第 109 話文化野の谷川を、庭のすみに連れてきた——細い水ひとすじに、人が自然を写しはじめた日のこと
〜なぜ人は、すぐそばの川では飽きたらず、わざわざ庭のなかに小さな谷川を引きたがったのか〜
庭というのは、つまるところ、外の野山をどれだけ手もとに引き寄せられるか、という工夫だった。
今の暮らしなら、窓の外に緑がなくとも、絵に描いた景色をいくらでも壁にかけておける。山も滝も、遠くの海も、手のひらの板の上に呼び出せる。そういう「景色を連れてくる」を、誰も不思議とも思わない。
けれど、まだそんなものが何もなかった頃、人は本物の野山を、土と石と水で、庭のすみに写し取ろうとした。野へ出れば谷川などいくらでもある。それでも人は、その谷川のひとすじを、わざわざ自分の住まいのなかへ引き入れたがった。手をのばせば届くところに、小さな自然を置いておきたかったのだ。
その細い流れを、遣水、と呼んでいたらしい。庭をくねって流れる、人の引いた水のことだ。
ボクが見てきたのは、その一本の水が、ただの溝から、野山の写しへと変わっていく、そういう手わざのことだ。
◇ ◇ ◇
承暦四年(一〇八〇年)の春のことだった。われは平安京の左京、とある殿のお邸で、庭を作る男たちのもとに雇われて土を運ぶ下働きをしていた。
雪のとけた土はまだ冷たく、鋤の先で起こすたびに、湿った匂いが立ちのぼる。掘り返した地面からおぼろな湯気のようなものが上がって、日のあたるところだけほんのりと暖かい。庭のすみの梅はもう散りぎわで、足もとには白い花びらが泥にまみれて貼りついていた。男たちの掛け声と、鋤が小石を噛む乾いた音が、朝から日暮れまで、絶えず邸の裏手に響いていた。
その庭を仕切っていたのは、とくという、年老いた石立ての男だった。腰は曲がり、手の甲は土の色に染まって、爪のあいだまで黒かった。指の節は太く皮は厚く、握れば小枝でも折れそうな手をしているのに、石を抱える段になると、その手は別の生きもののように、するりと石の重さを読んでみせる。口数は少なく、終日、できあがりかけの庭をうろうろ歩いては、石のひとつをためつすがめつ眺めている。傍目には、ただ庭をさまよっているようにしか見えない。
その邸では、北の山から細い水を一本、邸のうちへ引き入れることになっていた。竹の樋をつたって落ちてきた水を、庭をくぐらせて、池へ注ぐ。それだけのことなら、まっすぐ溝を掘って流せばすむ。事実、われは初めそう思って、鋤をふるって一直線に溝を掘りはじめた。短いほうが楽だし、水も早く流れよう、とそう思いこんでいた。
とくは、それを見て、ゆっくり首を横にふった。
「まっすぐは、いかん」
なぜ、と問うと、とくは庭のはずれにわれを連れていって、北の山を指さした。指の先には、霞のかかった稜線が、青くにじんで横たわっている。あそこから流れ落ちる谷川を、おぬしは見たことがあるか、と言う。あるとも、子どもの時分から幾度も、と答えると、とくは皺だらけの目もとをやわらげて笑った。
「では、思い出してみい。あの水は、まっすぐ落ちてきたか」
言われて、目を閉じてみる。山の谷川は、まっすぐになど流れてはいなかった。岩にぶつかってはよけ、低いほうへくねり、ときに淀み、ときに音を立てて瀬になる。曲がっては落ち、落ちてはまた曲がる。瀬のところでは水が白く跳ね、淵のところでは底の小石まで透けて見えた。まっすぐな川など、野には一本もなかった。
「水は、低いほうへ、低いほうへと、おのれで道をえらぶ。人がやることは、その水のえらびたい道を、先に読んでやることよ」
とくは、そう言って、われの掘りかけた一直線の溝を、草鞋の先で、ぞんざいに崩してみせた。
◇ ◇ ◇
それから幾日も、とくの庭づくりを、われはそばで見ていた。
まず、流れを通すあたりに、石を据える。ただ置くのではない。ひとつの石を、地に半ばまで埋めて、いかにも昔からそこに在ったかのように据えるのだ。とくは石を抱えては降ろし、向きを変えてはまた抱え、半日かけて、ようやくひとつを落ち着かせる。石を回すたびに、苔のついた面、雨に削られた面、土に埋もれていた赤茶けた面が順ぐりに日の光にさらされる。据わった石を遠くから眺めて、気に入らなければ、また掘り起こす。われが汗をぬぐいながら手を貸すと、石の底は思いのほか冷たく、手のひらに、土の湿りと石の重みがずしりと残った。
「石には、もともとあった顔の向きがある。それを違えて据えると、野にはない、嘘くさい石になる」と、とくはつぶやいた。どの面を空へ向け、どの面を水に洗わせるか。それを違えれば、石はとたんに、ただ転がしただけの石になる、というのだ。
石が据わると、その石のあいだを縫うように、水の道を掘る。流れがゆるりと曲がるところには、わざと小石を敷いて瀬をつくり、水が音を立てるようにする。とくは小石を一握りずつ、流れの底にあてがっては、指で押しこんで按配をみる。流れの末には浅い淀みをこしらえて、そこだけ水をゆっくりと休ませる。曲げて、瀬を立てて、淀ませて——それは、あの北の山の谷川を、庭のうえに小さく畳みなおしていく作業だった。
