京の東の市に、歯の数だけを数える男がいた第 36 話道具
道具平安のころ・京(東の市)読了 約6分

京の東の市に、歯の数だけを数える男がいた

〜市の隅で黄楊を挽く忠助は、なぜ、客のいないあいだも歯の数を数えていたのか〜

はじめて読む方へ——語り部「ボク」がなぜ千年を渡り歩いているのかは、プロローグにあります。

 忠助は、値を聞かれても、手にした一枚の歯を数え終えるまで、決して顔を上げなかった。

 客が痺れを切らして声を荒げても、聞こえていないふりをする。そういう頑固さで、市の片隅に何十年も座り続けてきた男だった。

◇ ◇ ◇

 天喜てんき二年(一〇五四年)の春、京の東の市の片隅に、黄楊つげの櫛くしを挽く男がいた。名を忠助といった。

 市の喧騒からは少しはずれた、塀ぎわの日だまりに、ぽつんと筵むしろを敷いている。かつてほどの人出はないと年寄りたちは口を揃えるが、それでも少し離れた通りでは絹商いや米商いに客が群がり、この日だまりだけは、まるで縁のない静けさを保っていた。われはその春、京で当てもなく日を送っていて、市の物売りを眺めて時をつぶすのが、ちょっとした楽しみになっていた。ときおり忠助の筵のそばに腰を下ろしては、削り屑を掃き寄せる手伝いをしていた。

 はじめて忠助の前に腰をおろしたとき、男は客が来たことにも気づかぬふうで、ひとり黙々と手を動かしていた。日に灼けた顔は深い皺に刻まれ、落ちくぼんだ目だけが、手もとの一点をじっと見すえている。膝のうえに小さな黄楊の板を据え、細い鋸のこぎりのようなもので、櫛の歯のあいだをすう、すう、とけずっている。黄楊の木肌は堅く、刃を入れるたびに白い粉となって、節くれだった膝にうっすら積もっていった。生木のようにはあっさりと割れない、粘るような重みが、けずる指先の動きにそのまま表れていた。

 一枚けずり終えるたびに、忠助は歯の列を目の高さに掲げ、片目をすがめてすかし見てから、口のなかで、ひとつ、ふたつ、と数えはじめる。数え終えると、うなずくか、しかめるかのどちらかだった。しかめたときは、迷わず一本を短く削り落とし、また数え直す。それだけの動きを、日に何十遍とくり返していた。

 筵の端には、小さな板切れが一枚、置きっぱなしになっていた。ふちに、細かな刻み目がびっしりと並んでいる。数えちがえて切り落とした歯の分だけ、忠助が一つずつ刻んできた跡なのだという。長年のあいだに刻みは磨り減って、ほとんど木の目に紛れかけていたが、忠助の指はそこを見もせずになぞり、その日の分をまた一つ増やした。

 あるとき、削りかけの一枚を、忠助は黙ってわれの手に押しつけた。数えろ、というふうに顎をしゃくる。言われるまま、ひとつ、ふたつ、と数えていくと、二十一本あった。差し出すと、忠助は指の腹でなぞるように数え直し、無言でかぶりを振った。もう一度、今度はゆっくり数え直すと、二十本しかない。端の一本を、われは数えそこねていた。忠助は何も言わず、また鋸を手にとって、けずりはじめた。それきりだった。

挿絵:あるとき、削りかけの一枚を、忠助は黙ってわれの手に押しつけた

 忠助の手わざを見ていると、市のざわめきがふしぎと遠のいた。市のざわめきは、塀の向こうで遠く続いていたが、この塀ぎわの筵のうえだけは、けずる音のほかに何もない。指の運びにあわせて木の粉が舞い、椿つばきの油のかすかな甘いにおいが鼻をかすめる。すう、すう、という、その音だけがあった。

 仕上げに、忠助は挽きあげた櫛を、木賊とくさの葉でていねいに磨き、それから椿の油を、ほんのひと刷毛、歯のうえにのばした。白っぽかった黄楊が、油を吸って、しっとりと飴色に沈む。「こうしておくと、髪のすべりが良くなる。歯も、長くもつ」と言う。手のひらにのせて差し出されたそれは、さっきまでただの木の板だったとは、とても思えなかった。試しに、われは自分の額の髪を一度梳すいてみた。引っかかりひとつなく、すう、と歯が通って、思わず声がもれた。忠助は、それ見たことか、という顔で、鼻の先で笑った。

 そのとき、塀の角から、ひとりの若い女がおずおずと近づいてきた。市女笠いちめがさを目深にかぶり、垂れた布の影に顔を隠して、人目を避けるような足どりだった。筵のそばまで来てもなお迷うように立ちどまり、やがて忠助の前に膝を折ると、声をひそめて、櫛がひとつ欲しい、と言う。ことばの端に、都のものとは違う、ゆるやかな訛りがあった。

