夜明け前の店先の鉢の列と、苗を二百抜いて七つ残した植木屋第 143 話文化
文化江戸のころ・入谷の植木職のあたり読了 約6分

夜明け前の店先の鉢の列と、苗を二百抜いて七つ残した植木屋

〜咲くとも知れぬ七つの鉢へ、人はなぜ毎朝会いに来るのか〜

はじめて読む方へ——語り部「ボク」がなぜ千年を渡り歩いているのかは、プロローグにあります。

 種を蒔いて、土をかぶせて、水をやる。翌朝、まだ芽も出ていないと知っていて、それでも人は鉢はちをのぞきに行く。なぜだろう。

 ボクがそれを間近に見たのは、夏の入谷の、植木屋の軒先だった。夜も明けきらぬうちから、しゃがみこんだ背中が、ずらりと並んでいた。

◇ ◇ ◇

 文化ぶんか十四年(一八一七年)の夏、入谷いりやのあたりのことだ。

 「おい、そこの。手が空いてるな」

 店先の井戸で水をもらっていただけの手前に、そう声をかけたのが、磯八という植木屋の親方だった。日雇いの口を探して歩いていた身で、断る言葉を探すうちに、もう手桶を持たされていた。住み込みの小僧の留松が暑気にあたって寝込み、朝の仕事をこなす手が足りないのだという。夏のあいだだけ、という約束で、手前は店の裏の物置に寝ることになった。

 朝は、暗いうちに始まった。親方は提灯ちょうちんを手前に持たせ、店先にならんだ小鉢を、端から順に照らさせる。何も言わない。双葉ふたばのあとに出た本葉ほんばを指の腹でひっくり返しては、ひとつ、またひとつ、苗を抜いていく。まるい、ふつうの形の葉は、根ごと抜いて、手前の持つ桶へ放りこむ。残すのは、葉のふちが縮れたもの、先が裂けたもの、まわりの苗と顔つきの違うものだけだった。

 三日かけて、桶は何度も空けた。数えてみると、抜き捨てた苗は二百を少し超え、残った鉢は七つだった。ふつうの形の花を咲かせた親木の鉢は、抜かずに軒下の隅へ寄せてある。種を繋ぐのはそちらで、七つは、そこから生まれた出物の見込みを預かる鉢だった。

 「七つですか」と手前が思わず口にすると、親方は返事のかわりに、その七つを自分の手で運んだ。店のいちばん奥、朝の日がまっすぐに当たる板の上へ、間をあけて、ひとつずつ置いていく。ほかの鉢より、置く手つきがずっと遅かった。鉢の底が板に触れる音さえ、立てまいとしているようだった。

 抜いた苗を捨てに行くのも、手前の仕事だった。桶をさげて、店の裏の堀端ほりばたの肥やし溜めまで、日に三度は往き来する。まだ青々として、葉の一枚一枚に朝露をのせた苗を、ざらざらと空けるたびに、手前の手は何度も止まった。捨てているのは、花にならなかったものの山だ。けれど、その山のなかに、七つの鉢の前で目を細める人がいるような花が、たまたま混じっていなかったとは、誰にも言えない。親方は、そんなことを気にするふうもなく、昼になると簾すだれを七つの鉢の上へ斜めに掛け、日が傾くとそれをはずした。

挿絵:抜いた苗を捨てに行くのも、手前の仕事だった

 その七つの前に、毎朝いちばんに来て、しゃがみこむ男がいた。錺職かざりしょくの兼吉という。歳は四十のなかばで、鏨たがねを握りつづけた右の親指には、固い胼胝たこができている。長屋の軒先には鉢を置く場所が足りず、種も鉢も店に預けていた。苗を抜かれた二百余りは、もとはといえば、兼吉が前の年の夏に自分の鉢から採った種だった。

 兼吉が手前に問うのは、決まって一つきりだった。

 「出たか」

 出たか、と訊かれても、手前に答えようはなかった。蔓は毎朝、昨日の続きを昨日と同じだけ伸ばしているだけだ。それでも兼吉は、答えを待たずに、七つの鉢を右から順に、親指の腹で蔓の先をなぞっていった。

 水やりは、手前の役になった。柄杓で、根元にだけ、葉をぬらさぬように。朝は鉢の土の肌がまだ冷たいうちに、夕は日が引いてから。多すぎても、少なすぎても、親方は黙って柄杓を取り上げて、手前の見ている前で、同じ鉢にもう一杯だけ足すか、足さずに戻すかした。それだけで、手前には十分だった。最初の朝、竹の棒から外れかけた蔓を、手前の指が、ほとんど考えもせずに元の巻きへ戻していた。左巻きの輪を、ほどかず、締めず、指の腹で背を押すようにして竹へ返す。どの世の朝でも、蔓は同じ向きに巻く。

