第 515 話文化ボクは、田が街になるのを見ていた
〜なぜ、ただの川辺の田に人が寄りあつまって、やがて「街」になったのか〜
はじめて読む方へ——語り部「ボク」がなぜ千年を渡り歩いているのかは、プロローグにあります。
いまのボクらは、街というものが、はじめからそこにあった気でいる。
駅があって、商いの灯がならび、朝には人がぞろぞろと道を流れていく。生まれたときから街は街で、ずっとそのかたちだった気がしている。けれど、どんな街にも、街になるより前の顔がある。数軒の家と、青い田と、川の渡し。ただそれだけだった時が、たしかにあったのだ。
ボクには、ふしぎな縁がある。一度きり通りすがっただけの土地へ、なぜだか、ずいぶん時をおいてまた来てしまう。気がつくと、おなじ川のほとりに立っている。そうしてボクは、一つの土地が田んぼから街へと育っていくのを、とびとびに見てきた。
なにもない川辺の田に、どうして人が寄りあつまり、やがて街になったのか。まだ田と渡しだけだったころから、ボクは、その川辺を知っている。
◇ ◇ ◇
保安三年——西暦でいえば一一二二年の、春の終わりのことだ。
武蔵の、名もない川辺の渡し場に、朝から舟が出ていた。老いた渡し守が舟を出し、下働きのわれが棹をさし、荷を積みおろす。それで、その日の飯にありつく。川のこちら岸には、藁屋根の家が数軒と、田がひろがるばかり。岸のはずれに、小さな社が一つ。あとは、川と、空と、蛙の声しかない。
けれど、この渡しには、月に幾日か、人の集まる日があった。
その日になると、川上の山の者が炭や木の実をかつぎ、川下の海べの者が塩や干した魚をたずさえて、この渡しのたもとへ寄ってくる。重い炭俵を舟底に、軽い干し魚を上に、と老人は手早く荷を組みかえ、渡しの礼には米ひとつかみや布の切れはしを受けとった。舟を待つあいだに、たがいの荷を見せあい、あれとこれとを取りかえっこする。山のものと海のものが、渡し場でひょいと手を替える。ただそれだけの、ささやかな寄りあいだ。
その渡しのたもと、辻とも呼べぬ道の分かれめに、細い若木が一本、植わっていた。榎だという。市の立つ日には、この木の下に神を祀り、諍いのないように、目方に嘘のないようにと拝むのだと、老人は舟をつなぎながら言った。まだ、ひょろりと頼りない苗木だった。
われは、その若い榎を、しばらく見ていた。田と、数軒の家と、月に幾日かの寄りあい。それだけの川辺だ。この木が育つころ、ここはどんな顔になっているのだろう、とぼんやり思った。

◇ ◇ ◇
ふたたびその川辺に立ったのは、それから、ずいぶんな年月がたってからだった。
天文のころだったか、世は移り、刀の鳴る物騒な世になっていた。おれはそのころ、こまごまとした品を背に負って在々を売り歩く、連雀の商人だった。おぼえのある川の渡しへ出て、おれは目をみはった。
あの、月に幾日かの寄りあいが、いまや立派な市になっていた。
渡しのたもとの広場に、莚を敷いた店がずらりと並び、米、塩、鍬の刃、布、椀、なんでもござれと声が飛びかっている。六斎市——月に六たび立つ定めの市だという。近郷の百姓が穫れたものを持ちより、銭に替え、入用のものを買って帰る。市の日は、川の両岸から人がわいて出て、渡し舟は行きも帰りも満杯だった。
市の隅では、山里の女が炭を、海べの女が干した魚を、たがいの前にひろげていた。炭三つと魚二尾、いやそれでは炭が損だと笑いあい、けっきょく余った分を、おたがいの子への土産にと持たせあっている。銭の勘定よりさきに、顔なじみの情があるらしい。市とは、ものを替える場であると同時に、川で隔てられた者どうしが月に六たび顔を合わせる、その口実でもあるようだった。
そして、市の立つ辻には、あの榎が、見あげるほどの大木になって立っていた。
幹はおれが両腕でかかえても余るほどに太り、枝は広場いっぱいに影を落としている。根もとには小さな祠が据えられ、市神さまとして注連縄が張られていた。市を仕切る者が、その木の下で枡の目をあらため、揉めごとの裁きをつける。木は、市そのものの背骨になっていた。
