第 105 話衣服素足を見せぬという作法が、足を一枚の布で包ませた——沓の下にひそむ「しとうず」のこと
〜誰の目にもふれぬ沓の底で、なぜ足は、わざわざ白い布にくるまれていたのか〜
足袋というのは、考えてみれば妙なものだ。
今の暮らしなら、寒い朝に足を一枚の布でくるむことを、誰も不思議とは思わない。指の股まで分かれた木綿の袋に、こはぜを掛けて足をおさめる。底冷えのする床を歩いても、つま先がじかに板にふれずにすむ。そういう「足を包む」を、人はあたりまえの仕度として受け入れている。
けれど、布が貴重で、足など歩くための道具にすぎなかった頃、人の足はたいてい、むき出しのまま土を踏んでいた。草鞋を結びつければそれでよく、足そのものを布でくるむなど、ぜいたくの極みだったはずだ。
それでも、足を一枚の布で包むという思いつきは、思いのほか早く生まれた。寒さをしのぐためではない。素足を、人の前にさらすまい——そういう、いっぷう変わった慎みからだった。沓の下にひそませる、白い布の沓下があってな。しとうず、と呼ばれていたらしい。今の足袋の、ずっと遠い祖さ。
ボクが見てきたのは、誰の目にもふれぬ沓の底で、足がわざわざ白い布にくるまれていく、その律儀な作法のことだ。
◇ ◇ ◇
長徳四年(九九八年)の冬のことだ。われは、都の中ほどの小さな屋敷で、装束の繕いを手伝う下働きだった。
その冬は底冷えがきびしく、朝になると、磨きこんだ板の間が氷のように足裏を刺した。手桶の水には薄い氷が張り、軒の先からは細い氷柱が下がって、暁の薄あかりにぼうと光っていた。屋敷のあるじは、内裏に出仕する中どころの役人で、参内の朝は夜の明けきらぬうちから仕度がはじまる。下袴を着け、袍を重ね、冠をいただく。衣ずれの音と、女房たちのひそめた声だけが、まだ暗い屋敷のなかを静かに行き交っていた。そうして最後に足ごしらえをする。その足ごしらえのとき、あるじが板の間に座って、まず手にとるのが、まっさらな白い布の沓下だった。
われは初め、それが解せなかった。沓をはいてしまえば、その下の布など、誰の目にもふれぬではないか。寒さしのぎなら、もっと厚い布もあろうに、しとうずはむしろ薄く、足の形にぴたりと添うように仕立てられている。手にとると、洗いざらした麻のような、さらりと乾いた手ざわりで、なるほど温もりをためこむ布ではなかった。光にすかせば布目はこまかく、何度も水をくぐったとみえて、もとの張りはとうにやわらいでいる。指でつまむと、紙よりもなお薄く感じられた。冷えた朝に、なぜわざわざ、見えもせぬところを白い布でくるむのか。
あるじの足に沓下を着けるのは、年かさの女房のつとめだった。その手つきが、おどろくほど丁寧でな。まず布を一度かるく払って塵を落とし、踵をくるみ、土踏まずに布を沿わせ、甲を伝わせて、足首のところで紐をきりりと結ぶ。指のあいだに余りができぬよう、布をそっと撫でつけ、皺ひとつ残さぬように整える。結び目は外からは見えぬよう、内くるぶしの奥へ静かに押しこむ。冷えた指先を温めるでもなく、ただ足の形をなぞるように、ゆっくりと。あるじはそのあいだ身じろぎひとつせず、目を半ば閉じて、足を女房の手にあずけていた。まるで、見えぬところだからこそ、いっそう念を入れているようだった。
われは台所のほうから、その仕度を盗み見ることが多かった。竈の火で手をあぶりながら、まだ暗い板の間に目をやると、灯の輪のなかで、白い布が足を一筋ずつくるんでいくさまが見えた。暗がりのなかでその布だけが、ほのかに浮き立って見えるのだ。それが、見ていてどこか心地がよかった。あらわだった足の甲が、踵が、つま先が、白い布の下にひとつずつ隠れて、やがて、人の足とも思えぬほど整った形になる。そうして仕上げに沓を履いてしまえば、その白い布はもう、外からは少しも見えなくなる。せっかく丁寧にくるんだものを、すぐにまた隠してしまう——その念の入れようが、いよいよ解せなかった。
「これはな、足を隠すためのものだ」と、女房はわれに教えてくれた。
高きところに参るおりに、素足をさらすのは、はしたないこととされている。御前に出て、ふとした拍子に裾がめくれ、生身の足の指が見えてしまう——それが、たいそうな無作法にあたるのだという。だから、沓に入れる前に、足をあらかじめ一枚の布でくるんでおく。見える見えぬではない。あらわな足のまま、やんごとなき場に立たぬ、という心構えのほうが、よほど大事なのだと、女房は言った。沓のなかは誰にものぞけぬのに、そこを白く清めておく——その隠れた律儀さが、装束というものの底を支えているらしかった。
なるほど、と思った。しとうずは、足を温めるための布ではなかった。素足を人前にさらすまい、という作法が、まず先にあって、その作法が、足を包む一枚の布をこしらえたのだ。温もりは、あとからついてきたものにすぎない。冷えをしのぐためでなく、人としての構えのために、足はわざわざ白い布にくるまれていた。そう思って眺めると、あの薄い布が、急にいとおしいものに見えてきた。
