第 111 話言語紙に色をのせ、香をたきしめ、花を添えて——恋文をこしらえた人々
〜たった一行の想いに、なぜこれほど手間をかけたのか〜
はじめて読む方へ——語り部「ボク」がなぜ千年を渡り歩いているのかは、プロローグにあります。
治安三年(一〇二三年)の春、平安京の西のはずれ、紙屋川のほとりの紙屋で、われはひとり店番をしていた。師にあたる主は寄合に出はらい、帰りは日暮れとしか言い残していかなかった。
そこへ、まだ前髪のとれて間もないような若い侍が、思いつめた顔でやってきた。日に灼けた実直そうな顔で、けれど何度も口ごもり、なかなか用を言いださない。すけ、と名のった。近くの邸に仕える下働きの身だという。聞けば、想いを寄せた相手へ、はじめて文を遣りたいのだという。言いおえると、首の根まで赤くなった。
◇ ◇ ◇
春の川は、雪解けの水を吞んで音を太くしていた。岸辺に並べた簀の子の上で、漉いたばかりの紙が日を吸って乾いていく。濡れた楮の匂いがあたりにこもり、一枚いちまい裏返して干しなおすのが、われの日々の仕事だった。紙を漉き、干し、束ねることにかけては、指の運びひとつまで身についている。だが、目の前で立ちつくすすけをどうあしらえばよいものか、われには見当がつかなかった。
主がいれば、こういう込み入った頼みごとは主へ回せた。だが、あいにく店にいるのはわれひとりで、すけは他の誰にも取り次いでもらえず、われの前から動かなかった。仕方なく、われはその話につきあうはめになった。
すけは、握りしめた手のなかの、皺の寄った紙きれを見せた。汗ばんだ手で何度も握ったらしく、紙はやわらかく毛羽だっていた。そこには恋しいという意味の一行が、ぎこちない手で、けれど精いっぱい丁寧に書きつけてある。墨は所々で濃く溜まり、筆を止めてためらった跡が、そのまま黒く残っていた。
「字なら、なんとか書ける。だが、ただ渡したのでは、足りぬ気がするのだ」
都では、文に色をのせ、香をたきしめて遣るのが習いになりつつある、との噂は、われも風の噂で聞いたことがあった。だが、実際にどうすればよいのかとなると、われには見当がつかない。束のなかから白い紙を一枚抜いて、「これでよかろう」と差しだしてみたが、すけは受けとった紙をためつすがめつして、浮かない顔のままだった。
「それだけでは、まだ心もとない気がするのだ」
紙を漉く技はあっても、それをどう飾り立てるかは、まるで別の技だった。すけの求めに、われはしばらく黙りこむよりほかなかった。
正直なところ、干した紙をすべて仕舞い終えるまでは、余計な用にかかずらいたくはなかった。だが、すけがこの調子で店先に居座られては、いつまでも仕事が進まない。厄介事を早く片づけたい一心も、半分はあった。

困りはてていると、店の裏手から、女童がひとり顔をのぞかせた。紙屋の隣に住む、まだ十にも満たぬ子で、名をたずねたこともなかった。日がな一日、紙を干す場のまわりで遊び、繕い物や使いに出るたび、そこかしこの家々をのぞいて歩く子だった。
女童は、われが差しだした白い紙をひと目見て、小さく首を振った。束のなかから迷わず一枚を選び出し、われの手のひらにのせる。薄く紅をのせた、桜がさねを思わせる色の紙だった。表は淡い紅、裏は白に近い薄色で、重ねて透かすと、ほのかに桜の花びらが沈んでいるように見える。
「白じゃ、そっけないもの」
女童は、それだけ言うと、あとは手を動かすばかりだった。近くの邸へ使いに出るたび、女房たちが文をこしらえるのを、物陰からいくども見てきたのだという。教わったわけではない。ただ、見て、覚えた。
重ねる色にも、季ごとの決まりがあるのだと、女童は事もなげに言った。春なら桜がさね、というふうに。誰に教わったふうでもなく、口をついて出る調子だった。
紅の紙を受けとったとき、われの指がふと止まった。その色に、遠い日、誰かの袖にも似た色を見た覚えがある気がしたのだ。すぐに、われはまた手を動かした。それがいつの、誰の色だったかは、われ自身にも、もうさだかではなかった。
すけが目をみはる番だった。「色だけで、こうも変わるものか」。指先で何度も、その紅の表をなでていた。
