第 110 話言語言わずに言う、というやり方——三十一文字を返し合って、人は想いの行き来を覚えた
〜なぜあの女房は、つれない一首を返しておきながら、返歌の遅さばかりを気にしていたのか〜
言葉というのは、ぜんぶ言ってしまうと、かえって伝わらなくなることがある。
今の暮らしなら、思ったことはそのまま打って送れる。好きだと書けば好きだと届くし、会いたいと書けば会いたいと届く。早いし、まちがいがない。便利なものだと思う。けれど、ぜんぶ言ってしまえる便利さの裏で、こぼれ落ちていくものも、たしかにある。言いきらずに残した余白に、相手が自分で意味を立ち上げる——そういう伝わり方を、人はだんだん忘れていくのかもしれない。
昔の人は、想いをそのまま口にはしなかった。かわりに、たった三十一の文字に折りたたんで、相手のもとへ送った。歌、と呼ばれていたものだ。月だの、露だの、散る花だのにかこつけて、本当に言いたいことは、わざと言わずに留めておく。受けとったほうは、その言わずに留めた部分を読みほどき、また三十一文字に想いを包んで、送り返す。贈っては返し、返してはまた贈る。そういう、言葉の往復があった。
ボクが見てきたのは、その言葉が、人と人のあいだを行ったり来たりして、ひとつの心を少しずつ温めていく、そういう日々のことだ。
◇ ◇ ◇
長徳三年(九九七年)の秋のことだった。われは京の西のはずれ、とある邸に、文を書き写す下働きとして雇われていた。
主は中ほどの位の役人で、書きものを溜めこんでは人手を借りる、おっとりとした人だった。庭にはもう萩が咲きこぼれ、朝な夕なに虫の声がしげくなって、簀子の板はひやりと足の裏に冷たかった。墨を磨る手のそばで、われは日がな反故になった料紙を裏返しては、主の歌や文を清書して過ごした。筆を持つ指はいつも墨で黒く汚れ、夕暮れにはその指の節がひりひりと冷えた。それでも、人の想いをのせた文字を写しとるのは、われには存外に心地のよい仕事だった。その邸に、しのぶという若い女房がいた。歌のことに通じていて、主の歌の相手を頼まれることもある。色の白い、ものを言うときに少しうつむく癖のある人だった。
ある夕、しのぶのもとへ一通の文が届いた。同じ役所に勤める若い男からだという。墨の薄い、まだ書きなれぬ字で、萩の枝に結びつけてあった。露にしめった枝の葉が、ひとひら、しのぶの膝にこぼれ落ちた。しのぶはそれを膝の上で開き、しばらく黙って眺めていた。香の移り香でもさがすように、紙をそっと鼻先へ近づける仕草が、われにはおかしかった。
「なんと書いてあるのです」と、つい訊いてしまった。
しのぶは少し笑って、文をこちらへ向けた。秋の野の露がどうの、袖がどうのと詠んである。薄い墨のせいで、文字の尾がところどころ掠れて消えていた。露に濡れた袖、というのは、涙でぬれた袖のことだと、しのぶが教えてくれた。じかに「あなたを想って泣いています」とは、どこにも書いていない。けれど、露と袖を並べておけば、それだけで、夜ごと袖を濡らすほどあなたが恋しい、という意味になるのだという。
「ずいぶん、遠まわしなのですね」とわれが言うと、しのぶは、遠まわしだからいいのです、と答えた。
じかに恋しいと書かれては、受けるほうも、はいかいいえか、すぐに決めねばならない。けれど露と袖にくるんで差し出されれば、こちらも露と袖で返しながら、心をゆっくり決めていける。すぐには言いきらない。その間を、たがいに分け持つ。それが歌のやりとりというものだ、と。
◇ ◇ ◇
しのぶは、返しの歌を、その夜のうちには書かなかった。
灯火のそばで硯に向かっては筆を置き、また向かっては置く。墨をすこし磨っては手をとめ、磨った墨が膜を張るまで考えこむ。あまりに早く返しては、待ちかねていたようで軽い。といって遅すぎれば、つれないと取られる。返す中身もさることながら、いつ返すか、その間合いまでが歌の一部なのだと、われはこのとき初めて知った。
翌る日の昼、しのぶはようやく一首を詠んだ。書いては破り、書いては破りして、丸めた紙が文机のかたわらにいくつも転がった。墨の匂いと、もみくちゃの紙のかさつく音ばかりが、その朝の部屋に満ちていた。覗かせてもらうと、こちらの歌にも露が詠みこんであった。けれど、その露は、すぐに乾いてしまう、はかないもの、という詠みぶりだった。
「これは……断っておられるのですか」とわれが訊くと、しのぶは、さあ、どうでしょう、と笑った。
はっきりとは、断っていない。受けてもいない。あなたの想いはわかりました、けれど露のようにすぐ乾くものではありませんか——そう、軽く一歩引いてみせる。つれなく見えて、その実、返事を返したということ自体が、脈のないわけではない、という合図にもなる。本当に心がなければ、そもそも歌を返しはしないのだから。
われには、まわりくどくて、たまらなかった。好きなら好きと、いやならいやと、なぜ言ってしまわないのか。そう口に出すと、しのぶは筆を置いて、少し真面目な顔になった。
言ってしまえば、それで終わってしまうでしょう、と彼女は言った。言わずに、すこし残しておくから、相手は何度でもその文を読み返す。露という一字の奥に、断りなのか、ためらいなのか、それとも待っているのか——いくつもの心を読みとろうとして、また筆をとる。そうやって、文が幾度も行き来するうちに、たがいの心が、少しずつ近づいていくのです、と。
