第 80 話文化花の一瓶をまえに、幾度も抜いては挿し直した男がいた
〜仏に供えるための花が、なぜ、見て愛でる花へと姿を変えていったのか〜
はじめて読む方へ——語り部「ボク」がなぜ千年を渡り歩いているのかは、プロローグにあります。
枝を一本、抜いた。
また挿す。三歩下がって、首をかしげる。また抜く。脇で水を汲んでいたおれの桶は、とうに一杯になっていた。
寛正三年(一四六二年)の春、京の六角堂のほとりの寺で、おれは祐阿弥どのという僧の下についていた。堂の本尊へ供える花を、毎朝あたらしく整える。それが、おれと僧の役目だった。
ほかの坊主たちは、手折ってきた花をひと束、器へまとめて挿すだけで事を済ませた。まごころさえあれば、それでよいとされていた。だが祐阿弥どのは、花を一本いっぽん手にとっては、じっと眺める。そうしてためつすがめつしたあげく、ようやく器へ挿す。一本挿しては下がって眺め、また引き抜いて向きを変え、挿し直す。脇で見ているおれには、正直、じれったくてならなかった。
◇ ◇ ◇
僧はひとりごとのように、手を止めずに言った。
「これは、立てておるのだ。挿すのではない」
おれには、その違いがよくわからなかった。だが、離れて見た祐阿弥どのの一瓶は、たしかに、ほかの坊主の盛った花とは、まるで違って見えた。花の数こそ少ないのに、目が疲れない。枝の伸びる先へ、おのずと目がついていく。器のうえに、ひとつの景色が立っていた。
朝の勤行がすむころには、堂のなかに、水と土のにおいが満ちる。祐阿弥どのは、毎朝、器の水を替え、底に溜まった泥やこぼれた花びらを、ひとつ残らず拾い集めた。指先は、いつも水気でふやけていた。花はいずれ枯れる。だからこそ、活けているあいだの一日一日を、ないがしろにしないのだと、僧はよく口にした。萎れかけた花も、すぐには捨てなかった。うなだれた花の向きひとつで、また別の景色が生まれることがあるからだと言う。
ほかの坊主たちは、そんな祐阿弥どのを、はじめのうちは物好きだと笑っていた。ひとつの花に、これほど手間をかけて、何になるのかと。だが、朝ごとに堂へ入ってくる人の足が、いつからか祐阿弥どのの花の前で、わずかに遅くなっていることには、誰も気づいていなかった。
◇ ◇ ◇
そのころ祐阿弥どのは、おれを連れて、野や山へ花を採りに出るようになった。
夜明け前に寺を出て、露の残る道を、かごを背負って歩く。祐阿弥どのは、道すがら足を止めては、草木の枝ぶりをためつすがめつした。まっすぐで見栄えのよい枝には、目もくれない。むしろ、崖のきわに斜めに生えた松や、風雪に何度も折れて曲がった枝を、遠くからでも見つけて近寄っていく。

道すがら、柴を拾いに出てきた里の者と、幾度もすれ違った。向こうは薪になる枯れ枝を探し、こちらは枯れてもいない曲がり枝を選び取る。同じ山でも、探すものがまるで違う。里人はそのたび、怪訝そうな顔で、僧の背負ったかごを覗きこんでいった。それでも祐阿弥どのは気にする様子もなく、道端の石ころのように転がる枝ぶりの善し悪しを、黙って選り分けていった。
歩きながら、僧はよく独りごとのように言った。一本の枝には、天と地と、そのあいだの三つの構えがあるのだと。まっすぐ高く伸びる枝は天をあらわし、低く垂れる枝は地をあらわす。その二つのあいだに、人の立つ構えを置く。
だれもが見向きもしない、曲がった松の枝、虫の食った椿の葉。僧は、そういうものを、わざわざ選んでいく。
「まっすぐな枝ばかりでは、景にならぬ。曲がった枝にこそ、年月が宿る」
かごいっぱいに草木を詰めて寺へ戻るころには、日はもうだいぶ高くなっていた。汗ばんだ背に、かごの縄が食い込む。祐阿弥どのは、疲れた顔ひとつ見せず、集めてきた枝を土間に並べ、一本いっぽん、水を吸わせる支度に取りかかった。切り口を斜めに削ぎ、水につけ、しばらく陰に置く。その手順を、僧は毎度、寸分たがえず繰り返した。
寺へ持ち帰ると、僧はその曲がりを生かして、花を組んだ。まっすぐ高く一本、椿の枝を立てる。その足もとに、小さな草を低く伏せて添える。あいだには、ほどよく空きを残す。詰め込みはしない。
「ここの、なにもない座がな、いちばん物を言う」
◇ ◇ ◇
あるとき、おれも見よう見まねで花を立ててみた。きれいな枝ばかりを集めて、まっすぐ整えて器へ挿した。我ながら、よくできたと思った。ところが祐阿弥どのは、それを一目見るなり、ふっと笑った。
