第 106 話衣服裾を絞れば、袴は走る人のかたちになった——歩くたび、座るたびに形を変えた、ひとすじの紐のこと
〜縫い物のばばが、若い殿の袴の裾に通した紐は、いったい何を解き放ったのか〜
袴というのは、要するに、腰から下をどう包むか、という工夫のかたまりだった。
今の暮らしなら、足を動かしやすい衣など、いくらでも手に入る。膝が曲がるように裁たれ、走っても裾が絡まぬように仕立てられた衣を、誰もが当たり前のように身につけている。動くために衣があるのか、衣のために動きを縮めるのか、そんなことを考える者すらいない。
けれど衣がまだ「美しく垂れていること」を第一にしていた頃、長い裾は人の足をしばしば裏切った。床を払うように長く引いた袴は、座して人と向きあうぶんにはいかにも雅やかで見栄えがした。けれど、いざその人が立って歩こうとすれば、裾は足にまとわりつき、踏めばつんのめり、走ればなおさら危うかった。美しさと動きやすさは、長いあいだ、たがいにそっぽを向いていた。
そこで誰かが思いついたのが、裾の口に紐を一本通して足首のところでくくってしまうことだった。指貫、と呼んでいたらしい。括り緒を引けば、だぶついた裾がふわりと絞られて布が足の上にたまる。歩けば揺れ、座れば広がり、走ればきゅっと締まって邪魔をしない。美しさを捨てずに足を自由にする——いわば、衣のほうが人の所作に歩み寄った、ひとつの折りあいさ。
ボクが見てきたのは、その一本の紐が、若いひとりの足を、軽くしてやった日のことだ。
◇ ◇ ◇
長和五年(一〇一六年)の、春のおわりのことだった。われは左京のさる邸で、縫い物の下働きをして暮らしていた。
布を裁つばばのそばで糸を通し、裁ち落としを片づけ、針の運びを見て覚える。そういう日々だった。縫い物所というのは、邸のいちばん日の当たらぬ隅にあって、年じゅう、糊と藍と、生乾きの絹の匂いがこもっていた。春のおわりの風が簀子から吹きこむと、その匂いがふっとほどけて、裁ち板のうえに散った絹の毛羽が、光のなかで雪のように舞った。ばばはもう手の甲に幾すじも筋の浮いた齢で、目はずいぶん霞んでいたが、針を持たせれば、その手は若い誰よりも迷わなかった。指の腹で布の織り目をひと撫でしただけで、縦糸の通りも、地の厚みも、すべて読みとってしまうようだった。
その邸には、元服して間もない若い殿がいた。書を読み歌を詠み、座しているぶんには、それはそれは静かな人だった。けれど生まれつき体を動かすのが好きとみえて、人の見ていないところでは庭を駆け、築山をのぼり、池のふちを跳びまわっていた。そのたびに長い袴の裾を踏んではよろけ、ときには転んで、泥にまみれて戻ってきた。沓を脱げば足の爪先まで青草の汁が染みていて、裾のへりには、決まって乾いた泥がこびりついていた。
あるとき、その殿が、裾をびりと裂いて帰ってきた。築山の枝にでも引っかけたのだろう、裾の口が、縦に長く裂けていた。供の者が困りはてて、縫い物所へ袴を抱えてきたのだ。ばばは破れを膝にひろげ、裂け目を指でなぞり、糸の切れぐあいを日に透かして検めて、ふっと笑った。
「これは、繕うだけでは、また裂けますな」
そう言って、ばばは繕いのついでに、裾の口へ、一本の紐を通しはじめた。まず裾のへりを内へ折りこんで、細かな針目で管のような筒をぐるりと縫いつける。その筒のなかへ、細く撚った組紐を、笄の先で少しずつたぐりながら、するすると通していく。布の重なりで紐が引っかかるたび、ばばは布を軽く揉んでゆとりを作り、また先へ送った。両のはしを、足首のあたりで結べるように、たっぷりと残して。
「裾が長いのは、垂らして美しいためのもの。されど、走るおかたには、ただの邪魔。ならば、走るときだけ、この緒を引いて、たくしあげなされ」
われはその手もとを、ひと針ひと針そばで見ていた。針が絹を抜けるたびに、しゅ、しゅ、と乾いた音が立つ。ばばのしていることは、布を切るのでも裾を短くするのでもなかった。長さはそのままに、ただ、たためるようにしてやっただけだった。鋏は一度も入らなかった。
仕立て直した袴を、若い殿が穿いてみせた。緒を引いて足首で結ぶ。指で緒をたぐると、しゅるりと管のなかを紐が走って、床まで届いていた裾がふわりと膝のあたりまで持ちあがって、布が足の上で雲のようにたまった。絹のたわむ音が、ひと呼吸、座敷に残った。
殿は、おそるおそる、一歩を踏み出した。裾は、足に絡まなかった。もう一歩、もう一歩と、足もとをたしかめるように歩いて、それから、こらえきれぬように、廊を端まで駆けてみせた。板の間に素足の踏む音が小気味よく鳴って、裾は、足の動きにあわせて、ふわ、ふわ、と揺れるばかりで、もう、どこにも引っかからなかった。
「絡まぬ」と、殿は声をあげた。廊の端でふりかえり、息をはずませて、もういちど。「走っても、絡まぬぞ」
まるで、はじめて自分の足を取りもどしたような、そういう声だった。頬は紅潮し、目だけが、子どものように輝いていた。書のまえでは決して見せぬ顔だった。ふだんは伏せがちな瞼が大きく開いて、息は浅く速く、それでいてどこか晴れやかだった。庭の藤がちょうど盛りで、その甘い香りが廊にまで流れこんでいて、殿はその匂いのなかを行ったり来たり、何度も裾を確かめるように駆けてみせた。たくしあげた布が膝のうえで弾むたびに、絹がしゃらしゃらと小さく鳴った。
