汁ひとつ菜ひとつの膳が、貧しさではなく「節度」と呼ばれはじめた日のこと79
暦応のころ・鎌倉の禅寺読了 約8

汁ひとつ菜ひとつの膳が、貧しさではなく「節度」と呼ばれはじめた日のこと

膳の前で長い文句を唱えさせられた若い男は、なぜ食べ終えた椀に湯を注いで底まで飲み干したのか

 一汁一菜、という言葉がある。汁がひとつ、菜がひとつ。たったそれだけの膳のことだ。

 今は、卓の上に皿がいくつも並ぶのが当たり前になった。多ければ多いほどもてなしが厚いと、人は思っている。品数の少ない膳は、どこか貧しく、寂しいものに見えるらしい。

 けれど昔は逆だった。汁ひとつ菜ひとつを、わざわざ正しい形として選びとった人たちがいたのさ。腹をふくらませるためでなく、心をととのえるために、あえて品を削った。少ないことを「貧しさ」ではなく「節度」と呼んだ。その逆さまの考え方が、どこから生まれて、どう武家の膳の心構えにまで沁みていったか——ボクは、それを禅寺の台所で見てきた。

◇ ◇ ◇

 暦応四年(一三四一年)の冬のことだ。おれは鎌倉の、とある禅寺の庫裏で下働きをしていた。

 食い詰めて寺の門を叩いたおれを、拾ってくれたのが道安という老いた僧だった。この寺で台所をあずかる役、典座というのを長くつとめている人だった。後で知ったが、禅の寺では飯を炊く役は下働きの仕事ではないという。修行を積んだ者がわざわざ受け持つ、大事な勤めなのだと聞いた。おれにはさっぱり分からなかった。飯炊きが、どうして座禅と同じほど尊いものか。

 初めて僧たちの膳を運ばされた朝、おれは目を疑った。

 ひとりひとりの前に置かれるのは、麦のまじった飯と、菜をひと品。それに、実のとぼしい汁がひとつ。たったそれだけだった。寺の客でもない、修行のさなかの僧たちが、来る日も来る日も、この三つきりで暮らしている。おれの里では、祭りの日でももう少しは並んだものだ。

 しかも僧たちは、箸をとる前に、声をそろえて長い文句を唱えはじめた。

 なにを言っているのか、おれには半分も聞きとれなかった。あとで道安どのに尋ねると、それは食う前に己へ問う、五つの戒めなのだと教えてくれた。この一椀がここへ届くまで、どれほどの人の手をかけてきたか。己はそれを受けるにふさわしい行いをしてきたか。むさぼる心を起こしてはいないか——そういう問いを、ひと口ごとに胸へ刻むための文句らしい。

 飯を食うのに、いちいち己を問いただす。おれの里では、ありつけるときに腹いっぱいかきこむのが、なによりのごちそうだった。明日も食えるとは限らぬ暮らしだ。あるときに食う。それが当たり前だったのさ。だからこの寺のやり方は、はじめ、まるで逆さまに見えた。

 「ただ食えばよいではありませぬか」と、おれは口をとがらせた。腹が鳴っているのに、長々と唱えてから箸をとるなど、まどろっこしくてかなわぬと思ったのさ。

 道安どのは、おこりもせず笑った。

 「むさぼって食えば、いくら並べても足りぬ。ありがたんで食えば、ひと椀でも満ちる。腹がふくれるのと、心が満ちるのとは、別のことよ」

 そう言って、自分の膳の麦飯を、ひと粒も残さずきれいに食い終えた。空になった椀を、道安どのはしばらく両手で包むようにして、何かを惜しむような目で見ていた。たかが麦飯のからの椀を、なぜそんなに大事そうに見るのか。そのころのおれには、まだ分からなかった。

◇ ◇ ◇

 冬が深まるにつれ、おれは道安どのの下で、飯のしたくを仕込まれるようになった。

 その手のかけようは、品数の少なさからは思いもよらぬものだった。たった一品の菜のために、道安どのは菜っ葉の一枚さえおろそかにしない。固い軸も筋も、捨てずに刻んで汁の実にする。米を研げば、研ぎ汁のなかに流れた一粒まで、目を皿にしてひろい上げる。

 「もったいない、ではないのですか」と、おれはまた尋ねた。たった一粒の米を惜しんで、なんになるのか、と。

 道安どのは、ひろった米粒を手のひらにのせ、おれの目の前へ差し出した。

 「この一粒を作るのに、田を打ち、苗を植え、草をむしり、刈り、干し、搗いた者がおる。その者らの一年が、この一粒に詰まっておる。粗末にできるか」

 おれは、返す言葉がなかった。

 汁をこしらえるさまも、おれの知るそれとは違った。里では、汁といえば塩で味をつければ上等のほうだった。ところが道安どのは、昆布を一片、水に静かに沈めておく。煮立てるな、と何度も言われた。煮立ててはうま味が逃げる、ぐらぐらさせず、じっと待て、と。火加減ひとつにも、苛立たず、急がず、ただ寄りそうような手つきがあった。

 「飯をこしらえるのも、修行のうちよ」と、道安どのは言った。「火の前に立つこのいっときも、座禅と変わらぬ。心を散らさず、いま手にしておるものへ、まるごと向きあう。それだけのことよ」

 飯炊きが座禅と同じほど尊い——門を叩いたばかりのころには笑い飛ばしたその言葉が、湯気の立つ鍋の前で、ようやくおれの腑に落ちはじめた。少ない品をおろそかにせぬのは、けちだからではない。一汁一菜のひとつひとつへ、心のすべてを注ぐためだったのさ。

