第 37 話食捨てるはずの煮豆が糸を引いた朝、誰もそれを食おうとはしなかった話
〜糸を引いた豆を、村でただひとり口へ運んだ女房は、なにを思って噛みしめたのか〜
納豆というのは、まったく妙な食い物だ。
煮た豆が、糸を引いて、ねばねばと粘る。匂いはきつく、見た目もよろしくない。そんなものを、人は飯にかけ、かき混ぜ、あろうことか旨い旨いと言って食う。はじめてあれを見た者は、たいてい腐っていると思う。事実あれは、腐っているのと紙一重のところにある。
けれど不思議なもので、あの糸を引く粘りこそが、豆を腐らせず、かえって長くもたせ、滋養まで増してくれるらしい。藁のなかにひそむ目に見えぬ小さな働き者が、豆をそういうふうに変えてくれるのだと、いまでは知られている。だが昔の人は、その働き者の姿など、知るよしもなかった。
ボクが見てきたのは、捨てられるはずだった糸引き豆を、人がおそるおそる口へ運び、やがて毎日の菜にしていった、その移り変わりだ。藁の中の見えぬ力を「神さまの恵み」と拝んでいた、そのあたりのことさ。
◇ ◇ ◇
応永十五年(一四〇八年)の冬のことだ。おれは信濃の、山にへばりつくような小さな村で、田畑を耕して暮らしていた。与三という。
その年の冬は、ことのほか寒かった。雪が早くから屋根を白く埋め、炉の火を絶やせば、たちまち身の芯まで凍えた。蓄えといえば、夏に穫れた大豆がいくらかあるばかりだった。米はとうに年貢でさらわれ、おれたちの口へ入るのは、稗や粟に煮豆を混ぜたものくらいのものさ。
その日おれは、煮た大豆を、藁の苞にぎっしりと詰めていた。藁で豆を包むのは、村のならわしだった。藁は刈り入れのあとにいくらでも出る。それを束ね、筒のように編んで、なかへ品を入れて運ぶ。豆でも、握り飯でも、なんでもそうした。そうしておけば持ち運びやすく、寒さからも品を守れる。藁は、貧しい村の、ただひとつ豊かな入れ物だったのさ。
沢向こうの家へ、煮豆をいくらか分けてやる約束があった。あすこの婆さまが、冬を越す力をなくして、寝込んでいると聞いていた。煮豆は柔らかく、弱った年寄りの腹にもやさしい。雪が降りつもる前に、なんとか届けてやりたかった。
ところが、その晩からまた雪が荒れた。吹雪で道が消え、沢を越えるどころではなくなった。おれは藁苞を、炉のわきへ放っておいた。煮豆の温もりと、炉のぬくもりとで、苞はほんのり湿って、温かいままだった。雪のやむのを待つうち、二日が過ぎ、三日が過ぎた。
雪がようやく落ち着いた朝、おれは藁苞を解いた。そうして、思わず手を引いた。
豆と豆のあいだに、白く濁った糸が、幾筋も渡っている。箸でつまみ上げれば、ねばねばと、どこまでも糸を引いて切れない。鼻を近づければ、つんとくる、強い匂いがした。
「腐ったか……」
おれは舌打ちした。せっかくの蓄えを、まるごと無駄にした。婆さまへ届ける約束も、これでふいだ。腹立たしくて、苞ごと表の雪へ放り出そうとした、そのときだ。
◇ ◇ ◇
土間の隅から、女房の声がした。
「待ちなされ。捨てるのは、いつでもできる」
女房は、糸を引く豆を、まじまじとのぞき込んだ。村では、食えるものを捨てるのは、罰当たりとされていた。飢饉の年をいくつも越えてきた者たちには、それが骨の髄まで染みついていたのさ。一粒の豆も、無駄にはできぬ。そういう冬を、おれたちは何度もくぐってきた。
「いろは、まだ豆のいろだ。黴も生えておらん。ためしに、わしが食うてみる」
