着だったはずの衣が、いまや表で、堂々と人の装いになっていた。
おれは、その姿を見て、なんとも言えぬ心持ちになった。日陰の衣が、日向へ出てきた。それも、無理に着飾るのではなく、暮らしに合っているからこそ、自然に表へせり出してきたのだ。
帰り道、おれはお縫に尋ねた。
「お縫さん。下着を表に着るなど、御行儀の悪いことだと、咎められはしないのかい」
お縫は、しばらく黙って歩いていたが、やがて静かに言った。
「行儀というのはな。世が変われば、変わるものさ。むかし正しかった装いが、ずっと正しいとはかぎらぬ。重ね着の御方々とて、そのまた昔は、もっと違う衣を着ていたのだろう。衣は、暮らしについていく。暮らしが身軽を欲すれば、衣も身軽になる。咎める者は、いまはまだおろう。けれど、十年も経てば、誰もそんなことは言わなくなる。みなが当たり前に、これ一枚で表を歩くようになる」
おれは、その言葉を、よく覚えている。衣が暮らしについていく、というのが、なんだか胸に残った。人が衣を選んでいるようでいて、じつは暮らしのほうが、そっと衣を選んでいる。乱れた世が、身軽な一枚を表へ押し出していたのだ。
◇ ◇ ◇
それから幾年か、おれはあの仕立ての家にいた。
年を追うごとに、お縫のもとへ来る註文は、小袖ばかりになっていった。武家も、商家も、町に住む者も、こぞって小袖を表に着るようになった。お縫は、襟もとや裾に、ますます凝った模様を縫いつけるようになった。下着だったころには、誰も模様など気にしなかった。表に着るとなれば、人は当然、見栄えを欲しがる。地味だったはずの小袖が、こうして少しずつ、装いの晴れ舞台へのぼっていった。
おれは、染め上がった反物を取りに走るたび、染物屋でも同じ話を聞いた。近ごろは、表に着る小袖のための、明るい色や凝った柄ばかりが註文に来るという。下に隠す一枚なら、藍か鼠の無地で足りた。表へ出るとなれば、紅も、萌黄も、金茶もいる。染物屋の親方は、嬉しそうにこぼしていた。隠れていた衣が表へ出てきたおかげで、こちらの仕事も色とりどりになった、とね。一枚の衣が表へせり出すと、それを染める者、それを縫う者、その模様を考える者——多くの手の仕事まで、いっしょに明るくなっていく。おれは、そういう連なりを、町のあちこちで見た。
お縫は、よくこう言ったものさ。
「この衣はな。これからどんどん綺麗になっていくよ。下着のころは、誰の目にも触れなんだ。けれど表へ出たからには、人は模様を欲しがる。色を欲しがる。いまに、御所の装束よりも、この小袖のほうが見事になる日が来るかもしれぬ」
あのとき、おれは半分聞き流していた。けれど、お縫の見立ては、長い目で見れば当たっていたのだ。
◇ ◇ ◇
袖口の細い、地味な下着であった小袖が、重ね着の奥から抜け出して表着となり、人の装いの顔になっていったのは、世が乱れ、暮らしが身軽さを欲した、このころのことだと伝わる。ボクは、その移り変わりを、いくつもの板の間で見てきた。
いちど表へ出た小袖は、もう、ただの下着には戻らなかった。襟もとに、裾に、人は思い思いの模様を染め、色を重ねた。隠れていたころには地味だった衣が、表へ出てからは、どこまでも華やかになっていく。そうしてやがて、この一枚が「着物」と呼ばれ、日本の晴れ着の顔になっていったのだと、ボクは後になって知った。
今でも、人は着物を大事に着ている。帯を締め、襟を合わせ、折り目正しく装う。けれど、その一枚が、もとは奥に隠れて着る下着であったことを、覚えている人は、もう、そうは多くない。
それでも、とボクは思う。
どこかで誰かが、着物の袖に静かに腕を通すのを見たら、その小さくすぼまった袖口を、ちょっとだけ眺めてやってほしい。あの細い袖には、煮炊きをしても焦がさぬよう、駆けても乱れぬようにと、暮らしの工夫が畳み込まれている。日陰の下着が、暮らしに寄り添ったがゆえに、日向へせり出してきた。針の達者な娘が、ひと針ひと針、その移り変わりを縫い込んでいった。
着物は、ただ衣桁にかかっているだけだ。袖は、ことりとも動かずに垂れている。それでも、その細い袖口には、隠れることをやめて表へ出てきた一枚の衣の、長い長い来し方が畳まれている。ボクは、そういうものが、好きなんだ。
参考文献・もっと詳しく
- 『小袖——日本伝統の装い、その華やかな歴史をたどる』ISBN 978-4-89444-550-5
- 『装いの美術史——織りと染めが彩なす服飾美』ISBN 978-4-7842-2053-3
- 『江戸モードの誕生——文様の流行とスター絵師』ISBN 978-4-04-703434-1
- 『日本服飾史』ISBN 978-4-490-20713-2
※ 小袖は、もとは公家の装束の下に着る袖口の小さい下着であったが、中世を通じて表着として用いられるようになり、のちの「着物」の祖になっていったとされる。重ね着の華やかな装束にくらべ、袖口がすぼまり身軽で動きやすい小袖は、武家や庶民の暮らしに合い、表着化が進むなかで襟や裾の文様も発達していったと伝わる。応永十六年は一四〇九年(応永は一三九四〜一四二八年)で、元号と西暦の対応は史実に整合する。※本文の人物・会話・情景は創作。
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