仏師が幾日もかけて、白木の板に名を彫っていた工房第 91 話宗教
宗教南北朝のころ・東国の禅寺とその里読了 約6分

仏師が幾日もかけて、白木の板に名を彫っていた工房

〜なぜ、ひとからげに拝まれていた死者に、ひとりずつの名が要ったのか〜

はじめて読む方へ——語り部「ボク」がなぜ千年を渡り歩いているのかは、プロローグにあります。

 仏壇店の硝子棚に、黒く塗られた板がずらりと並んでいる。位牌の脇に、亡き人の遺影を添えて飾る家もある。埃っぽい線香の匂いに混じって、ボクの鼻先を、ふとかすめるものがあった。

◇ ◇ ◇

 貞和じょうわ四年(一三四八年)の冬、おれは東国の、雑木山にいだかれた小さな里を、日雇いの仕事を探して歩いていた。

 里のはずれの丘に、数年前から禅の寺が建っていた。その麓ふもとに、仏を彫る仏師ぶっしの工房があり、ちょうど人手を探しているという。おれは薪割りと使い走りを買って出て、その日からさっそく工房の隅で寝起きすることになった。

 工房の主は、無口な男だった。ふだんは寺に納める仏の像を一体仕上げるのに、幾月もかける。おれは木くずを掃き、砥石で道具を研ぎ、薪を割り、言いつけられたことだけをこなして日を送った。冬場は手がひどくかじかみ、砥石を握る指の感覚さえ怪しくなる日もあった。屋根の隙間から吹き込む風に、鑿の刃先がにぶらぬよう、朝いちばんに火を熾すのも、おれの仕事のひとつだった。研いだ鑿を仏師の手元へ運ぶたび、切れ味を確かめる目つきだけで、良し悪しが伝わってくるようになった。渡す速さ、向き、刃先の角度。幾度も繰り返すうちに、間合いが自然と体に染みていった。工房の壁には、仕上がりきらぬ仏の像が幾体も並び、木の削り屑と線香の煙とが、いつも薄く混じり合っていた。日暮れどきになると、その匂いはひときわ濃くなった。

 ある朝、里の百姓の重蔵じゅうぞうが、工房の戸をたたいた。父を亡くしたばかりだという。里のしきたりでは、死んだ者はそれきり「ご先祖さま」の仲間入りをして、家の奥の暗がりの棚へ、ひとからげに拝まれるだけだった。だが重蔵は、丘の寺で耳にした話を持ってきていた。亡き人ひとりに、名を刻んだ板を一枚、こしらえてもらえるという。

 「うちの親父にも、それを」と重蔵は言った。声が、かすかに震えていた。

 仏師は、黙って重蔵の話を聞き終えると、「用意しよう」とだけ言った。それきり、多くは語らなかった。値の話も、作法の細かな決まりも、二人のあいだに交わされなかった。

 白木の板が、工房に届いた。仏師はまず板を光にかざし、木目の流れを幾度も確かめてから、膝にのせた。小刀の刃先を、まず指で確かめてから、一画ずつ彫りはじめた。ところが、彫り終えたひと文字の脇に、うっすらと欠けた線が残った。仏師はそれを一瞥すると、何も言わずに板ごと脇へ置いた。一枚目は、それで終いだった。

挿絵:白木の板が、工房に届いた

 二枚目は、五日がかりで、ゆっくりと彫り上がっていった。おれは仏師の言いつけで、金の粉を乳鉢にゅうばちですり続けた。初めの一日は、粒がまだ粗いと突き返された。すり石を押す手に力を込めすぎれば粒がつぶれず、力を抜けば粉が寄らない。すり方ひとつにも、加減があるのだと、おれは腕の痛みで覚えていった。乳鉢のそばには、いつも生の漆桶が置かれ、鼻の奥にじんとくる独特の匂いが、工房じゅうに漂っていた。二日目の晩、仏師はすり上がった粉を指先で摘まむと、何も言わずに次の作業へ移った。

 彫り終えると、仏師は黒々とした漆うるしを、七度、刷いては乾かし、また刷いた。日を重ねるごとに、板の色が深くなっていく。一度塗るごとに、乾くまで丸一日を置く。急いて重ね塗りをすれば、漆が縮れて台無しになるのだという。漆は乾いた空気では固まらぬそうで、冬の晴れた日ほど乾きが遅く、仏師はそのたび、板を湿り気のある隅へ移していた。最後に、文字の溝へ薄く摺り込んだ漆が乾ききらぬうちに、すり終えた金の粉をそっと置くと、彫られた文字だけが、暗がりからふっと浮かび上がった。板一枚に、ゆうに十日はかかっていた。

