脛に巻いた一筋の布が、歩く人の足を守り、遠い土地まで運んでいった日のこと127衣服
衣服鎌倉のころ・東海道の宿読了 約8

脛に巻いた一筋の布が、歩く人の足を守り、遠い土地まで運んでいった日のこと

痩せた脛にぐるぐると布を巻きつけた飛脚は、なぜ走る前に念入りに巻き直したのか

 脚絆きゃはんというのは、すねに巻きつける、ただ一筋の細長い布だ。

 もとは、なんということもない布きれだった。膝の下から足首のあたりまで、ぐるぐると幾重にも巻きつけて、紐で結ぶ。それだけのものさ。歩けば草が脛をなで、やぶをゆけばとげが刺さり、雨に濡れれば裾が泥にまみれる。その肌をかばうために、人は脛へ布を巻いた。たかが布、と言ってしまえばそれまでだ。野良へ出る者も、旅へ立つ者も、いくさへゆく者も、当たり前のように巻いていた、目立たぬ布さ。

 ところがその布が、巻き方ひとつで、人の足のもちようまで変えていく。きつく巻けば脛の血がしまり、長く歩いても足がだるくなりにくい。ふくらはぎを支え、足首を締め、疲れを散らす。歩くための、走るための、立ち働くための道具になっていく。布一枚が、人をより遠くまで運ぶようになるのだ。

 ボクが見てきたのは、その一筋の布が、ただの肌守りから「歩く人の足を支える道具」へと育っていく、その移り変わりだ。人が己の脛へ布を巻く手つきに、いつしか祈りに近いものがこもりはじめた、そのあたりのことさ。

◇ ◇ ◇

 正応しょうおう三年(一二九〇年)の春のことだ。おれは東海道の、とある宿場で、旅籠はたごの下働きをしていた。

 その宿は、山を背負った小さな宿だった。街道はそこから先、けわしい峠へとさしかかる。だから旅人は、峠を越える前にひと晩を借り、足をやすめ、わらじを締め直してから発っていった。土間には朝のうちから煮炊きの煙が低くたなびき、戸口の向こうには、まだ霜の名残をふくんだ春の風が、峠のほうから冷たく流れこんでくる。おれは毎朝、湯気の立つ飯椀を運びながら、土間で立ち働く旅人たちの足もとを、いやというほど見てきたのさ。

 その朝も、ひとりの飛脚ひきゃくが、土間の上り口に腰かけていた。まだ若い、痩せた男だった。文箱ふばこを背へ括り、これから峠を越えて、向こうの国まで急ぎの文を届けるのだという。頬には夜露の冷えがまだ残り、息は白く、けれど目だけはやけに澄んで、もう先の峠を見ているようだった。

 男は、わらじを履く前に、脛へ布を巻きはじめた。古びた、洗いざらしの脚絆だった。はすっかり褪せ、端のほうはほつれかけている。けれど布じたいは、よく使いこまれて、しなやかに肌へなじむように見えた。おれは飯を運びながら、その手つきを横目で見ていた。

 膝の下から、ひと巻き、ふた巻き。男は布を、ただ巻いているのではなかった。一巻きごとに、てのひらで脛を押さえ、ぐっと締めぐあいをたしかめている。布が肌をこする、かさり、という乾いた音が、しずかな土間に小さく響いた。きつすぎても、ゆるすぎてもいけぬ、というふうに、男は眉を寄せ、ふた巻きほどいては、また巻き直していた。指の腹で布の重なりをならし、皺のひとつも残さぬように、ていねいに脛へ沿わせていく。

 おれは正直なところ、じれったくなった。急ぎの文だというのに、布など適当に巻いて、さっさと発てばよいではないか。峠の上の空はもう白みきって、向こうの国はまだ遠い。たまらず、おれは飯椀をかまちへ置いて、声をかけた。

