第 47 話宗教暮れの橋のたもとで売られていた、七人乗りの宝船
〜この七人のうち、この国の生まれは、いったい誰なのか〜
はじめて読む方へ——語り部「ボク」がなぜ千年を渡り歩いているのかは、プロローグにあります。
机の端に、手のひらに乗る木の船がある。底は平たくて、指ではじくと、カタ、と軽い音がする。帆の根もとに、ほこりが細くたまっている。七体の底には小さな釘の跡があり、爪をかけると船が傾いて、七体がいっせいにカタと鳴る。塗りは安っぽいのに、鯛の赤だけが、やけに鮮やかだ。
初詣の帰りに、土産物屋の棚から取ったものだ。鼻に寄せると、白木の匂いがした。
その船に、七体の小さな神さまが、肩を寄せて乗り込んでいる。大きな袋をかついで腹を出したのが一体。頭がやたらと長いのが一体。琵琶を抱えたのが一体。鎧すがたでにらみをきかせたのが一体。釣り竿と鯛を脇にはさんだのが一体。みな、ぎゅうぎゅうに詰められて、おなじ向きを見ている。指でいちばん先につまみたくなるのは、鯛を抱えた一体だ。
正月が近づくと、こういう船は、店先にも、社寺の授与所にも、刷り物の絵にも並ぶ。七福神の宝船だ。背丈も、なりも、男か女かも、まるでそろっていない。ボクはこの船を前にすると、決まって、江戸の暮れの橋のたもとを思い出す。
◇ ◇ ◇
文政五年(一八二二年)の暮れ、江戸でのことだ。
橋の上は、暮れの人出で、荷を背負った者も、子を連れた者も、肩をぶつけあって渡っていた。松を束ねてかついだ男が、荷車をよけて小走りに渡っていく。誰もが、片手に何か正月のものを提げていた。
その年のあっしは、江戸に腰を据えず、橋のこちらと向こうの普請場を、日雇いで渡り歩いていた。その日も帰りがけに、橋のたもとで足がとまった。「お宝、お宝」と、のんびりした節をつけて、宝船売りが刷り物を売っている。束ねた紙を欄干にもたせかけ、一枚ずつ手首でくるりと巻いて、客に渡していた。足もとには藁の筵が敷かれ、その端で霜が白く固まっていた。
刷り物は墨の匂いがして、薄い紙だった。買った者の数だけ巻かれて、暮れの人波のなかへ散っていく。
あっしも一枚求めて、立ったまま端をつまみ、広げてみた。大きな帆に、米俵に、小判に、珊瑚。その上に、顔ぶれのてんでんばらばらな神さまが、乗り合わせている。
すぐ隣に、母親に手を引かれた男の子がいた。七つか八つだろう。母親が買ってやったばかりの一枚を、男の子は上下さかさまに持ったまま、あっしの絵をのぞきこんでいた。あっしは、男の子の絵を指でつまんで、上下を直してやった。帆がぴんと立って、船が水に浮いた。「あ、浮いた」と、男の子が言った。

「ねえ、このお宝の神さまたち、みんな、この国の神さまなの」
あっしは、男の子の言い方をそのまま借りた。「お宝のなかみを、ひとつずつ当たってみようか」。そう言って、橋のたもとへしゃがみこんだ。膝の下の土は霜でかたく、冷えが、骨のほうへのぼってくる。足もとの小石を七つ拾って、掌でころがし、地べたに一列に並べた。
爪先で、土に線を一本引く。
「この線の、こっち側が、この国の浜だ。線の向こうが海。海を渡ると唐。唐のずっと先が、天竺だよ」
男の子もしゃがんで、あっしの絵に指をのせた。指は、船のへりに立つ、鎧すがたの武者で止まった。
「この人は、お侍でしょう。槍も持ってるし。それなら、この国の人だ」
男の子は小石を一つつまみ、線のこちら側へ置こうとした。あっしはその手首を、そっと押さえた。そして、石を取って、線の向こうへ、いちばん遠いところまで運んでやった。
「毘沙門さまといってな。戦の神さまだ。お侍の鎧に見えるが、生まれは天竺よ」
男の子は、口をとがらせて、次の一人を指した。琵琶を抱えた、たおやかな女の神さまだ。
「弁天さまだ。これも天竺の川から来なすった」
あっしは小石を、毘沙門さまの隣へ並べた。男の子は、あっしの手の動きを目で追いながら、こんどは自分から、袋をかついで腹を出した坊さまを指した。
「布袋さまは、唐だ。唐の坊さまで、あの太鼓腹で、袋に何でも入れてまわったというぞ」
小石は、線のすぐ向こうへ。
「じゃあ、頭の長いおじいさんは」
「福禄寿さま。これも唐だ。そっちの、白いひげで杖をついた寿老人さまも、唐」
一つ、また一つと、小石が、線の向こうへ移っていく。残る二人のうち、大きな袋と槌を持った、にこにこ顔の黒い神さまは、大黒さまという。あっしは、これを天竺のほうへ置いた。
松をかついだ男が、通りがかりに、地べたの石を横目で見た。足をゆるめ、線をまたぎ、そのまま行ってしまった。土に引いた線は、通る人の草履に、すぐ消されそうだった。
