
そろそろ、ボクの話をしようか
〜千年を歩いてきた男の、打ち明け話〜
近ごろは「異世界に転生した」なんて話が、ずいぶんあたりまえになった。
漫画になり、アニメになり、誰もがおとぎ話として笑って楽しんでいる。いい時代になったものだ。昔なら、こんな話は口にしたとたん、気でも触れたかと後ろ指をさされたに違いない。
だから、思いきって書いてみることにした。
これは、ボクの話だ。
といっても、剣と魔法の世界から来たわけじゃない。むしろ逆だ。ボクはあなたと同じ現代の日本から、はるか昔——平安の半ば、いまから千年ほど前のこの国へ、ある日とつぜん放り込まれた。
転移、というやつだ。生まれ変わったのではない。この体のまま、運ばれた。
もとのボクは、しがない仕事をしていたただの男だ。コンサルタントなんてことをしていたが、理系といっても情報のほうで、あの時代で役に立つような、たいそうな科学の知恵があるわけでもない。火のおこし方ひとつ、最初は土地の婆さまに笑われた。英雄になんて、なりようがなかった。ボクにできたのは、つつましく、目立たぬように生き延びることだけだった。
ひとつだけ、ふつうじゃないことがある。
ボクは、歳を取らない。
どういうわけか、この体は放り込まれた日のまま、千年からの時が過ぎても老いない。同じ土地に長くいると「あいつは歳を取らない」と怪しまれる。だから何年かごとに荷をまとめて、また別の土地で、何くわぬ顔をして暮らしはじめる。塩を担いで歩いた年もあれば、店の帳場に座った年も、田を打った年もある。そんな暮らしを、千年つづけてきた。
なぜ、こんな生を授かったのか。
それは、ボクにもわからない。向こうの世で、大切な人を喪ったあとのことだった、というだけだ。
そんなボクが、なぜ筆をとったか。
ボクの武勇伝を語るためじゃない。そんなものは、ひとつもない。語りたいのは、この長い旅のあいだに出会ってきた、名もなき人々の——ふつうの暮らしのほうだ。
彼らが何を食べ、何を着て、何を信じ、どんな言葉で笑い、どんなふうに誰かを想ったか。教科書にはけっして載らない、小さな小さな暮らし。
たとえば、ある婆さまが汁の実にした草の名を、ボクは知っている。梅を塩に漬けるとき、重石をひとつ減らした男の理由も知っている。そういうことを覚えているのは、たぶん、もうボクだけだ。
とはいえ、千年のことを何もかも覚えているわけではない。はっきりと胸に残っているものもあれば、うっすらとしか思い出せぬものもある。ふとした拍子に「そういえば」とよみがえってくる。そんな切れはしを、ボクは綴っていく。
婆さまの汁の知恵が、村から村へ、時代から時代へと渡っていく。名もなき誰かのやさしさが、形を変えて何百年も生きのびる。ボクは、その運び屋みたいなものだ。誰かが遺した暮らしのかけらを、そっと拾っては次の時代へ運んでいく。
考えてみれば、ボクはこれまでずっと他人の話ばかりをしてきた。「あれは、あの店主のおかげだ」「あれは、あの名人の腕だ」と。自分のことはいつも後回しにして。
でも、もう千年だ。
——そろそろ、ボクの話も、すこしくらいしてもいい頃だろう。
おとぎ話だと思って、笑ってくれてかまわない。
ただ、これだけは本当だ。ここに出てくる人々は、みな、たしかに生きていた。
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