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江戸のころ・神田の裏長屋読了 約6

板の間に、青いひとひらを

冷たい板の間に青い一枚が敷かれた日、人は何にほっと息をついたのか

 床というものは、長いあいだ、ただ硬いものだった。

 土を踏みかためた地面か、せいぜい板を渡しただけ。冬は底冷えが足のうらからのぼってきて、夏は乾いた埃が舞った。人はその上にむしろを一枚しいて座り、そのまま横になって眠った。それが当たり前で、誰も不平など言わなかった。やわらかい床なんてものを、そもそも知らなかったのだから。

 そこへいつのころからか、藺草を編んだ一枚が敷かれるようになった。畳というやつだ。青くてやわらかなその面を、人は競うように欲しがった。あれは見た目の話だけじゃない。藺草の茎はなかに細かな隙間をたんと抱えていて、じめじめした日は湿りを吸い、からからの日はそっと吐く。床の上の小さな天気を、知らぬまにととのえてくれる——なんてことを、当時の人が知っていたわけはない。ただ、足のうらが喜ぶ。それだけで十分だった。硬い板の上に、やわらかな居場所をこしらえる。たったそれだけのことが、どれほど人を喜ばせたか。ボクはそれを、すぐそばで見てきたんだ。

◇ ◇ ◇

 宝暦八年(一七五八年)の江戸でのことだ。神田の裏長屋に、おすみという左官の女房がいた。

 諸国を歩いて小商いをしていた頃のことだ。その日、手前はおすみの店子の長屋へ、ふらりと立ち寄っていた。狭い土間の先に、すりへって飴色になった板の間がのぞいている。冬場はこの板が氷みたいに冷えて、足のうらがじんと痛んだのを、手前はよく覚えている。

 ところがその日は、様子がちがった。畳刺しが一人、真新しい畳を一枚かついで、土間口に立っていたのだ。おすみが長いこと銭を貯めて、やっとこさあつらえた、生まれてはじめての畳だという。

 畳刺しは板の間に膝をつき、その一枚を据える場所へ、丁寧に手をすべらせた。塵を払い、寸法をたしかめ、それから畳をそっと落としこむ。寸分の狂いもなく、板の間の隅にぴたりと収まった。い草の青い匂いが、せまい部屋いっぱいに、むうっと立ちのぼる。

 「ああ、いい匂いだ」と、おすみが鼻をひくつかせた。

 待ちかねていた幼い息子が、できあがるなり、その上へごろりと寝ころんだ。頬を青い面に押しあてて、足をばたばたさせて笑う。

 「これ、汚すんじゃないよ」

 そう言いながら、母の口もとはゆるみきっていた。手前が「ようござんしたね」と声をかけると、おすみはうれしそうに、畳のへりを手のひらでそろりとなでた。

 「この子をね、せめて板の上じゃなく、やわらかいところに座らせてやりたくて。それだけのために、こつこつ貯めたんですよ」

 手前も、その畳に手をのせてみた。ひんやりとして、それでいてどこか温みのある手ざわりだ。藺草を一本いっぽん、几帳面にそろえて編んだ目が、指の腹をかすかにくすぐる。すぐ隣の板の間に手を移すと、こちらは氷のように冷たく、ささくれが指に刺さりそうだった。同じ一つの部屋の床なのに、まるで別の場所みたいだ。

 促されて、手前は草履を脱ぎ、その一枚へ足をのせてみた。足のうらが、ひたりと藺草の面に吸いついた。冷たい板を踏んだときの、あのきりきりとした痛みがない。かわりに、編み目のひとつひとつが足の裏をやわらかく押しかえしてくる。膝を折って腰をおろすと、尻の下から、ほのかな弾みがつたわってきた。むしろの上に座るのとは、まるでちがう。むしろはじかに地の冷えを伝えてよこすが、この一枚は冷えをそこで食いとめて、こちらの温みをそっと抱えこんでくれる。なるほど、これでは欲しがるはずだと、手前はひとり得心した。

 畳刺しは隅に座って、ほつれかけた古い畳の手入れにかかっていた。太い畳針に糸を通し、畳床へぐいと突き刺す。針は厚い藁の芯を貫いて、向こう側からまた戻ってくる。それを片手でぐっと引きしぼり、畳表をきりりと縫いとめていく。手の甲には古い傷がいくつも走り、指の節は太く節くれだっていた。