駆けるのをやめて、殿が縫い物所の縁に腰をおろす。胡座をかくと、たくしあげていた裾の布が、膝のうえで、ふっくらと広がった。緒のゆるみにあわせて、布がおのずと落ちつく先を探すように、ゆっくりと裾を流していく。座ればこのとおり、ゆったりと雅やかに見え、立てば足を縛らない。同じ一枚の袴が、座る所作と、走る所作と、その両方に、形を変えてついてくる。
われは、それがふしぎでならなかった。布は、たった一枚のまま、なにも増えても減ってもいない。裁ち直したわけでも、丈を詰めたわけでもない。ただ、一本の紐が通っただけで、その布が、人の動きのほうへ、おのずとすり寄っていくのだ。立てば締まり、座れば広がる。衣のかたちが、もはや穿く者の所作に従っている。形を決めるのは、もう仕立て師の鋏ではなく、穿く人のその日の用向きなのだった。
◇ ◇ ◇
その日から、若い殿は、よく庭に出るようになった。
緒を引いてたくしあげた裾で、築山をのぼり、池のふちを跳び、ときには馬の稽古にも出かけた。泥にまみれて転ぶことも、めっきり減った。戻ってくると、縁に腰かけて足首の緒を解き、ふう、と息をついて、裾をふたたび床まで垂らす。乱れた裾を手のひらで二度三度なであげれば、もう何ごともなかったような顔で、書のまえに座るのだった。走る殿と、座る殿。その二つを、一本の紐が、行ったり来たりさせていた。
ばばは、それからも、邸じゅうの袴の裾に、同じ緒を通してまわった。供の若者、文を運ぶ童、馬を引く者——よく動く者ほど、その緒をありがたがった。童などは、緒を引いて裾をふくらませると、それだけで自分が一人前の使い走りになったような顔をして、得意げに廊を駆けていった。「裾を切ってしまえば、もとには戻りませぬ。緒なら、引けば締まり、解けば垂れる。動くも、垂らすも、穿く人しだい」と、ばばは言った。切らずに、たためるようにする。たったそれだけの工夫が、人の足を、いくつぶんも軽くしていた。
われは、ばばの手から、その緒の通しかたを覚えた。撚りの細さ、縫いつける管のゆとり、結びのほどけにくさ。管が細すぎれば緒が走らず、太すぎれば裾の口がもたついて締まりが甘い。結びは、駆けてもほどけず、それでいて指先ひとつで解けるだけの、ちょうどの加減がいる。どれも、ほんの些細なことだ。けれど、その些細の積み重ねが、衣を「見るためのもの」から、「ともに動くもの」へと、すこしずつ変えていった。日の暮れに、ばばの撚った組紐を膝にのせて、その撚りの目をひとつひとつ指でたどっていると、些細なことの底に、ずいぶん深いものが畳まれている気がした。組紐は手のひらにひんやりと重く、撚りの山がてのひらの皮をかすかに押し返してきた。ばばはそれを灯心のそばで撚りながら、よく独りごちていた。緒というのは衣を縛るためのものではない。穿く人に選ばせるためのものだと。そのときはよく呑みこめなかったその言葉を、われは長く忘れずにいた。緒を結ぶか解くかは、いつも穿く人の手のうちにあった。
◇ ◇ ◇
指貫は、それからも長いこと、よく動く人の足もとにあった。
馬に乗る者、野を駆ける者、忙しく立ち働く者——緒を引いてふくらませた裾は、いつしか「動ける装い」の証のようになっていったと聞く。垂らして雅やかに、絞って自在に。その二つを一枚でこなす袴は、後の世まで、長く穿き継がれていったという。
切らずに、たためるようにする、というばばの工夫を、ボクは今でもときどき思い出す。長さを惜しんで切ってしまえば、美しさは戻らない。けれど、紐を一本通しておけば、垂らすことも、絞ることも、どちらも穿く人の手にゆだねられる。捨てずに、両方を残しておく。その折りあいの底に、人が衣とつきあってきた、長い知恵が、ひとすじ畳まれていた。
今では、走るための衣は、はじめから走れるように裁たれている。たくしあげる手間も、緒を結ぶ間も、もう、いらない。あまりに身軽すぎて、誰も、衣に足を譲ってもらった日のことなど、思い出しもしない。
それでも、と思う。膝を曲げれば曲がり、走ればしなり、座ればゆったり広がる——今の衣が当たり前にしてくれているあの心地よさは、裾にひとすじの紐を通して、人の動きのほうへ布をすり寄らせた、あの工夫の続きなのだ。
ふわりと持ちあがった裾で、廊を端まで駆けて、「絡まぬぞ」と声をあげた、あの若い殿の足どりを、ボクはまだ覚えている。
参考文献・もっと詳しく
※ 指貫(さしぬき)は、裾の口に括り緒を通し、足首のあたりで絞ってはくことのできる袴の一種とされる。緒を引けば裾がふくらんで動きやすく、緩めれば長く垂れて雅やかにも見えたため、活動的な場面の装いとして平安貴族に広く用いられたと伝わる。表袴のように仕立てで丈を固定するのではなく、一本の緒で「絞る/垂らす」を穿く人が選べた点が、所作に応じて形を変える工夫であったと言われる。長和五年は一〇一六年(長和は一〇一二〜一〇一七年)で、元号と西暦の対応は史実に整合する。本話の人物・会話・情景は創作。
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