ラヂオ屋の銀次が屋根に線を張った冬、長屋は夕方の声を待った第 78 話文化
文化昭和のはじめ・東京の裏長屋読了 約6分

ラヂオ屋の銀次が屋根に線を張った冬、長屋は夕方の声を待った

〜箱はいったん鳴ったのに、銀次はなぜ、夕方まで帰ろうとしなかったのか〜

はじめて読む方へ——語り部「ボク」がなぜ千年を渡り歩いているのかは、プロローグにあります。

 昭和八年(一九三三年)の冬、ボクが東京の場末の棟割むねわ長屋にいた頃、通りの角にラヂオ屋の銀次がいた。銀次は、ものを言う前にかならず耳たぶを引っぱる男だった。ボクは、その銀次に一台を頼んだ。

◇ ◇ ◇

 河岸の荷を運ぶのが、わたしの稼ぎだった。雨の朝は荷が上がらない。それを知らずに夜明けから河岸へ出て、ただ濡れて帰る日が、その冬だけで三度あった。

 朝の空は、誰にも読めぬ。ところが、ラヂオは夕方に、明日の空模様を告げるのだという。それなら、頼むよりほかにない。

 銀次の店先には、木の枠が並び、真空管しんくうかんが藁くずのなかに寝かされていた。値を聞くと、銀次は指を二本立てて、「二十円」と口でも言い添え、帳場の算盤をはじいて見せた。わたしの半月ぶんの稼ぎが、ゆうに飛ぶ額だった。

 わたしが値切ろうとすると、銀次は棚の隅から、四角い黒い箱をひとつ出してきた。中身は電池だという。持たせてもらうと、腕が下がるほどに重い。

 「電池で鳴らす手もある。安くは上がる。ただ、こいつは、切れれば替えだ。重いのをかついで、そのたびに店へ来なさる。電灯の来てるお宅なら、球を挿して電灯から引いたほうが、けっきょく安くつく」

 わたしの家には、天井から裸電球が一つ下がっている。それで、電灯から引く型に決めた。値切りは、それきりやめた。

 「五日、もらいます」

 銀次はそう言って、耳たぶを引っぱった。組むのは店の奥で、客には見せない。わたしが見たのは、注文の証文に判を押す銀次の指と、その爪の裏の黒いはんだの粉だけだった。

 「それと、逓信局の許可がいります。許可書が下りなきゃ、鳴らしちゃいけねえ。聴取の料金は、放送のところへ、月に七十五銭」

 願いの書付は、銀次が店の紙でこしらえてくれた。月七十五銭も、わたしには軽くない。それでも、河岸で濡れる日が減るなら、と思った。

 待つ五日のあいだに、長屋じゅうにその話が回った。

 「空から声が降ってくる箱だとよ。気味がわるい」

 井戸端で、隣の老爺がそう言うと、女房連中が、なにやら手を合わせるまねをした。差配にも、「あまり大きな音は出さんでくれ」と、釘を刺された。わたしは、井戸の水を汲みながら、うなずいた。

 五日目の朝、木の枠は布を張られて店から届いた。前の日には、許可書も届いていた。紙の端に、朱の判が押してあった。

挿絵:五日目の朝、木の枠は布を張られて店から届いた

◇ ◇ ◇

 据え付けは、銀次と小僧の二人がかりだった。小僧は、まだ声変わりもせぬ十四、五の子で、銀次の背中だけを見て、線の束の端を持っていた。小僧の手は、束を絡ませずに送り出した。

 銀次は、ものを言わずに屋根へ上がった。庇ひさしから物干しものほしの竿へ、竿から路地のむこうの板塀いたべいの杭へ、細い線を渡してゆく。小僧が下から線の束をほどいて送り、銀次は杭に打った釘へ、陶の小さな玉を通して線を掛け、ぴんと張った。それから家のなかへ線を一本引き込んで、箱の背にねじで留めた。

 もう一本は、井戸端へ回った。銀次は、地面に鉄の棒を打ち込み、棒に線を巻き、その根元に手桶の水をたっぷりかけた。

 箱の奥へ、真空管をひとつずつ差す。電灯のソケットから電気を引いて、つまみをひねると、箱はぼう、と熱をもった。

 鳴ったのは、ざあ、という砂のような音だけだった。

 銀次は耳たぶを引っぱり、黙って井戸端へ出ていった。棒の根元を掘り返し、線の巻きを解いてやり直し、また水をかける。一度目のやり直しだった。

 戻ってつまみをひねる。ざあ、の底に、人の声のような筋が、ほんのり混じった。けれど、聞き取れはしなかった。

 銀次は、屋根に上がった。線が軒の瓦に触れて、寝ていたのだ。竹の棒を庇にかませて線を浮かせ、張り直した。二度目のやり直しだった。

 声は、はっきり出た。男の声が、数の読みあげをしていた。米の値段でもあったろうか。聞いているだけで、耳の奥の砂が、すっと引いていくようだった。

 「おう、鳴った」

 小僧がそう言うと、銀次は首を振った。

 「夕方まで、待つんだ」

 夕方になった。河岸から戻って上がり框に腰を下ろすと、銀次はまだそこにいた。市電の通る時刻になると、声の下に、ぱちぱち、ぱちぱち、と焚き火の爆ぜるような音が混じった。銀次は電灯のソケットから伸びる線と、家に引き込んだ線が、ぴたりと並んでいるのを見つけて、なにも言わずに、二本のあいだへ手のひらの幅ほどの隙を作った。線を離して留め直す。三度目のやり直しだった。

