第 19 話軒に垂れた一枚の布が、店の名を背負って代を継いでいった日のこと
〜焼け跡に立った主は、煤けて焦げた一枚の布を、なぜ捨てずに洗い直したのか〜
暖簾というのは、店と往来とのあいだに垂れた、ただ一枚の布だ。
もとは、なんということもない布きれだった。夏の日差しを軒先でやわらげ、土ぼこりが店の内へ舞い込むのをふせぐ。風が吹けばはたはたと鳴り、客は手で払って店へ入ってくる。布の用などその程度のものだった。日除けと塵除け、それだけのために軒へ垂らされた、目立たぬ布さ。
ところがその布が、いつのころからか、店の名を背負いはじめる。藍に白く染め抜かれた屋号や印が、往来をゆく者へ「ここが、あの店だ」と告げる。布一枚が、店の顔になっていく。そうなると、もう容易には捨てられない。染め抜かれた印が、その店の商いそのもの、何代もかけて積み上げてきた信用そのものを、まるごと負うようになるからだ。
ボクが見てきたのは、その一枚の布が、ただの日除けから「店の信用」へと育っていく、その移り変わりだ。布が汚れることを、人が己の名の汚れのように恐れはじめた、そのあたりのことさ。
◇ ◇ ◇
文明十年(一四七八年)の夏のことだ。おれは京の、室町に近い小路の商家へ奉公していた。
長いいくさが、ようやくおさまったばかりのころだった。都のあちこちが焼け、町並みは虫食いのように欠けていた。おれの奉公する店も、いちど火に舐められて、骨ばかりを残して焼け落ちた。主の市右衛門どのは、焼け跡へ立ちつくし、それでも歯を食いしばって、また柱を起こし、板を張り、どうにか店の体裁をととのえていった。
あらかた普請がすんだ朝のことだ。市右衛門どのが、すすけた木箱をひとつ、蔵の奥から大事そうに抱えてきた。中から出てきたのは、一枚の古い布だった。
藍の色は褪せ、裾は焼け焦げ、煤で黒くよごれている。けれど布のまんなかには、まだはっきりと白く、丸にひと文字の印が染め抜かれていた。代々この店が掲げてきた、暖簾だった。
おれは正直なところ、首をかしげた。こんな焼け残りの布きれ、捨てて新しく染めればよいではないか。新しい店には、まっさらの暖簾がふさわしい。そう思ったのさ。
ところが市右衛門どのは、その煤けた布を、井戸端へ運ばせた。そうして、自分の手で、ていねいに洗いはじめたのだ。
おれは脇で水を汲みながら、たまらず尋ねた。
「旦那さま、なぜ新しいのをお染めにならぬのです。そのような焼け焦げを、後生大事に」
市右衛門どのは、手を止めずに、静かに言った。
「この印をな、客が覚えていてくれる。火事のあとも、この丸にひと文字をたよりに、客はこの軒先をさがして来てくれるのだ。布は焦げても、染め抜いた印は、消えはせぬ」
洗われた布は、煤こそ薄れたが、焦げも褪せもそのままだった。それでも市右衛門どのは、それを軒へ高々と掲げた。
すると、どうだろう。まだ普請の木の香も乾かぬ店先に、その古びた暖簾が一枚かかったとたん、往来をゆく者が、おや、と足を止める。
「おお、ここは焼ける前の、あの店か。よう持ちこたえたな」
そう言って、なつかしげに暖簾をくぐってくる。布が告げていたのだ。火に遭おうと、この店はまだここにある、とね。
◇ ◇ ◇
おれは、そこでようやく腑に落ちた。
あの暖簾は、ただの布ではなかった。先代の、そのまた先代の、何代もの主が、客をあざむかず、量目をごまかさず、こつこつと積み上げてきた商いの信用——それを、布一枚が背負っていたのだ。新しく染めれば、印は同じでも、その積み重ねまでは染まらない。煤けて焦げていればこそ、あの暖簾は「代々、ここで商うてきた」という、なによりの証になる。布の汚れは、店の年輪のようなものだったのさ。
その夏、おれは初めて、染物屋の仕事を見にやらされた。市右衛門どのが、焼け焦げの暖簾とは別に、いずれ掛けかえる新しい一枚を、わずかな蓄えをはたいて誂えはじめたからだ。藍甕の前で、染物師は型紙を布へあて、丸にひと文字の印だけを白く残して、あとをむらなく藍に沈めていく。何度も浸しては乾かし、また浸す。同じ青に染め上げるのが、なにより難しいのだと染物師は言った。たった一つの印を布へ刻むのに、これほどの手間がかかる。店の顔というものは、こうして一布ずつ、人の手で背負わされていくのだと、おれはそのとき思い知った。
