第 129 話文化地を掘り水を汲み上げる一つの穴のまわりに、村と町が寄り集まっていった日のこと
〜枯れぬ水を求めて地を掘った者たちは、その穴のまわりに、なぜ家々を寄せていったのか〜
井戸というのは、地を縦に掘りくだって、土の底に眠る水を汲み上げる、ただ一つの穴だ。
もとは、生きるための切ない工夫にすぎなかった。人は水なしには一日も暮らせぬ。けれど川は遠く、雨は気まぐれで、流れのそばは水が出れば真っ先に呑まれる。そこで人は、足もとの地を掘った。掘って掘って、土の底からじわりとにじむ水を見つけ、桶を縄で吊るして汲み上げる。日照りでも涸れず、濁りもせぬ、澄んだ水。それを得るためだけに、人は背を丸めて地の底へ穴を穿ったのだ。
ところがその一つの穴が、いつのころからか、人を寄せはじめる。水は毎日いる。だから人は、その穴の手の届くところに、家を建てる。隣もそうする。その隣もそうする。気づけば、穴のまわりに家々が背を寄せ合い、井戸を真ん中にして、暮らしの輪が結ばれていく。
ボクが見てきたのは、その一つの穴が、ただの水汲み場から「人の集まる真ん中」へと育っていく、その移り変わりだ。村が、町が、一つの井戸を芯にして寄り集まっていった、そのあたりのことさ。
◇ ◇ ◇
貞応二年(一二二三年)の春のことだ。おれは相模の在所で、井戸を掘る人足にまじって働いていた。
その在所は、もともと水に難儀する土地だった。近くを流れる川は、雨が降れば荒れて田を呑み、日が照ればたちまち細る。人々は遠い谷の清水まで、毎朝、桶を担いで汲みにいっていた。坂を下り、また登る。肩に食い込む天秤棒の跡が、村の年寄りの背には消えずに残っていた。足を滑らせて谷へ落ち、それきり戻らなかった者もあったと聞いた。水を得るというのは、それだけで、命を削る難儀だったのだ。
その年、在所の肝煎りが、井戸を掘ろうと言い出した。村の真ん中の、すこし小高い乾いた地面を選んで、そこを縦に掘りくだる。土地の古老が、若いころに井戸掘りを見たことがあるというので、その差配で、おれたち若い者が穴を掘ることになった。
古老は、まず地面に手のひらを当て、目をつむって、しばらく動かなかった。それから杖の先で、ここだ、と土に丸を描いた。
「水の通る筋というものがあってな。地の上からは見えぬが、草の色と、朝の露の置きようで、おおよそは知れる」
その丸の内を、おれたちは鍬で打ち割った。掘ってみて、おれは水というものの遠さを思い知った。掘っても掘っても、出てくるのは乾いた土ばかりだ。背丈の倍も掘ると、もう日の光は底まで届かず、足もとは薄暗く、土の壁はひやりと冷えて、湿った土と石の匂いがこもった。掘った土はもっこに積み、縄で上へ吊り上げる。上の者が縄をたぐり、下の者が次を詰める。その繰り返しだ。縄の軋む音と、土の落ちる音ばかりが、穴の底にこだました。汗が土に染みて、おれの背は泥でまだらになり、爪のあいだには、いつまでも黒い土が残った。
「もう、よさぬか。水など、この地には出ぬのだ」
音を上げかけたおれに、底で泥にまみれていた古老が、首を振った。その手のひらは、長年の鍬だこで、木の皮のように固くひび割れていた。
「あわてるな。水はな、地の底でじっと待っておる。掘る者の根が尽きれば、出ぬ。尽きねば、かならず出る」
古老は、掘った土をひとつかみ取って、鼻先へ寄せ、においを嗅いだ。それから指でほぐして湿り気を確かめる。その所作を、日に幾度もくり返した。土がまだ乾いていれば、黙って首を横に振る。それが、おれたちには合図だった。
その言葉どおりだった。掘りはじめて幾日めか、底の土が、ふいに色を変えた。乾いた茶から、湿った黒へ。鍬の先が、ぬかるみに食い込む手ごたえに変わる。やがて土のあいだから、じわり、じわりと、水がにじみ出してきたのだ。
「出たぞ」
底で古老が、しわがれた声をあげた。その水は、はじめは泥に濁って、足もとに溜まっていった。けれど石を組んで壁を固め、一晩おくと、上澄みが嘘のように澄んで、底の小石まで透けて見えた。手ですくって舐めると、谷の清水よりも、かえって甘く、冷たかった。おれは、なぜだか胸の奥が熱くなって、掌の水を、いつまでも見つめていた。底から見上げると、丸く切り取られた春の空が、ずいぶん遠くにあった。その遠さのぶんだけ、おれたちは地を掘ったのだ。古老は、ぬれた手のひらを己の頬に当て、その冷たさを確かめるように、しばらく目をつむっていた。
◇ ◇ ◇
水が出てから、在所の様子が、すこしずつ変わっていった。
はじめは、ただ近くの家の者が桶を提げて汲みにきた。それが、遠くの家の者まで、谷へ通うのをやめて、この井戸へ来るようになった。朝な夕な、井戸端には人が集まる。木の滑車が、きいと鳴る。桶を吊るし、縄をたぐり、汲み上げた水をこぼさぬように桶へ移す。順を待つあいだに、誰彼となく言葉を交わす。手の甲で額の汗をぬぐいながら、女たちは声をひそめて笑い合った。
「今年の苗は、どうだね」 「あの家の婆さまが、ようやく床上げなさったと」 「それはよかった。あたたかい水を飲ませてやりなされ」