 その一部始終を見ながら、おれはふと、自分の手のひらへ目を落とした。荒れた指先を、無言でこすり合わせる。あかぎれの筋に、木くずと金粉の粉が、うっすらと入り込んでいた。おれのような根無し草の名は、こうして残ることもあるまい。そう思うと、胸の奥がすこし冷えた。

 仕上がった板を、重蔵は両手で押しいただき、里へ持ち帰っていった。板の脇に、顔を写したものはひとつも無い。黒い板に刻まれた、たった六字か七字の名だけが、亡き人の姿の、ただ一つの拠り所だった。

◇ ◇ ◇

 その後も、里の者が幾人か、工房の戸をたたいた。仏師は同じように、黙って白木を膝にのせ、彫っては漆を重ねた。年寄りの中には「先祖をひとまとめに拝まぬとは罰当たりな」と眉をひそめる者もいた。門口でそう言い残していった年寄りに、仏師は何も言い返さず、ただ次の板へ鑿を入れた。かと思えば、「うちの婆さまにも、ひとつ」と早々に頼みにくる者もいる。里の中でも、この新しい風習を巡って、言い分は真っ二つに割れているらしかった。おれは、そのどちらの声も、木くずを掃きながら黙って聞いていた。

挿絵:その後も、里の者が幾人か、工房の戸をたたいた

 中には、亡くした倅せがれのために板を頼みにきた男もいた。倅はまだ十にもならぬうちに、流行り病で死んだのだという。男は板が仕上がるまでの十日のあいだ、幾度も工房をのぞきにきて、彫りかけの白木をじっと見ていった。仕上がった板を渡すとき、男は両手で受け取ったまま、しばらく立ち尽くしていた。板の重さを確かめるように、幾度も持ち直してから、ようやく懐へおさめた。おれは、その背に、かける言葉を持たなかった。ただ、火を熾す手を、いつもより長く動かしていた。

 仏師の彫る文字の数だけ、里から名が増えていく。棚に並ぶ仕掛かりの板は、初めは一枚きりだったのが、ひと月のうちに五枚、ふた月のうちに十枚を超えた。木くずを掃くおれの箒の下にも、日ごとに白木の粉が積もった。掃き集めた粉の量で、その月にいくつの名が刻まれたか、おれにはおおよそ見当がつくようになっていた。盆が近づくころには、工房の棚に、名を負った板が幾枚も並ぶようになっていた。

 重蔵は、ときおり工房をのぞいては、新しく名を負っていく板の並びを見ていった。ある日、幼い子を連れてきて、棚の板を指さした。「これ、じいさまの」。家の奥に据えた板と同じものだと、子には分かるらしかった。子がそう言うのを、おれは薪を割る手を止めて聞いていた。重蔵は何も言わず、ただ子の頭に手をやった。おれは、その光景を、ただ見ていることしかできなかった。

 雪が解けきるころ、工房の仕事はひと区切りついた。おれは仏師に暇を告げ、里を発った。仏師は最後まで、行けとも、いてくれとも言わなかった。ただ、こちらを見ずに小さくうなずいただけだった。研いだ鑿の束を、最後にもう一度だけ手渡すと、仏師は初めて、こちらの目を見た。それだけで、暇乞いは済んだ。

 ぬかるんだ坂道を、荷物ひとつを背負って下る。雪の下から覗きはじめた土のにおいが、冬のあいだ嗅ぎ慣れた漆の匂いとはまるで違って、どこか生々しかった。振り返ると、工房の棚に並んだ板が、戸口の隙間からわずかに見えた。名を負った板の並びを胸に、おれは重蔵の子の声を、しばらく思い返していた。

◇ ◇ ◇

 ボクは、仏壇店の棚に並ぶ板を、あらためて眺める。会計を待つあいだ、店の隅の乾燥機がかすかに唸っている。

 鼻先をかすめるのは、線香と、ほんのわずかな木の匂いだけだ。あの工房にいつも立ちこめていた、擂りたての金の粉と、幾重にも塗り重ねた漆の匂いは、もうどこにもない。

参考文献・もっと詳しく

※ 故人の名を記して家にまつる位牌は、禅宗とともに大陸から渡来し、中世のうちに武家や寺の檀家へ、のちには庶民へと広まっていったとされる。それ以前は、亡き人を一人ずつではなく漠然と「ご先祖」としてまつる形が一般的であったと伝わる。本話の百姓重蔵が名入りの板を得るくだりは、庶民への広まりの先駆けとして時代をやや早めた創作である。貞和四年は一三四八年(貞和は一三四五〜一三五〇年、南北朝期の北朝年号)。※本文の人物・会話・情景は創作。

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