第 68 話道具板を寄せて竹の輪で締めただけの、継ぎ目だらけの桶
〜たった一本の竹の輪が、なぜ水を一滴も漏らさなかったのか〜
はじめて読む方へ——語り部「ボク」がなぜ千年を渡り歩いているのかは、プロローグにあります。
金治は、桶の生き死にを、指の腹だけで見分けた。爪で軽く弾いて、返ってくる音の低さだけで、たがの締まり具合を測るのだという。
その金治が、腕のいい桶結いを探しているという話は、渡り歩く先々で小さく囁かれていた。
◇ ◇ ◇
応永十八年(一四一一年)の春、京は西の洞院に近い小路の酒屋の蔵で、おれは腰を落として、割れた桶をひとつ、指でなぞっていた。
板を削り、たがを締める——それだけの稼業で、長いこと渡り歩いてきた。金治に呼ばれてこの蔵へ流れ着いたのも、ほんの十日前のことだ。名を訊かれたときは、「与一」とだけ答えておいた。次の町に着くころには、もう忘れていい名だ。
一本の木を刳り抜いて作った古い桶だ。木の肥えやせで罅が入り、底が抜けかけている。蔵の隅には、同じように傷んだ桶がいくつも積まれていた。太い木を山から探し出し、のみと槌で幾日もかけて刳り抜く——そうやって作るぶん、数はそろわず、大きさにも限りがある。仕込みの器がこれだけしかなければ、蔵の隅に転がる俵や壺も、しょせんは間に合わせだ。
蔵の中は、糀と濁り酒のにおいが染みついて、一歩入るだけで頭の芯が熱くなるようだった。奥では下働きの子が、割れた桶から漏れ出た酒粕を、もったいなさそうに笊ですくっている。この店では、器が足りないせいで、造れるだけの酒を造れずにいる——それが一目で分かる光景だった。
「新しいのを、まとめて頼みたい」と、金治は言った。太い眉の下の目が、値踏みするようにおれを見た。「割れるたび、酒がもったいない。かといって、そこいらの桶結いに任せて、また漏るようでは困る」
おれは、板を寄せて結う結桶なら作れる、と請け合った。刳り抜きよりも大きく、軽く、いくらでも数をそろえられる——そのやり方は、これまで渡り歩いた町のどこかで、何度もこの手にしてきたものだった。木賃と手間賃だけ払ってくれれば、ひと月のうちに十挺は結ってみせると告げると、金治は片眉をあげたが、やがてうなずいた。
「よかろう。裏の小屋を使え。木取りに要る杉は、蔵の裏に積んである分で足りるか」 「足りねば、また探す。それより、たがに使う竹だ。近くに、いい竹林はあるか」 金治は少し考えて、川向こうの寺の裏山なら伐らせてもらえるだろう、と教えてくれた。
その日のうちに、裏の小屋へ道具を運び込んだ。翌朝、教わった竹林まで足を延ばした。たがに使うのは、若すぎても老いすぎてもいけない。節と節の間が長く、割ったときに繊維がまっすぐ裂ける竹を、一本ずつ叩いて選んでいく。この見極めだけは、誰かに教わったのではなく、幾つもの土地で幾度も外して、ようやく手に馴染んだ加減だった。

小屋の前を通りかかった近所の者が、板を寄せただけの桶と聞いて、首を振りながら去っていくこともあった。継ぎ目のない一木の桶のほうが頑丈に決まっている、と言い置いていく。おれは言い返さず、ただ手を動かし続けた。できあがったものを見せるほうが早い。
◇ ◇ ◇
夜明け前に小屋の戸を開けると、まだ土間は冷たく、杉の香りだけが先に目を覚ましていた。木取りから始めた。杉の丸太を割って、幅のそろった板をとる。木目の通りを見て、節の多いところを避ける——このあたりは、目で見ればわかることだ。膝のあいだに板を立て、鉋をかける。しゅっ、しゅっと薄い削りくずが渦を巻いて落ちる。端を斜めに落とす角度が、髪の毛ひとすじ狂っても、隣の板とは合わない。何百枚と削ってきた手は、いちいち考えずとも、その角度を覚えている。
板を円く立て並べ、竹を割って編んだ輪——たが——を、上から槌で打ち込んでいく。こん、こん、と乾いた音が小屋に響く。締めるほどに、ばらばらだった板が、みしりと寄り合っていく。板と板は、押し合えば互いを支え合う。理屈というほどのものでもない。幾度もこの手で確かめてきたことだ。
最初の一挺は、しくじった。割ったばかりの竹は水気が多く、乾いて痩せると、たがの締まりがゆるむ。水を張ってひと晩置くと、継ぎ目からじわりと滲んで、小屋の床に小さな水たまりができていた。おれは舌打ちをして、たがを外し、竹を陰干ししてから編み直した。乾いた竹は、締めればそれ以上は痩せない。二挺目は、水を張っても一滴も漏らさなかった。
