一軒の屋根を葺くために村じゅうが寄り合った、あの草の重なりのこと第 130 話文化
文化室町のころ・北の山あいの村読了 約6分

一軒の屋根を葺くために村じゅうが寄り合った、あの草の重なりのこと

〜一軒では決して葺けぬ屋根を、なぜ村は一日で葺き上げてしまえたのか〜

はじめて読む方へ——語り部「ボク」がなぜ千年を渡り歩いているのかは、プロローグにあります。

 山あいで行き当たる、あの厚い金色の屋根は、誰が葺いたのだろう。  屋根屋か。家の主か。それにしては厚すぎる。軒に腕を差し入れても、肘まで入ってまだ底に届かぬ。あの一枚を、いつ、何人の手で葺いたのか。

 ある秋、北の山あいの村で、ボクは草の束を結わえながら、その屋根が上がっていくのを一日かけて見ていた。

◇ ◇ ◇

 文亀ぶんき二年(一五〇二年)の秋、北の山あいの村は、刈り入れのすんだ田に朝ごとの霜をおいていた。おれは刈った稲を庭に広げ、朝に一度、夕にもう一度返した。指の先が痛む冷えで、冬の近さが知れた。

 隣の久松どのの屋根は、その年、棟のあたりがへこんでいた。北の軒は黒ずみ、指で押すとずぶりと沈む。雨の夜は土間に椀を並べて水を受けるのだと、本人が笑って言っていた。子は山ひとつ向こうへ婿に出て、年寄りの独り住まいだ。

 刈り入れがすんだ朝、村の乙名おとなが家々を一軒ずつ回り、戸口から声をかけた。

 「あすは久松の屋根じゃ。手間替えぞ、みな出よ。雪の前に、あと二軒は葺く」

 結ゆい、とおれは口の中で言いかけて、一拍おいて、乙名の言い方で言い直した。手間替え、だ。

 「おぬしは杉婆の手もとじゃ。束を結え」

 村でいちばんの年寄り、みなが杉婆と呼ぶ白髪の老婆の脇に、おれの持ち場は決まった。

 翌朝、霧の晴れぬうちから、久松どのの家の前に人が集まった。肩に梯子はしごを担いだ者、鎌と縄を腰に下げた者、背に萱かやの束を負うた者。数えると四十と二人いた。ひと声でこの数が戸口から出てくる村を、おれはまだ半年しか知らなかった。

 杉婆は日の当たる軒下に筵むしろを敷いて座り、運ばれてくる萱を膝の前で選り分けていた。長いのを右へ、短いのを左へ、折れたのは後ろへ。おれはその右の山から一抱えを取り、根もとをそろえて藁縄で二か所結わえる。結わえた束を婆の後ろへ積むと、婆は手も止めずに、その束を足で北と南へ蹴り分けた。北の山ばかりが高くなる。

 軒の反対側では、女たちが藁を打って縄をなっていた。打たれた藁が、ぱしんぱしんと小気味よく鳴る。おれの手もとの縄は、その端から回ってきた。二か所結わえて一束。握りしめるたび、茎の筋が手のひらの皮にうっすらと残った。久松どのは、梯子の根もとを押さえる役に回されていた。腰の曲がった年寄りに、それより上の仕事はない。押さえながら上を見上げては、古草の落ちるたびに首をすくめていた。

挿絵:軒の反対側では、女たちが藁を打って縄をなっていた

 「この家は北から腐る。前もそうじゃった。沢の風が北の軒を舐めて上がる」

 誰に言うでもなく、婆は萱を選りながら言った。

 「萱は霜が二度おりてから刈る。青いうちに刈ると、屋根の上で縮む。ことしのは、二度目の霜の翌る日に刈った。沢向こうの萱場は、わしが嫁に来た年に焼いて開いた。あそこのは硬い。硬いのは北じゃ」

 おれは右の山から、いちばん長いのを選って結わえ、北へ積んだ。

 屋根の上では、男たちが古い草を剥がしにかかっていた。剥ぐたびに長年の煤すすが舞う。炉の煙を吸いつづけた草は、手のひらが真っ黒になるくらい煤け、饐すえた匂いがした。北の軒からは、鼠の巣の跡と、干からびた虫の殻が落ちてきた。婆の言ったとおり、北の草は南の倍も黒かった。剥がれた古草は束のまま軒を滑り落ちて、梯子の根もとの久松どのの足もとに、黒い山を作っていった。

 剥いだそばから、新しい束が上がる。下の者が「ほいよ」と投げ上げ、上の者が腕をのばして受け、軒から棟むねへ、段ごとに根もとを押さえて重ねていく。上の段が、下の段の結び目を隠す。村でいちばん屋根に長けた勘八どのが棟に馬乗りになって、葺いたばかりの段の小口を木槌でとんとんと叩いてそろえていた。叩かれた草は、ばらばらに逆立っていたのが一方へ寝て、雨の流れる筋になる。

