第 71 話何もない一畳の板間に、人がはじめて花を掛け、格を宿らせた日のこと
〜なぜあの番匠は、客も通らぬ座敷の隅を、わざわざ一段高くしつらえたのか〜
床の間というのは、和室の隅にぽつんと空いた、一段あらたまった場所だ。
今では軸の一本も掛かっておらず、空き箱や扇風機の置き場になっている家も多い。畳をあげて物入れにしてしまった家もある。あれをどう使うものか、よくわからぬまま、ただ間取りとして受け継いでいる人も少なくないらしい。
けれど、もとをただせば、あの一畳ほどの空きは、家のなかでただ一か所だけ「飾るためにこしらえられた場所」だったらしい。なにかの役に立つ間ではない。寝るでも食うでも煮炊きするでもない。花を生け、軸を掛け、香を焚いて、それを人に見せるためだけの間さ。
暮らしのなかに、用のない一角をわざわざこしらえる——これは、考えてみればずいぶん贅沢な思いつきだ。ボクが見てきたのは、その「飾る場所」が家のなかにはじめて生まれていく、そのころのことだ。もとは仏さまを祀る一枚の板から起こって、やがて客をもてなす座敷の顔になっていった、その移り変わりさ。
◇ ◇ ◇
文安四年(一四四七年)の冬のことだ。おれは京の外れの、とある武家屋敷の普請場で、番匠の弟子をしていた。
その屋敷のあるじは、まだ若い武家だった。長いいくさが束の間おさまり、世がいくらか息をついたころで、あるじは座敷をひとつ、客を招くための部屋にあらためて造りなおすつもりでいた。書院というやつだ。明かり障子を入れた付書院をしつらえ、棚を組み、壁ぎわには横長の分厚い板を一枚、床から少し持ち上げて据える。
おれの棟梁は、与三郎といった。歳のころは五十、若いじぶんから寺の堂をいくつも手がけてきた、腕のたしかな番匠だった。その与三郎が、壁ぎわの板を据えるときだけは、やけに念を入れた。
「いいか。ここはな、ただの棚ではないぞ」
与三郎はそう言って、板の高さを、おれの膝のあたりにそろえた。前に立てば、ちょうど人がかがんで手を合わせるのに、よいあんばいの高さだ。
「押板というのよ。ここへ仏の絵を掛けてな、その下に香炉と燭台と花の瓶を据える。三具足というての。坊さまが堂でなさることを、武家の座敷でもこの一ところでできるように、こうしてこしらえるのさ」
おれは正直、その板の値打ちがよくわからなかった。床へじかに香炉を置けばすむものを、なぜわざわざ一段持ち上げ、これほど手をかけて削り、磨くのか。寝もしない食いもしない、ただ物を載せて眺めるだけの板に、座敷でいちばんよい檜をあてがう。あるじも与三郎も、どうかしているのではないかと、おれは内心そう思っていた。
与三郎は、その板の表をかんなで仕上げるのに、まる一日をかけた。木目がいちばん美しく流れて見えるよう、向きを幾度も入れ替えて吟味する。節のない、まっさらな一枚を選び、薄く薄く削っては、手のひらで撫でてあたりをたしかめる。「ここへ物を置けば、置いた物のほうが引き立つ。板そのものは、出しゃばらぬのがいちばんよい」と与三郎は言った。出しゃばらぬためにこそ、いちばん手をかける。おれにはその理屈が、まるで逆さまに聞こえた。
板の脇には、明かり障子を入れた付書院を組んだ。文机のかわりに、ここで書を読み、物を書く。その隣に違い棚を吊って、巻物や硯箱を載せる。座敷の一隅が、そうやって少しずつ、ただ寝起きするだけの部屋とはちがう、あらたまった顔つきになっていった。普請が進むほどに、その隅だけが、ほかの間とは別の格をまといはじめるのが、弟子のおれの目にも見てとれた。
◇ ◇ ◇
あらかた普請がすんだころ、屋敷へ、あるじの帰依している寺の老僧が見えた。仕上がりをたしかめに来たのだという。
老僧は押板の前にしばらく立って、それから、ふと言った。
「この板はな、もとは仏の御前を地から離すための板よ。土間や床に直に御絵像を据えては、もったいない。一段持ち上げ、けがれた地から離してさしあげる。それがはじまりと聞いておる」
仏を一段高くまつる——その心もちが、いつのころからか、絵を掛け花を供える「場」そのものをこしらえる工夫になっていったらしい。老僧はそう語った。はじめは寺の堂のなかのことだったのが、やがて武家の座敷へも移ってきたのだという。
「近ごろはな」と老僧は笑った。「仏の絵ばかりでもないらしい。唐渡りの山水の絵を掛け、名のある僧の墨の跡を掛ける。床に一輪の花を生けて、客を招く。そういう武家がふえてきたと聞く。仏をまつる板が、いつのまにやら、客をもてなす板になってきおった」
老僧の話を、おれは水を運ぶ手を止めて聞いていた。地から離してまつる一枚の板。それが絵を掛ける場になり、花を供える場になり、いつしか客をもてなす場になっていく。仏のための工夫が、人をもてなす工夫へと、知らぬまに姿を変えていったというのだ。
「飾るというのはな」と老僧はつぶやいた。「ただ物を並べることではない。何を選び、何を選ばぬか。その心の働きを、目に見えるかたちにして人へ示すことよ。だからこそ、たくさん載せればよいというものではない。一幅と、一枝。それで足りる。むしろ、それくらいがいちばん難しい」
あるじは、その言葉にいたく心を動かされたようだった。ちょうど近々、遠国から大切な客を迎える話があった。あるじは老僧に頼んで、寺に伝わる墨蹟を一幅、しばし借り受けることにした。名のある僧が一行、たっぷりと墨をふくませて書きつけた、力づよい字だった。