 少ないからこそ、ひとつひとつを大事にする。品数を削ったぶんだけ、残った一汁一菜へ手間と心を注ぎこむ。それが、この台所のやり方だった。多くを並べてそのどれもをぞんざいに扱うより、ひとつを丁寧にいただくほうが、よほど豊かなのだと、おれは少しずつ分かりはじめた。

 膳が下げられてくると、僧たちの椀は、どれも舐めたように空だった。飯粒ひとつ残っていない。食い終えると、彼らは椀に白湯を注ぎ、香の物の一切れで内側をていねいにぬぐい、その湯ごと飲み干すのだという。椀を洗う水さえ、汚さず、無駄にせぬためだと聞いた。

 膳の前で長い文句を唱え、椀の底まで湯ですすいで飲み干す。はじめは奇妙にしか見えなかったそのふるまいが、いつしかおれには、ひどく静かで、美しいものに思えてきた。

 気づけば、おれ自身も、下働きの粗末な膳を前にして、あの五つの戒めを胸のうちで唱えるようになっていた。この一椀がここへ来るまでの、たくさんの手を思う。むさぼる心をいさめる。すると不思議なことに、麦のまじったいつもの飯が、前よりずっと旨く感じられた。腹は同じだけしか満ちぬのに、心のほうが、たしかにふくらんでいた。少ないものを、ありがたんでいただく。それだけで、貧しいはずの膳が、こんなにも豊かになる。おれは初めて、それを己の舌で知ったのさ。

◇ ◇ ◇

 その冬、寺へひとりの武士が逗留した。いくさで主を失い、世をはかなんで参禅に来たという、若い侍だった。

 はじめのうち、その侍は一汁一菜の膳を前に、あからさまに不服げだった。武家の館では、客にも主にも、もっと多くの皿が並んでいたのだろう。けれど日がたつにつれ、その顔つきが変わっていった。

 ある夕、おれが膳を下げにいくと、侍は空になった椀を見つめて、ぽつりと言った。

 「これだけで、足りるものなのだな。いや……これだけのほうが、かえって、よい」

 その侍が言うには、館では宴のたびに膳がいくつも並び、食べきれぬほどの皿が下げられていったという。残れば捨てる。それが武家のもてなしの厚さの証だった。だが、いざ主を失い、すべてが灰になってみると、あの山と積まれた皿のなにが己の身についたのか、と侍は問うた。なにも残らなかった、と。

 「ここの膳は、少ない。されど、ひと口ごとに身がひきしまる。少ないものを、おろそかにせぬ。減らしてこそ見えるものがある——それは、刀を抜くまでもなく、おのれを律する道に似ておる」

 多く持つことが豊かなのではない。足るを知り、少ないものを慎んでいただく——そこにこそ、武士の心構えに通じるものがあると、その侍は感じとったらしい。豪奢を戒め、おのれを節する。減らすことを潔しとする、その張りつめた静けさが、武家の気性によく合ったのだろう。

 春になって寺を発つとき、侍はおれにこう言い残した。館へ帰ったら、膳を簡素にあらためるつもりだ、と。汁ひとつ菜ひとつの心を、己の屋敷へ持ち帰るのだ、と。馳走の数で人をもてなすのではなく、ひとつの膳を心をこめてととのえることで、客を遇するのだ、とね。

◇ ◇ ◇

 汁ひとつ菜ひとつを、貧しさではなく節度として尊ぶ——その考え方が、禅寺の台所から武家の膳へ、じわじわと沁みていったのは、世が乱れに乱れた、このころのことだったと伝わる。ボクは、その移り変わりを、いくつもの膳のかたわらで見てきた。

 少なく、簡素に。けれど、ひとつひとつを丁寧に。それは欠乏ではなく、選びとられた慎みだった。多く並べて競うのではなく、削いで研ぎすますことに、人は美しさを見いだしはじめた。たかが汁と菜のことが、人の心の張りや、暮らしの構えまでととのえていったのさ。

 今でも、一汁一菜という言葉は残っている。けれど、それを「節度」として選びとる人は、もうそう多くない。皿は多いほどよく、品数は富の証になった。少ない膳は、ただの侘しいものに見られがちだ。

 それでも、とボクは思う。

 もしどこかで、汁ひとつ菜ひとつきりの膳に出会ったら、それを貧しいと笑わずにいてほしい。米の一粒をひろい上げた老いた手があった。空の椀を見つめて、これでよいと気づいた若い侍がいた。少ない膳のひとつひとつには、それを作った者の一年と、いただく者の慎みとが、静かに詰まっている。

 膳は、ただそこに置かれているだけだ。湯気が立てば、ほのかに香るばかりさ。それでも、その汁ひとつ菜ひとつには、足るを知るということを、暮らしのなかで形にしていった人たちの、長い長いまなざしが映っている。ボクは、そういうものが、好きなんだ。

参考文献・もっと詳しく

禅宗の寺院では、食事の用意をつかさどる「典座」の役を修行の一環として重んじ、食をととのえることを座禅と同等の勤めとした。食前に唱える「五観の偈」は、その一飯がもたらされるまでの労や、むさぼりを戒める心を確かめる文句として伝わる。こうした「足るを知り、簡素を尊ぶ」食の精神が、質素を貧しさではなく節度と捉える価値観として、武家の膳の心構えにも通じていったとされる。汁ひとつ菜ひとつを基本とする膳の形が広く整っていくのは中世から近世にかけてと伝わる。暦応四年は一三四一年(暦応は一三三八〜一三四二年)で、元号と西暦の対応は史実に整合する。※本文の人物・会話・情景は創作。

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