空っぽの一畳が、座敷でいちばん物を言う場所になった第 71 話文化
文化室町のころ・京の武家屋敷読了 約6分

空っぽの一畳が、座敷でいちばん物を言う場所になった

〜なぜあの番匠は、客も通らぬ座敷の隅を、わざわざ一段高くしつらえたのか〜

はじめて読む方へ——語り部「ボク」がなぜ千年を渡り歩いているのかは、プロローグにあります。

 横に長い、分厚い板が一枚。床から少し持ち上げて、壁ぎわに据えてある。節はひとつもない。表はかんなで薄く削られて、手のひらを滑らせても、どこにも引っかからない。奥の壁には、軸を掛けるための釘が、ひとつ。何も掛かっていない。

 板の上に載っているのは、扇風機と、空き箱だ。

 高さは、この板の前でひざをつくと、ちょうどひたいがすっと下がるくらいだ。

 鼻を近づけると、幾百年を経てなお、うっすらと木の匂いが残っている。

◇ ◇ ◇

 文安四年(一四四七年)の冬。京の外れに屋敷をかまえる、ある若い武家のもとで、おれは番匠ばんしょうとして、座敷ひとつの普請ふしんにくわわっていた。こうした仕事にかかわるのは、これが初めてではない。御所に近い寺の仏間、遠国の武家屋敷、京の町なかの隠居所——場所も客も、そのたびに違った。だが、壁ぎわに一枚、これほど念を入れて据える板だけは、どこの普請場でも変わらなかった。

 あるじは座敷を、客を招くための部屋にあらためて造りなおすつもりでいた。のちに書院しょいんと呼ばれるようになる、まだかたちの定まらぬ普請だ。障子を入れた出っ張りの机をこしらえ、棚もひとつ吊るつもりでいたが、なによりも急がねばならぬのは、壁ぎわに据える、横に長い分厚い板だった。座敷は庭に面して日当たりがよく、縁からは遠く山なみまで見渡せた。

 隣の間では、畳を敷きならべる者たちの声がした。障子の骨組みを組む者、壁土を塗る者——普請場のあちこちで、座敷はひとつずつ、かたちを得ていった。棟梁とうりょうの杢兵衛は、その板の仕上げを、おれに言いつけた。

 「お前の手なら、まかせられる」

 それだけ言うと、あとは何も言わずに離れていった。

 板は、屋敷にある材木のなかでも、いちばん木目の美しい檜ひのきを選ってあった。杢兵衛が蔵の奥から何本も運び出させ、幾度も陽にかざしては、これと一枚を選び出したものだという。おれはその板を作業台に横たえ、まずは全体を眺めて、木目の流れをたしかめた。水を張った器を脇に置き、水面と板のふちを幾度も見比べては、わずかな傾きも見逃さぬよう、墨壺すみつぼで一本、まっすぐな線を引く。狂いのない直線を出すだけでも、ひと仕事で、こうした下ごしらえだけで、半日が過ぎた。

 かたわらで手もとをのぞきこんでいた、まだ弟子入りしたばかりの若い衆が、不思議そうに聞いてきた。

 「なぜ、そんなに念を入れるんです。ただの板じゃあ、ありませんか」

 おれは鉋かんなの手を止めずに答えた。

挿絵:おれは鉋の手を止めずに答えた

 「仏さまの絵を掛けて、香炉と燭台と花の瓶を据える。三具足みつぐそくというての。土間や床にじかに置いては、もったいない。一段持ち上げて、地の穢れから離してさしあげる——そう聞き覚えてきた」

 若い衆は、まだ怪訝な顔をしていた。

 「さてな」とおれは言った。「仕上がってから見てみるといい」

 「檜は、削るほどに匂いが立つ……」おれは手を止めずに続けた。「人の心をやわらげる、よい匂いだそうだ。時が経っても狂いにくい。長く飾る場所には、いちばん向く木だという。それも、聞き覚えたことよ」

 若い衆は、それでもまだ納得のいかぬ顔で、端材を一枚拾い、見よう見まねで鉋をあててみた。刃が木にひっかかって、木肌に段差ができる。

 「……うまくいきません」

 若い衆はつぶやいて、鉋を置いた。おれは黙って端材を拾い直し、力を抜いて、もう一度刃を滑らせてみせた。今度は、すうっと薄い削り屑が出た。

 「膝をついて拝む高さだと聞きましたが、まことですか」

 「そうだ。今日はためしに、お前も一度、膝をついてみるといい」

 若い衆はそのとおりに、板の前でひざをついた。ちょうど、ひたいがすっと下がる高さだった。若い衆は、しばらくそのままの姿勢で黙っていた。

 そうして、おれはまた鉋を滑らせた。

 鉋を持つ手が、ふと重く感じた。近ごろ、同じような仕事をくり返す日々に、ふと疲れを覚えることがある。それが何のせいなのか、おれ自身にもよく分からない。すぐに、手もとへ意識を戻した。

