第 91 話宗教ひと文字の名を彫った木の板が、亡き父を家にとどめた日のこと
〜ただ「ご先祖さま」と拝んでいた男は、なぜ父の名を、一枚の黒い板に刻んでもらったのか〜
位牌というのは、亡くなった人の名を記して、家にまつる木の板だ。
今ではどこの家の仏壇にも、黒く塗られて金の文字を載せた札が、何枚か並んでいる。盆や彼岸には手を合わせ、折々に水を供え、線香の煙をくゆらせる。亡き祖父、祖母、そのまた前の代——札の一枚ずつに、ちゃんと名がある。だからこそ人は、ただ「死んだ人たち」にではなく、「あのおじいちゃん」に向かって手を合わせられる。
けれど、昔からそうだったわけではないらしい。
ずっと昔の里では、死んだ者は十把ひとからげに「ご先祖さま」だったと伝わる。誰それの祖父、誰それの母、と一人ずつ分けて拝むのではなく、家の奥の暗がりへ向かって、ひとまとめに手を合わせる。名のある一人ではなく、漠とした「先祖」という塊に向かって拝んでいたらしいのさ。
ボクが見てきたのは、その漠とした塊から、一人ひとりの名がすうっと立ち上がってくるところだ。亡き人が、名を彫った一枚の板になって、家の中にとどまりはじめる。そのあたりのことを、ボクは里の囲炉裏端で見てきた。
◇ ◇ ◇
貞和四年(一三四八年)の冬のことだ。おれは東国の、雑木山にいだかれた小さな里に住む百姓だった。
その秋の終わりに、おれの父が死んだ。長く患ったすえの、静かな死にようだった。野辺の送りをすませ、土をかけ、それで終いのはずだった。里のしきたりでは、死んだ者はそれきり「ご先祖さま」の仲間入りをする。家の奥の薄暗い棚に向かって、盆と彼岸に手を合わせる。誰のために、ということもない。亡き祖父も、その前の代も、みなひとからげに、そこにいることになっていた。
おれは野良仕事の合間に、その棚へ手を合わせた。手を合わせながら、妙な据わりの悪さを覚えた。あの棚の奥に、父はいるのだろうか。父も、祖父も、顔も知らぬ曽祖父も、みな同じ暗がりにまざってしまって、もう、どれが父やら分からぬのではないか。そう思うと、土をかけたばかりの父が、急に遠くへ行ってしまった気がして、おれは落ち着かなかった。
里のはずれの丘に、数年前から禅の寺が建っていた。武家の誰それが招いた僧が、大陸帰りの新しい教えを説くのだと、里の者はうわさしていた。おれは父の四十九日を前に、わらにもすがる思いで、その寺の門をくぐった。
迎えてくれた和尚は、まだ若かった。おれが父の死を語り、あの据わりの悪さを、たどたどしく打ち明けると、和尚はしばらく黙って聞いていた。それから、奥から一枚の板を持ってきた。
黒々と漆を塗った、手のひらほどの細い板だった。すべらかな表に、金の色をした文字が並んでいる。
「これはな、亡き人の名を記す板でな」と和尚は言った。「むこうの国の禅寺で、先につとめ上げた師の名を、こうして板に書き、長くまつるならわしがあると聞く。亡き人ひとりに、板を一枚。名を刻んでおけば、その人は塊にまぎれず、その人のまま、家にとどまる」
おれは、目をみはった。亡き人ひとりに、板を一枚。父を、ご先祖の塊から、父のまま引き出しておける。そんなことができるのか。
「むこうの国では」と和尚はつづけた。「亡き人を、ただ拝むのではない。名を呼び、名を覚え、代々それを受け継いでいくのだそうな。名を失えば、その人は、いつか塊にまぎれて消えてしまう。名を残せば、いつまでも、その人のままでいられる。禅の僧が大陸からこの教えを持ち帰ったのは、そう古いことではないと聞くが、おれはこのならわしが、なによりよいと思うておる」
名を残せば、いつまでも、その人のまま。和尚のその一言が、おれの胸に深く落ちた。父を忘れたくない。ただ、それだけだった。土をかけたきり、暗がりの塊にまぎれていく父を、おれはどうしても、引きとどめておきたかったのだ。
◇ ◇ ◇
和尚は、おれの父に、新しい名を授けてくれた。
仏の弟子となった者に授ける名だ、と和尚は言った。生きていたころの名とは別の、あの世での名なのだという。父は里の者からは弥三郎と呼ばれていたが、和尚が筆をとると、おれの知らぬ二文字の下に、禅定門という字が静かに添えられた。
「これが、お父御のこれからの名だ」
名を授かった父が、急に立派な人になったようで、おれは面はゆいような、誇らしいような心持ちがした。百姓のおやじが、寺の名をもらう。そんなことは、おれの里では、いまだかつてなかった。
名は、近在の仏師の手で、板に刻まれた。おれは刻むあいだ、仏師の小屋の隅にすわって、ずっとそれを見ていた。仏師は白木の板を膝にのせ、小刀の刃先で、一画ずつ慎重に文字を彫っていく。木くずがはらはらと落ち、父の新しい名が、少しずつ板の上に立ち上がってくる。彫り終えると、何度も漆を刷いては乾かし、また刷く。黒く沈んだ漆の上に、最後に金の色を置くと、文字だけが、ふっと暗がりから浮かび上がった。
たった六字か七字の名を板に刻むのに、これほどの手間がかかる。おれは、それを見て胸を打たれた。漠とした「ご先祖さま」を拝むのは、銭も手間もいらぬ。けれど、父ひとりを父のまま家にとどめておくには、人の手が、これだけかかるのだ。名を残すというのは、こんなにも重たい仕事なのかと、おれはそのとき思い知った。
仕上がった板を、おれは両手で押しいただいて、里へ持ち帰った。
