第 141 話仕事底の透けたわらじを履き替えて、日本橋を発った飛脚
〜あの男の左の足の甲には、なぜ赤黒い傷が残っていたのか〜
はじめて読む方へ——語り部「ボク」がなぜ千年を渡り歩いているのかは、プロローグにあります。
片方のわらじを、陽にかざしたことがある。
藁の編み目はまだ生きているのに、爪先から土踏まずにかけてだけ、底が紙のように薄く透けていた。指でつまむと藁くずがぱらぱらと落ち、湿った土と汗の、すこし酸いにおいが立つ。
いまなら、足の裏と地面のあいだにゴムの厚みがある。あのころの足には、それが無かった。藁一重。足の裏が地を知る道は、それしか無かった。
鼻を近づけると、藁のなかに、雨のにおいがまだ残っていた。底のふちには、泥が乾いて粉になって、編み目に噛みついている。底の薄いところを光に透かすと、向こう側の空が見えた。わらじがこれほど減るには、どれほどの道のりが要るのか、ボクにはうまく数えられない。
そのわらじの持ち主を、ボクは日本橋の軒先で見かけた。
◇ ◇ ◇
明和五年(一七六八年)の夏、日本橋。昼を過ぎて、にわか雨に降りこめられた。あっしは橋の北のたもと近く、飛脚問屋の軒下へ駆けこんで、濡れた肩をはたいた。
間口の広い土間だった。棚には油紙でくるんだ状箱がずらりと並び、柱の釘という釘に、履きつぶしたわらじが二足ずつ掛けてある。どれも底が薄い。墨と汗と、雨に湿った藁のにおいが、ひとつに籠もっていた。帳場の若い衆は、雨など耳に入らぬ顔で、帳面に筆を走らせている。開いた頁が、戸口からも見えた。罫のなかに人の名が並び、同じ名が、縦にいくつも連なっている。いちばん長い列を数えると、その頁だけで十一あった。頁の端は、親指に触られつづけて黒ずんでいた。
雨は瓦を叩いて、軒の端から簾のように落ちている。その音のむこうで、釘に掛かったわらじの雫が、土間の縁の濡れた土へ一滴ずつ、間をおいて落ちていた。どの二足にも、持ち主の名を書いた紙きれが紐で結んである。崩し字の名を拾ってゆくと、同じ名の紙きれが、釘をまたいで三つも四つも並んでいた。ひとりの脚に、二足きりでは足りないのだ。
棚の状箱は、ひとつひとつ大きさがちがった。手紙一通ぶんの薄いものから、掌ふたつ分ほどの厚みのあるものまで。厚い箱には、麻の紐が二重にかけてあって、結び目の上に、墨で小さく印が押してある。薄い箱の紐は、一重で、結び目もゆるい。重さの違いを、紐の掛け方が先に語っていた。箱の側面には、ここでも小さな紙が貼ってあって、宿の名が墨で一字ずつ書き入れてあった。
戸口に立つあっしの足もとにも、跳ね返った雨が、細かい泥の縞を描いていた。わらじの指のあたりが、じわりと冷たい。この土間にいる者の誰もが、足の裏の湿りに慣れきっているふうだった。
土間の奥の壁には、板がひと枚かかっていた。宿の名が右から左へ墨で書き並べてあって、名の下に、小さな木の札が一枚ずつ下がっている。札は裏返しのものと、表のものとがあった。表のものは、たぶん、次の宿へ人が出ている、という印なのだろう。誰に聞くでもなく、あっしは雨の止むのを待ちながら、その板をながめた。

戸口のすぐそばには、竹の籠がひとつ置いてあって、使いおわったわらじの紐ばかりが、ひと握り入っていた。もう用のない紐さえ、捨てずに集めてある。何に使うのかは、わからなかった。
上り框に、男がひとり腰をおろしていた。
三十がらみで、背はさほど高くない。脛は縄をよじったように張っている。彦次、と帳場の若い衆が呼んだ。頁のいちばん長い列にあった名と、同じ名だった。男は、返事のかわりに、右手の親指の腹を、ちらりと自分の目の前にかざした。親指の腹は、厚く黄色く固まっていた。紐を引く指なのだろう。そのまま、履いていたわらじの紐を解いた。
はずしたわらじは、水を吸って黒く重たげだった。紐の、甲を渡っていた一寸ほどだけが、赤黒く染みて固まっている。足は白くふやけて、踵にも指の腹にも、水ぶくれの潰れたあとがある。左の足の甲には、赤黒い傷がひと筋、かさぶたになって走っていた。縁だけが、また薄く裂けて赤い。彦次はそれを見もせず、盥の水で土をすすぎ、手拭いで足の指のまたまで拭った。手拭いの端に、剥けた皮がひとひら貼りついた。拭いおわると、拳で土踏まずをぐっと押さえ、離して、戻りを見た。
そこへ、表から別の男が飛びこんできた。雨でびしょ濡れの合羽の下から、油紙の包みを出して、帳場の台に置く。若い衆が包みの封をあらため、帳面へ筆を入れ、壁の板へ立って、札を一枚、ぱちりと裏返した。包みの行の端には、継ぎ先の宿の名が小さく書き添えられた。男は何も言わず、水を一杯だけ飲み、また雨のなかへ出ていった。あとには、濡れた足の跡が土間の縁まで、ふたつ三つ残っていた。
