第 114 話宗教じゃら、じゃらと鳴る数珠と、母のひと晩の枕もと
〜薬のない夜、母は数珠を繰り、僧は黙って手を動かした〜
はじめて読む方へ——語り部「ボク」がなぜ千年を渡り歩いているのかは、プロローグにあります。
黒く艶光りする、小さな木の玉が、いくつも紐に通されている。親指の腹がいつも当たる一粒だけ、ほかよりわずかに小さく、指の脂を吸って色が変わっていた。手のなかで揺らすと、じゃら、じゃらと乾いた音がする。掌に乗せると、見た目よりわずかに重い。それだけの、ただの数珠だった。
その数珠を、ひと晩じっと放さなかった女がいた。医者もなく、薬もろくにない世で、女にできることは、それを繰りつづけることだけだった。
経を唱え、印を結び、護摩を焚く。見えぬ物の怪を身体の外へ追い払おうとする、その作法を、人は加持祈祷と呼んでいた。病の理由がわからぬ夜、それは、人にできる、数少ない手当てのひとつだった。
◇ ◇ ◇
寛弘八年(一〇一一年)の冬のことだった。われは京のはずれ、土塀の崩れかけた小路の奥に、しばらく間借りして暮らしていた。
雪こそ降らぬが、底冷えの厳しい年だった。明け方には水甕に薄い氷が張り、軒先からは細い氷柱が下がる。日が暮れれば小路はしんと静まり、どこかの家で誰かが咳をする音までが、隣のことのように聞こえてきた。
軒を連ねた隣の小家に、おりつという母と、その娘のつるが住んでいた。つるはまだ五つか六つ、われの姿を見つけると土間を駆けてきて、懐に手を突っ込んではけらけらと笑うような子だった。おりつは亡くした亭主の代わりに、洗い張りの賃仕事で、ふたりの口を養っていた。あかぎれの切れた指で、来る日も来る日も冷たい水に布を晒し、張り板に貼って干す。その指先がいつも赤く荒れていたのを、われは覚えている。亭主が遺したものは、数珠ひとつきりだったという。おりつは、それをいつも懐に入れて持ち歩いていた。
その冬、つるが熱を出した。
はじめはただの風邪だと、誰もが思っていた。けれど熱は引かず、三日、四日とたつうちに、つるの頬は燃えるように赤くなり、夜には何かにうなされて知らぬ者の名を呼ぶようになった。火桶のそばに寝かせても、小さな身体は震えがとまらない。おりつがそっと額に手をやると、その熱さに、母の掌のほうが驚くほどだった。おりつは仕事を放り出して、娘の枕もとに張りついた。
つるは時折、うわ言のように何かを呼び、小さな手で宙をかくようなしぐさをした。おりつはそのたび、震える指で娘の手を握り返した。
医者を、とわれは言いかけて口をつぐんだ。この界隈に、薬師を呼べるほどの蓄えのある家はない。薬といえば、辻で売る怪しげな煎じ薬がせいぜいで、それも当てにはならなかった。すでに一度、頼んで飲ませてはみたが、熱はいっこうに下がらなかった。

日が暮れて、つるの熱がいよいよ上がった夜のことだ。おりつは、なけなしの蓄えをはたいて、近くの寺から、ひとりの僧を呼んだ。
来たのは、まだ若い、痩せた行者だった。墨染めのすり切れた衣を着て、手には数珠と小さな独鈷を提げている。草鞋の紐はすり切れ、指先はあかぎれで割れていた。戸を開けて入ってくると、冷えきった外の匂いを衣の裾に巻きつけたまま座についた。頬はこけ、目ばかりが妙に澄んでいた。部屋の隅に置かれた灯明の火が、その横顔を頼りなく照らしていた。僧はつるの枕もとに座ると、しばらく娘の顔をじっと眺め、額にそっと掌をかざし、呼吸をひとつ整えてから、低い声で経を唱えはじめた。
われは戸口に控えていたが、火桶の炭が心もとなくなっているのに気づいて、外に積んであった薪をくべ足した。ぱちり、と爆ぜる音がして、また火が明るくなる。それくらいしか、われにできることはなかった。積んであった薪もじきに底をつきそうだったので、われは一度外へ出て、二軒先の空き家の軒下に立てかけてあった枯れ枝を、何本か拝借してきた。凍りついた夜気が、頬を刺すように冷たかった。戻って火に足すと、また部屋が明るくなった。
