肌の下に隠れていた、袖の細い一枚第 92 話衣服
衣服室町のころ・京の町読了 約7分

肌の下に隠れていた、袖の細い一枚

〜筒のように細い袖の地味な衣を、あの奥方はなぜ人前で纏ってみせたのか〜

はじめて読む方へ——語り部「ボク」がなぜ千年を渡り歩いているのかは、プロローグにあります。

 「下着を、表に。人前に」

 「古いことを言う子だ」

 お縫は針を止めもせず、くすりと笑った。板の間には、几帳面に畳まれた反物と、裁ち落としの布くずが山になっている。膝の上には、袖口がきゅっとすぼまった、筒のような袖の衣があった。上等の絹地に、襟もとだけ、色の違う絹を細く継いである。指の先が糸を通すたびに小さく動くのを、おれはぼんやり眺めていた。

 京は室町に近い町、衣を仕立てる家に、おれは下働きで雇われていた。時に応永十六年(一四〇九年)、春のことだ。板戸の隙間から差し込む光に、糸くずが白く舞っていた。

 この衣を、人は小袖こそでと呼ぶ。反物たんもの一反から、身頃二枚と袖二枚、それに衽おくみと衿を、まっすぐに裁ち合わせるだけで仕上がる、飾り気のない仕立てだ。袖幅もひとまわり狭い。見た目は地味で、これといって目を引く一枚ではなかった。表通りを歩く身分の高い御方の、あの裾を長く引く華やかな装束にくらべれば、なおのことだ。

◇ ◇ ◇

 その年、仕立て屋の娘弟子のひとりが病に臥せり、繕い直しの山が、誰の手もつけられぬまま積み上がっていた。人手が足りず、おれは針こそ持たせてもらえぬまでも、その山をほどいて仕分ける役を言いつけられた。

 朝から晩まで、古びた衣の山と向き合う日が続いた。埃と黴の匂いのする布を一枚ずつ広げ、糸をほどき、傷み具合を確かめ、直せるものと直せぬものとに分けていく。指先は荒れ、爪の間に糸くずが挟まったが、文句を言えるはずもない。

 山の中に、焦げ跡の残る、袖の大きな唐衣からぎぬがあった。裾も袖も長く豊かに垂れる、身分の高い御方の装束だ。夜の灯明とうみょうに近づいた拍子に、長い袖の先が炎をかすめて焦げたのだと聞いた。もう一枚、肘のあたりが擦り切れて継ぎの当たった小袖もあった。何年も、日々の仕事着として着倒された跡が、そこには残っていた。裾のほつれ具合を見るだけで、幾度も水を汲み、幾度も駆けた足の運びまで透けて見えるようだった。

 山の奥には、継ぎに継ぎを重ねた野良着や、丈の短くなった子どもの産着うぶぎも積まれていた。仕立ての善し悪しはさまざまでも、袖の形だけは、どれも筒のようにすぼまって、判で押したように同じだった。

 おれは、それらを並べて、しばらく眺めていた。教えてくれる者は誰もいなかったが、焦げた袖と、擦り切れた袖と、数えきれぬほどの同じ形の袖とが、それぞれの理屈を語っていた。長く豊かな袖は、火のそばでは仇になる。短くすぼめた袖の口は、桶に手を入れても水に浸からず、物に引っかかりもしない。袖の幅も、二の腕がすっと通るだけに絞られ、竈の火や桶のふちに触れずに済む幅だった。裾の丈も、膝までしかない野良着ばかりで、しゃがんで土間に手をついても擦らぬ長さに切り詰められていた。だからこそ、身分の低い者の衣は、みな同じ形に落ち着いていたのだ。繕いの跡も、どれも同じ場所に幾つも重なっていて、それだけ長く、同じ形のまま使い続けられてきた証だった。

挿絵:おれは、それらを並べて、しばらく眺めていた

 仕立て屋の親方は、たまに山を覗いては、「その按配でよい」とだけ言って、また奥へ戻っていった。教えを乞う暇もなかったが、それでかえって、おれは自分の目で確かめる癖がついた。捨てる布と、繕って残す布との境目を見極める目も、そのうちに少しずつできていった。

 この仕分けだけで、ひと月近くかかった。日ごとに積み上がる山を前に、朝はいつも気が重かったが、夕暮れどきに片づいた分を数えるのは、悪くない気分だった。娘弟子が床上げをして戻ってきたころには、おれの指先はすっかり針だこに似た硬さになっていた。誰に褒められるでもない仕事だったが、山を見終えたとき、なぜか胸のうちに、ちょっとした手応えが残った。

 繕った継ぎ目を、お縫のところへ持っていくと、お縫はほどきもせず、そのまま次の仕立てに使った。それだけで、おれの仕事は、ひとまず認められたということらしかった。

◇ ◇ ◇

 その春、近ごろ羽振りのよい侍の家から、奥方の小袖を一枚、上等な絹で仕立ててほしいという註文ちゅうもんが来た。下に着る一枚だというのに、襟もとの色まで細かく指定してきた。人に見せるつもりでもなければ、こうまで凝った色は要らぬはずだった。おれは妙に思った。

