第 132 話宗教海道の宿で縫った、藍の布袋と三寸の木の札
〜陸奥から来た旅人は、懐の神札をなぜ裸のまま持ち歩かなかったのか〜
はじめて読む方へ——語り部「ボク」がなぜ千年を渡り歩いているのかは、プロローグにあります。
札は、三寸。
布は、幅三寸五分に長さ八寸。二つに折って両脇を縫えば、札には三分ほどの余りが残る。口は一つ、残しておく。
旅は、行って帰って半年。その半年のあいだ、札と肌のあいだに布が一枚はさまる。ボクは、いまも店先で守り袋を手にすると、袋の寸を指で測ってしまう。
◇ ◇ ◇
嘉禎二年(一二三六年)の春、相模の海道ぞいの宿の土間で、おれは泊まり客の脛巾のほつれに針を通していた。
戸口の筵が潮まじりの風にふくらみ、海道を行く馬の足音と荷の軋みが、夜明けから日暮れまで絶えない。土間には草鞋のほこりと汗と、ひえた飯のにおいがこもっていた。この宿では、針の使える手がいつも足りない。繕いひとつにつき、飯の余りをひと椀。それが、おれの口すぎだった。
宿の隅には、おときという年寄りが暮らしていた。夫に早く死なれ、ひとり息子の多助を女手ひとつで育てあげた人だ。その多助が、この春、陸奥のほうまで荷を担いで行く。行って帰って半年の旅だという。
旅立ちの幾日か前から、おときは宿のはずれの社へ日参していた。朝まだ暗いうちに海風へ背を丸め、ひとり坂をのぼっていく後ろ姿を、おれは幾度も見送った。そうしてある朝、授かった札を、土間の板の間へ持ってきた。木を薄く削って、墨で神の名を書いた札だ。ものさしを当てると、三寸あった。
「これを、多助に持たせたい。だが、どこへ入れたものか」
おときは札を戸口の明かりにかざし、指の腹で墨の字をなでた。草鞋の緒をすげていた多助が、顔もあげずに言った。
「懐へ入れておけばいい」
「裸のまま入れて、汗で字が溶けたらなんとする。荷とこすれて割れたら、罰があたろう」
宿の主は、札なぞ柱に貼っておくものだと笑った。泊まり客のひとりは、神の札を布にくるむなど失礼だと眉をひそめた。話はまとまらず、土間のすみで、泥のはねた脛巾の足を土間へ投げだした、陸奥から来たという旅人が、黙って飯をかきこんでいた。
その旅人が、椀を置いた。川の水で洗いつづけたような、節くれだった指をしていた。首から紐を手繰り、胸の袋を引き出す。麻の布が黒ずんで、角は白くすり切れていた。袋の口を爪で押しひらき、中から札を抜いて、おときの札の隣へ並べた。

おときの札と、おなじ三寸の木の札だった。ただ、その角は丸くなり、墨は端のほうが薄れて、神の名の最後の一字は、かすれて形をなしていない。割れは、どこにも無かった。
「十年だ」と旅人は言った。「紐は、三度かけかえた」
それきり、何も言わなかった。おときが指で数えはじめ、宿の主が口をつぐんだ。十年のあいだ、雪どけの川を、いくつ渡ったことだろう。おときは旅人の札を、両手で押しいただくようにして、袋へ戻した。それからしばらく、自分の札と、その黒ずんだ袋とを見くらべていた。
「神さまは、袋に入れられても、お怒りにならぬかえ」
旅人は、答えなかった。袋を首へ戻し、もう一杯、飯をよそってくれと、おれに椀を差し出した。
その晩、おときが運んできたのは、自分の古い小袖を解いた藍の布だった。
「紐は、多助の古い帯を解いてあてよう。縫っておくれ。針の穴に、わたしの目は、糸がとおらぬのだ」
◇ ◇ ◇
囲炉裏の火のそばで、おれは布を広げた。おときの札は、三寸。おれは目の寸法で、札とおなじ幅に布を裁った。二つに折って、両脇を縫う。針が布をくぐるたび、しゅ、しゅ、とかすかな音がした。縫い終えて札を差し入れようとして、手が止まった。入らない。縫い代が、幅を食っていた。
おれは糸をほどき、旅人の袋を借りて、そのかたわらに並べた。旅人の袋に、札をあててみると、幅に三分ほどの余りがあった。縫い代は左右で二分。三寸の札に三分の遊びと二分の縫い代を足せば、三寸五分の幅が要る。長さは、折って縫い、口を折りかえす分まで見て、八寸。
