薬のない夜、人は手を合わせるしかなかった——祈ることが、いちばん古い「手当て」だったころのこと114宗教
宗教平安のころ・京(洛中)読了 約7

薬のない夜、人は手を合わせるしかなかった——祈ることが、いちばん古い「手当て」だったころのこと

火桶のそばで震える子の枕もとで、母は、なぜひと晩じゅう数珠を繰りつづけたのか

 病というのは、要するに、なぜそうなったのかが、まるでわからないものだった。

 今の暮らしなら熱が出れば名のついた病だとわかる。喉が腫れた理由も、腹を下した理由も、目に見えぬ小さなものの仕業だと教わっている。薬を飲み注射を打ち、しばらく寝ていればたいていは治る。なぜ治るのかまで、ちゃんと筋道が立っている。

 けれど、その筋道がどこにもなかった頃、人は病の理由を、まるで知らなかった。昨日まで笑っていた子が、今朝は火のように熱い。なぜだ。誰にもわからない。わからないからこわい。目に見えぬ何かが、外から忍び込んで、人にとり憑いたのだ——そう思うよりほかに、すがるものがなかった。物の怪、と人は呼んでいたらしい。

 だから人は、手を合わせた。経を唱え、印を結び、護摩を焚いて、その見えぬものを身体の外へ追い払おうとした。加持祈祷、と呼ばれていた。医も薬も乏しい世で、祈ることは、気休めなどではなかった。それが、人にできる、いちばん真剣な手当てだったのさ。

 ボクが見てきたのは、薬のない夜に、人がただ手を合わせて、朝を待つ、そういう枕もとのことだ。

◇ ◇ ◇

 永観二年(九八四年)の冬のことだった。われは京のはずれ、土塀の崩れかけた小路の奥に、しばらく間借りして暮らしていた。

 雪こそ降らぬが、底冷えの厳しい年だった。明け方には水甕に薄い氷が張り、軒の先からは細い氷柱が下がる。日が落ちれば小路はしんと静まって、どこかの家で誰かが咳をする音までが、隣のことのように聞こえてきた。

 同じ棟割りの隣に、おりつという母と、その幼い娘が住んでいた。娘はまだ五つか六つ、つるという名で、小さな足で土間を駆けては、われの膝にもよじ登ってくるような子だった。冷えた手をわれの懐に突っ込んできては、けらけらと笑う。おりつは亡くした亭主の代わりに、洗い張りの賃仕事で、ふたりの口を細々と養っていた。あかぎれの切れた指で、来る日も来る日も冷たい水に布を晒し、洗っては張り板に貼って干す。その指先が、いつも赤く荒れていたのを、われは覚えている。

 その冬、つるが熱を出した。

 はじめはただの風邪だと、誰もが思っていた。けれど熱は引かず、三日たち、四日たつうちに、つるの頬は燃えるように赤くなり、夜には何かにうなされて知らぬ者の名を呼ぶようになった。火桶のそばに寝かせても、小さな身体は震えがとまらない。薄い夜着の上から手を当てると、その熱さに、こちらの掌のほうが驚くほどだった。おりつは仕事を放り出して、娘の枕もとに張りついた。

 医者を、とわれは言いかけて口をつぐんだ。この界隈に、薬師を呼べるような蓄えのある家はない。薬といえば、辻で売る怪しげな煎じ薬がせいぜいで、それも当てになどならなかった。煎じても、苦いだけの泥水のような汁が、椀に半分たまるきりだ。

 日が暮れて、つるの熱がいよいよ上がった夜のことだ。おりつは、なけなしの蓄えをはたいて、近くの寺から、ひとりの僧を呼んだ。

 来たのは、まだ若い、痩せた行者だった。立派な袈裟でもない墨染めのすり切れた衣を着て、手には数珠と小さな独鈷を提げている。戸を開けて入ってくると、冷えきった外の匂いを、衣の裾に巻きつけたまま座についた。頬はこけ、目ばかりが妙に澄んでいて、まだ年若いというのに、声には不思議な落ち着きがあった。僧はつるの枕もとに座ると、しばらく娘の顔をじっと眺めて、額にそっと掌をかざし、目を閉じて呼吸をひとつ整え、それから低い声で経を唱えはじめた。

