第 56 話藁を編んだ一枚の雨具が、旅する者と土を耕す者の姿になっていった日のこと
〜雨に打たれて軒を借りた男に、蓑造りの老人は、なぜ黙って一枚を編んでやったのか〜
雨が降れば、いまは傘をさす。それでも濡れるなら、上から薄い合羽を羽織る。透けるほど軽い布で、丸めれば手のひらに収まる。雨をしのぐというのは、今では、その程度のことになった。
けれど昔は、そうはいかなかった。空が崩れれば、人は逃げ場がない。野良で鍬をふるう者も、荷を背負って街道をゆく者も、降りだせばずぶ濡れになって、骨の髄まで冷えた。濡れた身は熱を出し、熱は時に命を奪う。雨はただの水ではなく、わりあい本気で人を殺しにかかるものだった。
だから人は、藁を編んだ。刈り取った稲の藁や、菅という草を、幾重にも重ねて肩から羽織る。これを蓑という。頭には、同じ草を笠に編んでかぶる。たったそれだけのことで、雨の何割かは、肩を滑って地へ落ちていく。
ボクが見てきたのは、その藁くずのような一枚が、ただの雨よけから、旅する者と土を耕す者の「姿」そのものになっていく、その移り変わりだ。蓑を着た背中を見れば、ああ旅の者だ、ああ百姓だと、誰もがひと目で察するようになった。そのあたりのことさ。
◇ ◇ ◇
応永十年(一四〇三年)の秋のことだ。おれは美濃の、街道沿いの小さな村に流れ着いた。
その年、おれは食いつめて、あてもなく国から国へと渡り歩いていた。日傭取りの仕事を拾っては食いつなぐ、根なし草の暮らしさ。その日も峠を越えようとして、運悪く、空に捕まった。
はじめは小雨だった。それがみるみる本降りになって、街道は泥の川と化した。おれは笠ひとつ持たぬ身で、たちまち頭から爪先までずぶ濡れになった。歯の根が合わぬほど震えながら、どうにか目についた村の、一軒の軒先へ転がり込んだ。
その家の土間で、ひとりの老人が、藁を編んでいた。
名は茂作といった。腰の曲がった、痩せた爺さまだ。手元には刈ったばかりの藁と、束ねた菅が積まれている。老人はおれの惨めな姿をちらと見ると、なにも言わずに、上がれと顎で示した。
おれは炉の端を借りて、震えながら濡れた身を乾かした。老人は、おれにかまうでもなく、ひたすら手を動かしつづけていた。
その手つきが、おれには不思議だった。藁を選り分け、根元を揃え、細い縄で一筋ずつ綴じていく。下の段を編み終えると、その上へ次の藁を重ね、また綴じる。屋根の瓦を葺くように、藁が幾重にも段を成して垂れていく。雨だれを、上から下へ受け流すためだと、あとで知った。
「爺さま、それは、なんだね」
おれが尋ねると、老人は手を止めずに、ぼそりと言った。
「蓑よ。お前さんのような、笠も持たぬ阿呆が、雨に殺されぬための物さ」
おれは、むっとした。むっとしたが、言い返せなかった。げんに、その阿呆が、いま炉の端で震えていたからだ。
◇ ◇ ◇
雨は、三日やまなかった。
おれはその間、老人の家に居つくことになった。なにもせず厄介になるのは気が引けて、薪を割り、水を汲み、できることは手伝った。老人は相変わらず無口だったが、おれが手を動かすのを、満更でもない顔で眺めていた。
手持ち無沙汰のとき、おれは老人の蓑造りを、そばで見るようになった。
見ているうちに、おれの指がうずいた。やらせてくれと頼むと、老人は黙って藁の束をおれの前へ押しやった。
ところが、これが思いのほか難しい。藁の重ね方がまずいと、段と段のあいだに隙ができる。その隙から、雨は容赦なくしみ込んでくるのだと老人は言った。きつく綴じすぎれば藁が折れ、ゆるすぎれば抜け落ちる。一段ごとに藁を少しずつずらし、雨が肩を伝って地へ落ちる道筋を、作ってやらねばならない。
「こいつはな、ただ藁を縛りゃいいってもんじゃねえ」
老人は、おれの不格好な手元を見ながら言った。
「水の通る道を、編んでやるのよ。藁の一筋ずつに、雨をどこへ逃がすか言い聞かせてやる。そうすりゃ、藁くずが、人を雨から守るんだ」
おれは、その言葉に唸った。たかが雨具と侮っていた。それが、長い年月をかけて練り上げられた、暮らしの知恵の塊だったとは。村の年寄りから若い者へ、若い者からまたその子へと、口づてに受け継がれてきた手わざなのだと、老人は誇るでもなく、ただぽつりと語った。
「笠もな、同じよ。頭のかたちに合わせて、菅を骨へ綴じる。深く編めば、顔まで雨がかからねえ。旅の者は、これを目深にかぶって、日も雨も風も、まとめてしのぐのさ」
老人は、若いころに父から編み方を仕込まれたのだという。その父もまた、そのまた父から教わった。雨のない冬の宵に、炉端で藁を綯い、子に手を取って綴じ目を覚えさせる。それがこの村の、ずっと続いてきた暮らしの形なのだと、老人はぽつぽつと語った。
「米はな、食えば終わりよ。けど藁は、食ったあとに残る。その残りかすで、人は雨をしのぐ蓑を編み、寝るための莚を編み、履く草鞋を編む。捨てるところがねえ。稲ってえのは、てえしたもんさ」
おれは黙って、その手元を見ていた。一本の稲が、人を食わせ、人を雨から守り、人の足を地から守る。その最後の一滴までを、人の手が編み上げて使い切る。藁くずと侮っていたものが、暮らしのすみずみまで行きわたっていることに、おれは初めて気づかされた。
