細い板を円く並べ、竹の輪で締めただけの器が、暮らしのすべてを蓄えていった日のこと68
室町のころ・京の酒屋と桶屋読了 約8

細い板を円く並べ、竹の輪で締めただけの器が、暮らしのすべてを蓄えていった日のこと

継ぎ目だらけのくせに、なぜその器は、水の一滴も漏らさなかったのか

 桶というのは、細長い板を円く並べ、たがで締めあげただけの器だ。

 今でこそ、何かを蓄えるのは造作もないことになった。水でも酒でも、好きなだけ汲んで、好きなだけ溜めておける。けれど器というものが乏しかったころ、人は「たくさん蓄える」ということが、なかなかできずにいた。

 昔の器は、たいてい一本の木を刳り抜いて作った。太い幹を輪切りにして、中をのみと槌で気の遠くなるほど刳り抜いていく。手間はかかるし、なにより、木の太さ以上の器は作れない。大きな器がほしければ、それだけ大きな木を山に探さねばならなかった。だから人は、ほしいだけ蓄えるということが、ずっとできずにいたのさ。

 ボクが見てきたのは、そんな暮らしの底が、たった一つの器の工夫で、ごろりと変わっていく移り変わりだ。細い板を寄せ集め、竹の輪で締めただけの器が、酒も味噌も漬物も、まるごと抱えこむようになっていった、そのあたりのことさ。

◇ ◇ ◇

 応永十八年(一四一一年)の春のことだ。おれは京の、西の洞院に近い小路の酒屋へ奉公していた。

 その店は、先代のころから濁り酒を商っていた。仕込みに使う器といえば、長らく一木を刳り抜いた桶ばかりだった。厚ぼったく、重く、そのくせ大きくはならぬ。ひとつ作るのに幾日もかかるから、数もそろわぬ。だから蔵に並ぶ桶は知れていて、仕込みの量も、おのずと知れていた。蓄えられるだけしか、酒は造れなかったのさ。

 げんに、古い刳り抜き桶は、年を経るとあちこちが割れた。木の肥えやせで罅が入り、底が抜け、せっかくの酒を土間にぶちまけたことも、いちどや二度ではない。主はそのたびに渋い顔をした。新しい桶がほしくとも、太い木はおいそれと手に入らぬ。おれたちは、限られた器の中で、ほそぼそと酒を造るよりほかなかったのさ。

 ある年の春、主の徳兵衛どのが、桶屋の弥三郎という男を店へ呼んだ。新しい仕込み桶を、まとめて誂えるのだという。おれは下働きとして、その仕事場へ使いに通わされた。

 弥三郎の仕事場は、削りたての木のにおいで満ちていた。床いちめんに、薄く渦を巻いた鉋くずが降り積もり、踏むとさくさくと鳴る。男はその真ん中に胡座をかき、膝のあいだに板を立てて、しゅっ、しゅっと鉋をかけていた。

 その仕事場をのぞいて、おれは目をみはった。このころ、桶といえばまだ一木を刳り抜くものが幅をきかせていたのに、男は細長い板を幾枚も削っては、それを円く立て並べていくのだ。

 板の一枚いちまいは、わずかに反りをつけ、端を斜めに削ってある。その斜めの削りようが、髪の毛ひとすじほども狂ってはならぬのだと、あとで知った。並べたときに隣の板とぴたりと合うよう、一枚ごとに角度を見て削る。気の遠くなるような目仕事だ。それを隙間なく円く並べると、ふしぎなことに、ぴたりと桶の胴になる。底をはめ、上から竹を割って編んだ輪を、こんこんと槌で打ち下ろしていく。その輪が——たが、というやつだ。