迎えの当日、あるじは自らその一幅を押板の壁に掛けた。そうして庭へ下り、寒咲きの椿を一枝だけ手折ってきて、床の花瓶へ無造作に投げ入れた。葉を払い、つぼみをひとつ残して、すっと立てる。たったそれだけのことだ。
花も墨も、ことさら数を尽くしたわけではない。掛けた軸はただ一幅、生けた花はただ一枝。それなのに——おれは、息をのんだ。
それまでは、ただ削って磨いただけの、なんの変哲もない板の間だった。そこへ墨の一行が掛かり、椿が一枝立ったとたん、その一畳ほどの空きが、座敷じゅうを静かに引き締めた。客がまだ来てもいないのに、部屋ぜんたいが、その隅へ向かって背すじを正したように見えたのさ。
◇ ◇ ◇
やがて、客が通された。
遠国から来たというその客は、座敷へ入るなり、まず床の前へまっすぐ進んだ。膝をそろえ、掛けられた墨蹟をしばし見上げ、それから一枝の椿へ目を移し、ひとつ、深くうなずいた。あるじとは、それから言葉を交わした。床のしつらえを褒め、墨の主の名を問い、季のうつろいを花に見るのは風流だと、しきりに感じ入っていた。
おれは庭の片隅から、その様子をぼんやり眺めていた。
不思議なものだ、と思った。床には、何が積まれているわけでもない。値の張る宝物が飾ってあるのでもない。墨の一行と、椿の一枝。それだけだ。なのに客は、まずその隅へ足を向け、頭を垂れた。何もない一畳の板間が、座敷のなかでいちばん高い場所として、おのずと客の足と目を集めていた。
普請のあいだ、おれが「どうかしている」と思っていた、あの板。あれは、ただの板ではなかったのだ。あるじはあそこへ、季の花と、人の手になる一行の墨とを掛けることで、客をもてなす心を、目に見えるかたちにして据えていた。床のしつらえひとつで、まねきの心も、家の格も、言葉にせずとも客へ伝わる。たかが一畳の空きが、家のなかでいちばん物を言う場所になっていた。
与三郎が、いつのまにか、おれの横に立っていた。
「わかったか」と棟梁は低く言った。「あの板へ何を掛け、どんな花を立てるか。それで、その家の主の心の丈が知れる。だからこそ、座敷でいちばんよい木をあてがうのよ。飾る場所というのはな、空っぽであるほど、難しいのだ」
空っぽであるほど、難しい。その言葉が、長いこと、おれの胸に残った。物を満たすのはたやすい。何も置かぬ一畳に、たった一幅と一枝で家の心を据えてみせる——それがどれほどの目利きと覚悟を要ることか、あの日、おれはようやく合点がいった気がした。
◇ ◇ ◇
仏をまつるための一枚の板が、季の花と絵とを掛けて客を迎える「飾りの場」へと育っていったのは、世が乱れ、また治まりをくりかえした、このころのことだ。ボクは、その移り変わりを、いくつもの座敷の隅で見てきた。
やがてその一角は、武家や寺の書院だけのものではなくなっていった。床の間と呼ばれ、ふつうの家の座敷にもしつらえられ、季ごとに軸を掛けかえ、花を生けかえる「室礼」の中心になっていった。客が来れば、まずその前へ通し、あるじはそこに掛けた軸や生けた花に、季のあいさつともてなしの心をそっと託すようになった。家の顔は、いつしか玄関ではなく、何もない一畳の隅に宿るようになったのさ。
今でも、和室の隅には床の間が残っている。けれど、そこへ季の花を立て、軸を掛けかえる家は、もう、そうは多くない。物置になり、ときには取り払われ、間取りの言葉だけが残っている。
それでも、とボクは思う。
どこかの座敷で、床の間に一輪の花が立っているのを見かけたら、その何もない空きを、ただの古くさい間取りと思わずにいてほしい。仏を一段高くまつろうとした心があり、削った板へいちばんよい木をあてがった番匠がいた。空っぽであるほど難しい、とつぶやいた者がいた。
床の間は、ただ座敷の隅に空いているだけだ。何も載っていなければ、ほんとうに、ただの板さ。それでも、その一畳には、用のない一角をわざわざこしらえてまで人をもてなそうとした、昔の人の、ずいぶん贅沢で、ずいぶんやさしい心が、いまも静かに据わっている。ボクは、そういうものが、好きなんだ。
参考文献・もっと詳しく
- 『床の間——日本住宅の象徴』ISBN 978-4-00-420068-0
- 『日本建築史序説〔増補第三版〕』ISBN 978-4-395-01231-2
- 『日本中世住宅の研究〔新訂〕』ISBN 978-4-8055-0418-5
- 『中世民衆の生活文化』ISBN 978-4-13-020042-4
※ 座敷の一角を一段高くしつらえ、仏画や墨蹟の掛物・花・香炉などを飾る「床の間」は、もとは仏画の前に三具足(香炉・燭台・花瓶)を据えるための押板(おしいた)や仏間の押板床に源流をもつとされ、室町期の書院造の成立とともに、座敷を飾る室礼の中心へと育っていったと伝わる。当初は寺院や武家・公家の書院に限られたが、のちにふつうの住まいの座敷へも広まり、客をもてなし季節を映す家の顔となっていったとされる。文安四年は一四四七年(文安は一四四四〜一四四九年)で、元号と西暦の対応は史実に整合する。※本文の人物・会話・情景は創作。
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