渋くて食えぬ実を軒に吊るした男が、ひと冬かけて甘さを待った日のこと125
鎌倉のころ・東国の村里読了 約8

渋くて食えぬ実を軒に吊るした男が、ひと冬かけて甘さを待った日のこと

口がしびれるほど渋い実を、なぜ捨てずに皮を剥いて軒へ吊るしたのか

 干し柿というのは、渋くて食えぬ実を、甘い菓子へ変えてしまう知恵だ。

 柿には、そのまま齧ればうまい甘柿あまがきと、ひと口で口じゅうがしびれる渋柿しぶがきとがある。渋柿は、もいでも食えぬ。子どもが知らずに齧って、渋さに顔をゆがめ、舌を出して泣く。そういう実だ。捨てるよりほかにない、厄介な実のように見える。

 ところが、その食えぬ渋柿を、皮を剥いて軒に吊るしておくと、どうだろう。日が経つにつれ、あの舌を縮める渋みが、すうっと抜けていく。そうして、ねっとりと甘い、飴のような実に変わる。火も使わず、蜜も足さず、ただ風と日にさらすだけで、渋いものが甘くなる。冬じゅう貯えのきく、ありがたい甘味になるのだ。

 ボクが見てきたのは、人がその「待てば甘くなる」という不思議に気づき、食えぬ実を捨てずに軒へ吊るすようになっていった、その移り変わりだ。渋さを厄介がるのをやめて、時の手にあずけることを覚えた、そのあたりのことさ。

◇ ◇ ◇

 建長けんちょう五年(一二五三年)の晩秋ばんしゅうのことだ。おれは東国とうごくの、山あいの小さな村里に身を寄せ、百姓らの仕事を手伝うていた。

 その年は柿がよく生った。村の外れに、一本の大きな柿の木があってな。葉はあらかた落ちて、裸の枝に朱い実だけがびっしりと残り、低くなった日の光を弾いて、燃えるように見えた。おれは喜んで、手の届く一つをもいで齧った。皮を破ると、思いのほか実は固く、汁気も乏しい。とたんに口じゅうがしびれて、舌の根が引き攣れ、奥歯までざらりと縮みあがった。吐き出しても、しびれはなかなか消えぬ。村の童らが、おれの間の抜けた顔を見て、地に転げて腹をかかえた。

 その木の持ち主は、与次という年寄りの百姓だった。腰の曲がった、口の重い男さ。日に灼けた首すじに皺を畳み、おれが渋さに往生して舌を出しているのを見て、与次はにやりと笑い、こう言った。

 「そのまま食う阿呆があるか。これは、吊るすものよ」

 軒に朱い実がずらりと下がる冬の景色を、おれは知っている。けれど、その渋が甘さに変わるまでに、これほどの手が要るとは知らなかった。与次はそれ以上は語らず、長い竹竿の先にかぎをつけたもので、枝のたわむのを器用に手繰り寄せ、籠いっぱいに渋柿をもいでいく。実をもぐときは、枝に短い柄を残して摘むのだと、与次は手つきで教えた。その柄に縄をかけるのだという。おれにも手伝わせ、籠を縁先へ運ぶと、与次は小刀を取り出した。

 一つひとつ、薄い皮を、頭のへたのあたりからくるくると剥いていく。刃を実にあてるのではなく、実のほうを回すのだ。長い皮が、途切れもせず、一本の紐になって膝に垂れた。剥いた実は、薄い橙の肌をさらして、しっとりと濡れたように光る。指でつまむと、ひやりと冷たく、わずかに粘りがあった。剥いた実を二つずつ、藁縄わらなわの左右に振り分けて結わえ、軒の下のはりへ、端からずらりと吊るしていった。朱から橙へ色を変えた実の連なりが、ひさしの陰でゆらゆらと揺れ、風が通るたび、こつこつと軽く触れ合って鳴った。剥きたての実は淡い青くささを放ち、その匂いがしばらく軒下にただよっていた。藁縄をたぐる与次の手は、皺だらけのわりに迷いがなく、結び目はどれも同じ固さに整っていた。