 「これだけの一枚を縫うのに、どれほどかかるものだね」と手前がたずねると、畳刺しは手を止めずに、ふっと笑った。

 「藺草を干して、選って、織って、それからこうして縫いつける。一枚ぶんの草を育てるところから数えりゃ、気の遠くなる話さ。だからこそ、ぞんざいには扱えねえ」

 なるほど、この青い一枚には、田んぼの泥から職人の指先まで、いくつもの手がかかっている。それでもおすみは、なけなしの銭をはたいて、これを手に入れた。床がやわらかいというだけのことに、人はそこまでするのだ。

 縫いあげた縁には、紺の布が細くあてがわれていた。畳刺しはその縁を指でならし、ほつれがないかをたしかめてから、ようやく道具を片づけはじめた。幼子はそのあいだも畳から離れず、青い面にうつ伏せて、編み目のしわを小さな指でなぞっている。藺草の匂いはいつまでも部屋にこもって、土間の湿った土の匂いも、すすけた天井の匂いも、いつしか押しのけてしまっていた。狭い長屋の一間が、たった一枚の畳で、まるごと衣替えしたみたいだった。

◇ ◇ ◇

 手前は、なるほどと思った。

 人というのは、硬い地べたの上にやわらかな面を一枚しいて、そこに座り、休み、人を迎えてきた。むしろから茣蓙へ、茣蓙から畳へ——名や形こそ移れど、その願いだけはずっと変わらない。畳は、その願いの行きついた、ひとつの形なのだ。

 しかも、よくしたものだ。畳は長く使えば日に焼けて、青さも匂いも褪せていく。けれどそれで終いではない。芯はそのままに、表だけを張りかえてやれば、また新しい青がよみがえる。表替えというやつだ。

 手前はその畳刺しが、別の古畳の表をはがし、新しい藺草を縫いつけていくのを、しばらく眺めていた。すりきれて飴色になった面が、見るまに青々とよみがえっていく。床はそうして、何度でも新しくなる。古びても捨てずに、面だけを替えてまた使う。なんともつましくて、賢い工夫だと思ったよ。

 帰りぎわ、もう一度ふりかえると、あの幼子はまだ畳の上で、ごろごろと寝ころんで遊んでいた。青い一枚が、よほど気に入ったらしい。冷たい板の間にひとつだけ生まれた、あたたかな島のようだった。

◇ ◇ ◇

 今では、床はすっかり様変わりした。

 板を平らに張った床——フローリングというやつが増えて、畳は和室と呼ばれる一間にだけ、ひっそりと残っている。それでも靴をぬいで上がり、やわらかな面の上にごろりと寝ころぶ習いだけは、まだ消えてはいないようだ。あの匂いを嗅ぐと、なぜだか肩の力がふっと抜けるという人が、今でもいる。

 ボクはときどき、あの長屋の一室を思い出す。新しい畳が入った日の、あの青い匂い。母の手のひらが、へりをなでた仕草。幼子が頬を押しあてて笑った、あのやわらかな面を。あの一枚も、やがては日に焼けて飴色になり、何度も表を替えられ、それでも畳のままに使われつづけたのだろう。あの幼子が大きくなって、自分の子をその上に座らせる日まで。床のやわらかさというものは、そうやって、親から子へと敷きわたされていく。

 硬い床の上に、やわらかな居場所を一枚しく。たったそれだけの工夫を、人は気の遠くなるほどの時をかけて、暮らしの真ん中に据えてきた。入れたての畳の、あの青い匂いを——ボクは今でも、ふと懐かしむんだ。

参考文献・もっと詳しく

畳が一般庶民の家へ広く敷かれるのは江戸後期から明治にかけてで、江戸中期までは裕福な町家や武家が中心だった。庶民にとって畳一枚は長く銭を貯めてあつらえる「特別なもの」であり、本話でも板の間に新しい一枚が据えられる特別な日として描いた。藺草の茎が湿りを吸い吐きする調湿のはたらきは額縁の現代の語りにのみ置き、場面の人物は「足のうらが喜ぶ」「いい匂いだ」という経験と実感だけで語らせた。「畳刺し」は畳職人で、畳針と糸を用いて畳表を畳床に縫いつける。「表替え」は畳床(芯)を残して畳表だけを張り替える手入れを指す。宝暦八年=一七五八年(宝暦年間=一七五一〜一七六四年)で史実と整合する。

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