雨があがった朝、老人は、いつのまにか編み上げていた小ぶりの蓑と、一枚の笠を、おれの前へ無造作に置いた。
「持っていけ。次に降られたとき、また阿呆みてえに震えてちゃ、かなわねえ」
◇ ◇ ◇
雨があがっても、おれはなお幾日か、その村に居残った。秋の取り入れどきで、人手はいくらあっても足りぬという。おれは老人の口添えで、村の田仕事を手伝うことになった。
田へ出てみて、おれは目を見張った。
刈り入れの最中に、また村は時雨に見舞われた。すると百姓たちは、誰に言われるでもなく、肩の蓑をさっと引き上げ、笠を目深にかぶり直した。そうしてなにごともなかったように、稲を刈りつづける。雨に追い立てられて逃げ惑うのは、笠ひとつ持たぬおればかりだった。
蓑を着た背中が、ずらりと田に並んでいる。年寄りも、若い嫁も、走りまわる童までが、身の丈に合わせた蓑をまとっていた。雨も、彼らの手を止めさせはしない。蓑の藁を雨だれが伝い、笠の縁から雫がしたたり落ちる。その下で、刈り取られた稲だけが乾いて積まれていく。その姿は、おれの目に、なんとも頼もしく映った。
夕方、童のひとりが、老人のそばで藁を握っているのを見た。小さな手で、たどたどしく綴じ目をなぞっている。老人は、おれにそうしたように、黙ってその手を見守っていた。やがて童が綴じ損ねると、その手をそっと取って、藁の運びを直してやる。
ああ、こうして繋がっていくのだと、おれは思った。一枚の蓑のなかに、雨をしのぐ知恵と、それを子へ手渡そうとする手とが、幾代も折り重なって編み込まれている。布を買う銭などなくとも、人は足元の藁から、身を守るものを生み出してきたのだ。
◇ ◇ ◇
取り入れがすみ、おれは、その蓑を肩にかけ、笠をかぶって、村を出た。
歩いてみて、おれは驚いた。雨が降っても、肩は濡れぬ。藁の段を伝って、雨だれが背の後ろへ流れ落ちていく。笠の下では、顔が乾いたままだ。あれほどおれを苦しめた雨が、もう、おれを殺しにこなかった。
そればかりではなかった。蓑笠の姿で街道をゆくと、すれ違う者が、おれを見て察するようになった。
「旅の御方か。気をつけて行きなされ」
茶屋の女が、湯を一杯ふるまってくれる。峠で行き合った馬借は、おれの蓑を見て道を譲り、宿場の番をする者は、笠の下のおれの顔を覗き込みもせず、ただ「ご苦労なことだ」とねぎらった。蓑を着た背中が、おれが土地の者ではなく、遠くから来て遠くへゆく者だと、ひと目で告げていたのだ。野で鍬をふるう百姓も、同じ蓑を着ていた。蓑を着た者を見れば、ああ土とともに生きる者だと、誰もが知った。
雨をしのぐためだけの藁が、いつのまにか、その人がどう生きているかを、黙って語る一枚になっていた。旅する者の姿。土を耕す者の姿。貧しい者も、そうでない者も、雨の前ではみな同じ藁を羽織る。蓑笠は、身分を問わぬ、暮らしそのものの形だったのさ。
◇ ◇ ◇
藁や菅で編んだ蓑と笠が、雨をしのぐ実用の衣にとどまらず、旅姿・農姿の象徴となっていったのは、人がまだ自分の足で土を踏み、自分の背で荷を負っていた、こうした時代のことだと伝わる。ボクは、その移り変わりを、いくつもの街道で見てきた。
蓑を着た背中は、絵にも描かれ、歌にも詠まれた。旅といえば蓑笠、百姓といえば蓑笠と、誰もがその姿を思い浮かべるようになった。藁くずのような一枚が、人の生き方を映す姿になったのだ。
今では、蓑を着る者は、もういない。雨は傘でしのぎ、合羽は丸めて鞄にしまう。藁を編んで雨の道を作ってやる手わざも、もう、そう多くは残っていないだろう。
それでも、とボクは思う。
どこかの古い蔵で、煤けた蓑が壁に掛かっているのを見たら、それをただの藁くずと思わずにいてほしい。雨に打たれて軒を借りた阿呆に、黙って一枚を編んでやった老人がいた。藁の一筋ずつに、雨をどこへ逃がすか言い聞かせてやった手があった。
蓑は、ただ藁を重ねただけのものだ。風が吹けば、かさかさと鳴るばかりさ。それでも、その一枚には、雨に濡れまいとした者たちと、その身を案じて編んでやった者たちの、長い長い背中が映っている。ボクは、そういうものが、好きなんだ。
参考文献・もっと詳しく
- 『民具学の提唱』ISBN 978-4-624-20024-4
- 『図説 藁の文化』ISBN 978-4-588-32117-7
- 『樹皮の文化史』ISBN 978-4-642-06370-8
- 『日本農耕具史の基礎的研究』ISBN 978-4-87088-649-0
※ 藁や菅で編んだ蓑(肩から羽織る雨具)と笠(頭をおおう雨具)は、野良仕事にも旅にも用いられた素朴な雨具で、貧富を問わぬ実用の衣であったとされる。やがて蓑笠の姿は旅人・農民の象徴として絵画や和歌にもしばしば描かれていったと伝わる。蓑は藁を段状に重ねて雨だれを受け流す構造を持ち、その編み方は各地で口づてに受け継がれたという。応永十年は一四〇三年(応永は一三九四〜一四二八年)で、元号と西暦の対応は史実に整合する。本話の人物・会話・情景は創作。
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