第 17 話文化三百そろいの貝を、値と日限だけで注文した男がいた
〜三百そろえるのに、いったいどれほどの貝が、屑になっていったのか〜
はじめて読む方へ——語り部「ボク」がなぜ千年を渡り歩いているのかは、プロローグにあります。
「三百、欲しい。片われ違わぬ、揃いの三百を」
刀自は、莚に積まれた蛤の殻を一瞥もせず、われの顔だけをじっと見た。保安四年(一一二三年)の春、京は四条のあたり、刀自の住まう小さな家である。柱は煤け、軒先には塩の匂いが染みついていた。われは難波の浦でとれた蛤を、京のあちこちへ納めて歩く行商であった。今日は売り物としてではなく、われ自身の入り用で、ここへ来ていた。
貝覆いという遊びの名は、われも聞き知っていた。姫君がたのあいだで、対になる殻をさがし当てて競う、雅な遊びだという。だが、値を聞いたのは、このときが初めてであった。
「三百は、値が張るぞ。ひと組ひと組、確かめねばならぬのでな」
揃いの数なら、三百六十とするのが習いだと聞いたこともある。だが、それだけの値を出せる元手はなかった。三百でも、われには精一杯の勝負であった。
「構わぬ。半月で仕上げてくれ」
とある得意先の邸で、来月、よそのお邸の姫君がたを招いて、貝覆いの宴を催すという話を、われは商いの合間に小耳にはさんでいた。よい一そろいをここで揃えて持ちこめば、来年からの蛤の口も安泰だろう——誰に頼まれたわけでもない、われ自身の商いのための、われ自身の入り用であった。
刀自は木札に数と値を刻みつけると、それきり話を仕舞った。値の半分は前金で、残りは仕上がりを見てから。約束は、それだけで済んだ。
◇ ◇ ◇
それから十五日のあまり、われは蛤を届けがてら、幾度か刀自の家をのぞいた。
はじめに寄ったのは、注文から三日目のことである。庭先の井戸端で、若い女たちが蛤の殻を洗っていた。指の腹で内のぬめりを落とし、藁の束でこすって、白くなるまで磨きあげる。水の冷たさに、女たちの手はどれも赤くなっていた。磨いた殻は、日のあたる縁に、口を開いた形のまま間をあけて並べられ、からからに乾いていく。潮の匂いに混じって、乾いた殻がふれあう、かしゃかしゃという音が、庭のどこからともなく聞こえていた。隅に積まれた屑の山は、そのころはまだ、さして目にとまるほどでもなかった。刀自は縁先に座り、女たちの働きぶりを、ただ黙って見張っているだけであった。腰は曲がり、指の節々は太く節くれ立っていたが、目だけは若い者のそれよりよほど鋭かった。ひとり出来の悪い殻を見つけると、声を出さずに、ただ首を横に振るだけで、若い女がすぐに屑の山のほうへ放った。
「そんなに捨てるものなのか」
「捨てねば、揃わぬ」
刀自は手を止めずに答えた。その手もとまでは、われには見えない。土間の奥、簾のむこうで、幾人かの女たちが乾いた殻を並べ替えている物音だけが聞こえてくる。われの見るのは、いつも積み上がっていく山と、崩れていく殻の欠片、それだけであった。乾いた殻のこすれる音と、井戸端の水音とが、日がな一日、途切れることなく庭に響いていた。

仕事のあいまに、刀自はときおり、独りごとのように言葉をこぼした。
「この時季の浦の貝はな、身入りが浅いぶん、殻が薄うて揃いやすい。長う拾うてきたが、夏場のは、十に一つも使えぬ」
誰に聞かせるでもない、ただの繰り言であった。刀自は、この仕事を娘のころから、ずっと母親の手についてやってきたのだという。何十年と拾ってきた勘定が、こうして口をついて出るらしかった。
五日目、暇にまかせて、われは庭の隅の屑の山を、端からひとつずつ数えてみたことがある。ひと山と思っていたものが、百を超えても終わらない。数えるのをやめたときには、すでに二百近くに届いていた。数えて損をした気になって、それきりやめにした。それでも、その日一日、指のささくれた痛みだけが、数えた分だけ残った。刀自のあかぎれた指は、その日もまた、ただ淡々と、良し悪しを弾き分けていた。
七日目にたずねたときには、屑の山は、もうわれの膝を越えていた。刀自は、選り分けた殻を指の背でこつこつと叩きながら、また別のことを口にした。
「難波の浦のはまだましなほうだ。西のほうから来る貝は、殻の厚みがまちまちでな、十揃えるのに倍の数がいる」
どの浦の貝が良いか悪いかなど、われはこれまで、身の分厚さと値でしか量ったことがなかった。殻の厚みまで気にかけて浦を選り好みしたことなど、一度もない。刀自の勘定は、われの知る目方とは、まるで別のものであった。誰に聞かせるでもない繰り言のたびに、庭に捨てられる殻は少しずつ増えていった。百のうち揃うのは、十にも満たぬのだという。三百を揃えるには、幾千の殻がいるという勘定になる。開いた殻はもとの片われとしか合わぬというが、それだけではないらしい。大きさや厚みの違う対は、姫君がたの目には見苦しく映るという。捨てるのは、そのちぐはぐな対のほうであった。
値だけを聞いて注文したときには、われはそこまで思いいたらなかった。三百という数のうしろに、これほどの山が積まれるとは。値を告げたときの己の口の軽さが、いまさらながら恥ずかしくなった。