男の子の指が、最後の一人で止まった。鯛を抱えて、釣り竿を肩にした、恵比寿さまだ。あっしは、七つめの、白くて丸い小石を、線のこちら側、男の子の草履の爪先のすぐ前に置いた。鯛を抱えた浜の者のなりは、この国のものだ、と言い添えて、石を指でひと撫でした。
あっしの絵では、船の真ん中に、米俵が積まれていた。男の子はそれを指でなぞり、そのあとで、小石を数えなおした。七つ。小石は掌の熱を取られて、もう冷たくなっていた。男の子は、その冷たい石を、あっしの手の動きにあわせて一つずつ握りなおした。

男の子は、地べたをじっと見た。線の向こうに、六つ。こちら側に、ひとつ。あっしが足したのは、そのあいだに引いた線一本と、小石だけだった。
母親も横から地べたをのぞきこみ、「まあ」と小さな声をもらした。宝船売りは、次の客に一枚巻いて渡しながら、石をちらりと見て、口のはしだけで笑った。男の子は母親の手を離れ、七つの小石をいちどにかき集めた。あわせた両の掌をちいさな船のかたちにして、そこへ全部を入れた。
男の子は、自分の絵を母親の手に預けて、掌の船をのぞきこんで、石をことことと揺らした。
「なんで、そんなに知ってるの」
「寺の普請に通ううちにな。お坊さまがたが、天竺だの唐だのの話を、茶のついでに、しゃべってくれるのさ」
それ以上は、聞かれなかった。男の子は、手のなかの石のうち、ひとつだけ色の白いのを、指さきでより分けた。
「これが、鯛の人。おいらの国の神さまだ。いちばん、にこにこしてるし」
あっしは、うなずいた。男の子は、白い石を左の掌に、残りの六つを右の掌に持って、しばらく、見くらべていた。左の一つも、右の六つも、掌にすっぽり収まった。
宝船売りが、ふりむいた。
「坊、ええ夢を見な。二日の晩に、この絵を枕の下へ敷くんだ。船には、おまじないの歌が刷ってあらあ」
絵のへりには小さな字で、こう刷ってあった。
——なかきよの とおのねふりの みなめさめ なみのりふねの おとのよきかな——
「上から読んでも、下から読んでも、おんなじになる歌よ。坊、おしまいの字から、指でたどってみな」
男の子は、絵のへりの歌を、母親に一字ずつ読んでもらい、おしまいの字から、指でさかさにたどっていった。「な、か、き、よ、の……あれ。おんなじだ」。母親と二人で、目を丸くして笑いだした。
「おいら、この石、ぜんぶ家へ持って帰る」
「ああ。つぶさぬように、握っていきな」
母親は、あっしにぺこりと頭をさげてから、言った。
「うちの人は、毎年これを敷くんですよ。夢はいつも、腹いっぱい食べる夢ばっかりだって」
「めでたい夢ですよ」と、あっしは答えた。
母親は、もういちど頭をさげた。男の子は、石をぜんぶ握りしめたまま、母親に引かれて、橋を渡っていった。あっしは立ちあがった。しゃがんでいた膝がこわばって、立つのに手間取った。広げていた絵を巻きなおして、懐へしまう。紙は、体のぬくみで、すぐにしっとりした。手が、すこしいそいでいた。
橋を渡りきったところで、ふりむいた。線を引いたあたりは、人の足にならされて、もう見分けがつかなかった。夕方の風が、欄干の刷り物を、一枚だけ、ぱたぱたと鳴らしていた。男の子は母親の袖を引いて、道のまんなかで立ちどまり、両の掌を開いて見せていた。母親が笑って、その掌を閉じさせた。石は七つとも、しっかり握られていた。
◇ ◇ ◇
木の船の七体は、いまも机の上で、肩を寄せあっている。鯛の一体だけが、ほかより少し、前のほうにいる。七体の顔ぶれは、あの暮れに広げた刷り物の絵と、そっくりおなじだ。あの刷り物は、指で押せば破れそうなほど薄かった。
あの年の二日の晩に、枕の下へ敷いた一枚は、いつのまにか、手もとから無くなった。机の船を指ではじくと、あの橋のたもとで男の子が揺らした石の音が、耳の奥で鳴る。男の子が握っていった、七つの小石の行方も、知る由がない。
ボクの膝は、霜でかたくなったあの橋のたもとの土を、いまも覚えている。
参考文献・もっと詳しく
※ 七福神は来歴の異なる神の集合(インド由来=大黒天・毘沙門天・弁才天/中国由来=布袋〔唐末の実在の禅僧〕・福禄寿・寿老人/日本由来=恵比寿)。「七」にまとめられたのは室町末〜江戸初とされ、メンバーには変遷(寿老人と福禄寿の同一視、吉祥天等の出入り)があって、現在の顔ぶれに定まるのは江戸後期とされる=諸説あり。回文歌「なかきよの…」と宝船を枕下に敷く初夢の風習も江戸の習俗。
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