合わせてみれば、答えはもう貝が知っていた——蛤の殻でさがした、たったひとつの片割れのこと17文化
文化平安のころ・京(四条あたりの邸)読了 約8

合わせてみれば、答えはもう貝が知っていた——蛤の殻でさがした、たったひとつの片割れのこと

広げた殻の海から、女童はどうして、迷いもせずにあの一枚を拾い上げたのか

 神経衰弱という遊びがある。裏返したトランプを二枚めくって、同じ数が出れば取れる、あれだ。子どものころのボクはあれがどうにも苦手で、めくった札のありかをかたっぱしから忘れては、年下の子にどんどん山を取られていた。

 あの遊びの肝は、つまるところ「対をさがす」ことにある。ばらばらに伏せられたものの中から、ひとつとひとつ、もとは一組だったものを見つけ出す。見つけて、揃える。揃えば嬉しい。たったそれだけのことが、なぜだか飽きない。

 ずっと昔、札ではなく貝で、それとよく似た遊びをしていた人たちがいた。蛤の殻をたくさん広げておいて、そのなかから対になる二枚をさがし当てる。貝合わせ、と呼ばれていたらしい。

 この遊びには、ひとつ、ふしぎな下支えがあった。蛤の殻は二枚でひと組になっているのだが、その二枚は、もとからの相方としか、きれいに合わさらない。ほかの貝の片割れを持ってきても、縁がずれてぴたりとは閉じないのだという。

 だから、合えば、それはまぎれもなく、もとの一組だった証になる。札なら裏の数を覚えていなければ当てられないが、貝は、合わせてみればわかる。合うか、合わぬか。人より先に、貝のほうが答えを知っている。

 ボクが見てきたのは、その答えを、人がうっとりと眺めて遊んでいた、そういう春のことだ。

◇ ◇ ◇

 保安四年(一一二三年)の春のことだった。われは難波の浦でとれた蛤を籠に負って、京の邸へ運ぶ役をしていた。浦の漁師から買い集めた貝を、都のあちこちへ納めて歩く。その朝に向かっていたのは、四条のあたりの、さして大きくもない邸であった。

 いつもなら、蛤は台所の下働きが受けとる。煮るなり焼くなり、食い物として裏口へ運ばれてゆく。ところがその春は勝手がちがった。表のほうへ回されて、出てきたのは右近という女房である。年のころ四十ばかり、よく動く目をした人で、われの籠をのぞきこむなり言った。

 「身は要らぬ。殻の、なるべく大きゅうて、傷のないのを、たんと揃えておくれ」

 食い物として運んできた貝の、殻のほうが入り用だという。よほど怪訝な顔をしていたのだろう、右近は笑って奥のほうを指した。

 「姫さまの貝合わせよ。来月、よそのお邸の姫君がたをお招きしてな。それまでに、よい貝を三百も四百も、揃えておかねばならぬ」

 貝合わせ、という言葉を、われはこのとき初めて聞いた。蛤を食わずに、殻だけを何百も集めて、いったい何をするのかと、われは正直、見当もつかなかった。けれど大きくて傷のない貝なら、いくらでも納めようと請けあって、それからわれは、幾度もこの邸へ通うことになった。

 通ううちに、殻が遊びになるまでの、その手間のかかりようを、われはそばで眺めた。

 まず、運びこんだ蛤を、下働きの者たちが煮て身を抜く。食う身のほうは台所へ回るが、邸の者はそちらには見向きもしない。空になった殻を、女たちが井戸端でていねいに洗うのだ。指の腹で内側のぬめりを落とし、爪の先でこびりついた砂をこそげ、藁の束でこすって、白くなるまで磨きあげる。水の冷たさに、女たちの手は赤くなっていた。それを日のあたる縁に、口を開いた形のまま、ひとつひとつ間をあけて並べて、からからに乾かす。乾いてゆくにつれ、殻の表は鈍い艶を帯び、内側は貝の肌のような薄あかりを宿してくる。並んだ殻の上を、春の日がゆっくりと移ってゆくのを、われは飽きずに眺めていた。

