第 145 話文化女房の人形の裾に縫い込まれた鉛と、鶴松が握り続けた半拍
〜足のない木偶が、なぜ裾だけで客の息を止めたのか〜
はじめて読む方へ——語り部「ボク」がなぜ千年を渡り歩いているのかは、プロローグにあります。
桐の首は、掌に載せると拍子抜けするほど軽い。胡粉は耳のうしろで剥げて、下の木目が薄く透けている。首の底へ通した胴串は、親指の腹の当たる所だけ、黒く磨れて光っていた。
ボクがそれを初めて掌に載せたのは、道頓堀の楽屋の隅だった。
◇ ◇ ◇
享保十九年(一七三四年)の秋、衣装の包みを抱えたわては、大坂の道頓堀の芝居小屋の裏口から、楽屋へ上がった。川沿いには櫓が並び、朝から木戸の前に人が群れる。蒸した飯の匂いと川の生ぐささが、鬢付けの油の匂いに混じって、楽屋まで上がってくる。
その楽屋の棚には、首が十ほど、白い顔を並べておった。若い小僧どもは夜中にその前を通るのを嫌がったが、首の手入れをして回る年寄りの六助は、手ぬぐいで首の埃を払いながら、毎朝一つずつ話しかけておった。
「川の湿りは、胡粉の大敵や。秋口に一度は塗り直さんと、顔が浮いて、泣き顔が笑い顔に見えてくる」
六助の爪の先には、胡粉の白がしみておった。棚の端の首には、額に古い傷が三本ある。一本は、酒に酔うた客が投げた徳利の跡で、あとの二本は、先代の座で落とされた跡だという。傷の由来を、六助は首ごとにそらんじていた。胡粉を重ねて消しもせず、傷のまま残して、塗りを重ねるのだと言う。
この秋、小屋では新しい遣いかたが試されることになっておった。人形は一人で遣うものと決まっておったのを、主遣いが首と右手、左遣いが左手、足遣いが足と、三人で一体を受け持つのだという。ああ、あの三人遣いは、ここが初めだったのか。わてはそう思うて、稽古場の戸口に立った。
稽古場では、鶴松という若い足遣いが、男の人形の足を握っておった。木の足首は、人の脂を吸うて飴色に光っておる。男が板を踏む場面では、踵が板を打って、こつ、こつ、と乾いた音を立てた。足遣いの手は、その音の長さまで預かっておるのだ。
ところが鶴松は、女房の人形の前へ回ると、急に手を持て余した。主遣いの肩が動いても、裾はあとから不揃いにずり落ちる。何度やっても、足のない木偶は、ただ布を引きずっておるようにしか見えなんだ。左遣いが笑い、主遣いが舌打ちをし、鶴松は唇を噛んで、黒い頭巾の中で顔を赤うしておった。

「足がないんや。女形には」
いつのまにか後ろに六助が立っておった。そう言うて、女房の人形を膝へ載せ、着物の裾をめくってみせた。なるほど、腰に輪が一つあるきりで、その下は空っぽだ。
六助は、それ以上は何も言わなんだ。着物の中へ片手を入れ、裾の縁を二本の指でつまんで、鶴松の方へ差し出した。鶴松が受け取ると、わての手に針と鉛の粒を握らせた。
「裾の縁に縫い込んどくれ。軽いと、遣いの手に負けて裾が浮いてしまう」
わては鉛を五つ、縁に縫い付けて渡した。六助は裾を持ち上げて、そのまま板の間に落とした。かたり、と片側だけが先に着いた。わての縫いかたが偏っておったのだ。六助は黙って、寄ってしまった二つの糸だけを解き、間を揃えて縫い直した。わての針目は、三つ残った。もう一度落とすと、裾は、すうと、一枚の布になって板に沈んだ。
それから三日、鶴松は稽古場で、女房の裾を引きずり、止め、また引きずった。主遣いが首をうつむかせる呼吸に、裾の半拍を合わせようとするのだが、早すぎれば足が逃げ、遅すぎれば女房が棒立ちになる。夜、鶴松が裾の縁を握った右手を、左の手で揉みほぐしているのを、わては何度も見た。わては湯を運びながら、壺を一つ脇に置き、鶴松が一度やり終えるたび、橋の袂で拾うてきた小石を一つ入れた。壺は六助の首の棚の下に置いた。小石が底へ落ちるたび、かさ、と乾いた音がして、数が殖えるにつれて、その音は浅く、詰まっていった。数えるのが、下働きのわてにできる、たったひとつの手伝いだったからだ。鶴松は手を休めなんだ。三日目の夕、壺の中の小石は二百十四あった。
