壁のない広間に、几帳を一つ立てれば、そこが部屋になった——間仕切りで暮らしを区切った、住まいの「あいまいさ」のこと107文化
文化平安のころ・京(左京)読了 約8

壁のない広間に、几帳を一つ立てれば、そこが部屋になった——間仕切りで暮らしを区切った、住まいの「あいまいさ」のこと

壁で囲わずに、布と御簾だけで、人はどうやって「ここはわたしの場所だ」と言えたのか

 家というのは、ふつう、壁で囲うものだと思われている。

 今の暮らしなら、戸を閉めれば、そこは閉じた一部屋だ。寝る間、食う間、客を通す間、それぞれに壁があり扉があり、鍵がある。隣の部屋とのあいだは固く仕切られて、声も灯りも、容易には越えてこない。「部屋」というのは、はじめから壁で区切られてそこにある——誰もそれを不思議とは思わない。

 けれど、壁というものが、ほとんどない家もあった。柱が立ち、屋根がかかり、床が張ってあるばかりで、内は一面、がらんと開け放たれている。風はどこからでも吹き抜け、灯りはどこまでも届いてしまう。そういう、囲いのない広間に人が住むには、暮らしのほうで、その都度、間を仕切ってやるよりほかになかった。

 布を垂らした衝立を立て、御簾を下ろし、屏風をめぐらせる。そうやって置いた仕切りのうちが、その時だけの「部屋」になる。動かせば部屋のかたちも変わる。壁で決められた間ではなく、人が手で立てた、あいまいな間だ。

 ボクが見てきたのは、その壁のない広間で、布一枚を頼りに「ここはわたしの場所だ」と区切って暮らした、そういう人たちのことだ。

◇ ◇ ◇

 寛仁三年(一〇一九年)の秋のことだった。われは京の左京、さる上達部の邸に雇われて、雑用に走る下働きの一人だった。

 その邸は、寝殿造というつくりだった。南に面して、寝殿と呼ばれる大きな建物が一つ。そこから渡殿という廊下が左右へ伸びて、東の対、西の対という棟へつながっている。前には池が掘られ、遣水が引かれて、釣殿が水の上に張り出していた。秋の朝には池の面に薄い靄が立ち、紅葉した木々の影がそこへ逆さまに映りこんで、遣水のせせらぎが板の間の下までかすかに通ってくる。柱と柱のあいだは蔀戸や格子で、昼は跳ね上げて開け放つ。重い蔀を一枚一枚押し上げて鉤に掛けるたび、ぎい、と木のきしむ音がして、外の光がどっと内へ流れこむ。だから日のあるうちは、邸じゅうがひと続きの、広い広い板の間のように見えた。

 はじめてその寝殿に足を踏み入れたとき、われは正直、面食らった。壁が、ない。みがき込まれた檜の板敷きは足の裏にひやりと冷たく、見上げれば梁と垂木がどこまでも組み合わさって、天井というものさえ遠い。これだけ広い内に、人を隔てるものがほとんど立っていないのだ。これでどうやって、寝起きし、客を迎え、人がそれぞれの暮らしを営むのか、見当もつかなかった。

 その見当を、教えてくれたのが、この邸に長く仕える、ぬいという老女房だった。腰のまがった、声のしわがれた人で、几帳の絹を繕わせれば、邸でいちばん針が達者だと評判だった。指の先はもう節くれだっていたのに、糸を通すときの手つきだけは、おどろくほど早かった。

 「壁がのうて、どうやって暮らすのかと、その顔に書いてあるよ」と、ぬいはわれの面を見て笑った。前の歯がほとんど落ちた口で、けれどよく笑う人だった。「見ておいで。壁は、あとから立てるのさ」