 乾いた殻を、女房たちが一枚一枚あらためる。縁の欠けたもの、内に傷のあるもの、色のくすんだものは、惜しげもなくはじかれる。残るのは、ひと山のうちのわずかばかり。手のかかりようからして、これはただの暇つぶしではないらしい、とわれにも知れてきた。

 ある日、洗いあがった殻が、縁のうえに白くずらりと並べてあった。どれも同じ大きさ、同じ色あいに見えて、見分けなどつきそうにない。誰もいない隙に、われは手すさびに、手近な二枚をつまんで合わせてみた。ところが、どうにも閉じない。縁がわずかにずれて、口がぴたりと噛み合わぬのだ。指に力をこめても、わずかな隙間がどうしても残って、合わせ目から細く光が漏れる。別の一枚に替えても同じこと。さらに替えても、また合わぬ。手のなかで二枚を回しては向きを変え、あれこれと試してみるのだが、どれもこれも、同じ蛤の殻のはずなのに、なぜか一枚として、すんなり閉じてはくれなかった。これだけ似通っていながら、どれもよそよそしく、たがいに背を向けあっているようであった。

 首をかしげていると、そばで貝を拭いていた女童が、くすりと笑った。あこ、と呼ばれている、まだ十二、三の小さな子である。

 「それでは合いませぬ。貝はね、もとの片割れとしか、合わぬのです」

 あこは並んだ殻の中から、ためらいもせず一枚を拾い、しばし指のあいだで転がして縁を確かめると、それからもう一枚を選びとって、ふたつを胸の前で合わせてみせた。今度は、すい、と音もなく閉じた。縁から縁まで、まるで初めから一枚であったかのように、寸分の隙もなく重なっている。合わせ目をあかりに透かしても、もう光は漏れぬ。指でなぞってみても、つなぎ目がどこにあるのか、われにはわからぬほどであった。

 われはおどろいて、その一組を手にとった。たしかに、ぴたりと閉じている。試しにいったん離して、片方をそのままに、もう片方をよその殻に替えてみる。すると、もう閉じない。元の相方にもどせば、また、すい、と合う。何度くりかえしても同じだった。この一枚には、この世にただ一枚、合う相手が決まっている——そういうことらしかった。

 「どうして、わかるのだ。見ただけで」と、われは正直に訊いた。

 あこは少し得意そうに、けれど困ったように笑った。「わかりませぬ。見ても、わかりませぬ。ただ、合わせてみれば、わかるのです」。理屈は知らぬ、と幼い女童は言う。なぜ片割れとしか合わぬのか、誰も知らぬ。ただ、合わせれば閉じるか閉じぬか、貝のほうが先に答えてくれる。それだけのことだ、と。

 貝合わせという遊びのからくりを、われがのみこんだのは、それからだった。右近が教えてくれた。洗い上げた殻を、まず片方ずつに分ける。一方の山を伏せて場いっぱいに広げ、これを地貝と呼ぶ。もう一方の山から一枚ずつ取り出して、これを出貝という。出貝に合う片割れを、広げた地貝のうちからさがし当てる。多く合わせた者が、勝ち。

 「合えば、それがまことの一組という証。札のように裏を覚えずとも、合わせさえすれば、ごまかしがきかぬ」と右近は言った。だからこそ、目利きと、覚えと、そして運の見せどころなのだという。広げた幾百もの殻の海から、たったひとつの片割れを拾い当てる。あこのように勘のよい子は、姫君がたのあいだでも重宝されるらしかった。

 邸には、内側に絵を描いた殻も、いくつかあった。あこがそっと見せてくれたのは、洲浜と千鳥を、淡い色で描いた一組である。片方の殻の内に、白く砂を刷いた波打ちぎわ、もう片方に、空をよぎる千鳥が二、三羽。胡粉と藍を溶いたものか、貝の地の白に、色がやわらかくにじんでいる。一枚ずつ見ているうちはただの切れぎれの絵にすぎぬのに、二枚を合わせると、波打ちぎわのうえに鳥が飛んで、ひとつの浜の景色になる。こういう凝った殻は、まだ珍しいものらしく、あこはそれをことのほか大事にしていた。手のひらにのせて、灯にかざしたり、頬のそばへ近づけたりして、何度も合わせては、ひとり微笑んでいる。