 物置の戸を細くあけて、東の空の色を見てから、桶をさげて店先へ駆けていくのが、手前の朝の決まりになった。選り分けた七つが蕾をつけたのは、それから二十日ばかりのちのことだ。

 夜が白むころには、店先に人が集まってくる。湯屋の湯が沸くより早く、足音がそろうのだ。手拭いを頭にのせた職人や、近所の人たちが、提灯を片手に、親方の七つの前にしゃがみこむ。蕾は前の晩から紙縒りこよりのようにきつくねじれて、てっぺんに薄く色をのぞかせている。夜の明け際になると、蔓の先がふるえて、ひとつ、またひとつ、ほどけていく。ぱっと音が立つわけではない。けれど、ひらく気配というものがあって、それが伝わると、しゃがんだ者たちの背が、いっせいに起きる。

挿絵:夜が白むころには、店先に人が集まってくる

 七つのうち、六つは、ありふれたまるい花だった。

 六つめがひらいたとき、手前は、兼吉の背を見ていた。まるい花に、兼吉は目もくれなかった。ただ、七つめの鉢の前から動かなかった。

 その七つめの蕾だけが、前の夜のまま、きつくねじれて夜を越していた。空がすっかり明るくなって、人垣がざわつきはじめたころ、ようやく、それはほどけた。

 花びらが幾重にも細く裂けて、鳥の羽根を散らしたような咲きようだった。淡い縹色はなだいろのふちに、墨を一滴落としたような濃い筋が走って、朝の光に透けると、薄い絹を重ねたように見えた。

 「お」と誰かが言った。

 兼吉は、手前の肘をつかんだ。何かを言いかけて、口をひらき、結局、何も言わなかった。固い親指の胼胝が、手前の腕に食いこんだ。

 昼前には、花はしぼんだ。しぼんだ花は、水を含んだ紙のように縮んで、蔓の先にぶら下がっていた。その花の種を採っても、同じ花が出る見込みは、ほとんどない。それを、その場にいた誰もが承知していたのだろう。

 花から十日ほどのち、手前が提灯を持って店先へ出ると、親方はもう、十日前に蒔いた小鉢の前にしゃがんでいた。ようやく本葉の出そろった苗を、指の腹で、ひとつずつ、確かめている。兼吉は、その隣で、湯飲みの茶をすすっていた。

 二番蒔きの小鉢も、前と同じほどの数があった。親方は、また二百ばかりの苗を、朝のうちに端から抜いて、残す分を指で数えた。今度は九つだった。七つのときよりも、置く場所を二つ多く空けていた。手前は桶を持ち、昨日と同じ道を堀端まで往復した。何度往復しても、桶はいつも、行きより帰りのほうが軽かった。

 「出たか」と兼吉が言った。親方に向けてか、手前に向けてか、分からなかった。

 その日の夕方、兼吉は、出入り先の殿様の御用で、しばらく江戸を離れることになったと言いに来た。手前を呼び止めて、蒔き残した種の紙包みを、懐から出した。

 「預かってくれ」

 手前は、断れなかった。紙包みは、思いのほか軽かった。

 秋のはじめ、日雇いの約束が切れて、手前は店を出た。懐には、兼吉から預かった種の包みが、そのまま残っていた。返す相手は、もう長屋にいなかった。

◇ ◇ ◇

 夏の、まだ暗い時分。ベランダの仕切り板の向こうで、サンダルが、ぺたぺたと鳴った。隣の子の足音だ。ペットボトルの口が鉢の縁に、こつん、と当たった。それから、水が土に吸われていく、しゅう、という小さな音。

 音は、そこで途切れた。

 やがて、ぱたぱたと部屋へ駆け戻る足音がして、ガラス戸が、がらりと鳴った。

参考文献・もっと詳しく

※ 江戸後期、文化・文政のころに朝顔の栽培が町人のあいだで大いに流行し、花の形や色を人為的に変えた「変化朝顔(変わり咲き)」を競う園芸が広まったとされる。変わり咲きの多くは種を採ってもおなじ花を再現しにくく、愛好家は多数の鉢を育てて珍しい個体の出現を待ったと伝わる。やがて品評会が開かれ、番付や図譜が作られるなど、園芸が庶民の遊びとして大衆化していったという。入谷には植木屋が多く、のちに朝顔の名所として知られた。文化十四年は一八一七年(文化は一八〇四〜一八一八年)。※本文の人物・会話・情景は創作。

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