市のまわりには、いつしか家が張りついていた。市の日だけでは飽きたらず、川べりに住みついて、日々あきないをする者が出てきたのだ。鍛冶屋、酒屋、旅の者を泊める家。田のなかに、ぽつりぽつりと町屋の芽が生えていた。
おれは古手を一枚売って、市神の榎を見あげた。あの頼りない苗木が、これだ。
◇ ◇ ◇
寛永のころ、太平の世になって、おれは——いや、その頃のあっしは、この川辺に、いっとき腰を落ちつけていた。
古手を商ううち、小さな店まで構えるようになっていた。二年ばかり、あっしはこの町の水を飲んだ。

町、である。もう、田のなかの集落ではない。
川ぞいには河岸ができ、江戸や上方からの荷を積んだ舟が、日に幾艘も着いた。河岸には問屋がならび、蔵が建ち、荷を担ぐ男衆の声が朝から絶えない。街道もこの町を通るようになって、旅籠が軒をつらね、飯屋の煙が立ちのぼる。かつて月六たびだった市は、いまや常のもの——通りの両側にびっしりと店がならぶ、毎日の商いになっていた。
「むかしは、田んぼばかりだったそうだね」と、あっしは隣の店の主に言った。
「へえ、そう聞きやす」と主は笑った。「渡しに市が立って、そいつがだんだん大きくなって、こんな町になったとか。まあ、爺さまの、そのまた爺さまの話でさ。ほんとうのところは、たれも知りやせん」
そんなものかもしれない、とあっしは思った。この町がどうやって生まれたか、その移りゆきを覚えている者は、もう、ここにはいないのだろう。
辻の榎は、いよいよの大樹になっていた。町の子らが幹によじのぼり、夏には木かげが涼みどころになる。市神さまは、いまも根もとに祀られていた。町がこれだけ大きくなっても、その真ん中には、あの一本の木が立っている。あっしは、それがなんだか、うれしかった。
◇ ◇ ◇
そうして——いちばん近い記憶では、そこはもう、まぎれもない街になっていた。
大正九年、わたしがその街を歩いたのは、汽車の通うようになってからだ。川の渡しのあったあたりに、鉄の橋がかかり、少し行った先に、駅ができていた。駅の前から、商いの店が両側にびっしりとつづく大通りが、まっすぐに伸びている。人力車が行き、乗合の自動車が土ぼこりをあげて走った。軒には硝子障子がはまり、日が落ちても軒の灯で通りは明るく、店じまいのあとまで人の影が行き来していた。
こういう眺めは、わたしには、こわくもふしぎでもなかった。むしろ、どこか懐かしかった。橋も、駅も、通りの賑わいも、わたしのよく知っているものだったからだ。
その大通りの、少し奥まった辻に、わたしは足を止めた。
あの榎が——いや、榎の若木が、そこに植わっていた。
まだ細い、ひょろりとした苗木だ。かたわらの石に、いわれが刻んであった。この地に古くよりありし市神の大榎、先年の野分に倒れ、里の者あいはかりて、同じ地に植え継ぐ、と。大樹は、とうとう倒れたのだ。けれど街の人々は、その同じ辻に、また新しい榎を植えていた。
わたしは、その若木を、しばらく見ていた。
はじめてこの川辺に来た日にも、ここには、こんな頼りない榎の苗が一本、植わっていた。あの木は大樹になり、街の真ん中で人を見おろし、そして倒れた。けれど里の者は、その跡に、また一本を植えた。
◇ ◇ ◇
いまも、あの街の辻には、榎が立っているだろうか。先年植え継がれたあの若木は、そろそろ、木かげをつくるほどになったころだ。
まだ田と渡しだけだったころの川辺から、街がひとつ生まれるまで。その長い長い移りゆきを、いちばん昔のころから通して見てきた者は、たぶん、ボクだけだ。
ボクは、そういうものが、好きなんだ。
参考文献・もっと詳しく
※ 中世に交通の要衝(渡し・辻)で定期市(六斎市など)が立ち、市神を祀り、市のまわりに人が住みついて町場へ育っていったこと、近世に河岸や街道の旅籠を軸に都市が発達し、近代に鉄道の敷設で駅前へ街の重心が移ったことなどは、都市形成の一般的な流れをふまえています。保安三年は一一二二年です。本文中の川辺・渡し・市・榎および人物・会話は、特定の土地に拠らない創作です。
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