第 132 話宗教社の護符を小さな布袋に縫いこんで、人が加護を懐へ持ち歩くようになった日のこと
〜遠い旅へ出る息子に、母は神の札をそのまま持たせず、なぜ小さな布の袋へ縫いこんだのか〜
守り袋というのは、神や仏の加護を、ひとつかみの布に包んで懐へしのばせたものだ。
もとはといえば、社や寺で授かる護符は、ただの一枚の札にすぎなかった。木を削ったもの、紙へ刷ったもの、祈りをこめた印をおしたもの。それを柱へ貼り、戸口へ掲げ、家のうちに据えて、人は災いをふせごうとした。札は家にあってこそのものだった。動かさず貼りつけてそこから動かさぬのがあたりまえだったのさ。
ところが、人は家を出る。畑へ、山へ、海へ、遠い都へ。歩けば歩くほど、家に据えた札からは遠ざかる。家を守る神は、旅の空までは、ついては来てくれない。そこで人は思いついた。札を持ち歩ける形にすればよい、と。紙や木のままでは汗で破れ、雨で溶ける。ならば小さな布の袋へ縫いこんで、肌身につけてしまえばよい。
ボクが見てきたのは、そうやって加護というものが、家に据えるものから、懐へしのばせて持ち歩くものへと変わっていく、その移り変わりだ。神仏の力が、人の歩みについて回るようになった、そのあたりのことさ。
◇ ◇ ◇
嘉禎二年(一二三六年)の春のことだ。おれは相模の海道ぞいの小さな宿で、旅人相手のめし屋を手伝っていた。
潮の匂いのまじる風が戸口の筵をたえずはらませていた。海道を西へ東へ、馬の沓音と荷の軋みが、夜明けから日暮れまで絶えることがない。めし屋の土間にはいつも誰かの草鞋のほこりと汗と、ひえた飯の湯気がこもっていた。おれはその湯気のなかで椀を洗い、薪をくべ、旅人の話に耳を傾けて暮らしていた。
その宿に、おときという名の年老いた女が暮らしていた。連れ合いを早くに亡くし、ひとり息子の太郎を女手ひとつで育てあげた人だ。その太郎が、その春、遠い陸奥の方へ荷を運ぶ人足として旅立つことになった。何月もかかる、長い長い道のりだという。
旅立ちの幾日か前から、おときは社へ日参していた。宿のはずれの、小さな神の社だ。朝まだ暗いうちに起きて、海風に背を丸めながらひとり坂をのぼっていく後ろ姿を、おれは幾度も見送った。そうしてある朝、その社で授かったという護符を、おれのいるめし屋の板間で、後生大事に押しいただいていた。木を薄く削った、手のひらほどの札だった。表には墨で神の名がしたためられ、ふちには小さな朱の印がひとつおされていた。
「これを、太郎に持たせてやりたいのだがな」
おときは、その札をためつすがめつしながら、つぶやいた。指の腹で札の面をなで、墨の字をたしかめるように何度も光にかざす。おれは、首をかしげた。
「持たせればよいではないか。懐へ入れておけと」
「それがな」とおときは言った。「ふところへ裸のまま入れておけば、汗で字がにじむ。雨に降られれば、ふやけて朽ちる。荷を担げば、こすれて割れもしよう。神さまの札を、そんなふうに傷ませては、罰があたる」
なるほど、と思った。家の柱に貼っておくぶんには、札は割れも溶けもしない。雨も汗もかからぬ、風も当たらぬ、ただ静かに壁にあって、家を見守っていればよい。だが旅の空で、背に荷を負い、汗にまみれ、雨に打たれ、坂を転げ、川を渡れば、薄い木の札など、ひとたまりもない。家の神を、まるごと持ち出そうというのだ。
◇ ◇ ◇
その晩、おときは、めし屋の隅で、針を手にしていた。
灯心のほそい火が、おときの手元だけをぼんやりと照らしていた。古い小袖を解いて取っておいた藍の布きれだった。あちこち色の褪せた布だが、もとはよほど良い藍であったらしく、火に近づけると、ふかい紺がしずかに匂いたつ。それを手のひらほどの大きさに裁ち、二つ折りにして三方を細かく縫っていく。針が布をくぐるたび、しゅ、しゅ、と、かすかな音がした。
袋になったその中へ、社で授かった木の札を、おときはそっとおさめた。指で札の位置をたしかめ、かたよらぬよう、まんなかへ据える。残る口は、ほつれぬよう、ていねいにかがる。そうして袋の上の端に、太郎の古い帯から解いたという紐を、撚りなおして縫いつけた。
できあがったのは、藍の小さな布袋だった。中で札がことりとも動かぬよう糸くずをほぐした綿まで詰めてある。紐を首から提げれば、ちょうど胸のあたりに、その袋がおさまる。肌着の下へしのばせれば、外からは、ふくらみさえ知れぬ。手のひらに乗せてみると、思いのほか軽く、それでいてなかの札の角が布ごしにかすかに指へあたった。
おれは、その手元をのぞきこんで、感心した。
「うまいものだな。これなら、汗もしのげる、雨もしのげる。割れもすまい」
おときは、針を運ぶ手を止めずに、笑った。糸を歯で噛みきり、結び目を爪でしごいて、また次のひと針を布へ入れる。
「布が、札の身代わりになってくれるのさ。袋が汚れ、袋がすり切れても、なかの神さまは、無傷でいられる。布は、いくらでも縫いなおせるでな」
その言葉が、おれの胸に残った。布が、神の身代わりになる。袋がすり切れるたび、母はまた新しい布で縫いなおし、なかの加護だけはいつまでも無傷のまま、息子の胸にありつづける。そういう仕掛けだったのだ。札は変わらず、布だけが、すり切れては縫いなおされ、何度でも新しくなって息子を守る。ただ、それだけの、終わりのない手仕事だ。
