手折ってきた草木を、ただ挿すのではなく「立てた」男がいた話80
室町のころ・京の寺と書院読了 約8

手折ってきた草木を、ただ挿すのではなく「立てた」男がいた話

仏に供えるための花が、なぜ、見て愛でる花へと姿を変えていったのか

 床の間に、花がひと瓶。

 季節の枝が一本、すっと立てられて、そのまわりに小さな草が添えてある。ただそれだけのものだ。けれど、なぜか部屋ぜんたいが、それで引き締まる。客はまず、その一瓶へ目をやる。

 今では、花を飾るのは当たり前のことになった。玄関に、卓のうえに、人は花を生けて、季節を家のなかへ呼び込む。けれど、もとをたどれば、花は飾るものではなかったらしい。仏前へ供えるものだったと伝わる。手向ける花、捧げる花。見るための花ではなかったのさ。

 その供える花が、いつのころからか「立てる」花になり、やがて「見て愛でる」花になっていく。ボクが見てきたのは、その移り変わりだ。器に挿すのではなく、天地のかたちを一瓶のなかに映すように、花を立てた者たちのことさ。

◇ ◇ ◇

 寛正三年(一四六二年)の春のことだ。おれは京の、六角堂のほとりにある寺で、祐阿弥どのという僧の下についていた。

 祐阿弥どのは、仏前の花を活ける役を、長く受けもっていた。堂の本尊へ供える花を、毎朝あたらしく整える。ただそれだけの役目のはずだった。ところが、この僧の活ける花は、どうも、ほかの者のとは違っていた。

 ふつう供花というのは、手折ってきた花を器にまとめて挿す。それで事は足りる。仏さまへ手向けるのだから、見栄えよりも、まごころがあればよい。みな、そう思っていた。

 ところが祐阿弥どのは、花を一本いっぽん手にとっては、じっと眺める。そうしてためつすがめつしたあげく、ようやく器へ挿す。一本挿しては、また下がって眺め、首をかしげ、引き抜いて向きを変え、また挿す。おれは脇で水を汲みながら、正直なところ、じれったくてならなかった。

 「祐阿弥どの、なぜ、そう手間をおかけになるのです。花は挿せば、それで供わりましょうに」

 僧は手を止めずに、静かに言った。

 「これはな、立てておるのだ。挿すのではない」

 立てる、と僧は言った。おれには、その違いがわからなかった。挿すのも立てるのも、同じことではないか。けれど祐阿弥どのの活けた一瓶を、いざ離れて見てみると——たしかに、ただ挿しただけの花とは、まるで別のものだった。

 ほかの坊主が活けた供花は、たくさんの花を器いっぱいに盛ってある。色も数もにぎやかで、それはそれで美しい。けれど、見ているうちに、なんだか目が疲れてくる。どこを見ればよいのか、わからなくなる。

 ところが祐阿弥どのの一瓶は、花の数こそ少ないのに、見ていて飽きない。枝の伸びる先へ、おのずと目がついていく。そうして枝のてっぺんまで目を運ばれると、そこにふっと、空が見えるような心地がした。器のうえに、ひとつの景色がたしかに立っていた。おれは、おのれの目が、はじめて花というものをまともに見たような気がしたものさ。

◇ ◇ ◇

 そのころ祐阿弥どのは、おれを連れて、野や山へ花を採りに出るようになった。

 歩きながら、僧はよく独りごとのように言った。一本の枝には、天と地と、そのあいだの三つの構えがあるのだと。まっすぐ高く伸びる枝は天をあらわし、低く垂れる枝は地をあらわす。その二つのあいだに、人の立つ構えを置く。そうして一瓶のなかに、空と大地と、そこに生きる人の姿を、まるごと立て込めるのだという。

 「花を瓶へ移すのではない。野の山の景を、ひと瓶のなかへ移すのだ」

 おれには、半分も呑み込めなかった。けれど、僧の採る草木は、いつも妙だった。だれもが見向きもしない、曲がった松の枝、虫の食った椿の葉。そういうものを、僧はわざわざ選んでいく。

 「まっすぐな枝ばかりでは、景にならぬ。曲がった枝にこそ、年月が宿る。風に堪えた姿がある」

 寺へ持ち帰ると、僧はその曲がりを生かして、花を立てた。まっすぐ高く一本、椿の枝を立てる。その足もとに、小さな草を低く伏せて添える。あいだに、ほどよく枝を構えて、空きを残す。詰め込みはしない。むしろ、なにも活けていない空きの座のほうを、僧は大事にした。

 「ここの、なにもない座がな、いちばん物を言う。花と花のあいだの間こそが、景を呼ぶのだ」

 おれは、ようやく少しわかりかけた。これは、花を盛っているのではない。花のあいだに、見えぬ天地を立てているのだと。器のうえの、わずか一尺ばかりのところに、僧は野山ひとつを呼び込もうとしていた。

 あるとき、おれも見よう見まねで花を立ててみた。きれいな枝ばかりを集めて、まっすぐ整えて器へ挿した。我ながら、よくできたと思った。ところが祐阿弥どのは、それを一目見るなり、ふっと笑った。

 「上手に挿したな。だが、これは死んでおる」

 死んでいる、と言われて、おれはむっとした。生きた枝を活けたのに、なぜ死んでいるのか。僧は、おれの一瓶から枝を一本抜き、わざと斜めに傾けて、また挿し直した。たったそれだけで、おれの花は、急に息を吹き返したように見えた。

