第 36 話落ちた櫛は、決して拾ってはならなかった——髪に魂が宿ると信じた頃の、櫛をめぐる作法のこと
〜市の隅で黄楊を挽くじいさまは、なぜ、客のいないあいだも歯の数を数えていたのか〜
今の暮らしなら、櫛などどこの店先にも転がっている。
色とりどりのが束で吊られていて、安いのは小銭ひとつで買える。髪をとかして、用が済めば抽斗の隅に放り込む。歯が一本欠ければ、惜しげもなく捨てて、また新しいのを買う。櫛にいちいち心を込める者など、今ではもう、まずいない。
けれど髪というものに、人の魂が宿ると信じられていた頃があったらしい。長く豊かな黒髪が、女の値打ちそのものとされた時代だ。その大切な髪に触れる道具なのだから、櫛もまた、ただの木の歯ではなかった。
道に落ちた櫛を、拾ってはならぬ。別れぎわには、櫛を贈る。そういう、今となっては理由のわからない作法が、櫛にはいくつもまといついていた。櫛、という音が、苦と死に通じるからだ——などと、まことしやかに言う者もいたという。
ボクが見てきたのは、その小さな歯の並びを、ひと筋ひと筋けずり出していく、老いた職人の手元のことだ。
◇ ◇ ◇
天喜元年(一〇五三年)の春、京の東の市の片隅に、黄楊の櫛を挽くじいさまがいた。名を弥三郎といった。
市の喧騒からは少しはずれた、塀ぎわの日だまりに、ぽつんと茣蓙を敷いている。並べてある櫛は、せいぜい十枚かそこら。客が群がる絹商いや米商いの賑わいとは、まるで縁のない静けさだった。われはその春、京で当てもなく日を送っていて、市の物売りを眺めて時をつぶすのが、ちょっとした楽しみになっていた。
はじめて弥三郎の前に腰をおろしたとき、じいさまは客が来たことにも気づかぬふうで、ひとり黙々と手を動かしていた。日に灼けた顔は深い皺に刻まれ、落ちくぼんだ目だけが、手もとの一点をじっと見すえている。背は丸く、肩から先がそのまま道具になってしまったような、よどみのない動きだった。膝のうえに小さな黄楊の板を据え、細い鋸のようなもので、櫛の歯のあいだをすう、すう、とけずっている。一本けずるたびに、白い木の粉が、節くれだった膝にうっすら積もっていく。
「ずいぶん細かい仕事だな」と、われは声をかけた。
弥三郎は手を止めずに、ふん、と笑った。「黄楊はな、堅い。堅いから、歯がしなって、折れにくい。そのかわり、けずるのに難儀する」。指の腹で歯先をなでて、「ここがぴたりと揃わんと、髪を梳いたとき、ぷつ、と引っかかる。そうなれば、もう櫛じゃない」と言う。
なるほど、と覗き込むと、並んだ歯のひとつひとつが、おどろくほど等しい間で立っている。髪の毛ほどの細さに割られた歯が、いっせいに天を向いて、光をうっすらと弾いていた。物差しを当てたわけでもなかろうに、ただ古びた目と指だけで、これだけ揃うものか。われが感心していると、じいさまは挽きあげた一枚を目の高さまで持ち上げ、片目をすがめて歯の列をすかし見てから、口のなかで、ひとつ、ふたつ、と数えはじめた。
客がいるわけでもないのに、数えている。妙に思って訊くと、弥三郎は事もなげに言った。
「櫛の歯はな、数が決まっとる。多すぎても、少なすぎてもいかん。仕上げに数えて、ちゃんとその数になっとるか、たしかめるのよ」
なぜその数でなければならぬのか、と重ねて訊いても、じいさまは肩をすくめるだけだった。親方がそうしろと言った。その親方も、そのまた親方に習った。理屈は知らん。ただ手と口が、勝手にそう覚えている——そういう数だった。
弥三郎の手わざを見ていると、市のざわめきがふしぎと遠のいた。すぐ向こうでは絹を競る声が飛びかい、米を量る枡の音や、馬のいななきが入りまじって、京の市は一日じゅう海鳴りのように騒がしい。物売りの呼びかけが波のように寄せては返し、土埃のにおいが日だまりに立ちのぼっていた。それなのに、この塀ぎわの茣蓙のうえだけは、けずる音のほかに何もない。指の運びにあわせて木の粉が舞い、椿の油のかすかな甘いにおいが鼻をかすめる。すう、すう、という、その音だけがあった。
仕上げに、じいさまは挽きあげた櫛を、木賊の葉でていねいに磨き、それから椿の油を、ほんのひと刷毛、歯のうえにのばした。白っぽかった黄楊が、油を吸って、しっとりと飴色に沈む。「こうしておくと、髪のすべりが良くなる。歯も、長くもつ」と言う。手のひらにのせて差し出されたそれは、さっきまでただの木の板だったとは、とても思えなかった。試しに、われは自分の額の髪を一度梳いてみた。引っかかりひとつなく、すう、と歯が通って、思わず声がもれた。じいさまは、それ見たことか、という顔で、また鼻の先で笑った。
そのとき、塀の角から、ひとりの若い女がおずおずと近づいてきた。市女笠を目深にかぶり、垂れた布の影に顔を隠して、人目を避けるような足どりだった。茣蓙のそばまで来てもなお迷うように立ちどまり、やがて弥三郎の前に膝を折ると、声をひそめて、櫛がひとつ欲しい、と言う。か細い、けれどどこか思いつめた声だった。
「人にやるのかね」と弥三郎が訊いた。女は小さくうなずいた。連れ合いが、遠い国へ召されて下る。その旅立ちの朝に、持たせてやりたいのだ、と。
