石と鉄を打ち合わせるだけで、人が火を「いつでも起こせる」ようになった日のこと134道具
道具鎌倉のころ・相模の在所読了 約8

石と鉄を打ち合わせるだけで、人が火を「いつでも起こせる」ようになった日のこと

火種を絶やした男が、なぜ隣家へ走らず、懐の小さな石と鉄を取り出したのか

 火打ち石というのは、てのひらに収まるほどの、なんということもない石ころだ。

 堅くて、角の立った、灰がかった一片の石。それと、握りやすいかたちに鍛えた鉄の片。この二つを、ただ斜めに打ち合わせる。すると、石の角が鉄をわずかに削り、その削りかすが熱を持って、ぱっと小さな星を散らす。火花ひばなだ。その火花を、ほぐした火口ほくちへ落としてやれば、やがて赤い種が生まれる。たったそれだけの、素朴な道具さ。

 けれど、この小さな石と鉄を懐に持つということは、人が「火を、いつでも起こせる」ということだった。それまで火は、絶やさぬよう守りつづけるものだった。炉の灰の底に種火たねびを埋め、夜どおし消えぬよう気を配り、もし絶やせば隣家へ火種をもらいに走る。火は授かるもの、分けてもらうものだったのさ。

 ボクが見てきたのは、その火が、守るものから「自分の手で起こすもの」へと変わっていく、その移り変わりだ。石ひとつ、鉄ひとつを腰に下げた者が、暗がりのなかでも、雨あがりの旅の途上でも、己ひとりの力で火を呼べるようになっていく、そのあたりのことさ。

◇ ◇ ◇

 仁治にんじ二年(一二四一年)の、底冷えのする冬の朝のことだ。おれは相模さがみの在所で、小さな鍛冶場かじばの下働きをしていた。

 夜のうちに嵐が去って、軒の雫が地面を打つ音だけが、まだ暗い在所に響いていた。鍛冶場の土間は霜で白くこわばり、吐く息が前で固まって見えるほどの寒さだ。親方はもう火床ほどに向かい、炭を熾していた。ふいごの押し板を踏むたび、炭が橙にうねって、頬がじりりと焼けるほど熱くなる。火のそばだけが生き返ったように暖かく、おれはその縁で、ひび割れた手をかざしていた。

 その朝、近くの百姓家から、年寄りの男がひとり、白い息を吐きながら駆け込んできた。源次という、田を耕すばかりの実直な男だった。藁沓わらぐつのまま土間へ踏み込んで、肩で大きく息をしている。

 「火種を、絶やしてしもうた。ゆうべの嵐で炉の灰が湿って、朝にはもう、底の種火まで死んでおった」

 声がふるえていた。男の手には、火種を運ぶための小さな炭籠すみかごが空のまま提げられている。隣から分けてもらった火を、消さぬよう抱えて帰るための籠だ。それが、からだった。

 火種を絶やすというのは、当時の暮らしでは、ちょっとした難儀だった。煮炊きもできぬ、暖もとれぬ。子の手も足も、朝の冷えにかじかんだまま、湯の一杯も飲ませてやれぬ。隣へ走って分けてもらおうにも、その朝は在所じゅうが嵐に灰を湿らせて、どの家の炉も心もとなかった。源次は途方に暮れた顔で、親方の前に立っていた。

 おれの親方は、鍛冶の手を止めずに、ふところから、布にくるんだ小さな包みを取り出した。油の染みた古布だ。指の節の太い手が、馴れたしぐさで結びをほどく。中から出てきたのは、灰色の鋭い石の一片と、ぐいと曲げて握りに鍛えた鉄の片だった。鉄は使い込まれて、打ち合わせるへりだけが鈍く光っていた。

 「源次どの。隣を当てにするのはよしなされ。これからは、これで起こせばよい」

 親方は、乾いた蒲の穂を指でしごいてほぐし、綿のようにふくらませて火口をこしらえた。それを欠け茶碗の底へ薄く敷き、そこへ石と鉄をかまえる。左手の親指で石の上に火口を添え、右手の鉄を、石の角へ斜めに、しゅっ、しゅっと滑らせるように打つ。鉄と石のすれ合う、乾いた小さな音が土間に響くばかりで、はじめは何も起こらぬ。おれは脇で、その土間に無から火の立つ瞬間を、息を詰めて見守っていた。

 ところが幾度めかに、ぱっ、と小さな橙の星が散った。火花は宙でひと呼吸ほど尾を引いて、すうと消える。そのうちの一粒が火口の上へ落ちると、蒲の穂のなかで、ほんのりと赤い点がにじみはじめた。親方はそれをそっと両手で包み、口をすぼめて、ふう、ふうと息を送る。焦げた草の、香ばしい匂いがふわりと立った。赤い点はじわりと広がり、火口がちりちりと縮れて、やがて、ぽっと炎が立った。

 おれは脇で、思わず息を詰めて見ていた。さっきまでただの石ころと、鈍く光る鉄の片に過ぎなかったものから、いま確かに火が生まれた。火床の炭火とはちがう。これは、隣からもらってきた火でも、絶やさぬよう守ってきた種火でもない。たったいま、この土間で、無から呼び出された火だ。鍛冶場の炭の熾しは毎朝見ているのに、てのひらの道具から火が立つのを見ると、なんとも言えぬ手ごたえが胸に残った。