脇で薪を運んでいた下働きの子が、その桶の縁を撫でて、目を丸くした。継ぎ目だらけの器のどこに、水を止める力があるのか、まるで分からぬという顔だ。おれは黙って、たがをもう一段、締め直してみせた。子は、しばらく胡座をかいて眺めていたが、やがて自分でも竹を割ってみたいと言い出した。刃物を持たせるにはまだ早い、と断ると、拗ねもせず、削りくずを袋に集める仕事を見つけて、勝手に働きはじめた。以来、朝の水汲みのついでに小屋を覗いていくのが、子の日課になった。

日が経つにつれ、小屋には削り終えた板と、組みあがった桶が並んでいった。三挺目、四挺目とこなすうち、竹の裂き方にも慣れが出て、一挺にかかる手間が目に見えて減っていく。夕方になると腕がしびれ、肩の付け根が鈍く痛んだが、痛みよりも、板が一枚ごとに桶の形へ収まっていく手応えのほうが、いつも勝った。
七挺目を組んでいたころ、急な雨に降られた。杉板が湿気を吸うと、たがの締め加減が変わる。急いで小屋の戸を閉め、乾いた藁を敷いて板を守った。こういう日は無理に締めず、板が乾くのを待ってから仕上げる。焦って締めた桶は、後で必ずどこかが緩む——それも、失敗を重ねて覚えた間合いだ。先だって首を振っていった男が、翌日、様子を見に来て、水を張っても漏れぬ桶を前に、黙って帰っていったのは、少し胸のすく話だった。
◇ ◇ ◇
ひと月のうちに、大桶を十二挺、蔵へ納めた。約束より二挺多い。おれの背丈ほどもある胴が、蔵の壁ぎわにずらりと並んだ。刳り抜きの桶とは、仕込める量がまるで違う。金治は、一挺ごとに指の腹で弾いて音を確かめ、満足げにうなずいた。古い刳り抜き桶は、割れ残った数挺だけを漬物用に回し、あとは薪にくべるという。
約束の手間賃は、米と銭で受け取った。多くはないが、次の町へ渡るには十分な額だ。金治は数え終えると、蔵の奥の一挺を指さし、「あれは、たがの締めが甘い気がする」と言った。おれは音を聞くまでもなく分かっていたが、黙って締め直しに行った。案の定、竹の一本が編み目から浮いていた。直しながら、任された仕事の最後まで手を抜かぬのが、渡り者の流儀だと思う。
荷車に積んで、よその町まで酒を運べるようにもなった。板が薄いぶん軽く、たがの力で締まっているぶん、揺られても割れない。蓋をして縄をかければ、酒は遠くまで旅をする。それまでは近所へ細々と売るだけだった濁り酒が、桶ごと荷車に積まれ、朝のうちに西国へ下る道のほうへ発っていく。男たちが縄で桶を縛り、転がらぬよう藁を噛ませ、荷車の上へ慎重に積みあげる。蓋のあいだから酒のにおいが漏れて、見送るおれの腹を鳴らせた。器がひとつ変わっただけで、酒の行ける先が延びたのだと、初めて出す荷を見送りながら思った。
鉋くずを払った手の甲を見て、ふと、この手でいくつの桶を結んできたか、数えきれぬと思った。
仕事を終えると、おれはまた次の町へ発った。振り返らずに歩く足が、いつもよりわずかに重かった。金治は最後にもう一度、桶を弾いて音を聞き、「たがが緩んだら、いつでも締め直しに来い」とだけ言った。下働きの子は、小屋の前でおれが道具をまとめるのを、黙って見ていた。
◇ ◇ ◇
いまも、たるや樽は、そこかしこで見かける。板を寄せて結い、輪で締めて水を止める——理屈は、あの春のままだ。違うのは、締める輪が竹でなく、たいてい鉄になったことくらいのものだ。
あの下働きの子が、そのあと桶屋になったかどうかは知らない。ただ、幾年か経った別の町で、日に焼けたうなじを傾けて、緩んだたがを黙々と締め直す若者を見かけたことがある。
参考文献・もっと詳しく
※ 細長い板を円く並べ、竹や金属の箍で締めあげて作る「結桶」は、一木を刳り抜く刳物や薄板を曲げた曲物に比べ、大型化・軽量化・量産がしやすく、水や酒・味噌・漬物などを大量に蓄える器として広まったとされる。結桶の技法が各地へ広まり、酒・味噌・醤油などの醸造や、食品の保存・運搬を底で支えるようになるのは、おおむね鎌倉後期から室町期にかけてと伝わる。応永十八年は一四一一年(応永は一三九四〜一四二八年)。※本文の人物・会話・情景は創作。
当サイトは Amazon アソシエイト・プログラムの参加者です。上記リンク経由の購入で当サイトに収益が発生する場合があります。
この話が続いてほしいと思ったら、心ばかりの応援をしていただけます。見返りのない、任意の支援です。
このサイトを応援する →