石と鉄を打ち合わせて火を呼ぶ、懐の小さな道具のこと第 134 話道具
道具鎌倉のころ・相模の在所読了 約6分

石と鉄を打ち合わせて火を呼ぶ、懐の小さな道具のこと

〜火種を絶やした男が、なぜ炭籠を抱えたまま帰らず、薪を三束運んだのか〜

はじめて読む方へ——語り部「ボク」がなぜ千年を渡り歩いているのかは、プロローグにあります。

 てのひらに、灰がかった石が一つ。

 角が立っていて、握ると指の腹に食いこむ。重さは、栗の実ほど。もう一つ、握りやすいかたちに曲げて鍛えた鉄の片。使いこまれて、打ち合わせるへりだけが鈍く光っている。

 この二つを、ただ斜めに打ち合わせる。しゅっ、と乾いた音がして、石の角が鉄をわずかに削る。その削りかすが熱を持って、ぱっと小さな星を散らす。火花ひばなだ。ほぐした火口ほくちへ落としてやれば、やがて赤い種が生まれる。手のうちに収まる、素朴な道具さ。

 ボクの見た在所では、火は炉の灰の底に種火たねびを埋めて夜どおし守るもので、絶やせば隣家へ炭籠すみかごを提げて分けてもらいに走るものだった。この小さな石と鉄を懐に持つということは、その走りが要らなくなるということだった。

 ただし鉄の片のほうは、鍛冶に打ってもらわねば手に入らぬ。ボクも一度、鍛冶場に、自分の一つを頼んだことがある。

◇ ◇ ◇

 仁治にんじ二年(一二四一年)、底冷えのする冬の朝、おれは相模さがみの在所の小さな鍛冶場かじばの戸口に立っていた。三日前に頼んでおいた火打ち金ひうちがねを、受け取りに来たのだ。

 夜のうちに嵐が去って、軒の雫が地面を打つ音だけが、まだ暗い在所に響いていた。鍛冶場の土間は霜で白くこわばり、吐く息が前で固まって見えるほどの寒さだ。親方はもう火床ほどに向かい、炭を熾していた。ふいごが鳴るたび、炭が橙にうねって、戸口にいても頬がじりりと熱くなる。

 頼んだときの話は、短かった。鋼は親方の隅に転がっている折れ鎌の刃先でよい。手間は薪を三束、割って運んでくること。仕上がりは三日。おれは薪を二日で運び終えた。一日めは納屋の樫を割り、割ったそばから背負い縄で束ねて、坂を三度上り下りした。二日めは残りを割って、手のひらの豆がつぶれたのを布で巻いたまま運んだ。石のほうは川原で拾った白く堅いのを、角の立ったのを二つ三つ、袋に入れて持ってきていた。打つところは見せてもらえなかった。薪を運びに来るたび、戸の向こうから、こん、こん、と小さな槌の音が聞こえ、ときおりじゅっと水の鳴る音が混じる。それが鎌の刃先の音なのか、別の客の鍬なのか、こちらには分からぬ。頼む側に見えるのは、値と、日限と、できあがった物だけだ。

 親方は火床から目を離さずに、土間の台の上を顎で示した。油の染みた古布の包みが一つ置いてある。ほどくと、ぐいと曲げて握りに鍛えた鉄の片が出てきた。まだ黒い。へりだけが薄く、刃のように仕上げてある。握ってみると、曲がりがおれの指の付け根にちょうど合った。

挿絵:親方は火床から目を離さずに、土間の台の上を顎で示した

 「角は薄く出してある。石は角の立ったのを当てろ。三打で出なけりゃ、持ってこい」

 それだけ言って、親方はまたふいごへ戻った。試すのは、頼んだこちらの仕事だ。

 おれは戸口の明かりの下で、乾いた蒲の穂を指でしごいてほぐし、綿のようにふくらませて火口をこしらえた。左手の親指で、それを石の上に押さえる。欠けた土器の皿は、足もとに置いた。右手の鉄を、石の角へ斜めに、しゅっ、しゅっと滑らせるように打つ。一打め、鉄と石のすれ合う音がしただけで、何も出ない。二打め、ぱっ、と小さな橙の星が散った。火花は宙でひと呼吸ほど尾を引いて、すうと消える。三打めで、そのうちの一粒が火口の上へ落ち、蒲の穂のなかに、ほんのりと赤い点がにじんだ。

 おれは火口をそっと皿へ移し、皿ごと両手で囲って、口をすぼめて、ふう、ふうと息を送った。焦げた草の、香ばしい匂いが立つ。赤い点はじわりと広がり、火口がちりちりと縮れて、やがて、ぽっと炎が立った。三打。親方の言った数のうちだ。へりの当たりも良い。薪三束の値打ちは、これで確かめた。

 そこへ、近くの百姓家から、年寄りの男がひとり、白い息を吐きながら駆け込んできた。源次という、田を耕すばかりの実直な男だ。藁沓わらぐつのまま土間へ踏み込んで、肩で大きく息をしている。手には火種を運ぶための小さな炭籠が、空のまま提げられていた。

