第 111 話言語言葉に色をつけ、香を焚きしめ、枝を添えて——人が「気持ちを運ぶ器」を作りはじめた、ある春のこと
〜たった一行のために、なぜ人は紙を選び、香を焚き、わざわざ花の枝まで折ってきたのか〜
手紙というのは、要するに、声の届かない相手に、声のかわりを届けるためのものだった。
今の暮らしなら、想いを伝えるのに紙はいらない。指先で文字を打てば、海の向こうの相手にも、またたく間に言葉が届く。早いし、たやすいし、書き直しもきく。打った言葉が、いつ、どんな顔で読まれるのか、こちらが思い煩うことも、もうあまりない。
けれど、文字を書ける者がまだ少なく、紙そのものが貴重だった頃、人はひとつの想いを伝えるのに、ずいぶんと手間をかけた。どの紙にしようか、どんな手で書こうか、いつ届けようかと、書く前から長いこと迷った。たった一行を相手に渡すために、人は一日を費やすことを、惜しまなかった。
なかでも、想いを寄せた相手へそっと贈る文を、懸想文、と呼んでいたらしい。恋しいという、口では言いにくい一言を、紙に託す。声にできない気持ちを、いかにして相手の手もとまで運ぶか——人はそのために、紙を選び、香を焚き、文字の形までを整えていった。文が、ただの知らせではなく、気持ちを運ぶ器になっていったのさ。
ボクが見てきたのは、そういう、たった一枚の紙に、人が想いを盛りつける作法が育っていく、その始まりのことだ。
◇ ◇ ◇
寛和二年(九八六年)の春のことだった。われは平安京の西のはずれ、紙屋川のほとりで、漉きあがった紙を干し、束ね、都の家々へ納める仕事をして暮らしていた。
春の川は、雪解けの水を吞んで音を太くしていた。岸辺に並べた簀の子の上で、漉いたばかりの紙が日を吸って乾いていく。濡れた楮の、青くさいような匂いが終日あたりにこもっていて、われの指先はいつも、その匂いと、紙のわずかなぬめりを覚えていた。一枚いちまい裏返して干しなおすたび、光が紙を透かし、繊維の細い筋が見えた。紙というものは、こうして川と日と人の手が、何日もかけて編みあげるものだったのだ。
その日、紙を求めにきたのは、近くの邸に仕える、まだ前髪のとれて間もないような若い侍だった。すけ、と呼ばれていた。日に灼けた実直そうな顔で、けれど店先で何度も口ごもり、なかなか用を言いださない。乾いた紙の束を前に、太い指を所在なげに開いたり閉じたりしている。ようやく聞きだせば、想いを寄せた相手へ、はじめて文を遣りたいのだという。言いおえると、首の根まで赤くなった。
「字なら、なんとか書ける。だが、ただ書いて渡したのでは、足りぬ気がするのだ」
すけは、握りしめた手のなかの、皺の寄った紙きれを見せた。汗ばんだ手で何度も握ったらしく、紙はやわらかく毛羽だっていた。そこには恋しいという意味の一行が、ぎこちない手で、けれど精いっぱい丁寧に書きつけてある。墨は所々で濃く溜まり、筆を止めてためらった跡が、そのまま黒く残っていた。言葉そのものに、嘘はなかった。だが、いかにもそっけない。これを裸のまま相手に渡すのが、すけはどうにも心もとないらしい。
われは、笑わなかった。その心もとなさこそ、人が文に作法をこしらえていった、まさにそのもとだと知っていたからだ。
まず、紙を選んでやった。束のなかから、白い紙を一枚抜いて見せる。「これではそっけなかろう」。春の文ならばと、薄く紅をのせた、桜がさねを思わせる色の紙を、つぎに手のひらにのせてやった。表は淡い紅、裏は白に近い薄色で、重ねて透かすと、ほのかに桜の花びらが沈んでいるように見える。指でなぞると、ほかの紙よりわずかにしっとりと、やわらかかった。色を見たすけの顔が、ぱっと明るくなる。言葉はひとつも変えていない。ただ紙の色が、まだ口にしていない想いの色を、先に語りはじめたのだ。
「色だけで、こうも変わるものか」とすけは目をみはった。指先で何度も、その紅の表をなでていた。
次に、香だった。都では、文に香を焚きしめて遣るのが習いになりつつあった。すけの邸にも、香を扱う者がいるという。たたんだ紙を、伏籠のような枠の下に置き、ひと晩、香の煙のそばに伏せておけばよい。煙はゆっくりと紙の繊維に染み入り、翌朝には、紙そのものがやわらかく匂うようになる。そうすれば、相手が文をひらいた刹那、紙からふわりと立つ移り香が、文字を読むよりも先に、書き手の心ばえを伝える。声でも、文字でもなく、香りが想いの露払いをするのだ。焚きしめた香の名は、書き手が誰かをそれとなく告げもした。だれそれの好む香り、と相手に知れる。香りは、名乗らぬ名乗りでもあったのだ。
「読むより前に、匂いで伝わる、というのか」。すけは、半ば呆れ、半ば感じ入って、まだ墨も乗らぬ紙を、そっと鼻先に寄せていた。
そうして、文字のことだ。手はぎこちなくてもよい、と言ってやった。下手でも、丁寧に書かれた一字には、書き手のためらいや、相手を思う息づかいまでが、そのまま宿る。さきほどの、墨の溜まったあの一行を思いだしてやればいい。筆を止めて迷った跡こそが、想いの深さを語っている。達者すぎる手は、かえって心を隠してしまうこともある。すけのこの、つたなくも一画ずつ気を込めた手のほうが、よほど相手の胸に届くだろう、と。すけは、自分の手のひらをじっと見つめて、小さくうなずいた。