言いきらない余白は、相手を悩ませる意地悪ではなく、相手に考える間をあげるための、やさしさなのだと、しのぶは言った。
その「すこし乾いた露」の歌を、しのぶは薄紫の紙に清書し、紙の隅にそっと香をたきしめてから、今度は楓の小枝に結んで使いに持たせた。色づきかけた楓の葉を一枚だけ添えるところに、しのぶはずいぶん念を入れていた。男のもとへ届くのは、夕暮れごろだろうか。届いた男が、その露の一字をどう読みほどくか。読みほどいて、また何を返してくるか。送り出したあとのしのぶは、肩の荷をおろしたようでいて、どこか落ち着かなげに、幾度も庭のほうへ目をやっていた。
◇ ◇ ◇
返しの文は、三日のちに来た。
男は、しのぶの「すぐ乾く露」を、まっこうから否とは言わなかった。かわりに、乾いた露はまた夜が来れば結ぶ、と詠んでよこした。一度乾いても、夜ごとにまた置く露のように、自分の想いも、消えてはまた結ぶのです、と。この前より墨は濃く、字も心もち落ち着いて見えた。文には、まだ青みの残る楓の葉が一枚、ていねいに添えられていた。しのぶが結んでやった葉と同じ色を、男はわざわざ探してきたらしい。色味のそろう一枚を野に分け入って探すその手間を思うと、われまでなにやら胸の奥が温かくなった。引いてみせた一歩を、男は責めもせず、押しもせず、そっと受けとめて、また一歩、間を詰めてきた。
しのぶは、その歌を読んで、口もとをほころばせた。やられました、という顔だった。露で断ったつもりが、その露を使って、こうも素直に返されては、もう、ひねりようがない。次は、何と返したものでしょう、と、われに向かってこぼした声は、困っているようで、その実、嬉しさを隠しきれていなかった。文をたたんではまた開き、同じ一首を幾度も読み返している。
われは、ようやく少しわかった気がした。歌の贈答というのは、勝ち負けでも、言いくるめ合いでもない。露をひとつ、こちらが置く。すると向こうが、その露を拾って、また別の露を返してくる。同じ一字を、二人で何度も手わたしするうちに、初めはただの言葉だったものが、二人だけの、意味を持ちはじめる。露と言えば、もう二人にしか通じない何かが、そこに灯る。
言葉を全部は使わずに、その分、相手の心を読むのに使う。読みちがえては、また問い直す。その行ったり来たりこそが、想いを運ぶ道筋なのだった。
しのぶは、その後もずいぶん長く、筆をとっては庭を眺めて過ごしていた。あの薄墨の文を文箱の底にしまい、ときおり取り出してはまた読み返している。返す歌の中身ではなく、いつ返すかを、まだ決めかねているふうだった。早すぎず、遅すぎず。その間合いひとつに、言葉にできない返事を、ぜんぶ込めようとしているようだった。日が傾くたびに、庭の萩がまた少し散って、簀子に薄紫の影をのばしていた。その色は、しのぶが文を清書した薄紫の紙と、どこか似ていた。
◇ ◇ ◇
歌をやりとりして心を通わせるならわしは、それからも長く続いた。
恋ばかりではない。季節のうつろいを告げるにも、人を悼むにも、祝いを述べるにも、人は三十一文字を贈り合った。言いたいことをそのまま言わず、花や月にくるんで差し出し、受けたほうがそれを読みほどく。書きとめられた歌の数々は、後の世にいくつもの集に編まれて、今に伝わっていると聞く。
言いきらずに、すこし残す。残した余白を、相手が読みほどく。そういう伝え方の名残は、歌をやらなくなった今の世にも、まだ、そこここに畳み込まれている。「察してほしい」とこぼすとき、言わずに飲みこんだ一言に意味を持たせるとき、人は知らずに、あのしのぶの露の一字を、なぞっているのかもしれない。
今では、想いはそのまま打って送れる。好きだと書けば好きだと届く。早いし、まちがいがない。だれも、返事の間合いに三日も迷ったりはしない。
それでも、と思う。ぜんぶ言ってしまわずに、すこし残しておく。その残した余白を、相手がそっと読みほどいてくれる——あの、薄紫の紙が幾度も庭を行き来した静かな間は、言葉短かな今の一通の奥にも、たしかにまだ生きている。
露の一字をどう返したものかと、筆を置いては庭を眺めていた、あのしのぶの困り顔を、ボクはまだ覚えている。言葉を惜しむことが、こんなにも雄弁になりうるのだと、われはあの秋に教わったのだ。
参考文献・もっと詳しく
※ 平安期の貴族社会では、男女の交渉も社交も、和歌(三十一文字の短歌)の贈答を介して行われたとされる。直接的な言葉を避け、露・袖・月・花などの景物に想いを託す掛詞や縁語の技法が発達し、受け手はその含意を読みほどいて返歌した。返歌の遅速や紙・結ぶ枝の選び方までが意思表示の一部だったと伝わり、こうした「言外に語る」作法は『古今和歌集』以来の歌の伝統に連なるものと言われる。長徳三年は九九七年(長徳は九九五〜九九九年)で、元号と西暦の対応は史実に整合する。本話の人物・会話・情景は創作。
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