 「火種を、絶やしてしもうた。ゆうべの嵐で炉の灰が湿って、朝にはもう、底の種火まで死んでおった」

 親方は何も言わずに、火床の炭を一つ火箸でつまんで、源次の炭籠へ落としてやった。いつもの朝なら、それで話は終わる。源次は礼を言って、炭籠を胸に抱えて帰る。

 だが源次は、帰らなかった。おれの手もとの、皿の上で燃えている小さな炎を見ていた。それから、おれの手の黒い鉄の片を見た。

 「それは……鍛冶どのの道具か。それとも、おまえさんの」

 「おれのだ。三日前に頼んで、いま受け取った」

 源次は炭籠を抱えたまま、しばらく黙っていた。冷えで赤らんだ頬に、炎の色がほのかに映っている。

 「石と鉄で火が出るのは、知っておる。旅の坊さまが持っておるのを見たこともある。けんど、あれは……おれのような者の手にも、持てるものなのか」

挿絵:「石と鉄で火が出るのは、知っておる

 源次の言う石と鉄の火花に、おれは切り火の音を思い出していた。出がけの背へ向けて、しゅっと打ってもらう、あの乾いた音だ。おれの知るそれは、もっと軽い、形ばかりの道具だったが、あの習わしの根も、こういう朝にあったのかもしれぬ。

 「鋼は折れ鎌の先でいい。手間は薪三束。三日だ」

 親方が、ふいごを使いながら、こちらを向かずに言った。源次は籠を抱えたまま、指を折って何かを数えた。冬の百姓に、薪は米と同じほど惜しい。三束なら、炉の四、五日ぶんになる。数え終えて、源次は言った。

 「……頼む」

◇ ◇ ◇

 その朝、炭籠を提げて鍛冶場へ来たのは、源次で三人めだった。嵐に灰を湿らせたのは、在所じゅうの炉だった。おれ自身、その前の月に二度、隣へ籠を提げて歩いている。頭を低くして、すまぬが少しばかり、と言いながら、相手の炉の機嫌をうかがう、あの歩きだ。火打ち金を頼んだのは、三度めを歩きたくなかったからだ。一度めの隣では炉の火を分けてもらうあいだ、相手の妻の咳払いを背に聞きながら立っていた。二度めは、返す当てのない炭の礼を、あとで米の一握りに替えて届けた。

 三日ののち、源次は薪を三束、背負って鍛冶場へ来た。源次の火打ち金は、握りが源次の掌にちょうど合うように仕上がっていた。親方は川原の白く堅い石を二つ三つためし打ちして、よく火花の散る一片を選んでやった。源次は土間で、教わったとおりに打ってみた。八打しても火花は落ちず、親方は黙って源次の掌から石を取り、角の丸くなった面をひっくり返して、また持たせた。石を替えて三打めで、赤い点がにじんだ。源次はそれを布にくるみ、懐の袋へ大事にしまって帰っていった。

 それから幾年か、おれは折にふれて源次の姿を見かけた。田の畦で一服するとき、男は懐の袋から石と鉄を取り出し、しゅっ、しゅっと打って、枯れ草の火口へ火を移していた。土間で一度見ただけの手順を、男は自分の手に馴れさせていった。はじめのころは五打、六打と打っても火花がうまく落ちず、打ち終えた鉄を掌で転がしては、また打ち直していた。霜の朝は石が冷えて、打つ前に両の手で石を擦り合わせて温めていた。年を経るうちに、その手つきは馴れて、二打三打で赤い種を呼ぶようになった。雨あがりの朝も、暮れの早い冬の野でも、その手つきに、もう昔の途方に暮れた気配はなかった。

 畦で一服のついでに、おれは尋ねた。隣へもらいに走るのと、どちらが楽かと。源次は、石を布へくるみ直しながら、しばらく手を止めて、こう言った。

 「このあいだの嵐の朝も、隣の戸は叩かなんだ。炭籠は、納屋の釘に掛けたままよ」

 源次は石を布へくるみ直すと、空いた手で鎌の柄を取って、畦を歩いていった。炭籠の掛かっていた釘が、納屋の柱で錆びはじめているのを、おれはのちに通りがかりに見た。

◇ ◇ ◇

 それから幾年ののち、畦で見かけた源次は、打ち終えた石をすぐには布へ戻さず、しばらく掌のなかで握って温めてから、懐の袋へしまっていた。

参考文献・もっと詳しく

※ 石と鉄を打ち合わせて火花を起こす火打ちの法は古くから知られ、堅い石英質の石(火打ち石)と鋼の火打ち金を打ち、火口へ火花を移して火種を得たとされる。火種を絶やさず守る暮らしから、懐の道具で随時に火を起こす暮らしへと移るなかで、火打ち道具は旅や日常の必需となり、出立の際に火花を散らして安全を祈る「切り火」の習わしも生まれたと伝わる。仁治二年は一二四一年(仁治は一二四〇〜一二四三年)。※本文の人物・会話・情景は創作。

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