 源次は、目をまるくして、その小さな炎をのぞき込んだ。冷えで赤らんだ頬に、炎の色がほのかに映っている。

 「石と、鉄で……火が、出るのか。隣を頼まずとも、己の手で……」

 「さよう。火種を授かる暮らしから、火を起こす暮らしへ。この石と鉄さえ懐にあれば、嵐の朝も、旅の野中も、おぬしひとりで火が呼べる」

◇ ◇ ◇

 おれは、そこでようやく、この小さな道具の値打ちが腑に落ちた。

 それまでの在所の暮らしは、火をめぐって、たがいに首根を押さえ合うようなところがあった。種火を絶やした家は、火を分けてもらうために、隣へ頭を下げねばならぬ。炭籠を提げて頭を低くし、すまぬが少しばかり、と言いながら、相手の炉の機嫌をうかがう。分ける側は分ける側で、夜中に叩き起こされても炉を掻き起こしてやる。気のいい家ばかりではない。火を出し惜しむ者もいれば、貸し借りの恩を重く着せる者もいた。火は、人と人とを縛る、見えない鎖でもあったのさ。

 ところが、石と鉄を腰に下げた者は、その鎖から、すっとほどけて立てる。誰に頭を下げずとも、己の手で火を呼べる。それは、暮らしのなかで、ひとりの人間が「自分の足で立つ」ということに、ほかならなかった。たかが石ころひとつが、人を、火という一事において、独り立ちさせていったのだ。

 考えてみれば、火を起こすという、ただそれだけのことが、それまでどれほど人を寄る辺なくさせていたか。種火を絶やせば、その日の暮らしがまるごと立ち行かなくなる。だからこそ人は炉の灰を撫で、夜ごと種火に気を揉み、火を絶やさぬことに、ずいぶんと心を縛られていた。その縛りを、てのひらの石と鉄が、ふっと解いてやったのだ。火打ち石を懐に持つということは、その日の暮らしの不安を、ひとつ、軽くするということでもあったのさ。

 その冬、源次は親方に頼んで、自分の火打ち石と火打ち金を、ひと揃え分けてもらった。親方は鍛冶場の隅から手ごろな鋼の片を選び、握りやすいよう曲げて、源次のてのひらに合わせて打ち直してやった。石は、川原で拾ってきた石英せきえいの角を、二つ三つためし打ちして、よく火花の散る一片を選んだ。源次はそれを布にくるみ、腰の巾着きんちゃくへ大事に下げて帰っていった。

 それから幾年か、おれは折にふれて源次の姿を見かけた。田の畦で一服するとき、男はこともなげに腰の巾着から石と鉄を取り出し、しゅっ、しゅっと打って、枯れ草の火口へ火を移していた。はじめのころは火花がうまく落ちず、何度も打ち直しては首をかしげていたが、年を経るうちに、その手つきはすっかり馴れて、二打三打で赤い種を呼ぶようになった。雨あがりの朝も、暮れの早い冬の野でも、その手には、もう昔の途方に暮れた顔はなかった。火を、己の手のうちに飼い慣らした者の、落ち着いた顔だった。

 いちど、おれは尋ねたことがある。隣へもらいに走るのと、どちらが楽かと。源次は、石を布へくるみ直しながら、しばらく手を止めて、こう言った。

 「もらう火は、ありがたい。けんど、この石の火は……おれの火だ。誰にも借りておらぬ。それがな、なんとも心強いのよ」

 おれの火だ、と言ったときの源次の声には、田を一枚買い足したときのような、静かな誇りがにじんでいた。たかが石ころで起こした火に、人がそんな顔をするのかと、おれは妙にうれしくなったものだ。

 おれは、その言葉を、ずいぶん長いあいだ忘れなかった。火を起こすとは、ただ煮炊きの便利ではない。己ひとりで暮らしを立てる、その芯のようなものを、人の懐へ授けることだったのだと、おれはそのとき思い知った。

◇ ◇ ◇

 石と鉄を打ち合わせて火花を散らす、この火起こしのやり方が、武家にも百姓にも広く行きわたり、誰もが懐に火を持ち歩けるようになったのは、世のなかが落ち着き、人が方々を行き来しはじめた、このころのことだ。ボクは、その移り変わりを、いくつもの炉端で見てきた。

 火打ち石と火打ち金は、やがて旅人の必需となり、煙草が広まればなおのこと、腰に下げる当たり前の道具になっていったと伝わる。出かけにこの石を打ち、火花を散らして「無事に」と送り出す、切り火という習わしまで生まれたという。たかが石と鉄が、人の門出に縁起をかつぐ祈りまで背負うようになったのさ。

 今では、火は石を打って起こすものではない。指の先で軽くひとひねりすれば、いつでも、どこでも、ためらいもなく炎が立つ。火を「いつでも起こせる」ことなど、もう誰も、ありがたいとは思わない。

 それでも、とボクは思う。

 いつか、あなたが小さな火を灯すとき——その火が、ごくたやすく、当たり前にともることを、ほんの一瞬でいい、不思議に思ってみてほしい。かつて火は、夜どおし守るものだった。絶やせば、頭を下げて分けてもらうものだった。その火を、てのひらの石と鉄ひとつで、己の手のうちへ取り戻した人々がいる。

 火打ち石は、ただの石ころだ。打てば、ぱっと小さな星を散らすばかりさ。それでも、その一片には、誰にも借りずに己の暮らしを立てようとした、名もなき人々の、まっすぐな背中が映っている。ボクは、そういうものが、好きなんだ。

参考文献・もっと詳しく

石と鉄を打ち合わせて火花を起こす火打ちの法は古くから知られ、堅い石英質の石(火打ち石)と鋼の火打ち金を打ち、火口へ火花を移して火種を得たとされる。火種を絶やさず守る暮らしから、懐の道具で随時に火を起こす暮らしへと移るなかで、火打ち道具は旅や日常の必需となり、出立の際に火花を散らして安全を祈る「切り火」の習わしも生まれたと伝わる。仁治二年は一二四一年(仁治は一二四〇〜一二四三年)で、元号と西暦の対応は史実に整合する。※本文の人物・会話・情景は創作。

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