第 125 話食渋柿を軒に吊るせと言った、よそ者の男
〜信じなかった村に、ひと月後、渋柿が応えたもの〜
はじめて読む方へ——語り部「ボク」がなぜ千年を渡り歩いているのかは、プロローグにあります。
冬の駅前、青果の棚に、白く粉を吹いた干し柿が袋に六つ並んでいた。 一つつまむと、餅のように指が沈む。 疑わしげに眺めていた、ある年寄りの顔が、ふいにボクの中を過った。
◇ ◇ ◇
柿もぎの人手が足りぬと呼びとめられたのは、建長五年(一二五三年)の晩秋、東国の山あいの小さな村里でのことだった。呼びとめたのは、与次という村の年寄りだった。
村外れに、大きな柿の木があった。葉はあらかた落ち、裸の枝に朱い実だけがびっしりと残っている。だが、その実はどれも渋くて食えぬ渋柿で、木を伐るという話も出るほど、村では厄介者扱いされていた。実るばかりで食えぬ木など、場所塞ぎだというのだった。
手渡された籠に、まだ青みの残る実が転がっていた。腹の虫が鳴って、断りもなく一つ齧ってみると、たちまち後悔した。口じゅうがしびれ、舌の根が引き攣れる。地に吐き出しても、渋みはなかなか消えなかった。与次は、間の抜けた顔をしたおれを一瞥しただけで、それ以上は何も言わなかった。
そこへ、旅の空でふらりと村に流れ着いた男がいた。名を喜八といい、みすぼらしい振り分け荷を担ぎ、一夜の宿と飯のかわりに、渋柿を甘くする法を知っていると申し出た。旅塵にまみれた笠の下から覗く顔は、日に灼けて皺深く、歳のほども知れなかった。荷の中身は、着替えと、使い込まれた竹竿と鉤が一本きりだった。与次は取り合わなかった。「どこの馬の骨とも知れぬ者の言うことなど」と、そっぽを向いた。村の中には、ものは試しと言う者も幾人かいたが、乏しい蓄えを危うくしてまで試す気にはなれぬ、というのが大方の腹の内だった。
だが、実るだけ実って落ちて腐る柿を、このまま見過ごすのも惜しい年だった。しぶしぶ、与次は喜八の言うとおりにやらせてみることにした。人手はおれに回ってきた。
朝から日暮れまで、木の下と縁側を何度も往復させられた。その年、与次の木からもいだ渋柿は、優に三百はあったろう。籠に山と積まれた実は、数えるだけで日が暮れそうなほどあった。通りかかった村の女房が、軒に下がりはじめた実を見て、片眉を上げた。「物好きな真似を」と言い捨てて、それきり振り返りもしなかった。だが、隣の家の親父は、通りすがりに実の色を覗き込み、「ほう」とだけ呟いて、それ以上は何も言わなかった。

喜八は、長い竹竿の先に鉤をつけたもので、枝のたわむのを手繰り寄せ、籠いっぱいに渋柿をもいでいく。実をもぐときは、枝に短い柄を残して摘むのだと、寡黙に手だけで教えた。おれと与次は、縁先に並んで運ばれてくる実を受け取っては、籠に移し替える役に回された。
一つひとつ、薄い皮を、頭のへたのあたりからくるくると剥いていく。刃を実にあてるのではなく、実のほうを回すのだ。長い皮が途切れもせず、一本の紐になって膝に垂れた。剥いた実は、薄い橙の肌をさらして、しっとりと濡れたように光った。剥いた実を二つずつ、藁縄の左右に振り分けて結わえ、軒の下の梁へ、端からずらりと吊るしていく。おれはその手元を見よう見まねでなぞり、指先を切りながら、どうにか結んだ実の縄を軒へ運んだ。慣れぬ籠を担ぐたび、荷が肩に食い込んだ。剥きたての実は淡い青くささを放ち、その匂いがしばらく軒下にただよっていた。藁縄をたぐる喜八の手は、寡黙なわりに迷いがなく、結び目はどれも同じ固さに整っていた。
吊るす場所にも、喜八なりのこだわりがあった。雨のかからぬ軒の奥、けれど風だけはよく通るところ。実と実が触れすぎぬよう、縄のあいだに指を入れて間をあけ、首をかしげては一つ二つ位置をずらす。与次は、離れたところから腕組みをして、その様子を見ていた。ものも言わず、時折り首をひねるだけだった。
◇ ◇ ◇