それから、長い年月が流れた。
おれは下働きから手代になり、ひと通りの商いを任されるようになった。算盤を弾き、客の顔と名を覚え、仕入れの目利きを仕込まれ……気づけば、奉公にあがってから十幾年がたっていた。
ある年の暮れ、市右衛門どのが、おれを奥へ呼んだ。そうして、あの暖簾の話を切り出した。
「お前にも、いずれ己の店を持たせてやりたい。ついては、この店の印を、分けてやろうと思うておる」
暖簾を分ける——のれんわけ、と人は言った。長年まじめに奉公した者へ、主が、自分の店の屋号や印を使うことを許す。新しく構えた店の軒へ、本家と同じ印の暖簾を掲げてよい、というのだ。
それは、銭をもらうより、ずっと重いことだった。同じ印を掲げるということは、本家の積み上げた信用を、おれが分けてもらうということだ。それは同時に、おれの不始末が、そのまま本家の暖簾を汚すということでもある。布一枚が、本家と分家とを、目に見えぬ糸で固く結ぶ。
市右衛門どのは、おれの肩に手を置いて、言った。
「よいか。暖簾はな、染めるものではない。守るものだ。お前の代で汚せば、何代ぶんもの信用が、いちどに流れて消える。重いぞ」
おれは、畳に手をついた。返す言葉も出なかった。あの夏、井戸端で焼け焦げた布を洗っていた主の背中が、まぶたの裏によみがえった。あれは布を洗っていたのではない。何代もの信用を、手ずから洗い直していたのだと、いまになって思い知った。
◇ ◇ ◇
軒先の布が、屋号や家印を染め抜いて「店の顔」となり、信用そのものを背負うようになったのは、世が乱れ、また治まりをくりかえした、このころのことだ。ボクは、その移り変わりを、いくつもの店先で見てきた。
いちど暖簾に染められた印は、もう、ただの模様ではなくなった。それは店の名であり、代々の信用であり、奉公人が一生をかけて分けてもらう、誉れにもなった。布が汚れることを、人は己の名が汚れるように恐れた。その一枚を守るために、嘘をつかず、品をごまかさず、まじめに商いをつづけた。たかが布が、人の生き方まで正していったのさ。
今でも、店先には暖簾が垂れている。藍に白く抜かれた印が、風にはたはたと鳴っている。けれど、それを「店の信用」として見上げる者は、もう、そうは多くない。布はいつでも新しく染められ、汚れれば取り替えればよいものになった。
それでも、とボクは思う。
どこかの店先で、古びた一枚の暖簾が風に揺れているのを見たら、その布を、ただの日除けと思わずにいてほしい。焼け跡で、煤けた布を後生大事に洗っていた主がいた。同じ印を分けてもらって、畳に手をついた奉公人がいた。布一枚に、何代もの信用と、店の名を汚すまいとする人の意地とが、染み込んでいる。
暖簾は、ただ軒に垂れているだけだ。風が吹けば、はたはたと鳴るばかりさ。それでも、その一枚には、店の名を継ぎ、守り、また次へ手渡していった者たちの、長い長い背中が映っている。ボクは、そういうものが、好きなんだ。
参考文献・もっと詳しく
- 『日本商人の源流——中世の商人たち』ISBN 978-4-480-51122-5
- 『日本の暖簾——その美とデザイン』ISBN 978-4-7661-1990-9
- 『室内と家具の歴史』ISBN 978-4-12-204585-9
- 『入門 日本商業史』ISBN 978-4-7710-1487-9
※ 軒先に垂らした布は、もとは日除け・塵除けや目隠しのためのものであったが、やがて屋号や家印を染め抜いて店の標とし、商いの信用を表す「店の顔」となっていったとされる。暖簾が屋号・商標のような役割を強く帯びるのは中世後期から近世にかけてと伝わり、長年奉公した者へ主が屋号・印の使用を許す「暖簾分け」の慣行も、こうした流れのなかで育ったと伝わる。文明十年は一四七八年(文明は一四六九〜一四八七年)で、元号と西暦の対応は史実に整合する。※本文の人物・会話・情景は創作。
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