 昼前に、杉婆がおれの脛すねを叩いた。

 「北の山を上げよ。おぬしが結うたのじゃ、おぬしが上げい」

 束を三つ、左の肩に担いで梯子をのぼった。萱は思うより硬く、茎の角が肩の骨に食いこむ。露の名残がひやりと首筋に落ちた。北の軒に着くと、隣の若い衆が黙って手を出したので一束を渡し、残りの二束はおれが並べて縄を回した。北の軒からは、刈り田の黄金と、色づきはじめた山の端がぐるりと見えた。屋根の上は風が通って、額の汗をすっと冷ましていく。勘八どのの木槌が、おれの並べた段までおりてきて、とんとん、と二つ叩いて通り過ぎた。直されはしなかった。それだけを確かめて、おれは梯子をおりた。

挿絵:束を三つ、左の肩に担いで梯子をのぼった

 昼までに結わえた束は、百と十二。そのうち北へ蹴られたのが七十あまり。

 昼になると、女たちが握り飯と汁を運んできた。屋根の下に筵を延べて、みなが並んで食う。汗をかいた体に、味噌汁の湯気がありがたい。塩のきいた握り飯が、ことのほかうまかった。久松どのは椀を両手で押しいただくようにして、何度も、すまぬのう、と頭を下げた。誰かが水くさいと笑って、年寄りの背を平手で叩いた。

 杉婆は汁をすすりながら、葺きかけの屋根を見上げて、数えるように言った。

 「久松の屋根は二十三年ぶりじゃ。おぬしの前にあの家に住んどった爺が、まだ腰の伸びとったころに葺いた。あの年は宮の脇と二軒葺いて、あくる年が沢下。次は沢下の伊八が先じゃ。その次が宮の脇。おぬしの屋根は、わしの死んだ後じゃな」

 婆は指を折って順を言い、折った指のまま汁を飲んだ。村じゅうの屋根の順番が、その指の中に入っていた。

 「伊八のは北を厚うせよ。あれも沢の風じゃ」

 おれは、二十三年、と口の中で言った。四十二人と、半日。

 午後、屋根はみるみる上がった。束は昼からも上がりつづけ、投げ上げる下の者が二度替わった。乙名が下から、南はもうよい、北へ回れ、と声を張った。日が傾くにつれ、新しい萱が金色に光る厚い面になって、久松どのの家を覆っていく。棟に最後の草が伏せられ、押さえの竹が渡されると、あちこちから「おう」と声があがった。地面には古草の黒い山が三つ積まれ、北の軒の下のがいちばん大きかった。葺き上がった北の軒は南より一段厚く、婆の蹴り分けた山は、ちょうどそこで尽きた。

 久松どのは葺き上がった屋根を見上げて、しわだらけの目からぽろぽろと涙をこぼした。新しい萱の匂いが、夕の風に乗って青くただよう。

 「これで、この冬も越せる。みなのおかげじゃ」

 誰も大したことをした顔をしていなかった。めいめい己の梯子や鎌を担いで、夕闇のなかへ散っていく。杉婆は筵を巻いて小脇に抱え、折れた萱の山を指して、これは焚きつけじゃ、と久松どのに言い置いて帰った。おれもその列にまじって、刈り田のにおいのする畦道を帰った。束を担いだ左の肩が、夜まで下がったままだった。背中では、葺きたての屋根が、まだ夕日を照り返していた。

 その晩、雨が来た。おれは戸口に立って、隣の屋根の音を聞いた。草の筋を伝って軒から落ちる水の音がして、土間で椀の鳴る音は、なかった。

◇ ◇ ◇

 いまも、山あいの集落を歩くと、金色の屋根に行き当たる。軒先に、次の葺き替えを受け持つ組の名を書いた木札が下がっている家があった。

 その日はちょうど葺き替えの最中で、道に萱の束が積まれ、屋根の上に三人、下に七人。下の若い人が束を投げ上げ、上が身を乗り出して受ける。ボクは道の端に寄って、しばらく見ていた。

 足もとの束をひとつ渡してくれ、と屋根の上から声がかかった。抱え上げると、左の肩が、勝手に一段さがった。

参考文献・もっと詳しく

※ 草を厚く葺き重ねた茅葺きの屋根は、薄・萱・葦などの身近な草を用いた住まいの覆いであり、雨や雪、暑さ寒さをふせぐものであったとされる。その葺き替えには多くの人手を要したため、村人が互いの労力を貸し借りして助け合う「結(ゆい)」と呼ばれる共同の慣行が各地に育ったと伝わり、屋根葺きはその代表的な場であったという。地方によっては手間替えなど別の名でも呼ばれたとされる。文亀二年は一五〇二年(文亀は一五〇一〜一五〇四年)。※本文の人物・会話・情景は創作。

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