水を汲むだけのはずが、いつのまにか、在所じゅうの話が、この一つの穴のまわりに集まってくる。誰の田に水がいる、どこの家に子が生まれた、隣村の市はいつ立つ——暮らしのあれこれが、井戸端で行き交うのだ。子どもらは汲み上げたばかりの桶のふちに口をつけて水を飲み、濡れた顔のまま走っていく。
おれは、それを見ていて、おかしなものだと思った。ただ水を汲むだけの場所に、人が、こんなにも寄ってくる。谷へ通っていたころは、めいめいが己の道を、ひとりで黙って下り、ひとりで黙って登っていた。それが、この一つの穴のまわりでは、顔を合わせ、声を交わし、笑っている。
やがて、井戸のいちばん近くに住んでいた女が、井戸端を毎朝きれいに掃くようになった。落ち葉をはらい、こぼれた水を流し、汲むときに使う桶のへりを布で拭く。誰に頼まれたわけでもないのに、そうした。
「この井戸はな、村みんなのものだ。みんなで使う水場が汚れていては、村が汚れたようで、いやだもの」
女はそう言って、前掛けで手を拭きながら笑った。井戸は、もう、誰か一人のものではなかった。掘ったのは在所みなで、使うのも在所みな。だから、守るのも在所みな。一つの穴が、ばらばらに暮らしていた家々を、目に見えぬ縄で、ゆるく束ねはじめていたのだ。
◇ ◇ ◇
それから幾年か、おれはその在所にとどまって、田を打った。
井戸のまわりには、いつのまにか新しい家が二軒、三軒と建った。遠い谷のそばを離れて、水場の近くへ移り住む者が出てきたのだ。井戸を真ん中にして、家々が背を寄せ合い、あいだに細い道が通り、その道の角で、いつしか小さな市が立つようになった。布を商う者、塩を担いできた者、椀や桶を並べる者——みな、水のあるところには人が集まると知っていて、その人を当てに、品を並べにきた。
おれは、ようやく腑に落ちた。
町や村というものは、はじめからそこにあったのではない。水の出る一つの穴があり、その穴のまわりに人が寄り、家が建ち、道が通り、市が立つ。井戸が、人を呼び、人が、町を結ぶ。あの春、おれが泥にまみれて掘った一つの穴は、ただ水を得るための穴ではなかった。在所そのものの、芯を据える穴だったのだ。
ある年の暮れ、あの古老が床に就いた。雪のちらつく晩で、井戸端の水も、薄く氷を張っていた。死ぬまぎわに、古老はおれを枕もとへ呼んで、固くひび割れた手で、おれの手首を握り、しわがれた声で言った。
「井戸はな、掘るより、守るほうが、ずっと難しい。涸らすな。汚すな。さらえるのを、怠るな。あれは、おれたちの命の真ん中だ」
おれは、うなずくしかなかった。あの春、底で水を掘り当てた古老の、泥にまみれた背中が、まぶたの裏によみがえった。土のにおいを嗅ぎ、湿り気を指で確かめ、決して焦らなかった、あの背中が。あれは、ただ水を掘り当てたのではない。この在所の、人の集まる真ん中を、手ずから掘り当てていたのだと、いまになって思い知った。
◇ ◇ ◇
地を掘って水を汲み上げる井戸が、ただの水場から「人の集まる真ん中」となり、村と町の芯を据えるようになったのは、世がいくさと飢えをくりかえした、このころのことだ。ボクは、その移り変わりを、いくつもの在所で見てきた。
いちど井戸を真ん中に据えた村は、もう、ばらばらの家の寄せ集めではなくなった。水を分け合い、井戸端で言葉を交わし、掃き清め、涸らすまいと汲み方まで気づかう。一つの穴が、人を結び、暮らしの輪をつくった。水を分かつということが、そのまま、暮らしを分かち合うということになっていったのさ。
今では、地を掘らずとも、ひねれば水の出る世になった。井戸端に人の集まることも、もう、そうは多くない。水は、誰かと分け合うものではなく、めいめいの家の内で、ひとりで使うものになった。
それでも、とボクは思う。
どこかの古い町を歩いて、家々のあいだに、ぽつんと残った古い井戸を見つけたら、その穴を、ただの涸れた水場と思わずにいてほしい。あの春、泥にまみれて地を掘った者たちがいた。出てきた水を分け合い、その水場を真ん中にして、寄り集まって暮らした者たちがいた。一つの穴のまわりに、村が結ばれ、町が育っていった。
井戸は、ただ地に穿たれた、一つの穴だ。底に、わずかな水を湛えているばかりさ。それでも、その一つの穴のまわりには、水を分け合い、暮らしを寄せ合って生きた者たちの、寄り添う背中が、いくつも映っている。ボクは、そういうものが、好きなんだ。
参考文献・もっと詳しく
※ 地を掘って地下の水を汲み上げる掘り井戸は、各地の集落で暮らしの水を支え、人々が水場のまわりに住まいを寄せて村や町を形づくる芯になっていったとされる。井戸を共同で掘り、共同で守る「結(ゆい)」のような相互のつながりや、井戸端での寄り合い・交流が村の暮らしを結んでいったと伝わり、こうした共同の水利は中世の村落が育つなかで根づいていったと伝わる。貞応二年は一二二三年(貞応は一二二二〜一二二四年)で、元号と西暦の対応は史実に整合する。※本文の人物・会話・情景は創作。
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