 「整いすぎたものに、いのちは宿らぬ。風に揺れ、日に灼け、ときに折れる。その、ままならぬ姿のなかにこそ、生きておる証がある。野の花は、まっすぐには立っておらぬのだ」

 おれは、返す言葉もなかった。きれいに挿すことばかり考えていた。けれど僧は、きれいさではなく、生きている姿のほうを立てようとしていたのだ。

◇ ◇ ◇

 やがて、祐阿弥どのの花が、人を呼ぶようになった。

 はじめは仏前へ供えるだけだったものが、いつしか、それを見にくる者が出てきた。近くの武家、商家のあるじ、寺へ参る者たち。みな、本尊を拝みにきたはずが、その傍らの一瓶の前で、足を止めて動かない。

 とりわけ、書院に床の間というものが備わるようになってからは、人の見方が変わったと伝わる。床の間は、客をもてなす座のなかで、もっとも目のあつまる正面だ。そこへ、季節の花を立てて飾る。すると客は、まずその一瓶を見て、ああ、もう春なのだな、もう秋なのだなと、季のうつろいを瓶のなかに読みとる。花が、座のあるじの心ばえまで語るようになった。

 おもしろいもので、人が見るようになると、活ける者も変わってくる。供えるだけのころは、まごころさえあればよかった。ところが見られるとなると、活ける者は、見る者の目を考えはじめる。どの向きから見て美しいか、どの座に置けば光を受けるか。そうして一瓶のなかへ、いよいよ心を尽くすようになる。

 祐阿弥どののもとへも、活け方を学びたいという若い者が、ぽつぽつと集まりはじめた。仏へ手向ける役目だったものが、いつしか、人から人へ受け継ぐ手わざになっていった。おれは、その始まりの座に、たまたま居合わせていただけのことさ。

 ある日、さる武家のあるじが、わざわざ祐阿弥どのを屋敷へ招いた。床の間へ、花をひと瓶、立ててほしいというのだ。供花ではない。見て愛でるための花を、というのさ。

 おれは荷をかついで供をした。祐阿弥どのは、その家の庭から枝を一本もらい、しばらく床の間の前に座って、天井の高さ、壁の色、差し込む光のぐあいを、じっと見た。それから、ようやく花を立てはじめた。一本の枝が、すっと天へ伸びる。その下に、ほのかな空き。武家のあるじは、できあがった一瓶を前に、長いこと言葉を失っていた。

 「……一枝で、庭がまるごと、この座に来たようだ」

 帰り道、おれは思いきって尋ねた。供える花と、見せる花と、祐阿弥どのには、どちらが本当なのですか、と。僧はしばらく黙って、それから言った。

 「同じことよ。仏へ手向けるのも、人に見せるのも、もとは、いのちの姿をうつくしく立てて、捧げるということだ。花は、立てられて、はじめて、ただの草木でなくなる。供えるのも飾るのも、入口がちがうだけさ」

 おれは、その言葉を、長いあいだ忘れなかった。手折られて、いずれ枯れていく草木。それを、枯れるまでのわずかなあいだ、天地の姿に立ててやる。供えるためでも、見るためでもいい。立てるという、その一手間が、ただの花を「花」にしていたのだ。

◇ ◇ ◇

 仏前の供花から始まった花が、器のなかに天地を立て、床の間に季節を呼び、見て愛でるものへと移っていったのは、書院というものが整い、人が暮らしのなかに「飾る」場をもちはじめた、このあたりのことだと伝わる。ボクは、その移り変わりを、いくつもの座敷で見てきた。

 立てる、という言い方は、やがて流派をなし、型をなし、難しい道になっていったらしい。けれど、その始まりにあったのは、案外、素朴なものだった。手折ってきた一本の枝を、ただ挿すのが惜しくて、もう少しだけ、いい姿に立ててやりたい——そういう、つつましい欲のようなものさ。

 今でも、床の間や卓のうえに、花がひと瓶、立っている。枝が一本、すっと立てられて、足もとに小さな草が添えてある。それを見て、ああ、季節が来たな、と思う人は、まだいる。

 けれど、その一瓶のなかに、天と地と、そのあいだの空きの座まで見てとる人は、もう、そう多くはないだろう。花はいつでも買えるものになり、飾れば、それでよいものになった。

 それでも、とボクは思う。

 どこかの床の間で、一本の枝がすっと立っているのを見たら、その向こうに、野山ひとつを呼び込もうとした者がいたことを、少しだけ思い出してほしい。曲がった枝を選び、なにもない空きの座を大事にして、枯れていく草木を、枯れるまでのあいだ、天地の姿に立ててやった者がいた。

 花は、ただ、瓶に立っているだけだ。やがて萎れ、捨てられる、はかないものさ。それでも、その一枝には、いのちを美しく立ててやろうとした人の、長い長いまなざしが宿っている。ボクは、そういうものが、好きなんだ。

参考文献・もっと詳しく

仏前へ花を捧げる供花の習わしから、花そのものを器に立てて姿を整え、見て愛でる「立花(りっか・たてはな)」へと展開していった流れは、室町期の書院造の成立や同朋衆の活動とともに育ったとされ、後の生け花・華道の源流に位置づけられると伝わる。京の六角堂(頂法寺)周辺の僧坊が立花の名手を輩出したことも知られる。寛正三年は一四六二年(寛正は一四六〇〜一四六六年)で、元号と西暦の対応は史実に整合する。※本文の人物・会話・情景は創作。

当サイトは Amazon アソシエイト・プログラムの参加者です。上記リンク経由の購入で当サイトに収益が発生する場合があります。