 「人にやるのかね」と忠助が訊いた。女は小さくうなずいた。連れ合いが、遠い国へ召されて下る。その旅立ちの朝に、持たせてやりたいのだ、と。

 忠助は棚から一枚を選んで、女の手のひらに載せた。女はそれを両手で包みこむと、ふと声をあらためて、こう言った。「わたくしの生まれた在所では、渡す前に決して落としてはならぬと申します。落ちた櫛は、拾うてはならぬのだ、と」。忠助は手を止めて、女の顔をしばらく見た。「さあ、な」と、あいまいに首をかしげる。「都では、そこまでは言わんが……悪い言い伝えでもなかろうよ」。信じているとも、疑っているとも、つかぬ声だった。それから、ぽつりと付け足した。「髪を梳く道具だ。離れていても、朝な夕な、その人が髪を梳くたびに、こっちのことを思い出す。そういう品さ」。

挿絵:忠助は棚から一枚を選んで、女の手のひらに載せた

 そばで削り屑を掃いていたわれの耳に、通りすがりの老女が、ちっ、と舌を打つ音が届いた。「落とした櫛がどうのと、田舎くさいことを。都では、とうに廃れた言い習わしだ」。女は何も言い返さず、ただ櫛を包む両手に、いっそう力をこめていた。

 女は深くうなずいて、来たときよりは幾分か落ち着いた顔で、市の人ごみへ消えていった。忠助はまた、すう、すう、と次の一枚をけずりはじめている。われは陽の傾いていく空を見上げながら、この市も、あと幾度、同じ顔ぶれで眺められるだろうかと、指先で己の袖をきつく握りしめた。誰に言うでもない、ただの手癖のようなものだった。

 昼を過ぎたころ、こんどは身なりのよい屋敷の下女らしい女が、足早にやってきた。主の姫さまの櫛が欲しいという。聞けば、その姫の黒髪は、立てば背丈をこえて床に垂れるほどで、屋敷でも評判なのだそうだ。忠助は棚の奥から、ひときわ歯の細かい一枚を選び出し、無言で差し出した。下女は指先で歯をひとなでしてから、深くうなずいた。値も聞かずに、持たされていた絹の端切れを惜しまずに置いていった。

 長い黒髪が女の値打ちとされる世だ、と忠助は言った。髪を伸ばすのは、たやすいことではない。幾年もかけて梳き、洗い、米のとぎ汁で洗っては陽に干し、ひとすじも切らずに守りとおして、ようやくあの黒い滝になる。寝るときも結わえ、起きればまず梳く。その手入れに、毎朝、櫛がいる。「だからな、櫛挽きはな、けっして食いはぐれん」。忠助はそう言って、欠けた歯を見せ、めずらしく声をあげて笑った。

 日が傾くまで、われは忠助のそばに座っていた。男は、けずっては数え、けずっては数えして、その日、櫛を三枚仕上げた。木の粉に膝を白くしながら、最後の一枚の歯の数を、また、ひとつ、ふたつ、と口のなかで数えていた。

◇ ◇ ◇

 黄楊の櫛は、いまではもう、店先に並ぶことすら少ない。今日日、櫛の大半はプラスチックで、色とりどりのが束で吊られて、安いのは小銭ひとつで買える。歯が一本欠ければ、惜しげもなく捨てて、また新しいのを買う。落ちた櫛を拾わぬよう気をつける者も、もういない。

 今朝も、ボクは鏡の前で自分の髪を梳いた。安物の櫛は軽く、握れば頼りない。だが歯先が首すじをかすめ、うなじのあたりでひやりと止まる、あの感触にだけは、ふと懐かしさが差す。忠助の店先で覚えた、あのままだった。梳き終えて手を止めると、うなじに残った歯先の冷たさが、しばらく皮膚の上にとどまっていた。

参考文献・もっと詳しく

※ 髪に霊魂が宿るとする観念や、櫛を呪具とみなす古い信仰は、『古事記』のイザナギの黄泉行き(櫛の歯を折って火を灯す等)にさかのぼる例があるとされる。落ちた櫛を拾うのを忌む俗信、別れに櫛を贈る習わし、「櫛=苦死」の語呂合わせは各地に伝承があるが、成立年代や平安京での実態は地域差・時代差が大きく、本話の人物・会話・市の場面は創作。黄楊(つげ)が櫛材として珍重されたことは古くから知られるが、本話の忠助は架空の職人。天喜二年は一〇五四年(天喜は一〇五三〜一〇五八年)。東の市は平安京の官設市の名として用いた。

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