 削るだけなら、誰にでもできる。だが、木目をひとつも殺さず、厚みを均等に落とし、手のひらでなぞってもどこにも段差の残らぬ面に仕上げるとなると、話はちがう。これまでにも幾度となくやってきたはずのおれの手が、この日はなかなか思うようにいかない。刃をあて直すこと、三度。研ぎ直した刃先を陽にかざし、曇りがないかたしかめてから、また板に向かう。薄く巻き上がった鉋屑かんなくずが、足もとに幾重にも積もっていく。あたりには、切り立ての木の匂いが立ちこめた。ようやく指の腹でなぞってもどこにも引っかからぬ面ができあがったのは、日が傾きかけたころだった。おれは腰を伸ばし、削り終えた板を、あらためて陽にかざしてみた。指の先から肩まで、一日分のこわばりが残っていた。

 かたわらで見ていた若い衆が、何も言わずに、板の木目へそっと指を這わせていた。

◇ ◇ ◇

 板が座敷に据えられて数日のち、遠国から大事な客を迎える日が来た。朝から底冷えのする晴天で、屋敷のなかは早くから掃き清められ、庭の霜も朝のうちに掃かれていた。客は、都でも聞こえた数寄者だという。牛車を連ねてやって来たその一行には、供の僧も一人まじっていた。

挿絵:板が座敷に据えられて数日のち、遠国から大事な客を迎える日が来た

 あるじは自ら、寺から借り受けた墨蹟ぼくせきを一幅、板の上の壁に掛けた。名のある僧が、たっぷりと墨をふくませて書きつけた、力づよい字だった。そうして庭へ下り、寒咲きの椿を一枝だけ手折ってきて、花の瓶へ無造作に投げ入れる。葉を払い、つぼみをひとつ残して、すっと立てた。

 軸はただ一幅、花はただ一枝。数を尽くしたわけではない。座敷は、しんと静まりかえっていた。

 客が座敷へ通されると、まっすぐ板の前へ進み、膝をそろえた。墨蹟をしばし見上げ、それから椿へ目を移し、ひとつ、深くうなずく。連れの僧も客にならって板の前で膝を折り、静かに手を合わせていた。あるじとは、それから長く話しこんでいた。床のしつらえを褒め、墨の主の名を問い、季節のうつろいを花に見るのは風流だと、しきりに感じ入っているふうだった。板のふちを指先でそっとなでて、木の仕上がりの良さにまで、ひとこと触れていった。

 少し離れた廊下の陰から、あの若い衆が、その一部始終を食い入るように見つめているのが見えた。

 おれは庭の片隅から、その様子をながめていた。

 あの板には、何が積まれているわけでもない。値の張る宝物が飾ってあるのでもない。墨の一行と、椿の一枝。それだけだ。なのに客は、まずその隅へ足を向け、頭を垂れた。

 物を満たすより、何も置かぬまま人の目を集めるほうが、よほど難しい。鉋を握っていたときから承知していたはずのことが、そのとき、あらためて腹の底に落ちてきた気がした。

 客が辞去したあとも、座敷にはしばらく静けさが残った。板の上の墨蹟と椿だけが、冬の淡い光のなかで、静かに座を占めていた。

 その日の暮れ、あの若い衆が、ひとり座敷に残って、板の前にしゃがみこんでいた。何をするでもなく、ただ木目にそっと手のひらを当てている。おれは声をかけずに、その背中をしばらく見ていた。外はすでに暗く、普請場の物音もとうに絶えていた。薄闇のなか、若い衆はやがてそっと立ち上がり、板の前で軽く頭を垂れてから、部屋を出ていった。

◇ ◇ ◇

 あの押板が座敷に据えられてから、五百八十年ほどが過ぎた。

 同じ一段高い場所は、いまも残っている家がある。だが、そこに乗っているのは、たいてい掛け軸でも一輪の花でもない。扇風機だったり、空き箱だったりする。形は変わらずに、載せるものだけが、すっかり入れ替わった。

 古い床柱に鼻を近づけると、幾百年を経てなお、うっすらと木の匂いが残っていることがある。ボクは、その前を通るたび、鼻先だけでつと足を止める。

参考文献・もっと詳しく

※ 座敷の一角を一段高くしつらえ、仏画や墨蹟の掛物・花・香炉などを飾る「床の間」は、もとは仏画の前に三具足(香炉・燭台・花瓶)を据えるための押板(おしいた)や仏間の押板床に源流をもつとされ、室町期の書院造の成立とともに、座敷を飾る室礼の中心へと育っていったと伝わる。当初は寺院や武家・公家の書院に限られたが、のちにふつうの住まいの座敷へも広まり、客をもてなし季節を映す家の顔となっていったとされる。文安四年は一四四七年(文安は一四四四〜一四四九年)。※本文の人物・会話・情景は創作。

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