僧の声は低く、よく通った。意味のわからぬ言葉が火桶の爆ぜる音にまじって、暗い部屋いっぱいに満ちていく。僧は印を結んだ指を、つるの額のうえ、胸のうえへと、ゆっくり動かしていく。触れるか触れぬかの近さで、見えぬ何かを、娘の身体からそっと掬い取ろうとするように。独鈷を握りなおすたび、金具がかすかに鳴った。火桶の炭の匂いと、灯芯の油の匂いと、母の汗の匂いとが、その低い声のなかで、ひとつに混じり合っていた。
そばで、おりつが数珠を繰っていた。じゃら、じゃら、と玉を送る音が絶え間なくつづく。ひと繰りごとに、おりつは唇だけを動かして、娘の名を呼んでいるようだった。つる、つる、と。僧の経が間遠になっても、母の手だけは止まらなかった。指の腹はとうに赤くなり、皮がめくれかけていたが、おりつはそれに気づいてもいないようだった。

火が細るたび、われはまた炭を足した。足すたびに、部屋の隅々まで、じゃら、じゃらという音と経の低い声だけが満ちているのがわかった。おりつの手も、僧の指も、いっこうに止まる気配がなかった。夜のあいだ、われにできたことといえば、それくらいのものだった。
◇ ◇ ◇
夜半すぎ、僧はいったん経を止めた。膝先に置かれた水桶に目をやると、みずから釣瓶で汲んできた水に布を浸し、両手で固く絞った。それを、つるの額にそっと当ててやる。しばらくして布がぬるむと、僧はまた水に浸し、同じ手つきで絞り、今度はその布を、おりつの手に持たせた。おりつは、僧のした通りに、水に浸しては絞り、娘の額に当てることを、みずから繰り返しはじめた。
釣瓶を落とす音、水を汲み上げる音、布を絞る音が、それから幾度となく繰り返された。井戸端に立つたび、おりつの吐く息が、白く尾を引いて夜に消えていった。戻ってきたおりつの手は、氷のように冷えていた。冷えた水に幾度も指を浸すうち、感覚を失っていったに違いない。肩は落ち、足取りも重くなっていったが、それでも母の足は、井戸と枕もとのあいだを、休みなく往復した。それを、夜が白むまで、幾度繰り返したことか。僧の祈りと、母の手と、冷たい布と——そのどれが効いたのか、われにはわからない。
白々と障子が明るみはじめた頃、つるの震えがふと、おさまった。
手を当ててみると、火のようだった額に、うっすらと汗がにじんでいる。荒かった息が、すうすうと寝息に変わっていた。おりつは、娘の額に手を置いたまま、声もなく、ぼろぼろと涙をこぼした。僧は、ひとつ深く頭を下げて、「峠は越えたようです」と、ただそれだけ言った。
われは戸口で、ようやく詰めていた息を吐いた。冷えきった指先に、じわりと血の気がもどってくるのを感じた。肩に入っていた力も、ようやくほどけていった。
夜が明けきる頃、僧は帰り支度をはじめた。おりつは、なけなしの布を押しつけようとした。けれど僧は、その半分だけを受け取って、あとは押し返した。「足りぬぶんは、子が大きくなったら、誰ぞに同じことをしてやればよい」。そう言って、痩せた行者は、朝霜の白く降りた小路を、寺のほうへ帰っていった。その背を、われはしばらく見送っていた。
数日して、つるはすっかり元気になった。土間で独楽を回して遊びながら、あの夜のことなど、何ひとつ覚えていない顔をしていた。覚えていないということが、なによりの快復のしるしだった。おりつは、それを見るたび、安堵とも寂しさともつかぬ顔で笑った。おりつは、繰りすぎて指の腹を擦りむいた数珠を、それからも肌身離さず持っていた。仕事の合間にふと手が止まると、その玉を、そっと撫でていた。
◇ ◇ ◇
病院の待合室の隅で、老いた女がひとり、膝の上で両手をきつく組み合わせて、目を閉じていた。少し離れた長椅子では、若い母親が、眠る子どもの額に、そっと掌を当てている。窓の外を、始発のバスが一台、静かに通り過ぎていった。
参考文献・もっと詳しく
※ 加持祈祷(かじきとう)は、密教などにおいて経を誦し印を結び護摩を焚いて、病や災い、物の怪を払おうとした祈りの作法とされる。古代から中世にかけて、医療が未発達で病因が解き明かされていなかった世では、僧や陰陽師による祈祷が病への重要な対処手段のひとつであったと伝わる。本話の人物・会話・情景は創作。寛弘八年は一〇一一年(寛弘は一〇〇四〜一〇一二年)。
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