彦次は、わらじの束を受けとる前に、自分の手を一度、手拭いの端でぬぐった。濡れた掌で藁を触れば、目の硬さがわからなくなるのだろう。ぬぐった手拭いの端は、墨と藁くずで、もうまだらになっていた。
小僧が新しいわらじの束を抱えてきた。彦次は三足を手にとって、順に藁の目を掌でなでた。二足めで止まった。あとの二足は小僧に返した。
彦次は、その束のあいだに、自分の掌より小さな紙きれを一枚はさんだ。かたちからして、宛名の控えだろう。懐へしまう前に、一度だけ、それを口に当てた。紙のにおいを嗅いだのかもしれない。そうして、なにごともなかったように、懐の奥へ押しこんだ。

帳場の若い衆が、状箱を持ってきた。油紙で二重にくるんだ小さな箱だ。彦次は箱を二本の指でつまんで持ちあげ、重さを量るような間をおいてから、棒の先に結わえて肩へ担ぐ。若い衆は、帳面に筆を入れた。
帳場の若い衆は、彦次の肩に結わえられた箱へ、もう一度だけ目をやった。紐の結び目に、指の腹をひたと当てて、動かないのをたしかめる。それから、短く言った。
「品川で渡せ」
「へい」
若い衆は、筆の尻で、帳面の罫を一本なぞった。里の数を、墨で書き入れたらしい。賃は、里に応じて決まるのだろう。彦次の名の横に、数字が並んだ。それを、彦次は見なかった。見る必要が、なかったのだろう。
それだけだった。ほかの者は、誰も何も言わなかった。
彦次は、わらじを履く前に、足の指をひとつずつ、広げて、閉じた。小指から親指へ、順に、水をなでるようにだ。五本の指がそれぞれ別のものであるように、念入りに動かした。それから、足首をゆっくり回した。回すたびに、くるぶしがかすかに鳴った。
土間の隅では、小僧が箒を握ったまま、彦次の足もとを見ていた。叱られるでもなく、教えられるでもなく、ただ見ている。彦次は、紐を足首へ三度めぐらせて、固く結んで、余りを指で押しこんだ。その結びを、小僧は唇だけ動かして、なぞっていた。
新しいわらじの紐は、足の甲の傷の真上を渡っていた。結ぶたびに、紐がかさぶたの縁をこすって、剥がす。塞がりかけたところへ、次の道がもう来る。彦次の指は止まらなかった。両手を膝に置いて、ひと息に立った。膝が一度、こきりと乾いた音で鳴った。帳場の誰も、顔を上げなかった。
「行ってまいります」
表へ出ると、雨はもう上がりかけていた。軒の端から、最後の雫がいくつか落ちて、土間の縁をうがつように鳴った。水たまりの縁を、彦次は爪先で拾うように踏んで、橋のほうへ駆けていった。上体はほとんど揺れない。腰から下だけが、拍子を刻むように回っている。濡れた土に、足音は立たなかった。その背が人ごみに紛れて、橋の欄干の向こうへ消えた。
ぬかるみには、爪先だけが沈んだ小さな窪みが、橋のほうへ点々とつづいていた。窪みと窪みの間は、あっしの歩幅では、とても追いつかなかった。
土間には、脱いだわらじが残っていた。小僧が片方をつかんで竈へ放ろうとして、もう片方を取り落とした。あっしの足もとへ転がってきたのを、あっしは拾いあげた。
◇ ◇ ◇
品川で誰がその一通を受けとったのか、ボクは知らない。彦次が品川まで駆けたのかどうかさえ、見ていない。ボクが見たのは、日本橋の軒下の、雨の止むまでのあいだだ。
問屋の帳面には、その日の一行が入ったはずだ。罫のなかの、彦次という名の縦の列に、もうひとつ数が増える。頁で数えた十一が、十二になる。日づけ、宛先、賃。薄い紙は棚に収まって、次の若い衆の手へ渡っていくのだろう。釘に掛かっていたわらじは、夕方には竈の焚きつけになるのだろう。
手拭いから土間へ払い落とされた皮の薄片は、小僧の箒のひと掃きで、隅へ寄っていった。膝の音は、帳場のどこにも書き留められなかった。
ボクは、拾った片方のわらじの底に、自分の足裏をそっと合わせてみた。藁は、ボクの土踏まずのあたりで、もう紙のように透けていた。
参考文献・もっと詳しく
※ 江戸期の飛脚には幕府公用の継飛脚、大名の大名飛脚、民間の町飛脚(定飛脚・三度飛脚など)があり、町飛脚は問屋(飛脚屋)を拠点に文・荷・金子を運んだとされる。江戸〜大坂の便は宿場ごとに人を継いで運んだと伝わる。明和五年は一七六八年(明和は一七六四〜一七七二年)。宿の札板・紐の籠・紐の掛け方は創作。※本文の人物・会話・情景は創作。
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