遅い足で板を渡った男と、春の社頭に集まった人垣第 135 話文化
文化室町のころ・大和の社頭読了 約6分

遅い足で板を渡った男と、春の社頭に集まった人垣

〜笑いに沸いていた人垣は、軽い面ひとつの前で、なぜ黙ったのか〜

はじめて読む方へ——語り部「ボク」がなぜ千年を渡り歩いているのかは、プロローグにあります。

 白い面を、両手で顔へ当てる。

 紐を後ろで結ぶあいだ、桟敷さじきの向こうでは、まだ笑い声が転がっていた。酔いどれの物真似に銭が飛び、投げたほうも受けたほうも腹を抱えている。痩せた男は、その笑いが引くのを待つように、面のふちで喉を一度だけ動かした。

◇ ◇ ◇

 「利助、水だ。大夫たゆうのぶんを先に持っていけ」

 座頭に呼ばれて、おれは桶を提げて板の裏へまわった。享徳きょうとく二年(一四五三年)の春、大和やまとの、とある社の祭りである。社の祭りには決まって猿楽さるがくの座がやってきて、仮の板を組み、その端から社の杜のほうへ細い板を斜めに渡し、見物のための筵むしろを敷き、面箱めんばこを担いだ役者たちが土ぼこりを立てて入ってくる。荷車の輪が乾いた地面を軋ませ、面箱の蓋がかたかたと鳴る。おれはその荷を運び、井戸の水を汲み、桟敷の隅で見物の人垣をさばく。春の社頭は、踏み固められた土の匂いと、焼き餅の焦げる匂いと、人いきれとが入りまじって、朝から妙にあたたかかった。境内の桜はもう散りぎわで、白い花びらが筵の上にちらほらと落ち、人の草鞋に踏まれては土に紛れていく。鳥居のあたりでは物売りの声が飛び交い、子らが裸足で駆けまわって、犬まで浮かれて吠えておった。

 その年の座に、ひとり、妙な役者がいた。年のころは四十がらみ、痩せて、目だけがやけに鎮もっている。座の若い者らが、酔いどれの物真似や、欲深い坊主の口まねで人を沸かせているあいだ、その男はじっと面箱の脇に座って、出を待っていた。膝の上に手を置いたまま、身じろぎひとつしない。若い者の笑い声が高くなるほど、その静けさが妙に際立って見えた。おれが水を運んでいくと、男は会釈ひとつして、また目を伏せた。

 日が傾き、西陽が板の脇の柱を赤く染め、人垣がいちばん厚くなったころ、その男が、ひとり静かに板の上へ出た。

 笑いを取る気配がまるでない。男は白い面をつけ、ゆるりと、ほとんど止まっているかと見えるほどの遅さで、足を運びはじめた。足の裏が板を擦る、さらり、という乾いた音だけが伝わってくる。笛が細く鳴り、鼓つづみが、間をたっぷりと取って、ぽん、と打たれる。打ったあとの、音のない長い間が、かえって耳に残った。

挿絵:笑いを取る気配がまるでない

 人垣が、しんと静まった。

 さっきまで腹を抱えて笑っていた者らが、口を閉じ、身じろぎもせず、その遅い足はこびに見入っている。子の手を引いていた女も、銭を握ったままの男も、みな動かない。おれの隣で人垣をさばいていた座の若い者が、なんだあれは、と小声で言ったきり、口を開けたまま閉じ忘れていた。面をつけて遅く舞う芸のあることは、おれも知っている。だが、笑いに沸いていた人垣が、目の前でひと息に静まるのを見たのは、初めてだった。日が落ちきって、面の白さだけが薄闇に浮いていた。

◇ ◇ ◇

 その晩、おれは荷をかたづけながら、思いきって男に尋ねた。篝火かがりびの灰がぱちりと爆ぜ、火の粉がひとつ、夜気へ昇って消えた。

 「お前さま、なぜ皆のように、人を笑わせなさらぬ。あの静かな舞では、銭の投げようも、客は戸惑うておりましたぞ」

 男は面を布でぬぐう手を止め、答える代わりに、その面をおれのほうへ差し出した。

 「持ってみよ」

 両手で受けた。軽い。桶の水一杯より、よほど軽い。掌に載る白い顔だ。火を映して、生きた肌のように仄かに照った。

 「軽かろう。それをつけて板を渡りきるのに、わしが幾つ息を継ぐと思う」

 おれは答えられなかった。男は指を三本立て、それから黙って面を取り返し、布にくるんで、両手で持ちあげて面箱の底へ仕舞った。赤子を寝かせるような、ていねいな手つきだった。

 男が面を仕舞った箱の脇には、いつも同じ老人が座っていた。座でいちばんの年寄りで、腰は前へ折れ、箱守りと呼ばれている。老人は何も言わず、おれが片づけを終えるのを見ていた。

