駆け出した若君の裾と、乳母がくぐらせた一本の紐第 106 話衣服
衣服平安のころ・平安京(左京)読了 約6分

駆け出した若君の裾と、乳母がくぐらせた一本の紐

〜走る子の裾を、乳母はなぜ縫わずに紐で締めたのか〜

はじめて読む方へ——語り部「ボク」がなぜ千年を渡り歩いているのかは、プロローグにあります。

 「危ない、退け!」

 声が響いて、開け放たれた門の奥から、若い男がまろび出てきた。長和五年(一〇一六年)の、春の終わりのことだった。われは糸や針を担ぎ、平安京は左京の大路おおじを、流して歩いていた。

 男は袴の裾を思いきり踏んで、こちらへつんのめってきた。われの荷を避けようと体をひねり、そのまま土塀の際に肩から突っこんで、尻もちをついた。裾の端が何かに引っかかって、びりっと裂ける音がした。土埃が、ふわりと二人のあいだに舞いあがった。

◇ ◇ ◇

 邸の内から、年老いた乳母めのとがひとり、小走りに出てきた。裾を気にしながら片手で膝をおさえ、若君のそばにしゃがみこむ。裂け目を検めて、ふう、と息をついた。門のうちには、まだ春浅い庭が見えて、藤棚の房が、風にゆっくりと揺れていた。土塀のむこうから漂ってくる、その甘い匂いが、大路にまで薄く流れていた。どこかで寺の鐘が鳴った。まだ朝四つ時分だろう。大路には、すでに人の行き来が多かった。牛車の轍の音や物売りの声が、あちこちから聞こえていた。

 「また、これか」

 乳母は裂け目のふちを指でなぞり、糸の切れぐあいを日に透かして見た。若君の顔も見ずに言った。

 「この時分、走り盛りの子は、みな同じところを裂く。うちだけではない。この界隈は庭が広い分、裾も長うて、仇になる。物心ついてこのかた、幾人の裾を、この手で繕ってきたことか。数えてなどおらぬが、片手には収まらぬ」

 「東の坊の邸では、色違いの紐を使うそうな。うちは白でよい。誰の目にも留まらぬのが、かえって都合がよい」

 乳母は、そう独りごちるようにつぶやくと、ふっと息を吐いた。若君は、ばつの悪そうな顔をして、目を伏せていた。乳母はそれを咎めもせず、ただ裂け目の始末を急いだ。庭のほうから、供の童が二、三人、遠巻きにこちらをうかがっていた。朝がたの雨あがりで、土はまだやわらかく、乳母の膝にも若君の裾にも、ところどころ泥の跡がついていた。日が高くなるにつれ、その泥も、じきに白く乾いていくのだろう。邸の門は古びていたが、扉の金具だけは真新しく光っていた。誰かが近ごろ取り替えたものらしかった。この邸の暮らし向きは、思ったより悪くないのだろう。大路の向かいでは、飴売りの声が呼び込みを始めていた。

挿絵:乳母は、そう独りごちるようにつぶやくと、ふっと息を吐いた

 われは荷を路傍におろし、しばらく成り行きを眺めていた。売り歩きの途中、こうした邸の門先で足を止めることは、珍しくもなかった。朝から歩き通しで、足の裏もいくらか熱を持っていた。ちょうどよい潮時でもあった。都のあちこちを流していると、似たような騒ぎに出くわすことは、幾度もあった。裾を破く子ども、繕う年寄り、その組み合わせだけは、どの邸も変わらなかった。裂け目は思いのほか大きく、繕い糸だけでは、じきにまた開いてしまいそうだった。

 紐ひとかせは、安い品ではなかった。だが、若君の泣き顔を見るよりは、そのほうがよほど気分がよかった。荷を担いで歩く日々には、そんな損得の外にある判断も、ときにいる。そう思って、われは、担いだ荷のうちから、細く撚よった組紐をひとつかみ選び、乳母へさし出した。売り物のうちで、いちばん丈夫な撚りだった。渡すつもりなど、はじめはなかった。ただ、裂け目の大きさを見て、体が先に動いていた。

 乳母は礼も言わず、それをひったくるように受けとると、指のあいだで一度だけ撚りをたしかめて、うなずいた。裾の裂け目のふちを手早くたぐり寄せ、指先で輪をつくり、紐をくぐらせる。二度、三度とくぐらせて、両のはしを足首のあたりで、きゅっとひと結び。裾がふわりと持ちあがって、布が足の上にたまった。しゅ、しゅ、と紐が布をくぐる乾いた音だけが、しばらく門先に響いていた。指の動きに迷いはなく、目を落とすでもなく、ただ手だけが、いつもの場所を、いつもどおりになぞっているようだった。乳母の指の背には、幾筋も細かな傷が走っていた。針を扱う者に特有の、古い傷の跡だった。若いころのものか、近ごろのものか、それは、遠目のわれには見分けがつかなかった。乳母の袖口にも、ところどころ継ぎがあたっていた。長く使い込まれた着物のようだった。