家へ帰ると、おれは奥の棚を片づけ、まんなかに、その黒い板を据えた。漆の照りが、炉の火を受けて、ほのかに光る。金の文字が、暗がりの中で、父の名を静かに告げていた。
おれは板の前へすわり、手を合わせた。すると、不思議だった。さっきまでの据わりの悪さが、すうっと消えた。手を合わせる先が、はっきりとそこにある。漠とした塊ではない。弥三郎という、おれの父が、名を負って、ちゃんとそこにいる。
女房も、子らも、かわるがわるその前へ来て、手を合わせた。幼い末の子が、たどたどしく板の文字を指でなぞり、「これ、じいさま」と言った。おれは、思わず笑った。そうだ、これがじいさまだ。顔も知らぬ「ご先祖」ではない。お前を膝にのせてくれた、あのじいさまだ。名があるから、子はそれを覚えていられる。
その晩、おれは板の前にながく座っていた。生きていたころの父の声が、ふと耳によみがえった。田の水を見にいけ、苗の根を傷めるな、雨の前には屋根を見ろ。口やかましい父だった。けれど、その口やかましさのひとつひとつが、いまになって、おれを生かしている。板の金の文字を見ていると、その声が、すぐそこから聞こえてくる気がした。漠とした塊に向かっていたころは、こんな心持ちにはならなかった。名がそこにあるだけで、亡き人は、こんなにも近くにいてくれる。おれは、はじめてそれを知った。
◇ ◇ ◇
それから、長い年月が流れた。
数年のち、こんどはおれの母が死んだ。おれは迷わず、また丘の寺へ上がった。同じ和尚が母にも名を授け、同じ仏師が、もう一枚の黒い板を彫った。父の板の隣に、母の板を据えると、二枚の板が肩を寄せ合うように並んだ。おれは、その並びを見るのが好きだった。生きていたころ、いつも父のうしろを、つつましく歩いていた母だ。死んでもまた、父の隣に並んでいる。名があるから、その並びが分かる。
里の者も、ひとり、またひとりと、丘の寺で名をもらい、黒い板を家へ持ち帰るようになった。葬いのあとは、寺で名を授かり、板に刻んでもらう。いつのまにか、それが里のしきたりになっていた。盆になると、どの家の棚にも、黒く光る板が、何枚も並ぶようになった。亡き人が、漠とした塊から、一人ひとりの名へと、ほどけていったのさ。
おれも年をとり、孫を持つ身になった。ある盆の夜、孫がおれの膝で、棚の板を指さして名をたずねた。おれは一枚ずつ、これは弥三郎じいさま、これはその連れ合いのばあさま、と教えてやった。会うたこともない者の名まで、孫は熱心に聞いていた。おれが死んだのち、おれの板もそこへ並ぶのだろう。そうして孫は、おれの名を、その指でなぞるのだろう。名で覚えておいてもらえる——それは、思いのほか、あたたかいことだった。
◇ ◇ ◇
亡き人の名を一枚の板に刻み、家にまつる。その習わしが里にしみ込んでいったのは、禅の教えが東国の隅々まで広がっていった、このころのことだと伝わる。ボクは、その移り変わりを、いくつもの里の囲炉裏端で見てきた。
名を刻むまでは、死んだ者はみな、ひとからげの「ご先祖さま」だった。けれど名を負った板になると、亡き人は、その人のまま家にとどまる。子は、その名を指でなぞり、「これ、じいさま」と覚えていく。会ったこともない曽祖父の名すら、板の文字から、口へ伝わっていく。名を残すというのは、つまり、忘れずにいる、ということだったのさ。
今でも、どこの家の奥にも、黒く塗られた板が、静かに並んでいる。金の文字は、もう読めぬほど古びたものもある。それを「亡き人そのもの」として拝む者は、昔ほど多くないのかもしれない。
それでも、とボクは思う。
もしどこかの家の奥で、古びた一枚の黒い板を見かけたら、それを、ただの古い木きれと思わずにいてほしい。漠とした塊から、父ひとりを引き出したくて、寺の門をくぐった男がいた。木くずを落としながら、一画ずつ名を彫った仏師がいた。板の文字を指でなぞって、「これ、じいさま」と笑った子がいた。
位牌は、ただ棚の上に立っているだけだ。火を受けて、ほのかに光るばかりさ。それでも、その一枚には、名で覚えておきたかった人の、たしかな顔が映っている。会えなくなった誰かを、忘れずにいたいと願った者たちの、長い長い手の合わせ方が、染み込んでいる。ボクは、そういうものが、好きなんだ。
参考文献・もっと詳しく
- 『日本仏教史 近世』ISBN 978-4-642-06753-9
- 『位牌祭祀と祖先観』ISBN 978-4-642-07366-0
- 『死者のゆくえ』ISBN 978-4-87294-500-3
- 『祖先崇拝——民俗と歴史』ISBN 978-4-8313-0008-9
※ 故人の戒名や名を記して家にまつる位牌は、禅宗とともに大陸から渡来し、中世のうちに武家や寺の檀家へ、のちには庶民へと広まっていったとされる。それ以前は、亡き人を一人ずつではなく漠然と「ご先祖」としてまつる形が一般的であったと伝わり、名を記した板を通じて死者が「個」として家にとどまる感覚は、こうした流れのなかで育ったと考えられている。貞和四年は一三四八年(貞和は一三四五〜一三五〇年、南北朝期の北朝年号)で、元号と西暦の対応は史実に整合する。※本文の人物・会話・情景は創作。
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