◇ ◇ ◇

 飯と寝る場所のかわりに、おれはそれから何年も、その座の出入りを手伝った。祭りが終わるたび、座は荷車を連ねて次の社へ移り、おれもその後ろについて歩いた。

 面箱を担ぐ役は、箱守りの老人がおれに回した。担ぎ棒を渡すとき、老人は蓋をあけず、縁を親指でなぞって、おれの手をそこへ導いた。蓋の縁は手の脂で黒く艶が出て、掌のかたちにくぼんだ跡が五か所ならんでいる。老人は指を五本、順に折ってみせ、そのとなりの、まだ木肌のままの一か所を、とんと叩いた。中の面は軽いのに、箱ごと担ぐと、布と蓋の重さが肩に食いこんだ。

 この社へ来ると、老人は決まって板を組みなおさせた。杜の松の根のほうへ、三尺。その三尺の理由を、老人は言わなかった。ただ、ずらした日の笛は、遠くの鳥居まで抜けた。

挿絵:この社へ来ると、老人は決まって板を組みなおさせた

 声を長く引いた謡の尾が、夕闇へ溶けていく。雨の日には板の湿りで足音がこもり、よく晴れた日には、面の白がいっそう冴えて見えた。座の若い者らは、はじめのうち大夫の出番になると板の裏で欠伸をしていたが、三年もたつと、誰に言われずとも笛の音で口を閉じるようになった。五年目には、その若い者のひとりが、面をつけて板に出た。

 稽古のときは、年かさの者が若い者の肩や腰に手を当て、ほんの指一本ぶんだけ足の向きを直してやる。ある雨の日、荷を運び終えて板の隅に立っていたおれに、年かさの者が、やってみよ、と顎をしゃくった。おれは水桶を置き、見よう見まねで、一歩を出した。腰に手が当てられ、指一本ぶん、右へ押される。それだけで、自分の重みがどこに載っているのかが分からなくなり、二歩目が出なかった。若い者らが笑い、おれは桶を提げなおして裏へ戻った。桶の水の重さのほうが、よほど分かりやすかった。

 何年目の春か、と指を折りかけて、おれは手を握りこんだ。

 ある年の秋、社頭でまたあの面の舞があった。木々が色づき、落ち葉が見物の筵の隅に吹きだまっていた。おれがこの座について歩いて、幾度目かの秋だった。見物のなかに、いくさで子を亡くしたという老婆がいた。腰を曲げ、数珠じゅずを握りしめて、舞をじっと見上げていた。数珠の玉の鳴るのが、笛のやんだ静けさのなかで、ひとつ、ふたつ、聞こえた。舞が、板の奥の杜のほうへ静かに消えていったとき、その老婆が、声を立てずに、ただはらはらと泣いていた。皺の寄った頬を、涙がひとすじ伝って、襟へ落ちた。

 老婆は、舞が消えたあとも、しばらく板の奥を見ていた。人垣が崩れ、物売りの声が戻ってきても、まだ見ていた。おれは桶を提げたまま、その背中の後ろで、それまでに見た面の舞を数えた。十五。人垣のなかで泣く者を見たのは、その十五のうちで、これが初めてだった。

 その晩も、大夫は面を布にくるみ、両手で持ちあげて、面箱の底へ仕舞った。はじめて見たころより、その手つきが、ひと呼吸ぶんゆっくりになっていた。蓋の縁の五つの跡のとなりの木肌は、おれの掌の脂で、うっすらと色が変わりはじめていた。

◇ ◇ ◇

 今でも、舞台の上では、面をつけた者が、ゆるりと足を運んでいる。打たれぬ鼓の沈黙が、客席を静めている。

 ただ、いまの舞台に立てばかならず背にある、あの描かれた松が、このころの板には無かった。背は社の杜そのもので、松は描くまでもなく、そこに生えていた。描き松の元は大和の社の松だという話も聞くが、ボクが見た板では、本物の松の幹が、舞う男の影を受けとめていた。

 稽古場では、いまも年かさの者が若い者の腰に手を当て、足の向きを指一本ぶんだけ直している。

 面は、いまも掌に載せれば驚くほど軽い。蓋の縁には、掌の跡が六つならんでいた。箱は、肩に重い。

参考文献・もっと詳しく

※ 能は、もとは寺社の祭礼などで演じられた猿楽(申楽)と呼ばれる物真似や滑稽を主とする芸能から発展したものとされる。南北朝から室町期にかけ、観阿弥・世阿弥らが、面・謡・囃子・緩やかな所作を磨きあげ、亡き者の霊などを主人公とする幽玄の舞台芸術へと高めたと伝わり、足利将軍家の庇護を受け、のちの江戸期には幕府の式楽として重んじられるようになったと伝わる。享徳二年は一四五三年(享徳は一四五二〜一四五五年)。※本文の人物・会話・情景は創作。

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