 われは、戸口のところでそれを見ていた。

 正直に言えば、はじめは半ば疑っていた。経を唱えたところで、熱が下がるはずもあるまい、と。けれど、その夜のことを、われは今でもときどき思い出す。

 僧の声は低く、よく通った。意味のわからぬ言葉が火桶の爆ぜる音にまじって、暗い部屋いっぱいに満ちていく。ひとつひとつの音が、土壁にしみ込んでいくようだった。僧は印を結んだ指を、つるの額のうえ、胸のうえへと、ゆっくり動かしていく。触れるか触れぬかの近さで、見えぬ何かを、娘の身体からそっと掬い取ろうとするように。独鈷を握りなおすたび、金具がかすかに鳴った。

 そばで、おりつが数珠を繰っていた。

 じゃら、じゃら、と玉を送る音が絶え間なくつづく。木の玉どうしが擦れて、ほのかに艶のある音を立てる。ひと繰りごとに、おりつは唇だけを動かして、娘の名を呼んでいるようだった。つる、つる、と。僧の経が間遠になっても、母の手だけは止まらない。火桶の火が小さくなれば、片手で炭を足し、灰をかき寄せて種火を守り、また数珠にもどる。そうやって、おりつはひと晩じゅう、玉を繰りつづけた。指の腹が玉に擦れて、しまいには皮がうっすらと剥けていたのを、われは後で知った。

 不思議なもので、その低い声を聞いているうちに、震えていたつるの息が、ほんの少しずつ、深くなっていくように思えた。気のせいだったのかもしれない。それでも、暗く張りつめていた部屋の空気が、経の声に撫でられて、いくらか和らいでいくのが、たしかに感じられた。火桶の炭の匂いと、灯心の油の匂いと、母の汗の匂いとが、その低い声のなかで、ひとつに溶けていく。

 われは、その夜、はじめて腑に落ちた気がした。

 この祈りは、見えぬ物の怪を追い払うためのものだ、と人は言う。けれど、それだけではなかった。眠れぬ夜を、何もせずにただ娘の苦しむのを見ているのは、母にはとても堪えられぬことだ。祈りは、その母に、することを与えていた。手を動かし声を出し、玉を繰る。何かをしている、というそのことが、おりつを、崩れ落ちずに朝まで支えていた。

 祈りが熱を下げるのではない。祈る手が、人の心を、夜の底でかろうじて繋ぎとめているのだ。

◇ ◇ ◇

 夜半すぎ、僧はいったん経を止めて、おりつに耳打ちした。冷えた井戸の水で布を絞り、つるの額に当ててやれ、と。熱いときは、それで少し楽になることがある、と低い声で言った。

 おりつは立って、暗い土間を手探りで井戸端へ出ていった。釣瓶を落とす音、水を汲み上げる音、布を絞る音が、戸の向こうから途切れ途切れに聞こえてくる。戻ってきた母の手は、氷のように冷えていた。何度も何度も布を絞っては、娘の額を冷やしてやる。布がぬるむとまた土間へ立ち、新しく冷たいのに替えてくる。それを、夜が白むまで、幾度繰り返したことか。僧の祈りと、母の手と、冷たい布と——そのどれが効いたのか、われにはわからない。今のボクなら、効いたのは布の冷たさのほうだろうと言える。けれど、あの夜のおりつには、祈りも布も、ひとつづきの「手当て」だった。どちらも、娘のためにできることの、すべてだった。