 その日、寝殿の母屋では、姫君のために夜の御座を設けるところだった。ぬいに従いて、われは初めて、その「壁を立てる」さまを見た。

 まず、四方に柱を立て、横木を渡した帳台という寝床の枠を据える。男手が二人がかりで枠を担ぎ、板の上をそろそろと運んで、きしまぬよう据えつける。そのまわりに、薄い帷子を幾重にも垂らして囲う。次に、その手前へ几帳を立てていく。台に二本の柱を立て、横木を渡し、そこから絹の帳を長く垂らしたものだ。帳の裾には薄く香が焚きしめてあって、運ぶたびに、ほのかな丁子の匂いがあたりに散った。一つ立て、二つ立て、向きを違えてまた立てる。御簾を下ろすと、編んだ竹が触れ合って、さらさらと雨のような音がする。その内に屏風をめぐらせる。

 そうしていくうちに、さっきまでがらんとしていた板の間に、いつのまにか奥まった、囲われた一画が立ちあがっていた。布と簾だけでできた、やわらかな壁だ。風が通れば帳がふわりと揺れる。指で押せばたやすく動く。それでも、その内と外は、たしかに隔てられていた。一歩なかへ入ると、外の広さが嘘のように遠のいて、灯ひとつ分の、こぢんまりとした暗がりが、そこにできていた。

 「これで、ここは姫さまの間になった」と、ぬいは満足げに帳を撫でた。「明日になって、人が集まる宴があれば、これをみんな畳んで、寄せてしまう。そうすれば、また元の広間さ。間というのはね、決まった所にあるんじゃない。その日その日で、いる所に立てるものなのさ」

 われは、しばらく言葉が出なかった。壁とは、家ができたときにもう決まっているものだとばかり思っていた。それが、ここでは、暮らしのほうが壁を連れて歩いている。寝る人がいればそこに寝間が立ち、客が来ればそこに客間が立つ。家のかたちが人を決めるのではなく、人のいるさまが、その都度、家を区切るのだ。

◇ ◇ ◇

 もっとも、その布の壁は、ずいぶんと頼りないものでもあった。

 ある夜更けのことだ。風が強く、跳ね上げた蔀のすきまから、寝殿の内へ容赦なく吹きこんできた。几帳の帳が大きくあおられ、灯台の火がはげしく揺れて、油の焦げる匂いがつんと鼻をついた。床に落ちた灯の影が、揺れるたびに長く伸びては縮む。垂らした絹はめくれあがり、はためいて、せっかく囲った一画を、あっけなく開いてしまう。

 われは、ぬいに言われて、几帳の裾を押さえに走った。冷えた板が足の裏を刺すようだった。

 几帳のそばに膝をついて、めくれる帳の裾を、両の手で板へ押さえつける。風が吹くたび、絹が手のなかで生きもののように暴れる。つめたい夜気をはらんだ布が、てのひらをすり抜けようとして、指のあいだで小さく鳴った。隣では、ぬいが、もう一つの几帳の帷子を、しわがれた声で唄でもうたうように、おちついて直している。

 「布の壁というのはね、こうやって人が押さえてやらにゃ、すぐに開いてしまう」と、ぬいは手を動かしながら言った。「不便なものさ。風には弱い。声も灯りも、簡単に越えていく。几帳の向こうの泣き声も笑い声も、こちらへ筒抜けだ」

 それは、本当にそうだった。布一枚を隔てた向こうで、姫君づきの若い女房たちが、ひそひそと語らう声が、こちらまで届いていた。物語のこと、邸へ通う殿方のこと、明日の衣のこと。ときおりこらえきれぬ忍び笑いが漏れて、すぐにしいっと制する声がかぶさる。固い壁なら遮ったはずの、そういうささやかな声が、揺れる帳越しに、いくらでも漏れてくる。

