二度、崩された溝——庭師とくと、庭のすみの谷川第 109 話文化
文化平安のころ・平安京(左京)読了 約6分

二度、崩された溝——庭師とくと、庭のすみの谷川

〜なぜ人は、すぐそばの川では飽きたらず、わざわざ庭のなかに小さな谷川を引きたがったのか〜

はじめて読む方へ——語り部「ボク」がなぜ千年を渡り歩いているのかは、プロローグにあります。

 掌にひとつ、石を乗せてみる。片側は苔でざらつき、もう片側は水に洗われて丸い。裏へ返すと、まだ土の匂いが残っているような気さえする。どこにでも転がっていそうな、ただの石だ。

 この石を、とくという男は、どちらの面を上にして地に埋めるかで、幾度も向きを変えていた。まっすぐに引けば、それはただの溝を流れる水にすぎない。だが、あの男の手にかかると、水は、野山を流れ落ちる谷川に化けた。

 今も、庭に水を引く家はある。石の据え方も、水の曲げ方も、当時と同じだという。違うのは、その水が、蛇口をひねれば出てくる、ということだけだ。

◇ ◇ ◇

 鋤の先が小石を噛むたび、乾いた音が庭に響く。土はまだ雪解けの冷たさを残していて、掘り返すたびに湿った匂いが立った。——承暦四年(一〇八〇年)の春、平安京は左京のとある邸で、われは庭を作る男たちに交じり、土を運んでいた。

 その庭を仕切っていたのは、とくという、年老いた石立いしだての男だった。腰は曲がり、手の甲は土の色に染まって、爪のあいだまで黒かった。指の節は太く皮は厚く、握れば小枝でも折れそうな手をしているのに、石を抱える段になると、その手は別の生きもののように、するりと石の重さを読んでみせる。口数は少なく、終日、できあがりかけの庭をうろうろ歩いては、石のひとつをためつすがめつ眺めている。傍目には、ただ庭をさまよっているようにしか見えない。

 その邸では、北の山から細い水を一本、邸のうちへ引き入れることになっていた。竹の樋といをつたって落ちてきた水を、庭をくぐらせて、池へ注ぐ。それだけのことなら、まっすぐ溝を掘って流せばすむ。事実、われは初めそう思って、鋤をふるって一直線に溝を掘りはじめた。短いほうが楽だし、水も早く流れよう、とそう思いこんでいた。

 とくは、それを見て、ゆっくり首を横にふった。何も言わず、草鞋わらじの先で、われの掘った溝を、ぞんざいに崩してしまう。

 われは仕方なく、また一から掘り直した。今度は、少しだけ曲げてみる。とくは、また崩した。二度目は、崩し方が心なしか小さかった。

 三度目、われは、幾度となく目にしてきた北の山の谷川を思い出しながら掘った。岩にぶつかってはよけ、低いほうへくねり、ときに淀み、ときに音を立てて瀬せになる、あの流れの姿を。掘り上がった溝は、はじめの一直線とは似ても似つかぬ、くねくねとした形になっていた。

挿絵:三度目、われは、幾度となく目にしてきた北の山の谷川を思い出しながら掘った

 とくは、その溝を見て、今度は崩さなかった。かわりに、しゃがみこんで、溝の底を指の腹でなぞりはじめた。低いところ、高いところを確かめては、土を少しだけ足す。足しては、また確かめる。その繰り返しを、日が傾くまでつづけた。

◇ ◇ ◇

 それから幾日も、とくの庭づくりを、われはそばで見ていた。

 まず、流れを通すあたりに、石を据える。ただ置くのではない。ひとつの石を、地に半ばまで埋めて、いかにも昔からそこに在ったかのように据えるのだ。とくは石を抱えては降ろし、向きを変えてはまた抱え、半日かけて、ようやくひとつを落ち着かせる。石を回すたびに、苔こけのついた面、雨に削られた面、土に埋もれていた赤茶けた面が順ぐりに日の光にさらされる。据わった石を遠くから眺めて、気に入らなければ、また掘り起こす。われが汗をぬぐいながら手を貸すと、石の底は思いのほか冷たく、手のひらに、土の湿りと石の重みがずしりと残った。

 石を抱え直すたびに、とくは決まって同じ面——苔のついた面を上に向けて据えた。据え損なって幾度掘り起こしても、その面だけは変えない。われは、いつしかそのことに気づいて、石を運ぶときには、あらかじめ苔の面を上にして差し出すようになった。とくは、それでようやく、少しだけ手間が減ったというふうに、うなずいた。