「上手に挿したな。だが、これは死んでおる」
死んでいる、と言われて、おれはむっとした。僧は、おれの一瓶から枝を一本抜き、わざと斜めに傾けて、また挿し直した。たったそれだけで、おれの花は、急に息を吹き返したように見えた。
「整いすぎたものに、いのちは宿らぬ。風に揺れ、日に灼け、ときに折れる。野の花は、まっすぐには立っておらぬのだ」
おれは、返す言葉もなかった。しばらくのあいだ、水を替える手つきさえ、ぎこちなくなった。毎朝、桶を提げて井戸へ通い、枝を切りそろえ、器を洗う仕事だけは、休まず続けた。花を立てることは、まだ許されなかった。

それから幾月か経つうちに、任される仕事が、少しずつ増えていった。はじめは水替えと片づけだけだったのが、やがて枝を切る役、そのうち一輪だけ、脇に添える花を選ぶ役。祐阿弥どのは、口に出して褒めることはなかった。ただ、任せる仕事の数だけが、ひとつ、またひとつと増えていった。
やがて、祐阿弥どのの花が、人を呼ぶようになった。
はじめは仏前へ供えるだけだったものが、いつしか、それを見にくる者が出てきた。近くの武家、商家のあるじ、寺へ参る者たち。みな、本尊を拝みにきたはずが、その傍らの一瓶の前で、足を止めて動かない。
書院に床の間というものが備わるようになってからは、人の見方が変わったと伝わる。床の間は、客をもてなす座のなかで、もっとも目のあつまる正面だ。そこへ、季節の花を立てて飾る。客は、まずその一瓶を見て、ああ、もう春なのだな、もう秋なのだなと、季のうつろいを瓶のなかに読みとる。
祐阿弥どののもとへも、活け方を学びたいという若い者が、ぽつぽつと集まりはじめた。仏へ手向ける役目だったものが、いつしか、人から人へ受け継ぐ手わざになっていった。おれは、その始まりの座に、たまたま居合わせていただけのことさ。
ある日、さる武家のあるじが、わざわざ祐阿弥どのを屋敷へ招いた。床の間へ、花をひと瓶、立ててほしいというのだ。
おれは荷をかついで供をした。屋敷は寺よりずっと広く、廊下を渡るだけで幾度も曲がり角があった。案内された座敷には、まだ新しい畳のにおいが残っていた。祐阿弥どのは、その家の庭から枝を一本もらい、しばらく床の間の前に座って、天井の高さ、壁の色、差し込む光のぐあいを、じっと見た。それから、ようやく花を立てはじめた。一本の枝が、すっと天へ伸びる。その下に、ほのかな空き。武家のあるじは、できあがった一瓶を前に、長いこと言葉を失っていた。
「……一枝で、庭がまるごと、この座に来たようだ」
帰り道、荷はいくらか軽くなっていた。祐阿弥どのは、何も語らず、ただ来た道を戻っていった。日はもう傾きかけていて、二人の影が、道の先まで長く伸びていた。
ボクがこの時代を渡ってから、もうずいぶんになる。近ごろは、寺の外へ出るたび、荒れた道や焼け跡が目につくようになった。この世はどこへ向かうのか。ふと、足が竦むことがある。
祐阿弥どのの手もとには、花を立てるための道具が、ほとんど無かった。小刀と、水を張った器と、あとは指先だけだ。剣山——あの、針の並んだ道具は、まだこの世に無い。枝は、器の縁や、ほかの枝に支えさせて、倒れぬよう立てる。指先の勘だけが頼りだった。
◇ ◇ ◇
いまも、床の間に花が立っている。かがみ込んでその一瓶をのぞくとき、ふっと伸びた枝の先が、うなじをかすめることがある。ひやりとした葉先の感触が、ひとすじ、肌に残る。
参考文献・もっと詳しく
※ 仏前へ花を捧げる供花の習わしから、花そのものを器に立てて姿を整え、見て愛でる「立花(りっか・たてはな)」へと展開していった流れは、室町期の書院造の成立や同朋衆の活動とともに育ったとされ、後の生け花・華道の源流に位置づけられると伝わる。京の六角堂(頂法寺)周辺の僧坊が立花の名手を輩出したことも知られる。寛正三年は一四六二年(寛正は一四六〇〜一四六六年)。※本文の場面は、東福寺の僧・太極の日記『碧山日録』寛正三年二月二十五日条に記された、池坊専慶が武士に招かれて花を立て、洛中の好事者が見物に集まったという逸話に材を取っている。人物名・会話・情景は創作。
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