 「吊るしておくだけで、渋はぬけるのか」と、おれは尋ねた。

 与次は、しわだらけの手で縄の結びを直しながら、ぽつりと言った。

 「どうもせぬ。ただ、待つのよ。霜が下りて、北風が吹いて……ひと月もすれば、渋がぬける。あとは、お天道さまと風のする仕事だ」

 おれは、その吊るしようをしばらく眺めていた。剥いた皮は、地に捨てずに、これもむしろに広げて干すのだという。皮は皮で、漬物の床に混ぜると甘みが移る、と与次は言った。実の渋いところまで、こうして余さず使う。村の者は、生りすぎて余った柿を、こうして冬じゅうの蓄えに変えてきたのだ。

 吊るす場所にも、与次なりのこだわりがあった。雨のかからぬ軒の奥、けれど風だけはよく通るところ。日が差してあたたかすぎれば実が傷み、夜露や湿りが多ければかびがくる。与次は実と実が触れすぎぬよう、縄のあいだに指を入れて間をあけ、首をかしげては一つ二つ位置をずらした。朝には東の日が頬を撫で、昼を過ぎれば山からの乾いた風が抜けていく——その風と日の通り道に、朱い実をちょうどよく並べてやる。それが年寄りの目利きだった。

 「むかし、おれの親も、そのまた親も、こうして吊るしておった」と、与次は言った。「だれが始めたかは知らぬ。気づけば、村のどの家の軒にも、冬になればこの朱いのが下がっておったのよ」

◇ ◇ ◇

 おれはその行く末が気になって、その軒先を、毎日のようにのぞきにいった。朝に夕に見上げては、きのうと変わったところはないかと目を凝らす。与次は、そんなおれを見て、せかせかするでないと、笑うばかりだった。

 はじめのうち、吊るした実はただ朱いだけで、なんの変わりもないように見えた。試しに一つもいで齧ってみれば、やはり渋い。口に残ったあのざらつきを思い出して、おれは、こんなものが甘くなるものかと、内心あやしんでいた。日に干せば、ますます固く、しなびて不味くなるばかりではないか——そう思うていたのだ。

 ところが、日が経つにつれ、実が少しずつ縮んでいく。張っていた肌に細かな皺が寄り、表の色が、朱から飴色へと深まっていった。やがて皮の下に、霜とも粉ともつかぬ白いものが、うっすらと吹いてくる。指でつまむと、外はかわいて張りがあり、中はまだ柔らかく、餅のようにわずかに沈んだ。与次は、ときおり実を一つずつ手のひらに包み、親指の腹でそっと揉んでやっていた。そうしてやると、中の固いしこりがほぐれ、むらなく柔らかく、甘くなるのだと言った。揉んだあとの指先からは、ほのかに甘ったるい匂いが立った。

 「焦るでない」と、与次は言った。「日にちが、渋を甘えに変えてくれる。人がしてやれることは、皮を剥いて、吊るして、ときどき手をかけてやる。それだけよ。あとは、ただ待つ」

 北風が吹き、霜が幾度も下りた。朝には軒の実が白く凍て、つまむと表がこわばって硬く、日が昇るとまた解けて雫を落とす。凍てては解け、解けてはまた凍てる——それをくり返すうちに、実は内からとろけていくようだった。村の田はとうに刈り取られ、稲架はさも払われて、あたりは枯れ色に沈んでいった。山は色を落とし、軒に下がる飴色の連なりだけが、冬枯れの村にぽつりと灯のように残った。軒の柿は、しなびて小さく、黒みを帯びた飴色になっていった。見た目は、決してよいものではない。皺だらけで、いかにも干からびた、貧相な姿さ。

