いちばんしぶといもの
〜城が焼けても、子らはなぜ笑って石を蹴れたのか〜
ボクが長く生きてきて、この世でいちばんしぶといものは何かと聞かれたら——たぶん、すこし考えてから、こう答える。
子どもの遊びだ、と。
国が滅び、城が焼け、飢えが村を襲っても、それでも子どもらは、どこかで遊びを見つけ出す。石を蹴り、草で輪をつくり、わけのわからない歌をうたって、走り回る。大人が明日の命に怯えている、そのすぐ脇で、子どもらはけろりと笑っている。あれは人という生きものの、いちばんたくましいところだと、ボクは、つくづく思う。
おもしろいのは、同じ遊びが、土地ごとに名を変え、歌を変え、決まりごとまで変えて、伝わっていくことだ。ひとつ山を越え、隣の谷へ行けば、もう呼び名が違っている。歌の文句も、勝ち負けの決めごとも、すこしずつずれている。誰が教えたわけでもないし、誰が決めたわけでもない。ただ、年上の子から年下の子へ、世代から世代へ、口づてに、しぶとく受け継がれていく。書きとめる者など、ひとりもいないのに、どういうわけか、消えずに残る。あれは、いったいなんなのだろうな。
◇ ◇ ◇
天文二十年(一五五一年)の、よく晴れた日。戦に次ぐ戦で荒れはてた、ある村でのことだ。
手前が塩を背負って山道を下り、その村を通りかかると、田んぼの脇の空き地のようなところで、数人の子どもらが何やら夢中になって遊んでいた。
——諸国を歩いて小商いをしていた頃の手前は、自分を「手前」と呼んでいた。
地面に棒切れで、いくつかの丸い枡を、ぐるりと描いてある。そこへ平たい石を片足で、けんけんしながら蹴って、枡から枡へと送っていく——今で言う、石蹴りのような遊びだ。日に焼けた小さな足が、ぴょん、ぴょんと、土ぼこりを立てて跳ねる。蹴られた石が、からから、と乾いた音を立てて転がっていく。
「それ、いけっ」
「ずるいぞ、線、ふんだ」
子どもらは頬を真っ赤にして、きゃあきゃあと、はしゃいでいた。すり切れた小袖を尻はしょりにして、足の裏は、泥で真っ黒だ。ひとりは背に、まだ歩けぬ弟を、しっかりくくりつけたまま跳ねている。この村では、子どももまた、子守や草刈り、薪ひろいの、立派な働き手なのだ。朝から晩まで、大人にまじって働いて、その合間の、ほんのひとときの、盗むような遊びだった。それでも、遊ぶとなれば、こうも夢中になれる。
手前は荷を下ろして、しばらく、それを眺めていた。この村がつい先ごろ、戦に巻き込まれたことは、ひと目で、すぐにわかった。空き地の向こうには、黒々と焼け落ちた家の梁が、何本もそのまま、倒れたままになっている。焦げくさい匂いが、まだかすかに、風に残っていた。聞けば、戦が来ると報せがあったとき、村の者はみな、鍋釜から戸板まで背負って、裏山の寺へ、村ぐるみで逃げ込んだのだという。そうやって幾度も逃げ、幾度も戻り、田を起こしなおし、この村は、しぶとく生きのびてきた。それでも、子どもらの笑い声には、そんな影は、みじんもなかった。
◇ ◇ ◇
ひとりの男の子が手前に気づいて、駆け寄ってきた。鼻のあたまに、土をつけている。
「おじさん、なに見てんだ」
「いや。おもしろそうな遊びだな、と思ってな。手前にも教えてくれんか」
子どもらは顔を見合わせて、それから、にやっと笑った。
「いいぜ。けど、おじさん、でかいから、すぐ線ふむぞ。へたっぴだろ」
言われたとおり、手前はさっそく、枡の線を踏んで、子どもらに大笑いされた。何度やっても、大きな足では、小さな石を、うまく次の枡へ送れない。力をこめれば、石は枡を飛び越して、あらぬ方へ転がっていく。よろけて尻もちをつくたびに、子どもらは腹を抱えて、ころころと転げ回った。
「ちがうちがう、ほら、こうだよ。やわっこく蹴るんだ。とんっ、てな」