裁ちなおした布を、二つに折り、両脇を細かく縫う。口は、一つ残した。
旅人の札の角が丸いのは、袋のなかで十年のあいだ、鳴りつづけたからだろう。おれは繕いの糸くずをほぐして、麻の屑といっしょに、すこしずつ袋の隙間へ詰めていった。ことり、と動いていた札は、やがて鳴らなくなった。借りた袋は、その晩のうちに旅人へ返した。縫った袋の口をかがり、上の端へ、多助の古い帯を解いた紐を、撚りなおして縫いつけた。
「紐は、上へ付けるものかえ」
「首から提げる。胸のあたりに落ちる」
おれの手が先に動き、おときの問いは、ひとつずつ遅れてついてきた。
できあがったのは、藍の小さな布袋だった。肌着の下へしのばせれば、外からは、ふくらみさえ知れない。手のひらに乗せると軽く、それでいて、札の角が布ごしにかすかにあたった。おときは縫い目を、指の腹で、端から端までたどった。ほつれぬかどうかを、自分の手でたしかめている顔だった。

袋ができて二日目の旅立ちの朝、おときは袋を多助の首へかけ、肌着の内へおさめた。海道には、薄い霧がかかっていた。その上から手のひらで、とん、と一度、胸を押さえた。
「肌身、はなすでないぞ」
多助は、うなずいて、何度もうなずいて、海道を東へ小さくなっていった。霧の向こうへ草鞋の音が遠ざかり、やがてそれも聞こえなくなった。旅人は、袋を返したあくる朝に、もう宿を発っていた。
おれは戸口に立ったまま、霧が晴れるまで動かなかった。藍の裁ちくずが、袂にひとつ、まだついていた。それを摘んで風に放るだけのことに、ずいぶん手間どった。
◇ ◇ ◇
多助が宿へ戻ったのは、その年の、もう木枯らしの吹くころだった。
海道の松が、北風に音をたてて鳴っていた。日に焼けた多助が戸口に立つと、おときはころげるように出ていって、息子の肩や腕をなで、頬をはさんで無事をたしかめた。まっさきにあらためたのは、あの守り袋だった。
肌着の下から出てきた袋は、見ちがえるほどくたびれていた。藍は汗で白茶け、紐はほつれ、角は二つとも、すり切れて布の地がのぞいている。角に指をあてると、布のごわつきと、半年ぶんの旅の塩気が、ざらりと伝わってきた。
おれが気にしたのは、札より先に、自分の縫い目のほうだった。両脇の縫い目は、どこもほどけていない。かがった口も、もっている。ほつれたのは紐の撚りだけだった。
おときが、袋を持ったまま、おれの顔を見た。半年前、火のそばで縫い目をしごいたときと、おなじ目だった。おれは、かがった口の糸を、いつも繕いに使う小刀の先で一針だけ切った。おときが袋の口をひらき、札を抜く。
札は、割れていなかった。角が、ほんのすこし丸くなっている。墨は、下の端がわずかに薄れていたが、神の名は読めた。
「角が、丸うなっておる」とおときは、指の腹でそこをなでた。「袋の角が、先にすり切れたのだな」
その晩、おときは古い袋を、櫃の底へしまった。半年、息子の胸にあった布だ。すてられようはずがない。新しい袋は、おれが縫った。火のそばで、おときは、糸の端をにぎっていた。針を運ぶおれの手を、じっと見ていた。
◇ ◇ ◇
いまも、社の授与所で求めた守り袋を、掌にのせてみることがある。錦の袋の中ほどを親指で押すと、札の角が布ごしに当たる。両脇を縫い、口を一つ残し、屑を詰めて札が鳴らなくなるまで押しこんだ、あの晩の針の手ごたえが、よみがえる。ボクの掌には、札ひとつぶんの重みが、沈んでいる。
参考文献・もっと詳しく
※ 社寺で授かる護符は、もとは家の柱や戸口に貼り据えて災いをふせぐものであったが、やがて小さな布袋へ納めて肌身につけ、加護を携帯する「守り袋」の形が広まっていったとされる。首から提げる懸守は平安のころの古い神宝にも見え、携帯の守りの起こりは一つに定まらない。本文はその作法を、海道の宿の母子と陸奥の旅人へ場を移した創作である。嘉禎二年は一二三六年(嘉禎は一二三五〜一二三八年)。※本文の人物・会話・情景は創作。
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