旅立ちの朝、おときは、その守り袋を太郎の首へ、自分の手でかけた。海道には、まだ薄い霧がかかっていた。おときは袋を太郎の肌着の内へおさめ、その上から、手のひらで、とん、と一度、胸を押さえた。
「肌身、はなすでないぞ。これがあるかぎり、母も、社の神さまも、お前について行く。どんな遠くへ行こうと、お前は、ひとりではない」
太郎は、胸もとの袋を、肌着の上からそっと押さえた。うなずいて、何度もうなずいて、海道を東へ、小さくなっていった。霧の向こうへ草鞋の音が遠ざかり、やがてそれも聞こえなくなった。あの胸の奥に、藍の袋がひとつ、ことりともいわずに、おさまっていたはずだ。
◇ ◇ ◇
太郎が宿へ戻ってきたのは、その年の、もう木枯らしの吹くころだった。
海道の松が、北風に音をたてて鳴っていた。日に焼け、ひとまわりたくましくなった太郎がめし屋の戸口に立ったとき、おときはころげるように出ていって、息子の胸へ取りすがった。太郎の肩や腕をなで、頬をはさみ、無事をたしかめる。そうして、まっさきにあらためたのが、あの守り袋だった。
肌着の下から出てきた袋は、見ちがえるほど、くたびれていた。藍は汗で白茶け、紐はほつれ、角はすり切れて布の地がのぞいている。受け取ったおれの指にも、その布のごわつきと、半年ぶんの旅の塩気が、ざらりと伝わってきた。汗と雨とほこりを、その小さな布が、まるごと吸いこんでいたのだ。
おれは、おそるおそる尋ねた。
「中の札は、無事か」
太郎が紐をほどき、袋の口をひらくと、出てきた木の札は、初めに納めたときのまま、字のひとつもにじまず、割れもせず、藍の綿にくるまれて、ぬくもりさえ帯びていた。墨の神の名も、朱の印も、旅立ちの朝と、なにひとつ変わってはいない。
「なんと」とおれは声をあげた。「袋がこれほどすり切れて、なかの札は、傷ひとつ負うておらぬ」
おときは、その褪せた袋を、いとおしげに押しいただいた。すり切れた角に指をあて、白茶けた藍をなでて、まるで生きものをあやすように、頬へ寄せる。
「布が、ぜんぶ引き受けてくれたのさ。山道で転んだのも、川で濡れたのも、この子の身代わりに、袋が受けてくれた。すり切れたぶんだけ、神さまが、この子を守ってくださった証よ」
そう言って、おときはその晩のうちに、また新しい藍の布を裁ちはじめた。火のそばで、解いた小袖をひろげ、すり切れた古袋を傍らに置いて、おなじ大きさに、ていねいに裁つ。すり切れた袋から無傷の札をそっと移して、もう一度、ひと針ひと針、縫いこむ。古い袋は、すてずに文箱の底へしまった。半年、息子を守りとおした布だ。すてられようはずがない。加護は札に宿り、布は、そのつどすり切れては縫いなおされる。守り袋とは、そういう、終わりのない手仕事のことだったのだ。
◇ ◇ ◇
社や寺の護符を、布の小袋へ縫いこんで肌身につける——加護を、家に据えるものから、懐へしのばせて持ち歩くものへと変えた、その工夫が宿の人々のあいだに根づいていったのは、人が遠い道を、いよいよ多く歩くようになった、このころのことだ。ボクは、その移り変わりを、いくつもの旅立ちの朝に見てきた。
いちど布に包まれた加護は、もう、家の柱を離れて、人とともに歩きだした。畑へ、山へ、海の上へ、戦の場へ。袋がすり切れれば、母が、妻が、また縫いなおす。なかの札は身代わりの布に守られて、傷ひとつ負わずに、持ち主の胸にありつづける。神仏の力に、人の手仕事のぬくもりが、そっと添えられたのさ。
今でも、人は守り袋を提げている。社の授与所で求めた錦の袋を、鞄へ結び、首から提げ、肌身につけて歩いている。けれど、その小さな袋の中に何が縫いこまれ、もとはだれの手で、何のために結ばれたものか、いちいち思いめぐらす者は、もう、そうは多くない。
それでも、とボクは思う。
どこかの胸もとで、小さな守り袋が揺れているのを見たら、その布を、ただの飾りと思わずにいてほしい。古い小袖を解いて、針を運んだ母がいた。布は身代わり、なかの加護だけは無傷で、と笑った人がいた。守り袋ひとつに、遠くへ行く者を案じる心と、その身に何ごともあるなと祈る手とが、縫いこまれている。
守り袋は、ただ胸もとに揺れているだけだ。布の中で、札はことりともいわぬ。それでも、その小さなひとつかみには、遠い道を行く者の無事を願って、針を運んだ者たちの、長い長い祈りが、染み込んでいる。ボクは、そういうものが、好きなんだ。
参考文献・もっと詳しく
※ 社寺で授かる護符は、もとは家の柱や戸口に貼り据えて災いをふせぐものであったが、やがて小さな布袋へ納めて肌身につけ、加護を携帯する「守り袋」の形が広まっていったとされる。札を布で包んで身につける風は、人々の旅や参詣が盛んになるにつれて各地へ根づいたと伝わり、社寺が錦の袋に護符を納めて授ける今日のお守りの原型になったと伝わる。嘉禎二年は一二三六年(嘉禎は一二三五〜一二三八年)で、元号と西暦の対応は史実に整合する。※本文の人物・会話・情景は創作。
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