 たがが胴を下へ下へと締めあげるにつれ、ばらばらだった板が、みしりと寄り合って、一枚岩のように固まっていく。おれは思わず声をあげた。

 「これで、水が漏れぬのか」

 弥三郎は手を止めず、にやりとした。

◇ ◇ ◇

 「漏れぬとも。板と板を、たがの力で押し合わせるのよ。ぴたりと押されりゃ、水の通る隙間など、どこにもありゃせん」

 継ぎ目だらけの器に、なぜ水を張れるのか。一木を刳り抜いた桶なら、はじめから継ぎ目がない。継ぎ目のない器のほうが丈夫で漏れぬに決まっている——このころの人々は、たいていそう思いこんでいた。板を寄せただけの桶を、訝しげに遠巻きに眺める者も少なくなかったのさ。

 ところが、できあがった桶に水を張ってみると、一滴も漏れぬ。継ぎ目はたしかにある。あるのに漏れぬ。遠巻きにしていた者たちも、思わず首を伸ばした。たがの締める力が、板と板のあわいを、水も通さぬほど固く閉じていたのだ。

 しかも、だ。その桶は、刳り抜きの桶よりも、はるかに大きかった。おれの背丈ほどもある胴が、何本も仕事場に立ち並んでいる。

 「刳り抜きでは、こうはいかぬ」と弥三郎は言った。「大きな器がほしけりゃ、それだけ大きな木を探さねばならぬ。山を歩きまわって幾日もかけてな。だが板を寄せて結うやり方なら、ほどよい木から板をとって、いくらでも継いでいける。胴を高くしたけりゃ、板を長うすればよいだけよ」

 おれは、ようやく合点がいった。一木の桶は、木の太さ以上には大きくならぬ。けれど結桶は、板さえ削れば、いくらでも大きく、いくらでも数多く作れる。しかも軽い。刳り抜きの桶は厚くて重いが、結桶は板が薄いぶん、ずっと軽くて運びやすい。

 おれは、それでも一つ気がかりを口にした。

 「だが、その竹の輪が切れたら、桶はばらけてしまうのではないか」

 「そのとおりよ」と弥三郎はうなずいた。「たがは、いつかは緩む。竹は痩せるし、年を食えば脆くもなる。だがな、緩んだら締め直せばよい。古いたがを外して、新しい竹を巻く。それだけで、桶はまた何年も生き返る。刳り抜きの桶は、いちど割れたらしまいよ。だが結うた桶は、たがさえ巻き替えれば、いくらでも直して使える。器のくせに、生き直すのよ」

 たが直し、と男は言った。緩んだ箍を締め替えるその仕事だけで、町をまわって食う者もいるのだと。なるほど、刳り抜きの桶にはない強みだ。割れて捨てるしかなかった器が、手を入れれば長く付き合える器になった。おれは、また一つ唸らされた。

 弥三郎は、削りくずにまみれた手で、たがをひとつ撫でた。

 「この輪が一本。たったこれだけのもので、器の生き死にが決まる。たがが緩めば桶はばらける。たがが締まっておれば、何十年でも水を抱く。桶屋の腕は、板を削るのが半分、たがを締めるのが半分よ」

◇ ◇ ◇

 その春から、店の蔵はすっかり様変わりした。

 徳兵衛どのは、弥三郎の桶をいくつも蔵へ入れた。背の高い大桶がずらりと並び、いままでの刳り抜き桶とは仕込める量がまるで違う。ひとつの桶に何斗もの酒を仕込める。蔵いっぱいに桶を立てれば、それまでの幾倍もの酒が、いちどに醸せるようになった。

 量が増えれば、商いも変わる。それまでは近所へ細々と売るだけの濁り酒だった。それが、桶ごと荷車に積んで、よその町まで運べるようになった。桶は丈夫で軽いから、揺られても割れぬ。蓋をして縄をかければ、酒は遠くまで旅をする。徳兵衛どのの濁り酒は、いつしか洛中のあちこちで飲まれるようになっていった。