 ぱちぱちは、遠のいた。

 箱は、鳴った。

 「……あす、東京地方、朝から雨」

 抑揚のととのった声だった。明日の朝は、河岸へは出なくていい。

 残りの勘定は、その場で払った。銀次は紙幣を数えず、指のあいだで厚みだけをたしかめて、懐へ落とした。仕上がりに、いくらかの値打ちがあるかどうかは、銀次のほうが先に知っていたのだろう。

挿絵:残りの勘定は、その場で払った

 銀次は、いちばん大きなつまみを指でつまんで、わたしの手に移した。ゆっくり回す。声が細くなって、また太くなる。ちょうど太くなったところで、銀次はわたしの手の甲を、指で二度叩いた。そこで止めろ、ということだった。夜になれば、ここが少しずれる。ずれたら、また耳で拾いなおす。それだけを、身ぶりで教えて、銀次は口をきかなかった。

 わたしは、つまみに手を置いたまま、次の一声を待っていた。銀次は、わたしの顔を見て、口の端をわずかにゆるめた。それきり、線の束と工具をかたづけて、小僧を連れて帰っていった。

◇ ◇ ◇

 声はやがて、唄に替わった。

 どこかの土地の唄だという。戸口の外に、人の気配がした。隣の子どもが、壁の隙間から漏れる音を聞きつけたのだ。子どもの手を引いて、子持ちのかみさんが顔を出す。内職の手を止めた隣の家の人が、続いた。

 「どうぞ」と、わたしは戸を半分あけた。

 井戸端で気味がわるいと言っていた隣の老爺も、いちばん後ろの柱にもたれて立った。箱の布のあたりを、腕を組んだまま、いぶかしげに睨んでいる。声のほうは、そんなことにおかまいなく、ていねいな物言いで唄の名を告げていた。

 上がり框が、あっというまに人で埋まった。ひとり、おたねという北の在から出てきた老婆が、しばらく唄に耳を澄ませたあと、袖で目のあたりを押さえた。

 「うちの在の唄に、似てるねえ」

 似ているだけで、同じではなかったのだろう。おたねは、それきり黙った。かみさんが、洟をすすった子どもの鼻を袖でぬぐった。

 柱にもたれた老爺の足の指が、唄の拍にあわせて動いていた。わたしは、戸口の火鉢に炭を足した。

 その晩、わたしの家の戸口は、夜が更けるまで半分あいていた。

 翌朝、まだ暗いうちから、雨が降っていた。河岸へ出ていたら、わたしはまた濡れて帰っていたはずだった。屋根を見上げると、細い線が雨に打たれながら、竹の棒の上でぴんと張っていた。昼過ぎに、銀次が傘をさして、線と井戸端の棒を見に来た。雨でも保つかを、確かめに来たのだ。棒の根元は、ぬかるんでいた。銀次は、それを見て、黙って帰っていった。

◇ ◇ ◇

 いまのボクの台所の窓ぎわには、小さなラジオが置いてある。

 電池を入れれば、どこへでも持ち出せる。線を屋根へ張る要はなく、井戸端に鉄の棒を打つ要もない。聴取の許可書も、月ごとの勘定も、もうどこにも見当たらない。

 ボクは、つまみをひねるたびに、あの冬の屋根の上の竹の棒を思い出す。耳たぶを引っぱっていた銀次の指の、はんだの粉で黒ずんだ爪も、いっしょに浮かぶ。声が家のなかに降りてくるまでに、誰かの手が、あれだけ屋根と地面を行き来したのだ。

 窓ぎわのラジオの側面は、ひんやりと冷たく、指の腹に細かい埃がかさついた。つまみをひねる。ぱち、と一つ、雑音が弾けた。

参考文献・もっと詳しく

※ 日本の放送は大正十四年(一九二五年)に始まったとされ、昭和のはじめにかけて受信機が次第に家庭へ広まっていったと伝わる。当時は「ラヂオ」とも記され、一台を近所で囲んで聴く光景も各地で見られたとされる。天気予報や時報、音楽、講話などが同じ時刻に各地へ届けられ、離れた土地の人々が同じ音を共有する経験が生まれたと伝わる。昭和八年は一九三三年。※本文の人物・会話・情景は創作。

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