ボクは、田が街になるのを見ていた
〜なぜ、ただの川辺の田に人が寄りあつまって、やがて「街」になったのか〜
いまのボクらは、街というものが、はじめからそこにあった気でいる。
駅があって、商いの灯がならび、朝には人がぞろぞろと道を流れていく。生まれたときから街は街で、ずっとそのかたちだった気がしている。けれど、どんな街にも、街になるより前の顔がある。数軒の家と、青い田と、川の渡し。ただそれだけだった時が、たしかにあったのだ。
ボクには、すこし変わった性分がある。一度きり通りすがっただけの土地を、なぜだか、ずいぶん時をおいてまた訪ねてしまう。気がつくと、おなじ川のほとりに立っている。そうしてボクは、一つの土地が、田んぼから街へと育っていくのを、初めから終いまで、とびとびに見てきた。
なにもない川辺の田に、どうして人が寄りあつまり、やがて街になったのか。その始まりの日から、ボクは、そこに居合わせていた。
◇ ◇ ◇
保安三年——西暦でいえば一一二二年の、春の終わりのことだ。
そのころのわれは、東国の大きな川の渡し場で、渡し守の下働きをして食いつないでいた。武蔵の、名もない川辺だ。舟を出す老人に雇われ、棹をさし、荷を積みおろしする。それだけの日銭暮らしだった。川のこちら岸には、藁屋根の家が数軒と、田がひろがるばかり。岸のはずれに、小さな社が一つ。あとは、川と、空と、蛙の声しかない。
けれど、この渡しには、月に幾日か、人の集まる日があった。
その日になると、川上の山の者が炭や木の実をかつぎ、川下の海べの者が塩や干した魚をたずさえて、この渡しのたもとへ寄ってくる。舟を待つあいだに、たがいの荷を見せあい、あれとこれとを取りかえっこする。山のものと海のものが、渡し場でひょいと手を替える。ただそれだけの、ささやかな寄りあいだ。
「なんで、みんなここに集まるんだね」と、われは老人に尋ねた。
「川を渡らにゃならんからよ」と老人は笑った。「渡しは、いやでも人が足を止める。足を止めりゃ、荷と荷が出会う。出会やあ、取りかえっこがはじまる。人の寄るところにゃ、おのずと市が立つのさ」
その渡しのたもと、辻とも呼べぬ道の分かれめに、細い若木が一本、植わっていた。榎だという。市の立つ日には、この木の下に神を祀り、諍いのないように、目方に嘘のないようにと拝むのだと、老人は言った。まだ、ひょろりと頼りない苗木だった。
ボクは、その若い榎を、しばらく見ていた。田と、数軒の家と、月に幾日かの寄りあい。それだけの川辺だ。この木が育つころ、ここはどんな顔になっているのだろう、とぼんやり思った。
◇ ◇ ◇
ふたたびその川辺に立ったのは、それから、ずいぶんな年月がたってからだった。
世は移り、刀の鳴る物騒な世になっていた。おれはそのころ、こまごまとした品を背に負って在々を売り歩く、連雀の商人だった。おぼえのある川の渡しへ出て、おれは目をみはった。
あの、月に幾日かの寄りあいが、いまや立派な市になっていた。
渡しのたもとの広場に、莚を敷いた店がずらりと並び、米、塩、鍬の刃、布、椀、なんでもござれと声が飛びかっている。六斎市——月に六たび立つ定めの市だという。近郷の百姓が穫れたものを持ちより、銭に替え、入用のものを買って帰る。市の日は、川の両岸から人がわいて出て、渡し舟は行きも帰りも満杯だった。
市の隅では、山里の女が炭を、海べの女が干した魚を、たがいの前にひろげていた。炭三つと魚二尾、いやそれでは炭が損だと笑いあい、けっきょく余った分を、おたがいの子への土産にと持たせあっている。銭の勘定よりさきに、顔なじみの情があるらしい。市とは、ものを替える場であると同時に、川で隔てられた者どうしが年に幾度か顔を合わせる、その口実でもあるようだった。
そして、市の立つ辻には、あの榎が、見あげるほどの大木になって立っていた。
幹はおれが両腕でかかえても余るほどに太り、枝は広場いっぱいに影を落としている。根もとには小さな祠が据えられ、市神さまとして注連縄が張られていた。市を仕切る者が、その木の下で枡の目をあらため、揉めごとの裁きをつける。木は、市そのものの背骨になっていた。
市のまわりには、いつしか家が張りついていた。市の日だけでは飽きたらず、川べりに住みついて、日々あきないをする者が出てきたのだ。鍛冶屋、酒屋、旅の者を泊める家。田のなかに、ぽつりぽつりと町屋の芽が生えていた。
おれは古手を一枚売って、市神の榎を見あげた。あの頼りない苗木が、これだ。人の寄るところに市が立ち、市の立つところに人が住みつく。老人の言ったとおりになっていた。
◇ ◇ ◇
太平の世になって、おれは——いや、その頃のあっしは、この川辺に、いっとき腰を落ちつけていた。
