門に札を貼り、灯を落として、ただ一日をやり過ごす——凶を避けて身を慎んだ「物忌み」のこと112宗教
宗教平安のころ・京・東洞院あたり読了 約8

門に札を貼り、灯を落として、ただ一日をやり過ごす——凶を避けて身を慎んだ「物忌み」のこと

なぜ人は、何ごともない一日を、わざわざ家に籠って静かに送ろうとしたのか

 暦というのは、つまるところ、明日をどう過ごすかを前もって決めておく道具だった。

 今の暮らしなら、明日の天気くらいは手のひらの上に出てくるし、それを見て傘を持つか決める。けれど雨が降るか晴れるかは決めても、今日が出歩いていい日か、家にいるべき日かを暦に問う者は、もういない。日というのは、どれも同じのっぺりした一日で、よい日も悪い日も、自分の都合で勝手に色をつけるだけのものになった。

 昔はそうではなかった。日には、それぞれ顔があった。出てよい日と、出てはならぬ日があり、人に会ってよい日と、誰にも会わずに過ごすべき日があった。それを決めるのは自分の気分ではなく、暦であり、ときには前の晩に見た夢だった。悪い夢を見れば、人はその朝、門を閉じた。

 凶を呼ぶ気配が満ちる日には、外へ出ず、客を入れず、灯を控えめにして、ただじっと身を慎む。物忌み、と呼ばれていた。何かをするための日ではない。何もしないことが、そのまま身を守る業になる——そういう、ふしぎな一日のことだ。

 ボクが見てきたのは、その「何もしない一日」を、人がどれほど律儀に、どれほど真剣に守っていたか、という話さ。

◇ ◇ ◇

 長元二年(一〇二九年)の春のことだった。われは京の東洞院のあたり、とある中ほどの暮らしの家に、しばらく文の手習いの相手として雇われていた。

 その家のあるじは、つねという、四十がらみの寡婦だった。亡くした夫が小役人だったとかで、暮らしは細いが、行儀のたしなみだけは手放さぬ人だった。庭の隅には、ようやく芽吹いたばかりの柳が一本あって、朝の光に若い葉先を光らせている。土の匂いと、どこかの家で焚く朝餉の煙のにおいが、まだ冷たい京の空気に混じっていた。そんな春のある朝、まだ薄暗いうちに、つねが妙にこわばった顔で起きてきた。ゆうべ、よくない夢を見たという。歯がぼろぼろと抜け落ちる夢だったと、声をひそめて言う。手の甲で口もとを押さえる仕草に、その夢のなまなましさがにじんでいた。

 「これは、よくない。今日は物忌みにします」

 そう言うが早いか、つねは家じゅうを静かに動きはじめた。まず、門を堅く閉じる。重い扉が鈍い音を立てて、外の通りと家のあいだに、見えない境目がひとつ引かれた。それから、小さく切った紙を取り出して、墨を磨り、筆の先で「物忌」と書きつける。墨のにおいが、薄暗い部屋にふっと立った。書いた札を、庭から折ってきた柳の細枝に挟み、簾の端や、つねの髪のあたりに、そっと結びつけるのだ。今日この家の者は、慎んで籠っております——その札が、外へ向けてそう告げているのだという。

 われは札を結ぶつねの手もとを、そばで眺めていた。やわらかな柳の枝が、結ぶ指の動きにつれて、しなやかに揺れる。

 「これを下げておけば、たとえ客が来ても、咎にはなりません。会わぬのが礼になる日、というのがあるのですよ」

 会わぬのが礼になる。その言いかたが、われには面白かった。ふだんは人を家に上げ、茶のひとつも出すのが心づくしであるのに、この日ばかりは、戸を閉ざして応じぬことが、いちばんの作法になる。世間のほうも、それを心得ていて、物忌みの札が下がった門は、誰も叩かぬのが約束ごとだった。札ひとつが、人と人とのあいだに、咎のない静かな垣根を立てる。たいした布でも壁でもない、ただの薄い紙きれが、である。

 札を結びおえると、つねは竈の火も、ふだんより小さく落とした。燃えさかる薪を一本抜き、灰をそっとかぶせて、炎を熾火のほうへ沈める。煮炊きの煙が高く立ちのぼって、外の目を引くのを嫌うのだという。膳も、ありあわせの冷たいもので軽くすませた。塩でしめた菜と、冷えた飯。湯気の立たぬ膳というのは、それだけで、どこか口数の少ない食事になる。何を食べるか、どこに座るか、どんな声を出すか——その日ばかりは、暮らしのひとつひとつが、すべて「目立たぬように、慎ましく」のほうへ寄せられていく。慎むというのは、ただ門を閉じるだけのことではなく、こうして家じゅうの息づかいを細くしていくことなのだと、われはそばで見ていて知った。

 その日、つねは一日、奥の薄暗がりに座っていた。針も持たぬ。文も書かぬ。声高に笑うこともない。簾ごしに差し込む光が、刻々と座敷の畳の目を移ろっていくのを、ただ見るともなく見ている。ときおり、外の通りを行く人の足音や、物売りの声が遠く流れてきても、つねはぴくりとも動かず、息をひそめるようにして、日が傾くのを待っていた。手持ちぶさたではないのか、とわれが尋ねると、つねは静かに首を振った。