われは下働きの身で、ただ土を運び、石を抱えるばかりだったが、とくはときおり、手を休めて、その心がまえを語ってくれた。庭に引く水は、上手から下手へ、わずかに地を傾けてやらねば流れぬ。けれど傾けすぎれば、水は野を走るように勢いづいて、瀬の音が荒くなる。ゆるすぎれば、流れは淀んで、青みどろが浮く。耳に心地よい瀬の音が立つよう、地の傾きを、指の幅ほどの加減で読んでやるのだという。とくは竹の樋の口に水を少しだけ通しては、流れる音に耳をすませ、土を一掴み足しては、また音を聴く。その繰り返しを、飽くこともなく、日がな一日つづけていた。
「川の音は、つくれる。されど、つくったと客に気づかれては、しまいよ。さも、もとからそこに流れていた川のように見せて、はじめて庭になる」
人の手で引いた水を、人の手をかけたとは見せぬ。そのために、これほどまで手をかける。聞いていて、われは可笑しいような、けれど、なるほどと唸るような心持ちになった。野山を写すというのは、ただ似せることではなく、写したという跡まで消してしまうことなのだ。手をかけたぶんだけ、手をかけた跡が消えていく——そんな手わざを、われはそれまで見たことがなかった。
ある日、樋の口をすっかりあけて、はじめて水を通した。
くねった溝を、水がためらうように流れこんでいく。はじめは土に吸われて、じわりと黒く滲むばかりだったのが、やがて水どうしが追いつき、ひとすじになって、ためらいを捨てて走りだす。据えた石にあたって、ふっとよけ、低いほうへくだり、敷いた小石のうえで、さら、さら、と小さな瀬の音を立てる。淀みに溜まり、また縁からあふれて、次の曲がりへとくだっていく。日の光が水の面に乗って、庭の土塀に、ちらちらと揺れる明るい綾を映した。
われは、思わず声をあげそうになった。それは、まぎれもなく、あの山の谷川だった。庭のすみの、手をのばせば届くところに、北の山の流れが、ひとまわり小さくなって流れている。さっきまで、ただの掘った溝でしかなかったものが、水を通したとたん、生きた野の谷川になったのだ。瀬の音までが、たしかに、あの山で聞いた音と同じ調子で鳴っていた。
とくは、流れのほとりにしゃがんで、長いこと、その水を見ていた。皺だらけの顔が、めずらしく、子どものようにほどけていた。
「な。水のえらぶ道を、当ててやったろう」
われがうなずくと、とくは満足そうに、ひとつ、ふたつと、流れに手を浸した。水は老いた指のあいだを、さらさらとくぐっていく。爪のあいだの黒い土が、流れのなかで、ゆっくりとほどけて消えた。
その夜、邸の主が縁に出て、月あかりの庭をながめていた。遣水の瀬の音が、しずかに庭を満たしている。昼のあいだは男たちの声に紛れて聞こえなかった水の音が、夜のしじまのなかでは、思いのほか涼やかに、よく通った。主は、その音にじっと聞き入って、しばらく、ものも言わなかった。野へ出ずとも、座したまま、山の谷川のほとりにいる——その心地を、たった一本の細い流れが、運んできたのだろう。
◇ ◇ ◇
庭に水を引き、石を据えて、野山を写し取るこの手わざは、それからのちも、長く受け継がれていった。
やがて、庭づくりの心得を書きとめた書も編まれて、石の据えかた、水の流しかたが、こまごまと伝えられたという。曲げて流せ、まっすぐにするな、石は本来あった顔のままに据えよ——とくが土の上で語っていたことが、後の世の人の筆にも、たしかに残っていったのだと聞く。
今では、庭の流れに本物の水を引かずとも、白い砂を波のかたちに掻いて、水のないところに水を見せる、そういう庭まで生まれた。流れぬ砂のうえに、人は谷川を思い描く。もとをたどれば、あの遣水の一本に行きつくのだろう。
今では、景色は壁にも、手のひらの板の上にも呼び出せる。あまりに容易すぎて、誰も、石ひとつを半日かけて据えたりはしない。
それでも、と思う。野の谷川を、まっすぐにはせず、曲げて、瀬を立てて、庭のすみに写し取ろうとした——あの、水のえらぶ道を先に読もうとした心は、今のどんな景色のなかにも、たしかにまだ流れている。
据えた石のあいだを、水がはじめて生きものになって流れだしたとき、子どものようにほどけた、とくの顔を、ボクはまだ覚えている。人は、すぐそばの野山では飽きたらず、それを手もとに連れてきて、そばに置いておきたがる。ボクは、そういうものが、好きなんだ。
参考文献・もっと詳しく
※ 遣水(やりみず)は、邸内の庭に細い水流を引き入れて流す、寝殿造の庭の要素とされる。野山の谷川を写すように石を据え、流れを曲げて瀬や淀みをつくる作法は、平安後期に編まれたと伝わる作庭書『作庭記』にも記されており、後の枯山水で水を用いずに流れを表す手法の源流のひとつとも言われる。承暦四年は一〇八〇年(承暦は一〇七七〜一〇八一年)で、元号と西暦の対応は史実に整合する。本話の人物・会話・情景は創作。
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