女房はそう言って、糸引き豆を椀に取り、おそるおそる箸の先で、ほんのひとくち、口へ運んだ。おれは脇で、息を呑んで見ていた。腹でも下せば、この寒のさなか、ただではすまぬ。
女房は、しばらく口を動かしてから、ふと目を見開いた。
「……これは。臭うが、いける。煮ただけの豆より、ずっと味が濃い」
女房がうなずくのを見て、おれもひとつぶ口へ入れた。たしかに匂いは強い。だが噛みしめるうち、豆の甘みのなかに、なにやら旨みのようなものが、じわりと舌へ広がってくる。煮ただけの味気ない豆とは、まるで別の食い物だった。そうして、なぜだろう、ひどく懐かしいような心地が、胸の底をよぎった。
それでも、村の者はその晩、まだ半分は怖がっていた。腐ったものを食えば、人は腹を下し、ひどいときには命を落とす。その怖さは、村のだれもが知っていた。だから女房は、まず自分ひとりで食うてみて、ひと晩、おのれの腹のぐあいを確かめてから、おれや子らに勧めたのだ。母というのは、いつでもそうやって、まず己の身で毒見をする。
その晩おれたちは、糸引き豆を稗の飯にかけて食った。腹をこわす者は、ひとりもいなかった。それどころか、寒さで縮こまっていた体が、内から温もってくるようでさえあった。次の朝も、その次の朝も、おれたちはぴんぴんしていた。それで、ようやく安堵したのさ。
おれは藁苞を、しげしげと眺めた。同じ豆を、同じ日に煮たのに、藁にくるんで炉のそばに置いた豆だけが、こうなった。藁が、なにかをしたとしか思えなかった。
◇ ◇ ◇
翌朝、おれは試しに、また同じことをやってみた。煮豆を藁苞に詰め、炉のわきへ置く。一日では、なにも起こらなかった。二日めに、かすかな糸が見えはじめた。三日めには、前と同じ、白く濁った糸が幾筋も渡っていた。やはり藁と、炉の温もりとが、そろわねばならぬらしい。冷えた土間の隅へ置いた苞は、いつまでも、ただの煮豆のままだった。
おれは、いくども苞を作っては、できたりできなかったりを繰り返した。温めすぎれば、豆はぬるりと崩れ、まことに腐ってしまう。温もりが足りねば、糸は引かぬ。ちょうどよい火加減、ちょうどよい日数というものが、たしかにあった。それを、おれは舌と鼻で覚えていった。書き留める術など持たぬ百姓には、体で覚えるよりほかに、道はなかったのさ。
雪がゆるんだころ、おれは出来のよい糸引き豆を苞ごと背負い、ようやく沢向こうの婆さまのもとへ運んだ。腐ったものを病人に食わせるわけにはいかぬと、はじめは差し出すのをためらった。だが女房が「滋養になる」と言い張るので、思いきって椀に取り分けた。
婆さまは、鼻を近づけて、いちど顔をしかめた。それでも、痩せた手で箸を取り、ひとくち、またひとくちと、ゆっくり噛みしめた。
「ふしぎな味じゃ。けれど、腹の底があったこうなる」
そう言って、椀を空にした。寝込んでいた婆さまの頬に、その晩、わずかに血の色が戻ったように見えた。気のせいだったかもしれぬ。けれど、糸を引く豆が、弱った者の力になる——おれは、そう信じた。
村へ帰って、おれはこの話を、あちこちで吹いて回った。はじめ、誰もが顔をしかめた。腐った豆を食うとは、与三の家もよほど困窮したか、と陰口も叩かれた。だが、ためしに藁苞へ煮豆を詰め、炉のそばで寝かせてみた者から、ひとり、ふたりと、考えを変えていった。
「なるほど、糸を引いておるが、これは……いける」
糸を引けば引くほど、よく出来たとされた。村のあちこちの炉端で、藁苞が温められるようになった。同じ豆を煮ても、藁にくるんで温もりに置いた豆だけが、こうなる。藁が、なにかをするのだ。