 「もし、そんなに念入りに巻いて、どうなさる。急ぎの御用なのでしょう」

 男は、手を止めずに、おれを見上げて笑った。日にけた頬に、白い歯がのぞいた。

 「急ぎだからこそだ。これを雑に巻けば、峠の半ばで脛がだるうなる。ふくらはぎが張って、足が前へ出のうなる。そうなってからほどき直しても、もう間に合わぬ。ここで指ふた本ぶん、手間をかけておけば、向こうの国まで、足がもつ」

 そう言って、男は布の端を紐できりりと結び、ぐいと引いて結び目をたしかめてから、立ち上がった。二、三度その場で足を踏んでみせ、つま先で土を蹴り、ふくらはぎのあたりを掌でぽんと叩いて、うむ、とうなずいた。脛のかたちが、さっきよりも、ひとまわり引き締まって見えた。

 「この一巻きが、おれを向こうまで運ぶのさ。足は、たいせつにせにゃならん。これが言うことをきかんようになったら、文も心も、どこへも届かんからな」

 男は文箱を背負い直し、戸口の光の中へ出ていった。わらじの足音が、霜どけの道を、ひたひたと峠のほうへ遠ざかっていった。

◇ ◇ ◇

 おれは、そこでようやく腑に落ちた。

 あの脚絆は、ただの肌守りではなかった。脛を締めることで血のめぐりを助け、ふくらはぎを支え、足の疲れを散らす——歩く者、走る者の足を、内から支える道具だったのだ。雑に巻けば、ただの布。きちんと巻けば、人をより遠くまで運ぶ翼にもなる。その違いを、長く歩く者は、己の足で知っていた。だからこそ、巻く手つきに念がこもるのさ。

 その春、おれは初めて、自分の脚絆を念入りに巻いてみた。宿の使いで、隣の里まで山道を越えねばならなくなったからだ。あの飛脚の手つきを思い出しながら、膝の下から、ひと巻きずつ、掌で脛を押さえ、締めぐあいをたしかめて巻いていった。きつすぎれば指の先がしびれ、ゆるすぎれば布がずり落ちる。その間あいを、肌で探りながら、布の重なりを掌でならし、紐をきりりと結んだ。はじめは指がもつれ、何度もほどいてはやり直した。布のしなりが手になじむまで、ずいぶんかかったものさ。

 すると、どうだろう。いつもなら帰りには脛がだるくなり、足を引きずるようにして戻る山道が、その日は不思議と軽かった。ふくらはぎが布に支えられ、足がよく前へ出る。下りでも膝が泳がず、地をしっかりと踏める。なるほど、これか、と思った。たかが布一筋で、人の足はこれほど変わるのか、とね。里からの帰り道、おれはわけもなく、何度も足を踏みしめながら歩いていた。

 それからというもの、おれは旅人の足もとを、前とは違う目で見るようになった。

 野良へ出る百姓も、いくさへ向かう武者も、行商の荷を負うた者も、みな脛へ布を巻いていた。けれど、その巻き方は、人それぞれだった。長く歩き慣れた者ほど、巻きが美しく、ゆるみがない。布の重なりがそろい、皺ひとつ寄っていない。ひと目で、その人がどれほど歩いてきたかが知れた。脚絆の巻きぐあいは、その者の歩んできた道のりそのものだったのさ。

 武者の脚絆は、革を縫いつけ、矢や刃から脛をかばうように仕立ててあった。歩くたびに革と布がこすれ、きしむような音を立てていた。野良の者の脚絆は、泥にまみれ、幾度も繕った跡があった。色のちがう糸が縦横に走り、その一針一針に、雨の日も田へ出た者の暮らしがにじんでいた。女の旅人は、脛が見えぬよう、裾を深く包むように巻いていた。同じ一筋の布が、巻く者の暮らしに合わせて、その人だけの形になっていく。