ある晩、わては楽屋で、六助の首の手入れを手伝わされた。膝の上に首を載せ、筆で胡粉を薄く伸ばす。息がかかるだけで粉が舞うので、わては口を結んで、鼻でそっと呼吸した。
「一人で遣うてた頃はな、この女形の裾も、遣い手が手首でちょいと押さえて済ませとった。それで客は喜んどった。けどな、この首を、わては何十ぺんも塗り直してきたが、あの頃の裾は、いつも同じ所で擦り切れとった」

六助は、棚の奥から古い着物を一枚引き出した。裾の右の角だけが、白く毛羽立って薄くなっている。そこに、一人の手首が何千ぺんも当たった跡だった。
「今度は、三人目がその役を受け持つ。擦り切れる所も、変わるやろな」
それだけ言うと、六助は筆を置いて、わての手から首を受け取った。その指先は、首の顎の線を、そっと一度だけなぞった。
◇ ◇ ◇
初日の日暮れ、最後の幕は、別れの場だった。
追いつめられた女房が、眠る子を残して、去らねばならぬ。床では太夫が顎から汗を落としながら声を絞り、三味線の撥が、小屋の板壁をびりびり震わせる。幕の内は、人いきれで暑かった。客席の枡は隙間もなく埋まり、後ろの桟敷では、弁当の包みを開く音も止んでおる。わては舞台の袖に立って、六助の隣で息を詰めておった。六助は、胸の前で、首の手入れに使う筆を握りしめておった。
女房が、一歩、戸口の方へ出ようとした。
そのとき、裾が止まった。
首も手も、ぴくりとも動かしておらぬ。ただ、着物の裾だけが、ほんの半拍、板の上に残った。すっ、と乾いた音を立てて、引きずられるように、遅れて付いてきた。足のないはずの木偶が、子の眠る方へ、足を取られたように見えたのだ。
高窓から差す日暮れの光が、斜めに舞台の板へ落ちて、女房の首の影が、足もとへ長く伸びた。人形の右の袖が、わずかに口元へ寄る。太夫の声が、そこでふっと細くなり、撥が糸の上で止まった。小屋が、しんとした。咳も、煙管を叩く音も、しなくなった。やがてあちこちから、すすり泣きが漏れた。
幕が引けてから、鶴松は黒い頭巾を取らぬまま、しばらく板に座り込んでおった。六助は人形の裾を直しに行き、鉛の粒を指で一つずつ確かめ、残してあった三つのところで、指を止めた。わての方は見もせずに言うた。
「ええ縫いやった」
それだけだった。縫うたのはほんの五つの鉛で、うち三つがわての針目だ。わては、握った針の跡の残る指先を、袖の中でまた開いたり閉じたりした。
わては鶴松の肩に手ぬぐいを掛けてやった。黒い頭巾の縁は、汗で湿って重かった。
六助は首を一つ抱え、楽屋へ戻っていく。背が、また一回り小さく見えた。棚の首たちは、日の落ちた暗がりで、しらじらと白い顔を並べておった。
◇ ◇ ◇
いまの舞台は天井の電灯が真上から照らして、首の影はあまり動かない。女形に足がないのも、足遣いが裾を遣うのも、あの秋と同じだ。違うのは、光の落ちてくる向きだ。高窓から斜めに差した日暮れの光が、女房の影を板の上へ長く引き伸ばした、あの光を、ボクはその後、見ておらぬ。
壺の小石は、公演が果てたあと、橋の袂へ返した。三日で二百十四あった。棚の首は十、額の傷は三本。女房の裾が板を擦るかすかな音を聞くたび、ボクの耳の奥では、あの小石の触れ合う乾いた音が、今も、一つ、二つと数え始める。
参考文献・もっと詳しく
※ 人形浄瑠璃は語り(太夫)・三味線・人形遣いが一体となって演じる芸能で、一体の人形を三人で操る三人遣いは享保十九年(一七三四年)の竹本座で始まったと伝わり、人形の所作を格段に豊かにした。竹本義太夫や近松門左衛門らの活躍を経て大坂の道頓堀が一大中心地となり、のちに文楽と呼ばれるようになったと伝わる。享保十九年は一七三四年(享保は一七一六〜一七三六年)。※本文の人物・会話・情景は創作。
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