はじめのうち、子どもらは、糸を引く豆を気味悪がって、口をへの字に結んでいた。ねばねばと指にまつわりつくのを、泣きべそをかいて嫌がる子もいた。それが、ひと冬ふた冬と経つうちに、いつしか平気な顔で、飯にかけてかき込むようになる。生まれたときから炉端にあれば、それはもう、めずらしいものでも、気味の悪いものでもない。ただの、あたりまえの菜だ。子らにとっては、はじめから糸を引いているのが、豆という食い物だったのさ。
「藁の力か。それとも、なあ」
女房は、両の手を合わせて、炉の火を拝んだ。
「神さまが、雪で難儀するわしらを、哀れんでくだされたのよ。捨てずにおいて、よかった」
目に見えぬなにかが、藁のなかに宿って、豆を変えた。それを、おれたちは「神の恵み」と呼ぶよりほかに、言いようを持たなかった。藁の中の小さな働き者の正体など、知るべくもなかったのだからね。寒い土地ほど、この恵みはよく根づいた。
◇ ◇ ◇
それからというもの、村では、わざと藁苞に煮豆を詰め、炉のそばで寝かせるようになった。はじめは、おっかなびっくり口にしていた糸引き豆が、いつのまにか、冬の蓄えの菜として、なくてはならぬものになっていった。雪に閉ざされた山あいの村で、米も菜も乏しいなか、それは滋養をくれる、ありがたい食い物だったのさ。ボクは、そういう村の炉端を、あちこちで見てきた。
糸を引く豆を、藁にくるんで寝かせる。たったそれだけのことが、いつしか所のならわしになり、親から子へ、子から孫へと伝わっていった。藁の中の見えぬ働き者の名を、人が知るのは、ずっとずっと、あとのことだ。それまでの長いあいだ、人はただ、藁の力と、神の恵みとに、手を合わせていた。
今では、糸引き豆は、藁の苞などなくとも、どこででも作られる。匂いはおとなしくなり、誰もが朝の膳でかき混ぜている。あれを「神さまの恵み」と拝む者は、もう、ほとんどいない。
それでもね、とボクは思う。
雪深い村の炉端で、捨てるはずだった豆を、罰当たりだと拾い上げた女房がいた。腹をこわすかと、息を呑んで見守った男がいた。糸を引く豆を前にして、それでも捨てずに口へ運んだ、その小さな勇気のうえに、今日の一椀がある。
糸を引く豆は、ただ粘って、つんと臭うばかりだ。けれどそのねばりのなかには、寒さと飢えのなかで、一粒の豆さえ捨てまいとした人たちの、つましい暮らしが染み込んでいる。ボクは、そういうものが、好きなんだ。
参考文献・もっと詳しく
- 『納豆の科学——最新情報による総合的考察』ISBN 978-4-7679-6123-1
- 『納豆の食文化誌』ISBN 978-4-540-18117-7
- 『日本古代食事典』ISBN 978-4-88721-330-2
- 『中世の村のかたちと暮らし』ISBN 978-4-04-703425-9
※ 煮た大豆を藁苞に包み、適度な温もりのなかに置くと、藁に付着した枯草菌の一種の働きで発酵し、糸を引いて旨みと滋養の増した「納豆」になるとされる。藁に包む保存・運搬の習慣のなかから偶然に生まれたと伝わり、寒冷で米や菜の乏しい山間の村に、貴重な蛋白源として根づいていったという。菌の存在が知られる以前は、その変化を「藁の力」や「神の恵み」と受け止めたとされる。応永十五年は一四〇八年(応永は一三九四〜一四二八年)で、元号と西暦の対応は史実に整合する。※本文の人物・会話・情景は創作。
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