いちばん年かさらしい男の子が、得意げに、ぴょんと跳ねて手本を見せる。なるほど、その爪先のさじ加減ばかりは、何百回、何千回と繰り返した者にしか、わからぬ呼吸というものがあった。手前のような大人が、一日や二日で、まねできるものではない。遊びというのは、そうやって体で覚え、また体から体へと、移していくものなのだろう。
ひとしきり遊んだあと、すっかり息を切らして、草の上に座り込んだ手前の隣に、さっきの男の子が、ちょこんと腰を下ろした。汗ばんだ首すじに、短い髪が、ぺたりとはりついている。手前は荷の中から、ひとかけらの干し柿を出して、その子に握らせてやった。子はそれを、大事そうに、ちびちびとかじりはじめた。
「……おいら、とうちゃん、いくさで死んだんだ」
ふいに、その子が、ぽつりと言った。けろりとした口調だった。柿をかじりながら、空を見上げたまま、まるで、なんでもないことのように。
手前は、なんと返していいか、わからなかった。喉のあたりで、言葉が、つかえた。気のきいたことなど、ひとつも出てこなかった。
「でも」と、男の子は続けた。「泣いてばっかでも、しょうがねえからな。遊んでるときは、忘れてられっから。だから、おいら、いっぱい遊ぶんだ」
そう言って男の子は、また勢いよく立ち上がり、けらけらと笑って、仲間のところへ駆けていった。小さな足が、まっすぐな影を引いて土をける。
手前はその背中を見送りながら、なんだか、胸がいっぱいになった。——遊びってのは、ただの暇つぶしなんかじゃない。それはこんなにも過酷な世を、子どもらが生きのびていくための、知恵であり、よろいなんだ。泣いてばかりでは、明日まで、保たない。だから、笑う。笑って跳ねて、また明日を迎える。あんなに小さな体で、あの子は、もう、それを知っている。誰に教わったわけでもなく、生きるために、ちゃんと知っているのだ。
◇ ◇ ◇
今の子どもらも、遊んでいる。
手のひらの中の、光る板で遊ぶことが、ずいぶん増えた。けれど、よくよく見れば、その遊びの根っこには、何百年も昔から、ちっとも変わらないものが、ちゃんと息づいている。鬼ごっこも、石蹴りも、手まりも、土地ごとに名を変え、歌を変えながら、それでも、しぶとく生きのびている。あの村で見た枡の線も、きっと今ごろ、どこかの誰かが、また地面に、棒切れで描いているはずだ。
国は変わり、暮らしは変わり、おもちゃは変わった。でも、「子どもが遊ぶ」——そのいちばん根っこのところだけは、ボクが見てきたどの時代にも、必ずあった。焼け跡のそばにすら、あった。
ボクはこれまで、数えきれないものを、見送ってきた。城も、村も、人も、暮らしの形も。それでも、こう思うと、すこし救われる気がするんだ。——子どもがどこかで、笑って遊んでいるかぎり、この世界はまだ、だいじょうぶだ、と。
あの日、土ぼこりの中で跳ねていた、小さなよろい武者たちのことを、ボクは今でも、ときどき、ふと思い出す。あの子は、その後どう生きたのだろう。たぶん、もう知るすべはない。それでも、あの笑い声だけは、五百年たった今も、ボクの耳のどこかに、ちゃんと残っている。
参考文献・もっと詳しく
※ 石蹴りに類する遊びの起源は定かでなく、戦国期にそのままの形があったとは断定できないため、本文では「今で言う石蹴りのような」と幅をもたせた。同じ遊びが地域ごとに名・歌詞・作法を変えて口づてに伝わること、子どもが早くから子守や草刈りなどの労働の担い手であったことは、柳田・斎藤の研究に拠る。戦乱時に村ぐるみで山や寺社へ逃げ込み、交渉と自衛で生きのびた自律的な村の姿は、藤木・黒田の研究に基づく。場面・人物・会話は創作で、特定の村・人物を指すものではない。
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