 石が据わると、その石のあいだを縫うように、水の道を掘る。流れがゆるりと曲がるところには、わざと小石を敷いて瀬をつくり、水が音を立てるようにする。とくは小石を一握りずつ、流れの底にあてがっては、指で押しこんで按配をみる。流れの末には浅い淀よどみをこしらえて、そこだけ水をゆっくりと休ませる。曲げて、瀬を立てて、淀ませて——それは、あの北の山の谷川を、庭のうえに小さく畳みなおしていく作業だった。

 われは、ただ土を運び、石を抱えるだけの日々だったが、とくの手もとから目を離さなかった。竹の樋の口に水を少しだけ通しては、流れる音に耳をすませ、土を一掴み足しては、また音を聴く。傾きが急すぎれば、瀬の音は荒くなる。ゆるすぎれば、流れは淀んで、青みどろが浮く。とくは、その境目を、指の幅ほどの加減で探りあてるまで、幾度でも土を足し引きした。その繰り返しを、飽くこともなく、日がな一日つづけていた。

挿絵:われは、ただ土を運び、石を抱えるだけの日々だったが、とくの手もとから目を離さなか

 とくは、庭の出来のことを、多くを語らなかった。ただ、仕上がった水路を客に見せるときだけ、決まって同じことをした。継ぎ目も、掘った跡も、石を組んだ順も、ひとつも見せず、さも、もとからそこに流れていた川であるかのように装って見せるのだ。

 人の手で引いた水を、人の手をかけたとは見せぬ。そのために、これほどまで手をかける——その道理を、われは、とくの口からではなく、自分が最初に掘った、あのみっともない一直線の溝の跡を思い出すたびに、幾日もかけて、少しずつ飲みこんでいった。写したという跡まで消してしまうことなのだ。手をかけたぶんだけ、手をかけた跡が消えていく。

 ある日、樋の口をすっかりあけて、はじめて水を通した。

 くねった溝を、水がためらうように流れこんでいく。はじめは土に吸われて、じわりと黒く滲むばかりだったのが、やがて水どうしが追いつき、ひとすじになって、ためらいを捨てて走りだす。据えた石にあたって、ふっとよけ、低いほうへくだり、敷いた小石のうえで、さら、さら、と小さな瀬の音を立てる。淀みに溜まり、また縁からあふれて、次の曲がりへとくだっていく。日の光が水の面に乗って、庭の土塀に、ちらちらと揺れる明るい綾を映した。

 われは、思わず声をあげそうになった。それは、まぎれもなく、あの山の谷川だった。庭のすみの、手をのばせば届くところに、北の山の流れが、ひとまわり小さくなって流れている。さっきまで、ただの掘った溝でしかなかったものが、水を通したとたん、生きた野の谷川になったのだ。瀬の音までが、たしかに、あの山で聞いた音と同じ調子で鳴っていた。

 とくは、流れのほとりにしゃがんで、長いこと、その水を見ていた。皺だらけの顔が、めずらしく、子どものようにほどけていた。

 「な。水のえらぶ道を、当ててやったろう」

 われがうなずくと、とくは満足そうに、ひとつ、ふたつと、流れに手を浸した。水は老いた指のあいだを、さらさらとくぐっていく。爪のあいだの黒い土が、流れのなかで、ゆっくりとほどけて消えた。

 その夜、邸の主が縁に出て、月あかりの庭をながめていた。遣水の瀬の音が、しずかに庭を満たしている。昼のあいだは男たちの声に紛れて聞こえなかった水の音が、夜のしじまのなかでは、思いのほか涼やかに、よく通った。主は、その音にじっと聞き入って、しばらく、ものも言わなかった。野へ出ずとも、座したまま、山の谷川のほとりにいる——その心地を、たった一本の細い流れが、運んできたのだろう。

◇ ◇ ◇

 のちに、庭のつくり方を記した書物には、石は本来の顔のままに据えよ、水はまっすぐにするな、と書きとめられることになる。だが、とくが同じ石を幾度も据え直しては、指の腹だけで重さを量っていた、あの加減までは、どの書物のどの行にも見つけられない。

 ボクの手のひらには、いまも、あの日抱えた石の重みだけがある。

参考文献・もっと詳しく

※ 遣水(やりみず)は、邸内の庭に細い水流を引き入れて流す、寝殿造の庭の要素とされる。野山の谷川を写すように石を据え、流れを曲げて瀬や淀みをつくる作法は、平安後期に編まれたと伝わる作庭書『作庭記』にも記されており、後の枯山水で水を用いずに流れを表す手法の源流のひとつとも言われる。承暦四年は一〇八〇年(承暦は一〇七七〜一〇八一年)。本話の人物・会話・情景は創作。

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