◇ ◇ ◇

 若君が、おそるおそる、一歩踏み出す。裾は、足に絡まなかった。もう一歩、もう一歩とたしかめて、それから、こらえきれぬように駆けだした。

 「絡まぬ、絡まぬぞ!」

 声をあげながら、庭の敷石を蹴り、藤棚の下をくぐり、池のふちを回って、また戻ってくる。塀の内から見ていた童らが、わっと声をあげて、後を追いかけた。奥のほうでも、誰かが動く気配があったが、それが誰かまでは知れなかった。どこか近くで犬が二声三声と吠えた。それにも構わず、若君はまた駆けだした。土塀のこちら側からでも、その足どりの軽さは、はっきりと知れた。

挿絵:声をあげながら、庭の敷石を蹴り、藤棚の下をくぐり、池のふちを回って、また戻ってく

 ひとしきり駆けまわると、若君は息を切らして歩みをゆるめ、乳母のほうへ戻ってきた。陽はもう高く、藤の花房越しに、まぶしいほどの光が落ちていた。春の陽気に誘われて、大路を行き交う人の数も、いつのまにか増えていた。乳母が緒をゆるめてやると、裾はまた、するりと床のあたりまで垂れた。さっきまでの駆け足の軽さが噓のように、若君は静かな足どりで、邸のなかへ戻っていった。門はまた閉じられ、路上には、われひとりが残された。

 乳母は、荷のなかへ、握った銭をひとつ落としてよこしていた。糸の分だと言うふうに、それだけだった。名も、素性も、たずねられなかった。われは会釈だけを返して、また荷を担ぎなおし、大路のほうへ歩きだした。売り声を、また一つ、大路に投げた。荷は、すこし軽くなっていた。この分なら、夕方までに、もう少し売れるだろう。

 あの日、乳母の指がくぐらせていたのは——今のことばに置き換えかけて、ボクは、やめる。指貫。当時は、そう呼んでいた。

 指を二度、三度と紐にくぐらせて、ひと結び。裾はそれで、ふわりと持ちあがった。

 なぜ、あの乳母があれほど手早くやってのけたのか、ボクには分からずじまいだった。片手には収まらぬ、と乳母は言っていた。東の坊の邸では色が違う、とも言っていた。同じ工夫が、邸ごとに少しずつ違う形で根づいていることだけは、われにも見て取れた。この邸のものは白い紐、東の坊のものは色付きの紐——違いは、その程度のものらしかった。あれが、あの邸だけの癖なのか、この界隈一帯の癖なのか、それとも乳母ひとりの年季なのか。たずねる間もなく、ボクはもう次の辻へ向かっていた。行商のならいで、一つの邸に長居はしない。次の辻には、次の辻の商いがある。

 その後も、糸を売り歩くうち、同じような紐を裾に見かけることが、幾度かあった。太さも結びかたも、邸によってまちまちだった。どれも、誰かに教わったというより、その邸に長くいる者の手が、いつのまにか覚えてしまったふうだった。乳母の指の傷も、界隈ごとの色の違いも、結局、ひとつの答えには行き着かなかった。行商の身では、そういうものだと、ボクは思うことにしていた。半年ほど後、また同じ道を通りかかったとき、あの邸の門はすでに固く閉ざされ、二度と開くことはなかった。あの日聞いた鐘の音も、乳母の指の傷も、今ではもう、ひとつづきの記憶として残っているだけだ。通りすがりに見えたのは、裾がふわりと持ちあがる、あの一瞬だけだった。

◇ ◇ ◇

 いまも、駅までの道を、誰かが小走りに追い越していく。裾を絞ったズボンの裾もとがひょいと跳ねて、肩と背中だけが、まっすぐに遠ざかっていく。

参考文献・もっと詳しく

※ 指貫(さしぬき)は、裾の口に括り緒を通し、足首のあたりで絞ってはくことのできる袴の一種とされる。緒を引けば裾がふくらんで動きやすく、緩めれば長く垂れて雅やかにも見えたため、活動的な場面の装いとして平安貴族に広く用いられたと伝わる。表袴のように仕立てで丈を固定するのではなく、一本の緒で「絞る/垂らす」を穿く人が選べた点が、所作に応じて形を変える工夫であったと言われる。長和五年は一〇一六年(長和は一〇一二〜一〇一七年)。本話の人物・会話・情景は創作。

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