 冬も深まったある日、与次が、その一つをもいで、おれに差し出した。表は白く粉を吹き、指で押すと餅のように沈んで、すぐにはもどらなかった。

 「食うてみよ」

 おれは、また舌が縮むのを覚悟して、おそるおそる齧った。

 甘かった。あの、口じゅうをしびれさせた渋みは、どこにもなかった。それどころか、皮の内はとろりと蜜のようにねっとりとして、蜜を煮詰めたような濃い甘さが、舌いっぱいに広がった。噛むほどに甘みがにじみ、歯にまとわりついて離れぬ。喉を過ぎてもなお、口の奥にあたたかい甘さが残った。あまりの変わりように、おれは思わず与次の顔を見、それからもう一度、手のなかの黒ずんだ実をしげしげと見つめた。与次は、皺の中の目を細めて、笑っていた。

 「な。捨てずにおいてよかったろう。渋うて食えぬと放っておけば、ただの落ち実よ。だが、ひと手間かけて、冬を越させてやれば……このとおり、子も喜ぶ菓子になる」

 その冬、与次の家の干し柿は、村じゅうの童らの宝になった。甘いものなど、めったに口に入らぬ時世だ。一つの干し柿を、童らは両の手で押しいただくように受け取り、惜しむように端から少しずつ齧り、最後のひと口まで名残を惜しんで舐め、口のまわりを飴色に汚して笑った。渋くて食えぬと泣いた、あの同じ実が、いまは子らを笑わせている。おれは、それがふしぎでならなかった。捨てるしかないと思うていたものが、待つだけで宝に変わる。そんな話があるものかと、おれは何度も軒を見上げたものさ。

◇ ◇ ◇

 渋柿を皮ごと剥いて軒に吊るし、風と日に干して甘い貯えに変える——その知恵が、村から村へ、東国にも西国にも根づいていったのは、このころのことだ。ボクは、その移り変わりを、いくつもの軒先で見てきた。

 人は、はじめ渋柿を厄介な実と思うていた。食えぬのだから、捨てるよりほかにない、とね。ところが、待てば渋がぬけて甘くなると知ってからは、もう捨てなくなった。秋に生りすぎた実を、皮を剥いて吊るしておけば、火も蜜も使わずに、冬じゅうもつ甘味になる。乏しい時世に、これほどありがたい貯えはなかった。渋いものを甘く変えるのは、人の腕ではなく、時の手だ。人は、その時の手に実をあずけることを覚えたのさ。

 今では、干し柿は店先にも並び、正月の飾りにもなる。甘いものなど、いくらでも手に入る世になった。わざわざ渋柿を吊るして、ひと月もふた月も甘くなるのを待つ者は、もう、そうは多くない。

 それでも、とボクは思う。

 どこかの家の軒先で、飴色の干し柿が風に揺れているのを見たら、それを、ただの古びた田舎の菓子と思わずにいてほしい。渋くて食えぬと泣いた実が、皮を剥かれ、軒に吊るされ、霜と北風に幾日もさらされて、ようやくあの甘さにたどり着く。そこには、渋さを厄介がらず、じっと待つことを覚えた人の、長い辛抱が染み込んでいる。

 干し柿は、ただ軒に揺れているだけだ。風が吹けば、ゆらゆらと鳴るばかりさ。それでも、その一つひとつには、食えぬ実を捨てずにおいて、時の手に甘さを託した者たちの、静かな辛抱が映っている。ボクは、そういうものが、好きなんだ。

参考文献・もっと詳しく

渋柿の皮を剥いて干し、渋み(タンニン)を抜いて甘くする干し柿の製法は古くから各地で行われ、火も糖も用いずに保存のきく甘味を得る知恵として、中世にはすでに広く根づいていたと伝わる。乏しい甘味を補う貴重な保存食であったとされ、のちには贈答や正月の飾りにも用いられるようになったという。建長五年は一二五三年(建長は一二四九〜一二五六年)で、元号と西暦の対応は史実に整合する。※本文の人物・会話・情景は創作。

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