 お縫は、その反物を幾日もかけて仕立てた。針を運ぶ手は、いつもよりずっと丁寧に見えた。

 仕立てが上がった日、届け役のはずの小僧が使いに出たきり戻らず、お縫も手が離せない。仕方なく、おれが衣の包みを抱えて、屋敷まで届けに行かされることになった。慣れぬ道を、荷を落とさぬよう気を張って歩いた。

 朝方には小雨が残っていたが、昼近くにはすっかり晴れて、道はぬかるんでいた。裾を汚さぬよう気を配りながら歩いたので、ふだんの倍近い刻がかかった。荷を抱え直すたび、絹地が汗ばんだ手のひらに吸いついた。

 屋敷の門前では、警護の者に幾度も誰何された。取り次ぎの女房に衣の包みを渡すまで、ずいぶん待たされた。板塀の向こうから、女たちの笑い声が漏れ聞こえてくる。

挿絵:屋敷の門前では、警護の者に幾度も誰何された

 「粗相のないようにな」

 取り次ぎの女房が、念を押すように言った。おれはただ頷いて、包みを差し出した。

 屋敷では、奥方が待ちかねたように包みを開き、その場でおれの目の前で袖を通した。おれは慌てて目を伏せたが、隠れる間もなかった。

 届けに発つ前、板の間で畳みながら見た絹地には、目の詰んだ縫い目が幾重にも走っていた。一反をまっすぐに裁った身頃と衽の継ぎ目には、たっぷりと縫い代が残され、背縫いも表からは針目一つ見えぬほど、返し縫いで固めてある。下に隠す一枚なら、そこまでの手間はいらぬはずだった。仕分けの山で見た、あの粗末な野良着とは、針目の詰み方からして、まるで別物だった。隠れて着るはずだった一枚が、いま、人前にある。

 奥方は、その小袖一枚を、これだけですっきりと着こなしていた。二、三歩、部屋の中を歩いてみせると、裾も袖もまとわりつかず、身のこなしはむしろ軽やかだった。重ね着の装束のような、いかめしさはどこにもない。それでいて、襟もとの色違いの一筋が、歩くたびにほんのり揺れて見えた。

 居合わせた腰元たちも、めずらしそうに顔を見合わせ、小声で何やら話し合っていた。奥方だけが、それには構わず、鏡の前で肩のあたりを整えていた。届け物の役目を果たしに来ただけのおれが、思いがけずその一部始終に立ち会う羽目になった。

◇ ◇ ◇

 その年の暮れにかけて、お縫のもとへ来る註文は、目に見えて小袖に偏っていった。仕立て上がりを待つ客が、板の間の隅にずらりと並んで座り、順番を待つ間も世間話に花を咲かせる日があった。

 染め上がった反物を取りに走るたび、染め物屋の親方も機嫌よくこぼしていた。「近ごろは紅だ萌黄だ山吹だと、明るい色ばかり註文が来て、柄を考えるのに忙しくてかなわぬ」

 町の女房たちも、お縫の店へ小袖を仕立て直しに持ち込むようになった。麻の粗末な一枚から、せめて古着ふるぎ市で手に入る絹を仕立て直した一枚をと、註文はひきも切らなかった。表通りだけでなく、小路の奥の借家からも、その声はかかるようになっていた。井戸端で洗い物をする女たちの噂話にも、近ごろは小袖の柄の話ばかりが混じるようになっていた。

 お縫のもとにも、新しい弟子が二人、増えた。おれが仕分けていた繕い直しの山は、いつのまにか片づき、代わりに真新しい反物の山ができていた。お縫の板の間からは、あの焦げ跡の唐衣も、擦り切れた小袖も、あの継ぎだらけの野良着も、いつしか姿を消していた。

 おれの雇われ仕事も、その年の暮れで終わった。人手が足りぬ間だけの下働きだったから、次の反物が入る前に、おれはその家を出た。荷をまとめて表に出ると、通りを歩く人の裾が、以前よりも軽やかに揺れているのが目についた。

◇ ◇ ◇

 いま、これを着物と呼ぶ人がほとんどだ。——一拍おいて、ボクは胸の内で、こそで、と呼び直す。

 先日、祝いの席で見かけた娘が、裾さばきに難儀して、そっと帯の上をなでていた。あの仕草に、お縫の膝の上にあった、あの小さな袖の衣が重なった。

 お縫が仕立てていたころの一枚は、竈の火のそば、水仕事の合間、立ち働く足の裏で擦り切れていく衣だった。いま、これを纏う人の多くは、正座で膝を折り、足の裏を畳へ預けているだけだ。

 違うのは、そこひとつきりだ。

参考文献・もっと詳しく

※ 小袖は、もとは公家の装束の下に着る袖口の小さい下着であったが、中世を通じて表着として用いられるようになり、のちの「着物」の祖になっていったとされる。重ね着の華やかな装束にくらべ、袖口がすぼまり身軽で動きやすい小袖は、武家や庶民の暮らしに合い、表着化が進むなかで襟や裾の文様も発達していったと伝わる。応永十六年は一四〇九年(応永は一三九四〜一四二八年)。※本文の人物・会話・情景は創作。

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