古手を商ううち、小さな店まで構えるようになっていた。年をとらぬ身ゆえ、長居はできぬとわかってはいたが、それでも二年ばかり、あっしはこの町の水を飲んだ。
町、である。もう、田のなかの集落ではない。
川ぞいには河岸ができ、上方や江戸からの荷を積んだ舟が、日に幾艘も着いた。河岸には問屋がならび、蔵が建ち、荷を担ぐ男衆の声が朝から絶えない。街道もこの町を通るようになって、旅籠が軒をつらね、飯屋の煙が立ちのぼる。かつて月六たびだった市は、いまや常のもの——通りの両側にびっしりと店がならぶ、毎日の商いになっていた。
「むかしは、田んぼばかりだったそうだね」と、あっしは隣の店の主に言った。
「へえ、そう聞きやす」と主は笑った。「渡しに市が立って、そいつがだんだん大きくなって、こんな町になったとか。まあ、爺さまの、そのまた爺さまの話でさ。ほんとうのところは、たれも知りやせん」
たれも知らない。そうだろう、とあっしは思った。この町がどうやって生まれたか、その一部始終を覚えている者は、もう、ここにはいない。
辻の榎は、いよいよの大樹になっていた。町の子らが幹によじのぼり、夏には木かげが涼みどころになる。市神さまは、いまも根もとに祀られていた。町がこれだけ大きくなっても、その真ん中には、あの一本の木が立っている。あっしは、それがなんだか、うれしかった。
◇ ◇ ◇
そうして——いちばん近い記憶では、そこはもう、まぎれもない街になっていた。
わたしがその街を歩いたのは、汽車の通うようになってからだ。川の渡しのあったあたりに、鉄の橋がかかり、少し行った先に、駅ができていた。駅の前から、商いの店が両側にびっしりとつづく大通りが、まっすぐに伸びている。人力車が行き、やがては乗合の自動車が土ぼこりをあげて走った。軒には硝子障子がはまり、日が落ちても軒の灯で通りは明るく、店じまいのあとまで人の影が行き来していた。
こういう眺めは、わたしには、こわくもふしぎでもなかった。むしろ、どこか懐かしかった。橋も、駅も、通りの賑わいも、わたしのよく知っているものだったからだ。ただ、この街が、かつて田と数軒の家しかない川辺だったことを知っているのは、道ゆく人のなかに、たれ一人いないようだった。
その大通りの、少し奥まった辻に、わたしは足を止めた。
あの榎が——いや、榎の若木が、そこに植わっていた。
まだ細い、ひょろりとした苗木だ。かたわらの石に、いわれが刻んであった。この地に古くよりありし市神の大榎、先年の野分に倒れ、里の者あいはかりて、同じ地に植え継ぐ、と。大樹は、とうとう倒れたのだ。けれど街の人々は、その同じ辻に、また新しい榎を植えていた。
わたしは、その若木を、しばらく見ていた。
はじめてこの川辺に来た日にも、ここには、こんな頼りない榎の苗が一本、植わっていた。あの木は大樹になり、街の真ん中で人を見おろし、そして倒れた。けれど里の者は、その跡に、また一本を植えた。木は替わる。人も、市を立てた者も、町をひらいた者も、みな替わっていった。それでも、この辻に木を植えるという心もちだけは、そっくり継がれてきたのだった。
◇ ◇ ◇
街は、一日にしてならず、とはよく言ったものだ。
けれどボクの見てきたところ、街は、たいそうな者が旗を振って造ったものではなかった。ただ、川を渡らねばならぬ場所があり、そこに人が足を止め、荷と荷が出会い、月に幾日かの寄りあいがはじまった。それだけのことだ。その小さな寄りあいが市になり、市のまわりに人が住みつき、集落が村になり、村が町になり、町が街になった。どの変わりめにも、たれかが「さあ街を造ろう」と旗を立てたわけではない。ただ人が寄り、日を重ねていっただけだ。よりどころ一つ——人の集まる日が、ひとつあっただけで、田んぼは、これだけのものに育っていった。
いまも、あの街の辻には、榎が立っているだろうか。先年植え継がれたあの若木は、そろそろ、木かげをつくるほどになったころだ。
なにもない川辺に人が寄りあって、街がひとつ生まれるまで。その長い長い一部始終を、はじめから見てきた者は、たぶん、ボクだけだ。
ボクは、そういうものが、好きなんだ。
参考文献・もっと詳しく
※ 中世に交通の要衝(渡し・辻)で定期市(六斎市など)が立ち、市神を祀り、市のまわりに人が住みついて町場へ育っていったこと、近世に河岸や宿場として都市が発達し、近代に鉄道の敷設で駅前へ街の重心が移ったことなどは、都市形成の一般的な流れをふまえています。元号と西暦の対応(保安三年=一一二二年)も史実です。本文中の川辺・渡し・市・榎および人物・会話は、特定の土地に拠らない創作です。
当サイトは Amazon アソシエイト・プログラムの参加者です。上記リンク経由の購入で当サイトに収益が発生する場合があります。