 白々と障子が明るみはじめた頃、つるの震えがふと、おさまった。

 手を当ててみると、火のようだった額に、うっすらと汗がにじんでいる。荒かった息が、すうすうと寝息に変わっていた。おりつは、娘の額に手を置いたまま、声もなく、ぼろぼろと涙をこぼした。肩がふるえ、こらえきれぬ嗚咽が、ひとつ、ふたつと漏れる。僧は、ひとつ深く頭を下げて、「峠は越えたようです」と、ただそれだけ言った。

 われは戸口で、ようやく詰めていた息を吐いた。冷えきった指先に、じわりと血の気がもどってくるのを感じた。

 僧が帰り支度をするとき、おりつは、なけなしの布を押しつけようとした。けれど僧は、その半分だけを受け取って、あとは押し返した。「足りぬぶんは、子が大きくなったら、誰ぞに同じことをしてやればよい」。そう言って、痩せた行者は、朝霜の白く降りた小路を、寺のほうへ帰っていった。その背を、われはしばらく見送っていた。

 数日して、つるはすっかり元気になり、また土間を駆けて、われの膝によじ登ってきた。冷たい手を、前と変わらず懐に突っ込んでくる。けろりとした顔で、あの夜のことなど、何ひとつ覚えていない。覚えていないということが、なによりの快復のしるしだった。おりつは、繰りすぎて指の腹を擦りむいた数珠を、それからも肌身離さず持っていた。仕事の合間にも、ふと手が止まると、その玉をそっと撫でていた。

◇ ◇ ◇

 病の理由が、目に見えぬ小さなものの仕業だと、人が知るのは、ずっとずっと後のことだ。

 やがて医が育ち、薬が効くようになり、熱を下げる手立ても、ちゃんと筋道立てて語られるようになった。物の怪は、いつしか人の口にのぼらなくなった。祈りで病を払うなど、今ではもう、誰も本気にはしない。

 それでも、と、ボクは思う。

 今でも、人は、大事な誰かが手術台に向かうとき、待合の椅子で、知らず知らず手を組んでいる。検査の知らせを待つ夜、神でも仏でもないものに向かって、どうか、どうかと心のなかで呟いている。あれは、おりつがひと晩じゅう繰っていた、あの数珠の音と、たぶん同じものだ。理屈ではどうにもならぬ夜を、人が崩れずに渡りきるための、いちばん古い手すりなのだ。

 祈っても熱は下がらない。それは、そうかもしれない。けれど、祈る手があるから、人は、長い夜のあいだ、大事な誰かのそばに、座っていつづけられる。

 火桶のそばで、じゃら、じゃら、と玉を繰っていた、あのおりつの横顔を、ボクはまだ覚えている。ボクは、そういうものが、好きなんだ。

参考文献・もっと詳しく

加持祈祷(かじきとう)は、密教などにおいて経を誦し印を結び護摩を焚いて、病や災い、物の怪を払おうとした祈りの作法とされる。古代から中世にかけて、医療が未発達で病因が解き明かされていなかった世では、僧や陰陽師による祈祷が病への重要な対処手段のひとつであったと伝わる。本話の人物・会話・情景は創作。永観二年は九八四年(永観は九八三〜九八五年)で、元号と西暦の対応は史実に整合する。

当サイトは Amazon アソシエイト・プログラムの参加者です。上記リンク経由の購入で当サイトに収益が発生する場合があります。

同じテーマの話
宗教ひと寺ひと寺、亡き子の名を唱えて歩いた道が、いつしか祈りそのものになっていった日のこと宗教ひとつの鐘の音が、町じゅうの朝を、いちどに揃えていった日のこと宗教神さまへ届ける、一頭の馬のこと
同じ時代の話
文化名を捨てた朝に、童は大人になった——はじめて冠を戴き、新しい名を名のった日のこと文化月は、まっすぐ見ない——水と酒に映して愛でた、都びとの遠回しな贅沢のこと海を知らぬ里へ、ひとつまみの海を背負っていった日のこと