 荷を送り出す朝は、店じゅうが慌ただしかった。男たちが大桶を縄で縛り、転がさぬよう藁を噛ませ、荷車の上へ慎重に積みあげる。蓋のあいだから酒のにおいが漏れて、見送るおれの腹を鳴らせたものだ。重い刳り抜き桶のころには、考えられぬ光景だった。軽いからこそ、人の手でいくつも積める。割れぬからこそ、でこぼこ道も越えていける。器が軽くなっただけで、酒の行ける先が、ぐんと遠くまで延びたのさ。

 おれは、そのころには仕込みを任される身になっていた。大桶の縁に腰かけ、櫂で醪をかき混ぜながら、しみじみ思ったものさ。この旨い酒も、たっぷり蓄えられる桶があればこそだ、とね。

 桶があるから、たくさん仕込める。たくさん仕込めるから蓄えられる。蓄えられるから、よその町へも運べる。器ひとつが、暮らしと商いの底を、まるごと支えていた。

 酒だけではない。味噌も、醤も、漬物も、水も——蓄えるものはみな、この結桶に頼るようになっていった。隣町の味噌屋も大桶を入れたと聞いたし、紺屋は藍を、油屋は油を、それぞれ桶に蓄えはじめたと伝わる。たがで締めただけの器が、いつのまにか、人の暮らしを丸ごと抱えこんでいたのさ。

 ある日、弥三郎が新しい桶を納めに来た折、おれは尋ねた。

 「お前さんの結う桶が、この店の酒を、こんなに遠くまで運んでくれた。たいしたものだな」

 弥三郎は、いつものようににやりとして、こう言った。

 「おれはただ、板を削って、たがを締めるだけよ。中に何を仕込むかは、お前さんがたの仕事だ。器というのは、空っぽでなけりゃ何も抱けぬのさ」

◇ ◇ ◇

 細い板を円く結い、たがで締めるだけで、いくらでも大きく軽い器が作れる——その仕組みが、刳り抜きの器に代わって広まっていったのは、世がいくたびも移ろった、このころのことだと伝わる。ボクは、その変わり目を、いくつもの蔵で見てきた。

 たがで締めただけの器が、酒を、味噌を、漬物を、たっぷりと抱えこむ。たくさん仕込み、長く蓄え、遠くへ運ぶ。醸して保つという暮らしの工夫はみな、この器があってこそ育っていったのだろう。たかが板と竹の輪が、人の食う物、飲む物を、底のほうから静かに支えていたのさ。

 今でも、桶や樽は、どこかで誰かの暮らしを抱えている。木の桶こそ減ったけれど、何かを仕込み、蓄え、運ぶという暮らしの形は、あのころとちっとも変わらない。

 それでも、とボクは思う。

 どこかで古びた木桶を見かけたら、その器を、ただの入れ物と思わずにいてほしい。一枚いちまいの板を削り、円く立て並べ、たがをこんこんと打ち締めた者がいた。継ぎ目だらけのくせに一滴も漏らさぬその器に、酒を仕込み、味噌を寝かせ、暮らしを蓄えた者がいた。

 桶は、ただそこに立っているだけだ。中を満たされるのを、黙って待っているばかりさ。それでも、その一本には、板を結い、たがを締め、何かを蓄えて生きてきた者たちの、長い長い手わざが染みこんでいる。ボクは、そういうものが、好きなんだ。

参考文献・もっと詳しく

細長い板を円く並べ、竹や金属の箍で締めあげて作る「結桶」は、一木を刳り抜く刳物や薄板を曲げた曲物に比べ、大型化・軽量化・量産がしやすく、水や酒・味噌・漬物などを大量に蓄える器として広まったとされる。結桶の技法が各地へ広まり、酒・味噌・醤油などの醸造や、食品の保存・運搬を底で支えるようになるのは、おおむね鎌倉後期から室町期にかけてと伝わる。応永十八年は一四一一年(応永は一三九四〜一四二八年)で、元号と西暦の対応は史実に整合する。※本文の人物・会話・情景は創作。

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