◇ ◇ ◇
翌朝、すけはふたたび店先に現れた。香を焚きしめた紅の紙を、まるで割れ物でも捧げ持つように、両の手にのせている。近づくと、たしかに、しろい朝の空気のなかに、甘く落ちついた香が、ひとすじ漂った。ひと晩、煙のそばに伏せていたのが、よくわかる。
「これを、このまま遣ればよいのか」と問うので、われは首を振った。仕上げが、まだひとつ残っている。
文は、ただたたんでは味気ない。まず縦に細く折り、それを端から、こよりをよるように、くるくると巻きしめていく。途中で結び目をひとつこしらえ、余りを軽く差しこんで留める。結び文、というやりかただ。指の腹で紙をしごくたび、紅の色がほそく締まって、一本の華奢な縒りになっていく。すけは息を詰めて、われの手もとを見ていた。きつく巻きすぎれば香が抜け、ゆるければ道々でほどけてしまう。その加減を、指が覚えるまでにはいくらか年季がいる。ほどく手間のぶんだけ、相手はその一通を、おろそかには扱えなくなる。固く結べば人目をはばかる秘めごとめき、ゆるく結べば打ちとけた間柄をしのばせる。結びひとつにも、伝わるものがあった。そうして、ここからが肝心だと、われはすけを店の裏へ連れだした。
紙屋川の岸には、その朝、山吹がいっせいにほころんでいた。川の音と、濡れた草いきれのなかに、黄の花が帯のように続いている。われは、露をのせたひと枝、いちばん瑞々しいのを選んで手折った。ぱきりと、青い匂いが立つ。結んだ文を、その枝にそっと添わせて結びつけてやる。花の重みで、枝はわずかにしなった。花の枝に文を添えて遣る——それもまた、都で育ちつつあった作法だった。
「なぜ、花を」とすけが訊く。
言葉だけでは、伝えきれぬものがある。いま、外がどれほど春で、その春のなかでどれほどおまえが相手を思っているか。それは一行の文字には収まりきらない。だから、ほころんだばかりの枝を添える。露も、青い匂いも、花の冷たさも、まるごと相手のもとへ運ばれる。花が、文字の言いそびれたぶんを、黙って相手に手渡してくれる。
「文字と、色と、香と、花。みなで、ひとつの気持ちを運ぶのだな」
すけは、ようやく腑に落ちた顔をした。そうだ、と思う。声の届かぬ相手へ、人は声のかわりにこれだけのものを束ねて遣る。文とは、もはやただの紙きれではない。色をのせ、香をたたえ、花を添えた、想いをまるごと盛りつけるための、ひとつの器になっていたのだ。
山吹の枝を捧げ持って、すけは邸のほうへ駆けていった。露がこぼれぬよう、枝の角度に気を配りながら、それでも足は急いている、おかしな走りかただった。その文がどう読まれ、返しの文が来たのかどうか、われはついぞ聞かなかった。聞かずとも、よかった。あの春の朝、つたない一行が、色と香と花をまとって、たしかに人から人へと渡っていった——ボクが見たかったのは、ただそれだけのことだったのだから。
◇ ◇ ◇
文に色を選び、香を焚き、季の枝を添える。その作法は、それからの世に、いよいよ細やかに磨かれていった。
紙の重ね色目に名がつき、どの季にどの色を遣るかが定まり、添える枝も、梅から桜、山吹から紅葉へと、移ろう季にあわせて選ばれるようになった。文字の手はますます尊ばれ、人は手紙ひとつで、相手の人となりまでを推しはかった。たった一通の文に、これほどの心くばりを畳み込んだ国は、そうはなかったろうと聞く。
今では、想いはまたたく間に届く。色も、香も、枝もいらない。それはそれで、たしかにありがたいことだ。
それでも、と、ボクは思う。届けるまでに費やした、あの長い迷いの時間——どの色にしよう、どんな手で書こう、いつ遣ろうと、相手の顔を思い浮かべて思い煩ったあの間こそが、じつは想いそのものだったのではないか、と。
もしいつか、誰かにどうしても伝えたい一言があったなら。打ちこむ前に、ほんのひと呼吸だけ、迷ってみるのもいい。その紙にどんな色をのせようかと考えた、あの春の侍の心もちは、画面の上の短い言葉にも、まだ畳み込めるはずだから。
山吹の枝を両手に、邸へ駆けていった、あのすけの後ろ姿を、ボクはまだ覚えている。たった一行の言葉を、これほど大事に運んだ者の顔を、ボクは、好きなんだ。
参考文献・もっと詳しく
※ 懸想文(けそうぶみ)は、平安の貴族社会で想いを寄せた相手へ贈った恋文を指すとされる。紙の色(重ね色目)を季節や心情にあわせて選び、香を焚きしめ、細く結んだ文(結び文)に季の花の枝を添えて遣るのが作法であったと伝わり、文字の巧拙(手)もまた書き手の人柄を測る重要な要素とされた。こうした手紙の作法は『源氏物語』『枕草子』などにも色濃くうかがえる。寛和二年は九八六年(寛和は九八五〜九八七年)で、元号と西暦の対応は史実に整合する。紙屋川・紙屋紙の名は平安京の製紙にちなんで用いたが、本話の人物・会話は創作。
当サイトは Amazon アソシエイト・プログラムの参加者です。上記リンク経由の購入で当サイトに収益が発生する場合があります。