◇ ◇ ◇
その冬、屋敷に若い女童がひとり、新しく下仕えに入った。みつ、という、まだ幼さの残る娘だった。
みつは、繕いものの筋がよかった。針の運びがこまやかで、ほつれた縫い目を継ぐ手が、年に似合わずおちついている。糸を引くときに口もとを少しすぼめる癖があって、それがいかにも一心だった。あるとき女房が、傷んだ古いしとうずを一足、みつに繕わせてみた。踵のあたりが擦れて薄くなり、布目が透けて、いまにも破れそうになっていたものだ。
みつは、それをひと晩がかりで継いだ。乏しい灯心の火を引き寄せ、薄くなった布の裏に、もう一枚あて布を重ねて、目立たぬよう細かく刺し綴じる。糸を歯で噛みきり、指先で結び目をひとつずつ確かめながら、針をすすめていく。針が布をくぐる、ちくちくという小さな音だけが、夜更けの局にずっと続いていた。ときおり手をとめて、継いだあたりを灯にかざし、布目のひずみを直してはまた針を入れる。明けがた近くまで、その小さな音はやまなかった。仕上がったしとうずを手にとって、女房は目をほそめた。あて布のさかいが、肌にあたっても痛まぬよう、縫い目がすべて内へ伏せてある。指で表をなぞっても、つなぎ目はどこにあるのか分からぬほどだった。沓の下に隠れて、誰の目にもふれぬところだ。それでも、足の触れる側に、痛みの種を残さぬよう、みつは針を運んでいた。
「だれにも見えやしないのに、ずいぶん念を入れたねえ」と女房が笑うと、みつは少し顔を赤らめて、こう言った。
「見えなくても、足は、知っていますもの」
その言葉が、なんだか、われの胸に残った。見る者がいなくても、はく当人の足が、その布のよしあしを知っている。だから、見えぬところほど、おろそかにできぬのだと、みつは言っているのだった。
思えば、しとうずという布は、初めから、見られることをあてにしていなかった。沓の下に隠れ、誰の目にもふれず、ただ足だけがその手ざわりを知る。だからこそ、こしらえる者の心がそのまま映る布でもあった。手を抜けば足が知る。念を入れれば足が知る。見えぬところに針を尽くすみつの手つきは、あの参内の朝、白い布を皺ひとつなく撫でつけていた女房の手と、たしかに同じものだった。見えぬからこそ、心を込める——その作法が、女房から女童へ、針の運びごと受け継がれていくさまを、われはそばで見ていた。
冬がふかまり、あるじが参内する朝は、いよいよ冷えこんだ。軒の氷柱はひと晩で太くなり、庭の土は霜柱に持ち上げられて、踏むとさくさくと鳴った。氷の張った手水で身を清め、白い息を吐きながら、あるじは板の間に座る。みつの繕ったしとうずに足を入れると、あるじはつま先で布の添いをそっと確かめ、踵のあたりを二、三度、軽く床に下ろしてみせた。あて布を重ねたところが、もうごわつきもせず、足の裏になじんでいたのだろう。あるじは小さくうなずいて、「よく添うておる」とひとこと言った。誰にも見えぬ沓の下で、薄くなっていた踵は、もう冷たい板を恐れずにすんでいた。
みつは、廊の隅でそれを聞いて、うつむいたまま、そっと笑っていた。
◇ ◇ ◇
しとうずは、それからも長いこと、足ごしらえのいちばん下に座りつづけた。
武士の世になると、その素足を隠す布は、しだいに屋敷のうちへも下りてきた。やがて指の股が分かれ、底が厚くなり、紐のかわりにこはぜが掛かるようになって、土を踏んでも破れぬ、丈夫な足袋へと姿を変えていったと伝わる。沓の下の見えぬ布が、いつしか、人の足を日々あたためる当たり前の仕度になったわけだ。
今では、寒い朝に足を布でくるむことを、誰も作法とは思わない。ただ温かいから、足が冷えぬから、それだけのことで、人は足袋に足を入れる。素足を慎む、という、あのいちばん初めの心は、もうずいぶん薄れてしまった。
それでも、とボクは思う。足袋のいちばん祖をたどっていけば、そこには、見えもせぬところを白い布でくるんだ、あの律儀な慎みが、たしかに残っている。誰の目にもふれぬ沓の底で、足を一枚の布で包んでおく——その思いやりにも似た作法が、今の一足の足袋にも、ひっそりと畳み込まれている。
見えなくても、足は、知っていますもの。氷の張った朝に、繕いものの女童がぽつりと言ったあの言葉を、ボクは今でも、足袋の白いつま先を見るたびに思い出す。
誰に見せるためでもなく、ただ足のためだけに、丁寧に縫われた一枚の布。ボクは、そういうものが、好きなんだ。
参考文献・もっと詳しく
※ 襪(しとうず)は、束帯・衣冠などの装束で沓をはく際に足を包んだ布製の沓下で、後世の足袋の祖型のひとつとされる。素足を人前にさらすのを慎む作法から生まれ、当初は紐で結んで留めたと伝わる。指の股が分かれ、こはぜで留める木綿の足袋へと変化していくのは、ずっと後の世のことという。長徳四年は九九八年(長徳は九九五〜九九九年)で、元号と西暦の対応は史実に整合する。本文の人物・会話・情景は創作。
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