 なかでもおれの目をひいたのは、年老いた巡礼の脚絆だった。色も褪せ、布も薄くなり、もう布目すら透けて見えそうだった。それでも、巻きぐあいだけは、あの若い飛脚にも負けぬほど整っていた。聞けば、もう何十年も、国々の社寺をめぐり歩いてきたのだという。脛に幾重も重なった布の皺の一筋一筋に、その人が踏んできた峠や河原や宿場のすべてが、刻まれているように見えた。老人は巻き終えると、脛をそっと撫で、まるで永年連れそうた相棒へ礼を言うように、しばらく掌を当てていた。この脚絆と幾山を越えてきたのか、と問えば、もう数えるのをやめた、とだけ笑った。

 ある日、あの飛脚が、また宿へ立ち寄った。今度は逆の向きに、峠を越えてきたのだという。日に灼けた顔が、前より少しやつれて見えた。おれは、覚えたての手つきで、自分の脚絆を巻いてみせた。男は框に腰かけたまま、ほう、と目をみはった。

 「だいぶ様になってきたな。だが、足首のところが、まだ甘い。そこをひと締めすれば、下りでつまずかぬ」

 そう言って、男はかがみこみ、おれの足首のあたりを、ぐっと巻き直してくれた。節くれだった指が、布の端をたぐり、慣れた手つきで一巻き、きつく締める。掌の温みが、布ごしに脛へじんわりと伝わった。歩く者から歩く者へ、巻き方が、こうして手から手へ渡っていくのだと、おれはそのとき思った。文を運ぶこの男の足を支えてきた一巻きが、いま、おれの脛にも移されたのだ。

◇ ◇ ◇

 脛に巻く一筋の布が、ただの肌守りから「歩く足を支える道具」となり、旅と戦と野良仕事を歩く人々の足を運んでいったのは、人がいよいよ遠くへ歩きはじめた、このころのことだ。ボクは、その移り変わりを、いくつもの街道の土間で見てきた。

 脚絆は、巻く者の手つきひとつで、ただの布にも、翼にもなった。長く歩く者は、その一巻きに己の足をあずけ、だからこそ念をこめて巻いた。脛をいたわり、ふくらはぎを支え、足首を締める。その手つきには、明日もまた歩かねばならぬ者の、静かな覚悟がこもっていた。たかが布一筋が、人を遠くまで運び、知らぬ土地と土地とを、足でつないでいったのさ。

 今では、脛へ布を巻いて歩く者は、もう、そうは見かけない。道はならされ、履物はやわらかくなり、遠い土地へは座ったままで運ばれていく。脛を締める一巻きに、己の足をあずけた者の手つきは、すっかり見えなくなった。

 それでも、とボクは思う。

 どこかの古い道を、自分の足で歩くことがあったら、ほんの少し、己の脛を思ってみてほしい。膝の下から足首まで、布をぐるぐると巻きつけて、峠を越え、川を渡り、知らぬ土地まで歩いていった者たちがいた。その一巻きに念をこめ、足をいたわり、また明日も歩こうとした者たちがいた。

 脚絆は、ただ脛に巻かれた一筋の布だ。歩かなければ、ほどけて、ただの布きれにもどるばかりさ。それでも、その一巻きには、自分の足だけをたよりに遠くまで歩いていった者たちの、長い長い道のりが巻きこまれている。ボクは、そういうものが、好きなんだ。

参考文献・もっと詳しく

脚絆は脛に巻きつけて足をかばい、歩行を助けるための布で、旅・労働・戦のいずれにおいても古くから用いられたとされる。脛へ布を巻く風は早くからあったと伝わり、中世には旅人・飛脚・武士・農民が広く身につけ、近世にかけて筒状に仕立てた脚絆へと整っていったと伝わる。脛を締めることでふくらはぎを支え、疲れをやわらげる効が知られ、長く歩く者ほど巻き方に工夫を凝らしたという。正応三年は一二九〇年(正応は一二八八〜一二九三年)で、元号と西暦の対応は史実に整合する。※本文の人物・会話・情景は創作。

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