 その大事な一組で、ちょっとした騒ぎが起きた。

 支度も大づめという日、あこが青い顔をして駆けてきた。あの洲浜の殻の、片割れがない、というのだ。波打ちぎわを描いた地貝はある。けれど、千鳥のほうの出貝が、どこにも見あたらない。合う相手のいない殻が、一枚、ぽつんと残ってしまった。

 これには右近も眉をひそめた。貝合わせは対でこそのもの。片割れを欠いた殻が一枚あるというのは、揃いの中に欠けがあるということで、なんとも据わりが悪い。みなで几帳の陰や畳の下、縁の隙間まで、手分けしてさがした。あこは半べそをかいて、自分が落としたのだと、しきりに詫びている。

 見つけたのは、われだった。庭先で日向ぼっこをしていた邸の猫の、その前足のそばに、千鳥の殻がころりと転がっていたのだ。どうやら猫が、小さく白いものを見つけて、ひとしきり転がして遊んでいたものらしい。拾いあげて袖で拭き、われはあこに差し出した。

 あこは、ひったくるようにそれを受けとって、波打ちぎわの片割れと、急いで合わせた。すい、と閉じる。ふたつはまた、ひとつの浜にもどった。あこの顔が、ぱっとほどけて、それからべそが、笑いに変わる。「合うた、合うた」と、そばで右近も、われも、つられて笑った。猫だけが、知らぬ顔で前足をなめていた。

 別れぎわ、あこはその洲浜の一組を、両の手のひらにのせて、大事そうに胸へ抱いた。「合わぬ片割れは、ただの貝。合えば、景色になりまする」と、幼いなりに、ませたことを言う。広げた殻の海から、迷いもせずにあの一枚を拾い上げる、あの小さな手のことを、われは長く覚えていた。

◇ ◇ ◇

 貝合わせは、それからも長いこと、春の遊びでありつづけたらしい。

 殻の内に描かれる絵は、後の世にはずいぶん手のこんだものになって、金をあしらい、物語の名場面を写したものまで現れたと聞く。対の殻をおさめる桶も、二つひと組のあでやかな調度になって、嫁いでゆく娘の道具に加えられるようになったという。蛤の殻が、もとの一枚としか合わぬ——その変わらなさに、人は美しい縁起を見たのだろう、とされる。

 今の神経衰弱は、めくって、覚えて、当てる。貝のように、合わせれば答えがわかる、というわけにはいかない。だからボクは、いまだに札のありかを忘れては、山を取られている。

 それでも、伏せられたものの海から、もとは一組だったふたつをさがし当てる——あの胸のはずみだけは、札になっても、ちっとも変わっていない。揃ったときの、ぱっとほどける顔も。

 合わぬ片割れは、ただの貝。合えば、景色になる。広げた殻の海に小さな手を泳がせて、迷いなくあの一枚を拾い上げた、あこの得意げな顔を、ボクはまだ覚えている。

参考文献・もっと詳しく

貝合わせ(かいあわせ)は、もとは平安期の貴族のあいだで行われた物合わせの一種で、蛤などの貝の珍しさや美しさを左右に分けて競ったものとされる。のちに、二枚貝の殻がもとの一対としか合わさらない性質を用いて、対の片割れをさがし当てる遊び(貝覆い・貝おおい)の意でも用いられるようになったといわれ、両者はしばしば混同して語られる。殻の内側に絵や歌を描く凝った趣向や、対の貝をおさめる貝桶を婚礼調度とする習わしは、後世(中世以降〜近世)に発達・整備されたものと考えられ、本話の平安の場面では、その萌芽期のまだ珍しいものとして描いた。蛤の二枚の殻が原則として元の組どうしでしか合致しないことは、現に観察される性質で、後の「貝合わせ」「貝覆い」の遊びはこの性質を前提とする。保安四年は一一二三年(保安は一一二〇〜一一二四年)で、元号と西暦の対応は史実に整合する。本話の人物・会話・邸は創作。

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