第 113 話宗教祟りだ、と人々は門を閉ざした——疫病を運ぶ「祟る霊」を、祭りに変えて鎮めた都のこと
〜怖くてたまらないものを、人はなぜ追い払わず、わざわざ祀って迎えたのか〜
はじめて読む方へ——語り部「ボク」がなぜ千年を渡り歩いているのかは、プロローグにあります。
すえは、機を織るとき、誰に聞かせるでもない唄を口ずさんだ。
とんとん、と杼を打つ音に合わせて、低く、くぐもった調子で。路地の奥のその家の前を通れば、いつでもその音と唄が聞こえた。ある夏、それがぱたりと止んだ。孫娘が熱を出したのだ。すえは薬を断って、ひとこと言った。祟りだもの、と。
夏になれば、提灯がともり、囃子が鳴り、屋台の匂いが路地に満ちる。浴衣の人波が、笑いながら山鉾を見送る。あの華やかな囃子のいちばん奥に、すえが唄を止めたあの夏がしまい込まれていると、ボクは思っている。
◇ ◇ ◇
寛仁四年(一〇二〇年)の夏のことだった。京の東のはずれ、鴨の河原にほど近い町は、その年、春の終わりから疫病にひどく見舞われていた。
咳をして、熱を出し、体に赤い疱が浮く。そうなると、もう長くはなかった。朝、河原のほうから風が立つと、生ぐさいような、甘く饐えたような匂いが、町の路地までただよってきた。人を焼く煙の匂いだと、誰もが口には出さずに知っていた。
町は日に日に静かになっていった。表戸を固く閉ざし、軒に注連を張りめぐらせ、門口に塩を盛って、人は外を歩くことさえ恐れた。子を抱いた母が、すれ違いざまに袖で口を覆い、足早に逃げていく。井戸端で水を汲む音さえ、いつもより遠慮がちだった。
われの店先には、それでも薬を求める客がひきもきらず訪れた。乾した葛の根を擂り、桔梗の根を刻んでは、匙で量って包む。客は口々に、同じ名をささやいた。都を追われ、遠い国で恨みを呑んで死んだ人がいる。その霊がいま都に戻ってきて、病をまき散らしているのだ、と。指の腹に薬草の苦い匂いが染みついて、夜になっても取れない。けれど、根の薬草で散らせる病ではないことは、われ自身がいちばんよく知っていた。熱に浮かされた目をのぞき込むたび、われにできるのは、せいぜい喉の渇きをやわらげる湯を教えることくらいだった。
路地のいちばん奥に、すえ、という名の老婆が住んでいた。ひとりで機を織って暮らす、寡黙な人だった。早くに娘夫婦を亡くし、残された幼い孫娘を、ただひとりの拠りどころとして育てていた。すえの家の戸口を通ると、いつもなら、とんとん、と杼を打つ乾いた音が、絶え間なく聞こえてくる。その音に合わせて、低くくぐもった唄を口ずさんでいることもあった。誰に聞かせるでもない、機を織る手の調子をとるためだけの唄だ。その音も唄も、ここ幾日かは、ぱたりと止んでいた。孫娘が熱を出して臥せっていると聞いて、われは煎じた薬を持って訪ねた。

暗い土間に、すえは膝を抱えて座っていた。手燭の灯が、皺の刻まれた顔を頼りなく照らしている。隅には織りかけの機が、糸を張ったまま置き去りにされていた。奥の薄縁に、小さな影が、苦しげに息をしているのが見えた。近づくと、汗と熱のこもった匂いがした。額に手をやれば、燃えるように熱い。乾いた唇が、何か言いたげに動いては、また閉じる。すえは、その熱を移してほしいとでもいうように、痩せた手で孫の手を握りしめていた。節くれだった指が、小さな指に、痛いほど食い込んでいた。
「薬は、もういいよ」と、すえは首を振った。低く、掠れた声だった。「これは、祟りだもの。薬で散るものじゃない」
祟り、という言葉を、すえは恐ろしげに、けれど妙に確信をこめて口にした。町の誰もが、同じことを囁いていた。
われは、その囁きを否といえなかった。病の正体がわからぬのは、われも同じだったからだ。手燭の灯がゆれるたび、土間の隅の闇が、生きもののようにふくらんで見えた。
◇ ◇ ◇
その夏の盛り、都が大きな祭りを催すという話が、町を駆けめぐった。
恐れている「祟る霊」を、追い払うのではない。むしろ、ひとつ所へ丁重に招き迎えて、楽の音と舞と供物でもてなし、機嫌をとって鎮めるのだという。神泉苑という、帝の庭であった広い苑が、その場に選ばれた。怒れる霊を、客人として遇する——それが、都の人の考えついた手立てだった。