弥三郎は黙って、棚から一枚を選んで、女の手のひらに載せた。それからふと、こう釘を刺した。「いいか。渡すときに、決して落とすなよ。落ちた櫛は、拾うもんじゃない」。女の手が、びくりと止まった。
拾ってはいけない。われも前に、誰かからそう聞いた覚えがあった。なぜだ、と訊くと、弥三郎は声を落とした。櫛、というのは、苦と死に通じる音だ、という。だから道に落ちた櫛には、その人の苦労や、わざわいまでが、いっしょに落ちて転がっている。それを拾うのは、よその家の苦労を、わざわざ拾い上げて、わが身に乗せるようなものだ——と、昔から、そう言い伝えられているらしい。
女は、手のなかの櫛を、両手でそっと包みこんだ。落とすまい、というように。
「別れに櫛を贈るのは、縁起の良いことなのかえ」と、女はすがるように訊いた。弥三郎は少し考えてから、「さあ、どうだかな」と、はぐらかすように笑った。良いとも、悪いとも、決めかねる顔だった。ただ、こうつけ加えた。「髪を梳く道具だ。離れていても、朝な夕な、その人が髪を梳くたびに、こっちのことを思い出す。そういう品さ。それで良いじゃないか」。
女は深くうなずいて、櫛の代を置くと、来たときよりは晴れた顔で、市の人ごみへ消えていった。
われはその背を見送りながら、弥三郎の手のなかの、削りかけの一枚に目をやった。じいさまはまた、すう、すう、と歯のあいだをけずりはじめている。
「あの娘の連れ合いは、無事に戻ってくると思うか」と訊いてみた。弥三郎は手を止めずに、「知らんよ」と言った。「戻る者もおる。戻らん者もおる。櫛ひとつで、どうこうなるものでもなかろう」。
冷たいようでいて、どこか優しい言いかただった。櫛に、人の運命までを背負わせはしない。ただ、髪を梳くという、毎朝のささやかな手わざのなかに、遠い人を思い出すよすがを、ひとつ忍ばせておく。じいさまの作っているのは、そういう道具なのだと、われは思った。
昼を過ぎたころ、こんどは身なりのよい屋敷の下女らしい女が、足早にやってきた。主の姫さまの櫛が欲しいという。聞けば、その姫の黒髪は、立てば背丈をこえて床に垂れるほどで、屋敷でも評判なのだそうだ。弥三郎は棚の奥から、ひときわ歯の細かい一枚を選び出した。「これだけ髪の長い人には、目の詰んだのがいい。粗い歯では、長い毛が、途中で引っかかってしまうからな」。下女は値も聞かずにうなずいて、銭を惜しまずに置いていった。
長い黒髪が女の値打ちとされる世だ、と弥三郎は言った。髪を伸ばすのは、たやすいことではない。幾年もかけて梳き、洗い、米のとぎ汁で洗っては陽に干し、ひとすじも切らずに守りとおして、ようやくあの黒い滝になる。寝るときも結わえ、起きればまず梳く。その手入れに、毎朝、櫛がいる。「だからな、櫛挽きはな、けっして食いはぐれん」。じいさまはそう言って、欠けた歯を見せ、めずらしく声をあげて笑った。
日が傾くまで、われは弥三郎のそばに座っていた。じいさまは、けずっては数え、けずっては数えして、その日、櫛を三枚仕上げた。木の粉に膝を白くしながら、最後の一枚の歯の数を、また、ひとつ、ふたつ、と口のなかで数えていた。
◇ ◇ ◇
黄楊の櫛は、それからも長く、人の髪に寄りそってきた。
落ちた櫛を拾うのを忌む心も、別れに櫛を持たせる作法も、ボクの知るかぎり、ずいぶん後の世まで、人々の暮らしの隅に残っていたようだ。櫛と苦死を結ぶ語呂合わせなど、いま思えばただの音の遊びだ。それでも人は、その遊びに、ほんとうの祈りや戒めを、そっと託してきた。
今では、櫛は小銭ひとつで束になって売られている。歯が一本欠ければ、誰も惜しまずに捨ててしまう。拾ってはならぬと声をひそめる者も、もういない。
それでも、と思う。朝、鏡の前で髪を梳くとき、ふと、遠くにいる誰かのことを思い出す——あの市の女が、旅立つ人に持たせたかったのは、つまるところ、そういうひとときだったのだろう。
歯の数を、ひとつ、ふたつ、と数えていた弥三郎の、白く粉をかぶった指先を、ボクはまだ覚えている。
参考文献・もっと詳しく
- 『化粧の日本史——美意識の移りかわり』ISBN 978-4-642-05827-8
- 『日本の髪形と髪飾りの歴史』ISBN 978-4-7739-9802-3
- 『日本髪大全——古代から現代までの髪型の歴史と結い方がわかる』ISBN 978-4-416-51643-0
- 『日本人の死生観——蛇 転生する祖先神』ISBN 978-4-409-54049-7
※ 髪に霊魂が宿るとする観念や、櫛を呪具とみなす古い信仰は、『古事記』のイザナギの黄泉行き(櫛の歯を折って火を灯す等)にさかのぼる例があるとされる。落ちた櫛を拾うのを忌む俗信、別れに櫛を贈る習わし、「櫛=苦死」の語呂合わせは各地に伝承があるが、成立年代や平安京での実態は地域差・時代差が大きく、本話の人物・会話・市の場面は創作。黄楊(つげ)が櫛材として珍重されたことは古くから知られるが、本話の弥三郎は架空の職人。天喜元年は一〇五三年(天喜は一〇五三〜一〇五八年)で、元号と西暦の対応は史実に整合する。東の市は平安京の官設市の名として用いた。
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