 「けどね」と、ぬいは続けた。手は、繕いの針を運ぶように几帳の裾を整えていく。「われは、これを不便だとばかりは思わないよ。固い壁で囲うてしまえば、たしかに静かだ。風も入らぬ。けど、布一枚なら、向こうに人のいる気配が、いつでもわかる。咳ひとつ、衣ずれひとつで、ああ、起きていなさる、ああ、お寝みだ、とわかる。壁の向こうが、見えずともわかる。——この邸は、そうやって、互いの気配を聞きながら、みなで一つ屋根の下に暮らしているのさ」

 風がやみ、帳がしずまった。手を離すと、絹はふたたび、まっすぐに垂れた。指にはまだ、布の冷たさと、糸目のかすかな手ざわりが残っていた。ぬいは灯台の芯をつまんで火を大きくし、繕いの終わった几帳の裾を満足げに見やってから、ゆっくりと腰を伸ばした。その顔に、灯のあかりがやわらかく揺れていた。

 われは、押さえていた帳の裾を、そっと撫でた。固くもなく、閉じてもいない、頼りない、揺れる壁。けれど、その揺れるあいまいさのなかにこそ、この家のかたちはあるのだと、このとき、ようやく腑に落ちた。仕切ってはいる。けれど、断ち切ってはいない。あいだに人の気配を通わせたまま、それでも「ここはわたしの場所だ」と、布一枚で、しずかに言う。そういう、やわらかな区切りかたが、この壁のない家には、宿っていた。

 その夜、われは渡殿のすみに横になった。あちこちに立てられた几帳や屏風の向こうから、寝息や、寝返りの衣ずれが、かすかに聞こえてくる。遠くで遣水のせせらぐ音が、ひと晩じゅう途切れずに続いていた。壁のない一つの大きな屋根の下で、めいめいが布を立て、簾を下ろし、それでいて、互いの息づかいを聞きながら眠っている。妙に心強い夜だったのを、覚えている。

◇ ◇ ◇

 寝殿造の大きな邸は、今ではもう、どこにも残っていない。

 やがて世が移り、人の住まいは、襖や障子で間を仕切るつくりへと変わっていった。それでも、固い壁でぴたりと閉じきらず、紙一枚、布一枚で、あるかなきかに区切る——あのやわらかな間仕切りの心は、後の世の家にも、長く受け継がれていったと伝わる。襖を引けば二間がひと間になり、閉てればまた分かれる。間取りを、その日の用にあわせて変えていく。あの、几帳を立てたり畳んだりした暮らしの名残が、たしかにそこにある。

 今では、家は壁で囲われ、戸を閉めれば、隣の気配は届かない。それはそれで、静かで、気楽なものだ。

 それでも、とボクは思う。布一枚の向こうに人の気配を聞きながら眠った、あの寝殿の夜のことを思うと、壁で閉じきってしまうのが、すこしばかり惜しい気もするのだ。仕切りながら、断たない。隔てながら、通わせる。そういう、あいまいな間のとりかたを、この国の住まいは、ずいぶん長いこと大事にしてきた。

 風に揺れる几帳の裾を、両手で押さえた、あの夜の絹の手ざわりを、ボクはまだ覚えている。あなたの家の襖や障子も、たぶん、その遠い親戚なんだ。閉てれば部屋になり、開ければひと続きになる、あの、やわらかな壁の。ボクは、そういうものが、好きなんだ。

参考文献・もっと詳しく

寝殿造(しんでんづくり)は、平安時代の貴族の邸宅様式とされ、南面する寝殿を中心に、対屋を渡殿でつなぎ、前面に池や遣水を配したと伝わる。内部は固定壁が少なく、柱間を蔀戸や格子で開け放ち、几帳・屏風・御簾・帳台といった可動の調度で随時に空間を仕切って用いたという。この可動の間仕切りの発想は、のちの障子・襖による室内構成へと受け継がれたとも言われる。寛仁三年は一〇一九年(寛仁は一〇一七〜一〇二一年)で、元号と西暦の対応は史実に整合する。左京は平安京の東半をさす呼称として用いた。本話の人物・会話・情景は創作。

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