伝助の楔と、大鋸の朝第 133 話道具
道具室町のころ・近江の杣読了 約6分

伝助の楔と、大鋸の朝

〜山あいの杣で、年老いた木挽きは、楔を握った手を止めて、なぜ若い二人組の鋸を黙って見つめていたのか〜

はじめて読む方へ——語り部「ボク」がなぜ千年を渡り歩いているのかは、プロローグにあります。

 伝助は、槌を振り上げる前に、かならず丸太の木肌をひと撫でした。

 手のひらで木目の走りを読み、耳で音の濁りを聞いて、それから楔くさびを打つ。打ちどころが狂えば、丸太は目にそって勝手なほうへ裂ける。年老いた木挽きは、その一撫でで、板の取れるところを言い当てた。

 一本の太い丸太から取れる板は、せいぜい数枚だったと聞く。割れた面は波打ち、厚みもまちまちで、手斧ちょうなで削ってどうにか平らにした。足の下の床も、部屋を仕切る戸も、物をのせる棚も、衣を納める箱も、もとは一枚の板からできている。いまは当たり前にそこにあって、だれも板そのものを見はしない。

 その伝助が、ある秋、楔を握ったまま手を止めて、若い二人組の鋸を黙って見つめることになる。二人がかりで一挺いっちょうの大きな鋸を挽くのだ。大工の足もとに散る木の屑を、いまでも「おがくず」と呼ぶ。機械が挽いた屑も、そう呼ぶ。木挽きの絵でなら、ボクも見知っていた。絵の中の鋸は、音を立てない。

◇ ◇ ◇

 長享ちょうきょう二年(一四八八年)の秋のことだ。近江の山あいの杣そまで、霧の向こうから伝助の声が飛んできた。甚三、面を出せ。割った板の面を手斧で削って平らにするのが、その秋のおれの手だった。

 谷あいの杣には、朝はまだ霧が腰のあたりまでたまっていて、伐り口の生木が甘く青くさい匂いを立てた。足もとには木っ端と削りくずが厚く敷き積もり、踏むたびにふかりと沈む。日が高くのぼると、斜面のあちこちで斧の音が谺して、どこからともなく松脂のにおいが流れてきた。

 その杣を仕切っていたのは、伝助という年老いた木挽こびきだった。丸太の木口に楔を三つ四つ並べて打ち、割れの走る先を待つ。節に当たれば、その丸太の運は尽きた。おれの受け持ちは、そのあとだ。波打つ割れ面に刃をあて、薄く薄く削いでは削りくずを散らす。骨の折れる仕事で、肩も腕もすぐに張った。一日かけて削っても、まともな板は幾枚も取れやしない。

 その秋、麓の寺が古びた堂を建て直すというので、大量の板が入用になった。伝助は腕を組んで、これは冬までかかる、と渋い顔をした。楔で割り、手斧で削るやり方では、それだけの板はとても間に合わなかった。霜が来れば木も荒れる。日も短くなっていく。伝助は曇った空を見上げて、ひとつ、太いため息をついた。

 そこへ、京のほうから来たという、二人組の若い木挽きが雇われてきた。背に荷を負い、菅笠すげがさの縁から汗を光らせて、谷を登ってきた。彼らが背負ってきたのは、大きな鋸だった。布を解くと、長い鉄の刃が、秋の日をはじいて鈍く光った。谷の者らが手を止めて、ぞろぞろと寄ってきた。

挿絵:そこへ、京のほうから来たという、二人組の若い木挽きが雇われてきた

 この谷で使う鋸といえば、枝を落とす片手の小鋸ばかりだ。ところが彼らの鋸は、丈が背丈ほどもあり、両の端に取っ手がついている。歯は荒く、一つひとつが指の先ほどもあって、ぎらりと尖っていた。一人では、とても扱えぬ代物だ。こいつが挽くところを、おれは目の前で見たことがなかった。

 「大鋸おがというものさ」と、若い片割れが笑った。日に焼けた、人なつこい顔だった。「二人で挽く。まあ、見ていな」

◇ ◇ ◇

 彼らは太い丸太を高い台に据え、ぐらつかぬように楔をかい、縄でしっかと縛りつけた。それから墨壺すみつぼの糸を引き出し、丸太の端から端へ、ぴんと張っては指ではじく。糸が木肌をぴしりと打って、表に幾本もの黒い線が走った。等しい間をおいた、まっすぐな線だ。墨の匂いがかすかに立った。木挽きは線のひとつへ顔を寄せ、目を細めて、ゆがみがないかをたしかめた。そうして一人は台に上がり、一人は丸太の下に立って、大鋸の取っ手を握った。

 上が引き上げれば、下が引き下ろす。鋸の歯が、木の目を縦に断ち割っていく。しゃっ、しゃっ、と乾いた音が、杣じゅうに鳴りひびいた。挽くたびに、白い鋸くずが雪のように降って、下に立つ者の肩と髪に積もっていく。台の上の額には汗が浮かんだ。生木の断たれていく匂いが、あたりに満ちた。下に立つ男は、刃が下りてくるあいだは逆らわず、上が引き切るのを待ってから、取っ手を送っていた。おれは手斧を提げたまま、その手首ばかり見ていた。