喜八は、誰に問われるでもなく、独り言のように言った。「なにもせぬ。ただ、待つだけだ。霜が下りて、北風が吹いて……ひと月もすれば、渋は失せる。人にできるは、剥いて、吊るして、時折り手をかけてやることだけよ」
与次は、それでもまだ疑いの目を捨てなかった。「渋いものが甘くなるなど、聞いたこともない」と呟いて、首を振った。
「これは、ほんとうに甘くなるのか」与次が独り言のようにこぼすのへ、おれも黙ってうなずくしかなかった。二人して、疑いを分け合うよりほかになかった。
その軒先の見回りは、いつしか、おれの日課になっていた。実と実がぶつからぬよう縄の間を空け、位置をずらす。梯子を日に何度も上り下りするたび、肩と腰に鈍い痛みが溜まった。このまま、ただ実が傷んで終わるのではないか——乏しい年に、この手間が無駄になるのではないか。そんな思いが胸をよぎるたび、おれは縄の結び目を、指できつく締め直した。

ひと月のあいだ、日課は変わらなかった。梯子を上って下りて、縄を締め直し、また上って下りる。数えてはいなかったが、ひと月で百度は下らなかったろう。
北風が吹き、霜が幾度も下りた。朝には軒の実が白く凍て、つまむと表がこわばって硬く、日が昇るとまた解けて雫を落とす。凍てては解け、解けてはまた凍てる——そのくり返しで、実は内からとろけていくようだった。十日を数え、二十日を数え、それでもまだ渋いままの実があった。それでも、日を追うごとに、与次が自ら軒先を覗きにくる回数は増えていった。素知らぬ顔をしながらも、実の色が変わるたび、指先で確かめずにはいられぬようだった。張っていた肌に細かな皺が寄り、表の色が、朱から飴色へと深まっていった。やがて皮の下に、霜とも粉ともつかぬ白いものが、うっすらと吹いてくる。指でつまむと、外はかわいて張りがあり、中はまだやわらかく、餅のようにわずかに沈んだ。うっすらと甘い匂いが、朝の冷たい空気に混じって漂うようになったのも、そのころだった。見た目は、決してよいものではない。皺だらけで、いかにも干からびた、貧相な姿さ。これのどこが甘いというのか——おれは吊るされた実を、もう一度そっと指先で確かめてみた。
ひと月を数えるころ、喜八がその一つをもいで、与次に差し出した。与次は疑わしげに眉根を寄せながらも、口へ運んだ。
嚙むと、蜜のような甘さがじわりと広がった。あの、口じゅうをしびれさせた渋みは、どこにもなかった。与次は、しばし黙り込んでから、手の中の実をしげしげと見つめ、それから喜八の顔を見た。「……これは」というきり、あとは言葉にならぬふうだった。それ以上は何も言わず、ただ小さくうなずいた。残りの実を大事そうに抱え直すと、家の中へ運んでいった。
その冬、与次は、村外れの柿の木を伐るという話を二度と持ち出さなかった。喜八は、雪の解けるころ、また振り分け荷を担いで村を発っていった。
◇ ◇ ◇
建長五年の冬、与次の軒先には、二つずつ結ばれた渋柿が、幾晩も霜を受け、ひと月を越えて、甘く変わっていった。おれが梯子を上り下りした日数は、指を折って数えられる——来る日も来る日も、ひと月のあいだ。
干し柿を一つ、指でつまんでみる。餅のように沈むその感触の奥に、籠を担ぐたび軋んだ肩と、幾度も上り下りした梯子の軋みが、いまも残っている。二つずつ結んで、ひと月待つ——それだけの手間だったのだ。駅前の袋の前で、ボクはふと指を止めた。
参考文献・もっと詳しく
※ 渋柿の皮を剥いて干し、渋み(タンニン)を抜いて甘くする干し柿の製法は古くから各地で行われ、火も糖も用いずに保存のきく甘味を得る知恵として、中世にはすでに広く根づいていたと伝わる。乏しい甘味を補う貴重な保存食であったとされ、のちには贈答や正月の飾りにも用いられるようになったという。建長五年は一二五三年(建長は一二四九〜一二五六年)。※本文の人物・会話・情景は創作。
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