次は香だと、女童が言う。都では、文に香をたきしめて遣るのが習いだという。われは見よう見まねで、紙をそのまま火のそばに近づけかけたが、女童が急いで手を止めた。近すぎれば、紙そのものが焦げてしまう。たたんだ紙を、伏籠のような枠の下に置き、ひと晩、香の煙のそばに伏せておくのだと、女童が教えてくれた。翌朝には、紙そのものがやわらかく匂うようになり、開く前から移り香が届く相手には、それだけで書き手の心ばえが知れるのだという。女童は前に一度、邸の女房の目を盗んで真似てみて、こっぴどく叱られたことがあるらしい。使ってはならぬ香を、勝手にくすべたのだという。それでも、やり方だけは覚えてしまった。

伏せておくのは、ひと晩がちょうどよいのだという。短ければ匂いが乗らず、長すぎれば紙が湿って弱くなる。加減のすべてを、女童は指先と鼻先で測っているようだった。
◇ ◇ ◇
その晩、われとすけは、女童に言われるがまま、紅の紙を伏籠の下に伏せた。何刻あぶればよいのか、火加減はどうするのか、われには見当もつかず、結局は女童の指図のとおりに動くよりなかった。
翌朝、たしかに、紙からほのかに甘く落ちついた香が立った。女童はそれをたしかめると、こんどは文の結び方だと言って、紙を縦に細く折り、こよりをよるように巻きしめていく。指の腹で紙をしごくたび、紅の色がほそく締まって、一本の華奢な縒りになった。途中で結び目をひとつこしらえ、余りを軽く差しこんで留める。結び文、というやりかただった。
われも見よう見まねで一度こしらえてみたが、力を入れすぎて紙の縒りがよじれ、途中でほどけてしまった。女童はそれを取りあげ、黙って結びなおした。
「きつすぎれば香が抜ける。ゆるければ、道々でほどける」
女童の指は迷わなかった。何度もひとりで結んでは失敗し、ほどいてはまた結んだ跡が、その指先には残っているようだった。われもすけも、口を挟む隙がなかった。
いったい、いつのまにこれほどの手順を覚えたものか。誰に習ったわけでもないと言うのに、迷いのなさだけは、年季の入った職人にも劣らなかった。
最後は、花だと女童が言う。紙屋川の岸には、その朝、山吹がいっせいにほころんでいた。女童は迷わず岸へ駆け、露をのせたひと枝、いちばん瑞々しいのを手折ってきた。結んだ文を、その枝にそっと添わせる。花の重みで、枝はわずかにしなった。
「なぜ、花を」とすけが訊いた。
女童は答えなかった。ただ、枝をすけの手に押しつけ、にっと笑っただけだった。答えは、渡された枝の重みと匂いのなかに、もうあった。
すけは、しばらくその枝を見つめていたが、やがて得心したふうにうなずいた。理屈で分かったのではなく、手に受けた重みそのもので、分かったふうだった。
すけは、山吹の枝と結び文を両手に捧げ持ち、幾度も礼を言うと、邸のほうへ駆けていった。途中、懐に入れるつもりが、走るうちにこぼれそうになったのか、結び文を襟もとに挟みなおし、うなじのあたりに紙の縁をひやりと感じながら走っていくのが、遠目にもわかった。その文がどう読まれ、返しの文が来たのかどうか、われはついぞ聞かなかった。
◇ ◇ ◇
あの日、女童の指がこしらえた結び文の重みと、紙の縁がうなじをかすめた、あのひやりとした感じを、ボクはいまも覚えている。紙を漉くことにかけては人に負けぬつもりでいたのに、それをどう飾り、どう結び、どう渡すかは、あの小さな指のほうがよほど確かだった。
今なら、指先ひとつで、想いは瞬く間に届く。紙も、香も、枝もいらない。
だれかの襟もとから結び文の端がのぞくのを見かけるたび、ボクの首すじのあたりに、あの朝の紙の重みと冷たさが、ふっとよみがえる。
参考文献・もっと詳しく
※ 懸想文(けそうぶみ)は、平安の貴族社会で想いを寄せた相手へ贈った恋文を指すとされる。紙の色(重ね色目)を季節や心情にあわせて選び、香を焚きしめ、細く結んだ文(結び文)に季の花の枝を添えて遣るのが作法であったと伝わり、文字の巧拙(手)もまた書き手の人柄を測る重要な要素とされた。こうした手紙の作法は『源氏物語』『枕草子』などにも色濃くうかがえる。本話では、貴族社会のこの作法が、紙屋に出入りする商人や下級の侍、その周辺で働く子どものあいだにも伝わっていたものとして描いた(創作)。治安三年は一〇二三年(治安は一〇二一〜一〇二四年)。紙屋川・紙屋紙の名は平安京の製紙にちなんで用いたが、本話の人物・会話は創作。
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