 楔で割った面は波打つのに、鋸で挽いた面は、墨の線そのままに、まっすぐ平らだ。挽き割られた板に指を這わせても、手斧で削ったものほどには引っかからない。細い鋸目の筋は残っていて、あとで軽く削ぎ整えるのだと、片割れは言った。それでも、おれが幾日も肩を張ってきた手間は、ずいぶん減る。手斧の柄を握りつづけて豆の潰れたおれの手のひらが、急に所在なくなった。板の面を撫でると、まだ生木の湿りが指に残った。

 しかも、だ。一枚、二枚、三枚、四枚——伝助の楔なら割れ尽きているはずの丸太から、まだ板が出てくる。薄く、均しい。挽き終えた板を一枚持ち上げてみると、おどろくほど軽く、日にかざせば木目がやわらかく浮いた。

挿絵:しかも、だ

 日が暮れて、谷あいに夕霧が降りてくるころには、若い二人の足もとに、おれが幾日もかけて削るより多い板が、ひと束、ふた束と、きちんと積み上がっていた。二人は腰を伸ばし、肩の鋸くずを払って、なんでもないことのように笑っていた。

 伝助は、楔を握ったまま、ひとことも発さなかった。節くれだった指の関節が白く浮いていた。ただ、降り積もる鋸くずと、まっすぐに挽かれた板の面を、食い入るように見つめていた。谷の者らは、挽いた板の端を爪ではじいたり、日にかざしたりして、順に回していった。小屋へ引き上げたあとも、日が落ちきるまで、そこを動かなかった。おれは、冬までの日を数えかけて、やめた。

 その晩、若い二人組は、炉端で大鋸の歯を一本ずつ目立てしていた。赤い火明かりに刃をかざし、歯の一つひとつに、こまかな鑢やすりをあてては傾きをととのえていく。しゃり、しゃり、と細い音がした。炉端の隅には、歯の傾きが狂った鋸で挽いたという板切れが転がっていて、挽き目が墨の線から、ゆるく逸れていた。

 伝助が、火をはさんだ向かいから、おれの隣へ腰を移してきた。片割れは、挽いた板の端切れと、楔で割った木っ端を、無言で伝助の膝へ並べた。伝助は親指を、割れ面から挽き面へ、また割れ面へと、ゆっくり二度行き来させた。それから、鋸の歯の一つひとつの尖りを、順にたしかめていった。

 翌朝、霧の晴れぬうちに、伝助は二本目の丸太を台に据えさせ、墨壺の糸を自分で張った。線はゆがまなかった。縄を締めるのはおれの役で、結び目を二度あらためた。台の脚の下には木っ端を噛ませて、ぐらつきをなくした。寺の分の仕事は昼からと決まっていて、京の二人は、それまでは使えと、大鋸を台のそばへ立てかけていった。昼には返す約束だ。伝助は膝を鳴らして台に上がり、おれに、下に立てと顎でしめした。

 伝助は、槌を打つ腕で鋸を押し下げた。歯が木の目に食い込んで、ぴたりと止まる。力まかせに動かせば、刃がしなって、ぎりりと鳴り、墨の線から外れていく。降る鋸くずに目をしばたきながら、おれは取っ手を握る手をゆるめた。上が引き上げ切るまで待ち、下ろすときは刃の重みに任せて、向きだけを墨の線に添える。力は入れない。三度、四度と往復するうちに、頭の上の腕から力が抜けていくのが、鋸を通して指に伝わってきた。歯が木を噛む手ごたえが、とくとくと取っ手に響く。刃がすうっと木に沈み、まっすぐな板が挽けていく。

 昼に二人が戻ってくるまでに、伝助とおれの足もとには、板が七枚積まれた。若い二人の一日ぶんの半分にも届かなかった。伝助はその七枚を一枚ずつ撫でてから、手斧を小屋の奥へ片づけた。寺へ運ぶ板の、ほんの一荷にもならない数だった。

◇ ◇ ◇

 いま、材木店の板の山に手をあてる。あの朝の一枚を挽くには、取っ手を握って向かいの動きを待つ手が、二人ぶん要った。この一枚を挽き出した機械の脇には、送りの柄に置かれた手が、一人ぶん。

参考文献・もっと詳しく

※ 丸太から板を得るのは、もとは楔を打ち込んで木の目にそって割る「打ち割り」によったが、この方法では取れる板の数も少なく、面も平らになりにくかったとされる。中世に二人で挽く「大鋸(おが)」が広まり、のちに一人挽きの前挽き大鋸へと改良されると、木の目を断ち切って薄く均しい板を多く挽き割れるようになり、板が安く出回って住まいや家具のかたちが大きく変わっていったと伝わる。長享二年は一四八八年(長享は一四八七〜一四八九年)。二人挽きの大鋸の来歴は、村松貞次郎『大工道具の歴史』(岩波新書・1973年)に詳しい。※本文の人物・会話・情景は創作。

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