九日目、朝から雨になった。乾かぬ殻は、いつまでも屑とも良品ともつかぬまま、庇の下に積まれていた。近くの店では、雨続きで仕事が詰まったと、あちこちで嘆く声が聞こえた。軒を打つ雨音は、朝から晩まで、いっこうにやむ気配がない。日限が迫るなか、われも気が急いて、様子を見に立ち寄った。ところが刀自は、いつもの手つきのまま、殻の並べ替えを続けている。
「間に合うのか。日限まで、あとわずかだぞ。この雨では」
「この時季の雨は、長うは続かぬ。三日で上がる。毎年のことだ」
刀自の見立てどおり、三日目の朝には、ようやく陽が差した。庭の莚に、また白い殻がずらりと並べ直された。水気の抜けた殻から、朝の光を受けて、うっすらと湯気が立つのが見えた。それを見て、われもようやく胸をなでおろした。われの気の急きようが、なんとも空回りに思えた。

十四日目、庭の隅から隅まで、白い殻の丘が幾つも連なって見えつつあった。踏み込む足の下でも、割れた欠片がかすかに音を立てた。刀自の家の女たちは、朝から晩まで、殻を並べては弾き、並べては弾いていた。見えるのはその繰り返しだけで、いつ、どうやって片われを見分けているのかは、ついにわからずじまいであった。値と日限を告げただけのわれには、それを知る筋合いもなかった。荷を運ぶくらいなら手を貸そうと申し出たが、刀自は「それは要らぬ」と、あっさり断った。ただ、選り分けた山の脇に、ひと組だけ別によけて布をかぶせてあるのが目にとまった。何かとたずねても、刀自は答えなかった。
半月の後、約束の日に、われは刀自の家を訪ねた。
庭先には、選り分けられなかった殻が、すでに小さな丘ほどになって残っていた。刀自は麻布の包みをひとつ、われの前に置いた。ほどくと、白く磨かれた殻が三百、寸分たがわず並んでいる。縁の白さも、内の艶も、大きさも、どれも粒が揃って見えた。ひと重ねを手にとって数え、重さをはかるように持ち上げてみると、思っていたより、ずっと軽かった。重ねてみれば、乾いた音を立てて、ぴたりと合わさる。そのなかに、先だって布をかぶせてあった、あの一組があった。殻の外に薄紅の筋がひとすじ、片われから片われへ、切れずに渡っている一対である。二枚が並んで、はじめてその筋がひとつにつながる。
「これだけは、値の外だ。仕上げの祝いにな」
われは礼を言い、残りの値を渡した。刀自は数えもせず、それを懐へしまうと、次の莚のほうへ向き直った。もう、われのことなど眼中になかった。
「また来年も頼めるか」とわれが訊くと、刀自は手を止めぬまま、しばし黙ってから、「値は、また上がるがな」とだけ答えた。それで話は終いだった。
外へ出しなに、庭の隅で、幼い下働きの女が、余った殻を二つ拾って伏せ、また返して見せているのに気づいた。姫君がたの遊びの見様見真似らしい。かしゃり、かしゃりと殻の触れあう音に、女はひとり、くすくすと笑っていた。われには、その遊びの勝手はついぞわからぬままだったが、あの音を聞いただけで、三百を揃えた甲斐があったように思われた。
値だけを払うわれには、この包みひとつのために、庭にどれほどの殻が積まれたか、行って見るまでは知りようがなかった。麻布の包みを縄ごと肩にかけ、われは刀自の家をあとにした。
◇ ◇ ◇
あの日、京の道を帰りながら、結び目のこぶが、歩くたびに、うなじのあたりでこつん、こつんと当たったのを、ボクはいまも覚えている。
対の貝をひと組ずつ納める、あの艶やかな貝桶が嫁入りの調度として並ぶようになるのは、まだずっと先の世のことだ。あの日の三百は、ただ麻布に包まれ、縄で十文字に結わえられているだけだった。今の子どもらが神経衰弱で伏せる札なら、めくって外れても、また伏せ直せばよい。だが、貝はそうはいかない。屑になった分は、二度と山には戻らない。京の邸の縁先には、その山の欠片ひとつ、運ばれることはないだろう。並んだ三百は、ただ白く、美しいだけの一そろいとして、静かにそこに置かれるはずだった。
三百ぶんの重みは、いまもボクの首すじに、そのひと所だけの記憶として残っている。
参考文献・もっと詳しく
※ 貝合わせ(かいあわせ)は、もとは平安期の貴族のあいだで行われた物合わせの一種で、蛤などの貝の珍しさや美しさを左右に分けて競ったものとされる。のちに、二枚貝の殻がもとの一対としか合わさらない性質を用いて、対の片割れをさがし当てる遊び(貝覆い・貝おおい)の意でも用いられるようになったといわれ、両者はしばしば混同して語られる。本話では、場面内の呼び名を当時のとおり「貝覆い」とし、後代に広まった「貝合わせ」という呼称とは区別して描いた。蛤の殻をそろえて磨く仕事そのものは、浦に近い土地であれば早くから小さな家業として成り立ちえたと考えられる。一方、殻の内側に絵や歌を描く凝った趣向や、対の貝をおさめる貝桶を婚礼調度とする習わしは、後世(中世以降〜近世)に発達・整備されたものである。本話の平安の場面では、選別と磨きの仕事を描き、装飾や調度の習わしはまだ整っていない段階として描いた。蛤の二枚の殻が原則として元の組どうしでしか合致しないことは、現に観察される性質で、後の「貝合わせ」「貝覆い」の遊びはこの性質を前提とする。保安四年は一一二三年(保安は一一二〇〜一一二四年)。本話の人物・会話・邸は創作。
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