 「することがないのを、味わうのです。何もせぬというのは、思うよりむずかしい」

◇ ◇ ◇

 昼を過ぎたころ、門のそとが、にわかに騒がしくなった。

 戸の隙間からうかがうと、近くに住むよねという女が、子を背負って立っている。背の子はぐったりと首をうなだれ、頬だけが赤い。聞けば、その子がゆうべから熱を出して、火のように熱いという。よねは半泣きで、薬湯のことを知りたい、つねさまに頼みたいと、声を張りあげていた。門に下がった物忌みの札を見て、よねもいったんは口ごもったが、それでも背の子の重さが、女を引き返させなかったのだろう。

 つねの顔が、はっきりと曇った。物忌みの日に、戸を開けるべきか。札を破って人を入れれば、慎みは崩れる。けれど、目の前で子が苦しんでいる。暦の決めごとと、熱を出した子と、そのどちらを取るかで、つねはしばらく、襖のかげで身を固くしていた。膝の上で、片手がもう片方の手をきつく握りしめている。

 われは、暦というものの正体を、このとき少し見たように思う。日に顔があり、慎むべき日があると信じることは、人の暮らしをきちんと律する縄であった。けれどその縄が、ときに人のやさしさを縛りもする。決めごとに従うのと、目の前のひとつの命に手を伸ばすのと——その狭間で揺れる横顔こそが、暦を生きるということの、いちばん正直なところだったのだろう。

 やがて、つねは立ちあがった。札を破りはしない。けれど、閉じた門のすぐ内へ膝をつき、戸越しに、声を張った。

 「よねどの。今日はうちが物忌みで、戸は開けられぬ。けれど、薬湯のことなら、戸ごしにお教えします」

 そうして、つねは戸を隔てたまま、子の熱を冷ます葛の根の煎じかたを、ひとつひとつ、ていねいに声で渡していった。葛の根をどれほど刻み、どれほどの水で、どれくらい煮詰めるか。湯がにごらぬよう、はじめは強い火で、煮立ったら火を弱めること。額に布をあてるなら、井戸の水で冷たくしぼり、ぬるんだらすぐ取り替えてやること。白湯はいちどに飲ませず、匙で少しずつ、口を湿らせるように含ませること。戸の板に額を寄せるようにして、つねの声は、節をつけるようにゆっくりと流れていく。よねは戸の外で、それを必死に繰りかえして覚えている。「葛の根を刻んで……強い火で……煮立ったら、弱めて」。たどたどしく復唱する声と、つねの声とが、薄い戸板をはさんで、しばらく行き来した。会わぬまま、けれど確かに、手だてだけが戸を越えていく。

 日が暮れて、よねがもう一度、門の外まで来た。今度は、子の熱が引いた、息が楽になった、という知らせだった。戸ごしに礼を述べる声は、朝とは打って変わって、晴れていた。背中の子も、もう赤ん坊のような寝息を立てているらしい。つねは奥で、ほっと長い息をついた。固く握りしめていた手が、ようやくほどけていく。

 「戸を開けずとも、できることはありました」と、つねはぽつりと言った。慎みは守った。けれど、人を見捨てもしなかった。物忌みというのは、ただ世間を閉め出すための日ではない。閉じたなかでも、なお人にしてやれることを探す、その工夫まで含めての一日なのだと、つねの背中が教えていた。

 その晩、つねは早くに灯を落とした。油皿の小さな炎を指でつまむように消すと、家のなかは、外の闇とひとつづきの暗さになった。明けて翌朝、ゆうべは何の夢も見なかった、と、つねはどこか晴れやかに言った。歯の抜ける夢の不安は、一日の慎みのなかに、いつのまにか溶けて消えていた。札を解き、門を開け、しまっておいた竈の火を熾しなおす。家にふだんの光と煙が戻る。よい一日が、また始まろうとしていた。

◇ ◇ ◇

 物忌みは、それから長いこと、人の暮らしに根を張っていた。

 貴き人の日記には、今日は物忌みなり、と記して、参内も来客も断った一日が、いくつもいくつも刻まれていると聞く。夢を見ては慎み、暦の凶を読んでは籠り、人々は日の顔をうかがいながら暮らしを運んでいた。やがて暦の決めごとは薄れ、夢に身を律する者も、いつしか少なくなっていった。

 今では、悪い夢を見ても、人は床から起きて、いつもどおり出かけていく。日に顔があるとは、もう誰も思わない。それはきっと、暮らしが軽くなったということなのだろう。

 それでも、と思う。気の進まぬ朝に、今日はどこにも行かず、誰にも会わず、ただ静かに家で過ごそう——そう思って戸を閉ざす日が、今の人にも、ときにある。何もしないことで、ささくれた心を守るその一日は、つねが奥の薄暗がりで「することがないのを味わう」と言った、あの慎みと、どこかでつながっているように、ボクには思える。

 戸を閉じても、人を思う手だてだけは、戸を越えていけるのだと——あの春の日、戸ごしに薬湯のことを渡していた、つねの真剣な横顔を、ボクはまだ覚えている。

 ボクは、そういう一日が、好きなんだ。

参考文献・もっと詳しく

物忌み(ものいみ)は、夢の凶兆や暦・陰陽道の禁忌にもとづいて、一定の日に外出や来客を避け、門を閉ざして身を慎んだ平安貴族の習俗とされる。簾や冠などに「物忌」と記した札(柳の小枝に挟むなどした)を下げて他者に慎みを知らせたと伝わり、『御堂関白記』『小右記』など当時の日記にも、物忌みのために参内や対面を断った記述が数多く見えるという。長元二年は一〇二九年(長元は一〇二八〜一〇三七年)で、元号と西暦の対応は史実に整合する。東洞院は平安京の南北の通りの名として用いた。本話の人物・会話・情景は創作。

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