祭りの日、苑のまわりは、おびただしい人で埋まった。表戸を閉ざして震えていたはずの人々が、この日ばかりは、おそるおそる外へ出てきていた。霊を鎮める場に、自分も立ち会いたい。そうすれば、わが家にも祟りが及ぶまい——皆、すがるような顔をしていた。痩せた肩をぶつけ合い、汗の匂いをまといながら、誰もが苑の塀のほうへ、塀のほうへと寄っていく。

塀のきわで人波にもまれたとき、われのうなじが、覚えのある強張りをおびた。どこで覚えたその強張りかは、われ自身にもわからなかった。
苑のなかでは、僧が経を誦し、楽人が笛と鼓を奏で、舞人が袖をひるがえした。低くうねる読経に、笛の澄んだ音が乗り、鼓の音が腹の底まで響いてくる。鉾を高々と立て、幣を捧げ、霊の名を呼んで、ねんごろに供物をささげる。香の煙が、夏の重い空気のなかを、ゆっくりと立ちのぼっていった。
供物の膳を運ぶ手が足りぬと、世話役が塀ぎわの人だかりに声をかけた。われは葛籠を担ぎ、すえの手を借りて、山と積まれた白い餅と色とりどりの果物を、僧の待つ列まで運んだ。葛籠の縁が肩に食い込み、詰めた餅の重みで、指先がじんとしびれた。こんな年に、これほどのものを、人ではなく目に見えぬ霊のために並べるのだ。膳の前では、白髪の老人が、痩せた手を合わせて何ごとか唱えていた。子をなくしたばかりなのだろう、声を殺して肩をふるわせている女もいた。それを惜しむ声は、ひとつも上がらなかった。
われは人混みの端に戻り、すえと、ようやく床を上げたばかりの孫娘の手を引いて立っていた。痩せた娘は、まだ足もとが頼りなかったが、はじめて見る舞と楽に、大きな目をみはっていた。舞人の袖がひるがえるたび、娘の頭が、それを追ってゆっくりと動いた。
「ばば、こわい霊が、笛で、おとなしくなるの」と、娘がたどたどしく聞いた。
すえは、答えのかわりに、孫娘の背をそっと押した。われは娘の小さな手を取り、供物の並ぶほうへ向けて、ゆっくりと両手を合わせるしぐさを教えた。追い払う手つきではない。迎え入れ、頭を垂れる手つきだ。娘は真似て、小さな両手を合わせた。すえの、痩せた指の力が、われの腕にほんの少し伝わってきた。
娘の手のぬくもりが、ようやく戻ってきたのを、われは横で感じていた。さっきまで握っていた手は、もう熱くはなかった。病が引いたのが祭りのおかげかどうか、それはわからない。わからないけれど、震えて戸を閉ざしているだけだった人々が、こうして外へ出て、ともに祈り、ともに楽の音を聞いている。それだけで、町に、息を吹き返したような気配がたしかにあった。
帰り道、孫娘はすっかり楽の音に夢中で、口をすぼめて笛の真似をしながら、すえの手を引いて歩いた。すえは、久しく忘れていたふうに、低く、くぐもった調子で、あの機織り唄をひとふし口ずさんだ。河原のほうから吹いてくる風にも、もう、あの饐えた匂いは混じっていないような気がした。
◇ ◇ ◇
すえの機は、それから幾日もして再び動きだし、とんとん、と杼を打つ音が路地に戻ってきた。
あの夏、苑の塀ぎわに寄り集まった人々のうなじは、こわばっていた。今の夏、笛の音を聞く人々のうなじは、ゆるい。
手燭の灯のもとで、孫娘の手を握りしめていたすえの、あの祈るような横顔を、ボクはまだ覚えている。
参考文献・もっと詳しく
※ 御霊会(ごりょうえ)は、疫病や災厄を、恨みを呑んで死んだ者の祟りとみなし、その霊を丁重に祀り、経・楽・舞・供物でもてなして鎮めようとした祭祀とされる。貞観五年(八六三年)に神泉苑で営まれた御霊会が記録に残る早い例と伝わる。寛仁四年は一〇二〇年(寛仁は一〇一七〜一〇二一年)。当時、京では疫病がたびたび流行したと伝わるが、本話の人物・会話・情景は創作であり、庶民が神泉苑の塀ぎわから儀礼に立ち会い、供物運びを手伝う場面も創作である。
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